昔のことですが、「救霊祈願祭」について

三救浜松月次祭挨拶
令和四年三月八日 
皆さま月次祭おめでとうございます。この後の式典のことを考えますと、「おめでとうございます。」とは言いにくいかとは思います。
しかしながら、先月は浜松の皆様にはすべてリモート対応となりましたので、こうして顔を合わせて月次祭を執り行わせて頂けますことを大変ありがたく思います。
本日はこの後、UK先生を「偲ぶ会」とか「救霊祈願祭」とか式典名は決めておりませんでしたので、いろいろな呼び方をしておりましたが、
5年の式年祭を「救霊祈願祭」として執り行わせていただきます。
この場をお借りして祭典に至る思いを少しお話します。
例えば、UK先生の5年祭を各々のご家庭で執り行う事もできるのではないかという思いを、持ったということが始まりです。
お墓には骨があり、墓石に名を刻みます。
仏壇にはお位牌があり、祖霊舎にはご霊璽があり、名を刻みます。
その名にかかられる訳です。
先生が布教所などで取り行なう合同慰霊祭を「好ましくない」とおっしゃったのは、「〇〇〇の神靈をはじめ〇柱の神靈たちやー。」
と霊界へ呼びかけ ひもろぎ にその他大勢の霊がかかられるのは良いが、はっきりと自覚せずに現界に来てしまう霊がいて、
還魂のときに 「早、式も終わりて 元津御蔵に還りましませー」とお還り願うのですが、名前を呼ばれていない霊はわからずに現界に残ってしまう。
還れない霊が出来てしまう。それを「好ましくない」とおっしゃったわけです。
ですからお一方をはっきりと名前をお呼びして現界にお越しいただいて、またはっきりと名前をお呼びして元津御藏にお還りいただければ大丈夫なのです。
それでは ひもろぎ がない場合、どうすればよいか。と疑問が湧くかと思います。
これは以前、本居宣長さんの本を読んでいて、しっくり来ましたのは、宣長さんは松阪へ賀茂真淵先生が、来られた時に、一夜だけ会っています。
その後、手紙のやりとりで学んだわけですが、生涯師と仰ぐのですね。
それで、その先生がお亡くなりになって、毎年命日に宣長さんが御自分で揮毫された「賀茂真淵大人(うし)之神靈」の掛軸を床の間に掛けて、慰霊祭を執り行ったそうなのです。
御教えで「文字にかかる」と学んだことと同じです。
常時ズーっとお祀りするにはお位牌が良いわけですので、それぞれのご家庭ではそのようにさせていただいているかと思います。
それで、お位牌がなくて、墓にも行けなくて、どうしよう。
となった時に、玖珠の「塚霊位」の慰霊を『救霊祈願祭』として執り行うことが許されたことから、
五年の節目の式年祭も可能ではないかと思ったのです。
お墓や仏壇の前でなくても、慰霊をさせていただくという気持ちが大切なのだと、分からせていただけたのです。
御教えと、先生から教わったこと、宣長さんのやり方を合わせて考えて、三救として自分たちでできる最善のやり方で、式年祭を取り行わせていただきたいと思います。

この後の『救霊祈願祭』に臨む思いをお話しさせていただきまして、三救浜松の月次祭の挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。