令和6年10月1日

覚りの旅  令和6年10月 月年祭を終えて

 

三救責任者

月次祭、おめでとうございます。

 

改めまして、月次祭おめでとうございます。

 

参加者

おめでとうございます。

 

はじめに

本日が観音講座、最終、第7講座になりました。

「観音講座を現代に学ぶ」はしがき の想いを受けて

 

第一講座で、

今までの夜の世界に、主神様が昼の世界に転換するために観音様をこの世に遣わせたこと、

外国の言葉であるお経や聖書(バイブル)も判らないのであるということ、

日本語には言霊があり、霊返しということを学ばせていただきました。

 

この時に、五十鈴川の解釈が重要だという話がありました。五十鈴というのは、五十の鈴と書きますので、五十音を棚に並べたのが五十音図で天津金木とも言われております。

言霊の順序が大切だということです。

後ほど説明したいと思います。

 

天照皇大御神様は人としてお生まれになられお姿があります。父親が伊弉諾大神様、母親が伊弉冉大神様。いずれも肉体を持ってお生まれになられ、生殖作用をなされて子供をお産みになっておられます。

このお子様が日本としては天照皇大神様、朝鮮が素戔嗚尊様、支那が若姫岐美尊様と言われております。

若姫岐美尊様の夫が盤古神皇であるということを学ばせていただきました。

主神様が何のために宗教を作られたかということで、9ページに書かれていますが、彌勒出現までの世界人類をある程度堕落なさざらしめんが為。一方、悪の活動を許容されたのであるということです。

この今の経綸としては、主神様が伊都能売大神様に命じられて日本を起点として大光明世界を造らせようとなさっておられるのだと。

伊都能売大神様というのは観音様である、と学ばせていただいております。

 

第2講座では、

宗教は多々ありますが、三大宗教のキリスト教、マホメット教、仏教も主神様が御申付けになって造られた。仏は人間の向上したもので、神の次の位であるということ。

阿弥陀様は素戔嗚尊の化身で、主神様は素戔嗚尊に命じられてユダヤ民族を造られました。

物質中心の世の中を造られた現状を見るに、素戔嗚尊は素晴らしいお働きをなされたのだと言えます。

全て主神様の御経綸であったのです。

仏教の弥勒三会(観音様、阿弥陀様、御釈迦様が一度に会われるということ)も、キリスト教の三位一体(天の父、天の子、精霊が一体)も同じ考え方ですね。

三者合一するという意味で同じです。

西洋人は体を本意としている。

経も緯も悪いのですが、これを結ぶと良くなる。結ぶのが観音会の使命である。

 

第3講座で、

観音様はメシヤである、救世主である、と『立春の御教え』も学びました。

麻邇の玉についても学ばせていただいております。

 

第4講座で、

神幽現三界、第三天国について学ばせていただきました。

 

第5講座では、

霊界は想念の世界であると、善悪の真諦について学ばせていただきました。

 

第6講座で、

日本の使命と外国の使命について、真の日本精神は大調和の精神であり、日本はいろいろなものを取り入れて立派なものに仕上げるので、求心的であって、 ⦿(ス) である。

富士山の真ん中が日本で、頂上から見れば ⦿ だと、日本のシンボルは富士山で富士山は ⦿ であるとお示しくださいました。

 

このことを受け、本日いよいよ第7講座に入るわけです。

今までの、観音講座を現代に学ぶ覚りの旅を7ヶ月分を一つの冊子にまとめるとか、まとめた講座の会をとり行うとか、皆さんの意見をお聞きしながらこれからのことを考えたいと思っております。

11月から、『主神様とメシヤ様』の、昭和25年以前のまだやっていないところを学んでいきたいと思います。

その間に私を含め、観音講座1~7講座の「覚りの旅」の集約版をそれぞれに作成していただきたいと思っております。

観音講座を自分ならどう伝えるかという観点でぜひまとめてみてください。期待しております。

 

ということを全員にお願いさせていただいて、本日の「覚りの旅」に入らせていただきます。

それから浜松神界通信につきましては本に仕上げてからゲラを提出願います。

色々御神業が多々あり、お忙しいですが、並行して進めていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。

 

10月10日は11時より三救祭を執り行います。

加良比乃神社の参拝はそれまでにされてください。

『 ⦿ 』 の 『 ・ 』 を意識して参拝されてください。

言霊を大切にということです。

それゆえ、『 ⦿ のいわれ 』 の文章を幾度となく拝読させていただいているわけです。

10月  日は個人的になりますが、岩戸観音堂に参拝させていただきます。10時から11時の間の参拝になると予想されます。

今年はどのような形になるかは定かではありません。予告なくスタンドFMで発信すると思いますので、臨機応変に対応していただきますようお願いいたします。

 なお、ブログにて周知させていただいた通り、12月23日の「メシヤ様御降臨祭」は浜松の会場で執り行います。ブログにて公表しているため、もしかしたら初めての方が参拝されることも予想されます。こちらも臨機応変に対応していただけたらと思っております。

 
前置きが長くなりましたが、始めさせていただきます。

 「覚りの旅」には永遠のテーマがあります。

『世界メシヤ教教義』に明らかにされておられる主宰神の御名を、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団は、なぜ御唱えしないのかということです。

世紀末1999年5月5日に玖珠の地に、主神様の御神体をUK先生が御奉祭されました。

来年が四半世紀になるわけです。 25年です。

『観音講座』のはじめに を思い出してください。 2ページです。

「教義に御神名が明らかにされているにも拘わらず、参拝時の御神名が異なる理由は何か。」

先生は学生時代からのこの疑問に、

「主神様が何のために宗教を造られたのか、それは宗教は彌勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落なさざらしめんが為の必要限定的の経綸であって、一方、悪の活動を許容されたのである。今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交じりつゝ流転活動し、進歩し発展してきた。」

この一文により、御昇天後の教団の混乱は神観、宗教観、世界観を整理しないまま進めてきたことが原因だと思い知らされるのです。

「メシヤ様は昭和10年に神観を明らかにされましたが、当時の人々の神性が蘇っていなかったために、主神様直系の結びの働きを担う観音様、光明如来様、弥勒大御神様を認識するに留まっていたのです。」と続きます。

それゆえに神性を蘇らせるために「メシヤ講座」を開催し、180号に及ぶ御教導をなされたのです。

この180回を超えるメシヤ講座の祭典、月次祭では、

御神体は 『 ⦿ 』 。

御神名は 『主之大御神』様 と御奉唱を申し上げ、今もって私たちはその想いを受け継いでいるということを決して忘れてはいけないと思います。

 
『観音講座』の時代背景ということで、

メシヤ様が『観音講座』を開催された時代背景を踏まえて拝読させていただく必要があると思っております。

 
昭和10年はどういう時代だったのか。昭和10年の出来事を確認しておきましょう。

 
美濃部達吉の天皇機関説排撃の運動が全国を席巻(せっけん)した。

美濃部は貴族院本会議で「一身上の弁明」に立ち、正当性を解きます。

しかし政治問題化し、3月4日、岡田首相が議会で天皇機関説の反対を表明します。

9月18日、美濃部は貴族院議員を辞任。

10月15日、政府が天皇機関説を除去する声明を発表し、ようやく沈静化します。

 
世界は、

1月13日、中国 毛沢東指導権確立。

3月21日、ペルシャ 国名をイランに改称。

8月1日、中国共産党 抗日救国統一戦線を提唱。

この時代も中国は日本に対して抗日運動をしていた。

9月15日、ドイツ ユダヤ人の市民権剥奪。ユダヤ人とドイツ人の結婚禁止。ハーケンクロイツ(鈎十字(かぎじゅうじ))の国旗制定が決定。

この時の国旗は知っていますか?(赤い旗の中央に白い〇があって、その白い〇の中に鉤十字のマーク)

鉤十字で、逆さまにするとお寺のマーク(卍)になります。

この鉤十字を抜いて、周りの赤色と白〇の色を入れ替えると日本の国旗になります。

ドイツの文化と日本の平和を重んじる文化というのは正反対の位置にあるということが国旗でわかります、ということがこれに書いてあります。

11月15日、フィリピン連邦共和国成立。

10月3日、イギリス軍エチオピアへ侵入。エチオピア戦争始まる。

4月6日、満州国公邸溥儀、愛新覚羅溥儀、初来日。

聞いた事ありますか?ラストエンペラーという映画がありましたね。

天皇と対面、明治神宮を参拝されております。

6月9日、吉岡辰徳100mで10秒3の世界タイ記録。「暁の超特急」と呼ばれています。

12月8日、大本教の出口王仁三郎ら幹部30余人、不敬罪・治安維持法違反で逮捕(第2次大本教事件)。 この前に、メシヤ様は大本教を離脱しております。

2月、湯川秀樹、中間子論を発表。

3月8日、忠犬ハチ公が20歳で死んでおります。

3月12日、日英独、日本とイギリスとドイツの無線電話が開通しております。

6月16日、東京日日新聞が、「ブッポウソウ(仏法僧)と鳴く鳥が、実はコノハズクであったことが判明したと報道します。

 

知っていますか? 「ブッポウソウ(仏法僧)」と鳴く鳥がいることを。全国放送したもので、問い合わせがあって調べてわかったということがあります。

「ブッポウソウ(仏法僧)」と同じような意味合いで鳴く鳥を覚えています?

 

参加者

ホーホケキョ

 

三救責任者

そうそう。ホーホケキョ。

「ブッポウソウ(仏法僧)」 と「ホーホケキョ(法 法華経)」。

これについて、

ウグイスは「ホーホケキョ(法 法華経)」の鳴き声の聞きなし(生き物の鳴き声を、人間の言葉にあてはめて聞くこと)によって、仏教と関係づけられているが、それ以前に先駆例として「ブッポウソウ(仏法僧)」という鳥が仏教と関係づけられています。しかも、仏法僧という言葉は、仏教の世界においては、三宝といわれるほど重要視される言葉であり、よく知られた言葉である。その言葉を使って、空海は、鳥と仏教を関連付けてみせたのです。 
森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえる鳴き声は、この鳥の声であると信じられてきたため、「ブッポウソウ」の名が付けられ、三宝鳥の異名も付けられた。しかし、実際のブッポウソウをよく観察しても「ゲッゲッゲッ」といった汚く濁った音の鳴き声しか発せず、この鳴き声を直接発することが確認できないため、その正体は長く謎とされていました。

この鳴き声の主がフクロウ目のコノハズクであることが明らかになるのは、空海の死後1100年も後のことである。その経緯は『続野鳥礼賛』の仏法僧問題の経緯に記されている。これには、2つの経緯がある。

そのひとつが、昭和10年(1935年)6月14日、山梨県の鳥類研究家中村幸雄から鳥類学者内田清之助への「問題の声で鳴いている鳥を撃ち取ったらコノハズクだった」というたよりである。

 
ラジオで放送したらそういう便りがあったそうです。それで、分かったのですね。

何が言いたいかというと、

日本人は虫の声が聞こえる。言霊の話ですね。外国人には雑音のように聞こえるそうです。

 
浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如(れんにょ)が弟子に諭した言葉が知られているのですが、

蓮如は、明応8年(1499年)3月に高弟に辞世の句を残しているが、その中に、

空善くれ候うぐひすのこえになぐさみたり、このうぐひすは法ほきゝよとなくなり。されば鳥類だにも法をきけとなくに、まして人間にて聖人のお弟子なり。法をきかではあさましきぞ」(『蓮如上人法語集』空善聞書(くうぜんききしょ))

 

とあります。
蓮如は、「法ほきゝよとなくなり」といっているので、そのように聞きなしたのであろう。当時、僧は僧兵化(僧侶でありながら武装し、戦闘にも参加した)し戦に明け暮れ、仏法をないがしろにしていたため、鶯が「法を聞きよ」と言っていると戒めた言葉である。

 鳥の声が「法をききなさい」と聞こえた。蓮如も聞こえた。空海も聞こえた。

うくひすハ昔のまゝの感應寺  という川柳があります。

 谷中感応寺は、はじめ日蓮宗の寺でした。元禄12年に天台宗に改宗させられたが、鶯は変らずほう法華経と啼くという。この川柳は、宗派替えをしても読経の声は変わらなかったことを示していると思われる。日蓮宗も天台法華宗も法華経を経本とするので読経の声は変わらないのである。

当たり前のことですけども。

ここでお題です。

法華宗の僧とかけて、ウグイスと解く。 その心は、・・・どちらも法華経を唱えるでしょう。

 
法華宗の僧を隠語で鶯ということが知られている。どちらも法華経を唱えるからである。

これを読んで、僕が作りました。

 
天皇機関説のことを何故出したかというと、ここに出てきたからです。

そういう時代であった、だから天照大御神様のことに言及せざるを得なかったということがあるかと思います。

昭和10年という年は、天皇機関説をめぐって日本中が揺れ動いていたことが伺えます。

観音講座において天照皇大御神様に言及するにおいて、世の中を騒がせているこの問題を取り上げたのだと拝察いたします。

天皇機関説というのは、統治権は法人たる国家にあり、天皇は日本国政府の最高機関の一部として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼 (ほひつ)(天皇 の行為としてなされるべき、あるいは、なされざるべきことについて進言すること)を得ながら統治権を行使すると説いたものです。

天皇陛下も内閣の組織の一部だという、すごいことを言っているわけです。

これに対して、メシヤ様は日本の天皇は天祖天照大御神に源があるゆえ、玉体を現人神(あらひとがみ)と申し上げ奉ります。

人民の中の英雄が野望を遂げんとの私心から登った帝王の位とは淵源(えんげん)が遠い。

 

(淵源とは元、源ということです。考え方の元がものすごく遠いんだということです。

中国の皇帝とか、そういったものとは全然違うということです。

戦いの強いのがトップに立つのか、神様の子孫がトップに立つのか、ということです。)

 

機関説問題のごときは口にするさえ不快の極みであり、天皇のことを論議とか問題に触れ奉る事、業(すで)に不敬に渉る。権威ある学説であっても、太陽の前の蛍火のごとき。

なぜこのような説が出るのか、それは学問史上主義であって、欧米の唯物主義思想から来ている。唯物主義思想に感染し、その中毒者と化している連中には、この真髄を会得することができない。日本国体の尊厳を正確に認識させるには、唯心思想によらなければ到底不可能である。

吾々の主張は、人間は霊と体の二要素を以って構成されているということです。

これが体だけならばそれは単なる物質でしかない。

人間には立派な精霊があって、初めて生物としての意義ある活動を成しています。

精霊があることが納得できたら、その支配者としての神の存在を認めないわけには往かない。

学問史上主義はこの精霊を認めない。

それは科学的に分析できないからでしかない。

その結果としてこのような機関説を生み、その機関説が国民の忠誠を弱め、かつまた赤化(共産主義)へ走るのである。

唯心主義は機関説を排撃し、その帰納として神を認めるから、国体の尊厳を信奉する忠誠の精神が発露するので、国家は強力となる。

このように、「天皇機関説の妄説は学問史上主義の思想にとらわれた結果である」と御教え下さっております。

 

先月学んだ「日本と外国の使命」にも関連することであります。

日本の使命に言及するには、天皇の祖、天照皇大御神様から拝察していかないと奥座敷に進めません。

 

第7講座47ページで、

日本の天皇の古代に遡っていくと神様ということになる。

神様がなければ外国と同じになるが、日本はこの天照皇大御神様の御系統である。

神を認めなければ日本の国は存在しないのである。

一有って、二つとない日本の天皇である。

現在まで厳然と生通しである神様である。

 

主神様が絶対にあると認めなければこの説は成立しない 。

 

ここが重要だと私は思いました。

47ページの下段の最後から48ページ上段に書いてあります。

日本の天皇陛下の古代に遡って行くと神様ということになる。

主神様が絶対にあると認めなければこの説は成立しない 。

 

観音講座において、一番書きたい事というのは、天照大御神様とかいろいろ書かれていますけど、天照大御神様は人間としてお生まれになっておりますので、その神様も宇宙もお造りになった主神様が絶対にあると認めなければこの説は成立しない ということです。

ここが大事だと思います。

 

天照皇大御神様を地上に遣わせた、人間として、現身をお持ちになって生まれさせた、創造主の存在を認めなければならない。

第7講座で、主神様を認識する、宇宙・地球の創造主の存在を認識する、そして祈りの的となり得る御神体として、『 ⦿ 』 が ス の言霊を発することの許された御神体として、私たちは祭典を挙行し、御神前で祈ることを許されているわけです。

 

10月ですので、『  ⦿(す) のいわれ』 ですね。

 

故(か)れこの霊聲(こゑ)を總(すべ)て一言(ひとこと)にす(素に氣と書く)と言ふなり

故(ゆえ)にす(素に氣と書く)聲(ごえ)の言靈(ことたま)を誠に明細に説き定(さだむる)時は、

世界一切の極元(ごもと)の眞體(しんてい)をも 其(その)成り立ちの秩序をも

億兆万々刧々(こうこう)年度刧大約(こうおほつな)恒々兮(こうこうたる)大造化(だいぞうけ)の眞象をも

遂一明かに、資(と)り得らるるなり。蓋(けだ)し「ス」の言(げん)たるや

⦿ (す)にして⦿(す)なるが故に 既に七十五聲(せい)の性靈を全備して、

純乎(じゅんこ)として 各皆其(その)眞位(みくらい)を保ちつつ有るなり、

其(その)眞位(みくらい)と謂(い)ふは 皆兩々相向(りょううりょうあいむか)ひて 遠近皆悉く

反對(はんたい)が純一(じゅんいつ)に 密合の色を保ちて實相(じっそう)しつつ、

至大極乎(しだいきょっこ)として恒々兮(こうこうたり) 活機臨々として點々(てんてん)たり、

所謂至大氤氳(いわゆるしだいいんうん)の氣が聲(こえ)となり起(おき)むと欲して

堪々(たんたん)の中に神機(しんき)を含藏(がんぞう)するの時なり、

故に世に人たる者は先づ第一に此(こ)の

⦿ (す)の謂(いわ)れを明かに知らざるべからざるなり、

⦿ (す)が皇(すべらぎ)の極元(ごもと)なればなり。

(大石凝眞素美全集・八幡書店)

 

 

48ページの上段の10行目に、 「活気凛々として・・」と出てくると思います。

「活気凛々 として日本の神様は昔より今もなお生きておられる事が判らねばならんのだ。」とあります。

活気凛々として。

ここで、『 ⦿(す)のいわれ 』 に出てくる文章が出てきております。

主神様 と この『  ⦿(す)のいわれ 』の文章というのは、こういうつながりがあったからこそ、この文章を学ぶようになされたのかという様にも思います。

大石凝眞素美翁の文を10月ですので取り上げさせていただきました。

スのお文字、言霊を探求していくと、辿りつくことが『 ⦿(す) 』であるのかもしれません。

 

神様のことから観音力へ、そして昭和も平成も令和においても人間世界の最大課題である病気のこと、

「絶対的健康法」に入っていきます。

 

はじめに

今後は神を主として、仕事は従でなければ駄目である。

霊が従などは間違いだ。本末顛倒もはなはだしい。霊主体従でなければ駄目だ。

西洋医学は体主霊従だから絶対病気は治らんのである事があきらかに判るのである。

 

生業においても病気を治すについても、神様を中心にしていくべきとはっきりとお示しくださっております。

観音講座を学び終える今、現在の自分の生活を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

 
病気の始まりは何かということで、霊に曇りが寄ってくる。曇りができると血が濁る。この血というのは霊の物質化したものである。

霊主体従で何事も考える癖をつけなければ病気になってからではあたふたします。

血液が多いのは霊が物質化しているからで、死亡するとこの霊が抜け出すから自然に減少する。

濁った血がますます多くなって浄化作用を起こす。

浄化されたカスが白いものになる。それを白色原素という。この白い粕は濁った血のところから放出されている。白色原素が溜まると膿となる。濃く多くなると病気が発生して、故に霊体の曇りが病気の原因で、肉体へ出たのが結果であります。

支配階級の人が原因を出しておきながら、赤化を直そうとしても絶対に治りません。

病気と同様の意味なのです。

霊と体があり、霊主体従の法則があり、階級があり、181段のいずれかに属し、霊の階級、霊位によって現界の体へ移写し、幸せとなり、不幸ともなるわけです。

霊体の曇りが病気の原因であり、肉体へ出たのは結果であります。

霊を知らない者に病気はわからないのは当然なのです。

膿のごく濃いものは癌です。

組織を破壊されてしまう病気です。

水膿の濃くなるのが血核ですが、そのまた濃いのが出ると細胞の組織を破壊されるのです。それが即ち癌なのです。

膿も黄色から白くなり、透明な水のごとき、漿液(しょうえき)となるのは霊気で浄化されるからです。

(漿液とは、自然に存在する無害な一般的に薄い黄色透明な種々の体液 を意味する生理学 用語。

唾液 は粘液 と漿液を含む。)

 

時間がないので、ここは読んでおいてくださいね。

それで、「絶対的健康法」として最後のところに入っていきます。

 

人間に曇りを無くすることが健康法の根本です。これは光に浴すること、光りにふれることが一番です。朝夕観音様を拝む事は光にふれる事です。光に照されることです。魂に光を受けて清まります。

もう一つは徳を積むことです。徳を積めば、その徳により光が増すのです。

人を救う、良いことをすると、感謝となって光となってその人へ報いが来ます。

そうすると、その人に威厳が増すから恭敬(うや)まわれるのです。魂の穢れた人は徳がないから光がない。始終ビクビクしているから卑しく見えるのです。徳を積む方法は神様の事、社会の事、個人を救う事をどんどんやることです。その人が仮に病気をしていて人を救うことが出来ないという人もいますが、病気中であっても人を救う様に世話をすることは出来るのです。神様の有難いことを話すことは出来ます。神様に繋げる、病人なら浄霊を受けに行く様にすれば病人でもその徳により自分の病気が直ちに癒るのです。余計に神様からお光をいたゞくのです。

信者を一人作らしていたゞいたり、導くのは大変な御用です。その人が他人を救うのです。又その救われた人が又救うという様に鼠算式に信者が殖えると大変なことになります。
それが絶対の健康法なのです。体的本位の健康法は末です。神様の御用をすれば何を喰べても非常に健康なのです。滋養は神様の霊気が一番なのです。
信仰が一番の健康法で、絶対的健康法なわけです。

 

ここまで第7講座の内容を話してきました。

本日は観音講座の根底のテーマである、『⦿(す) のいわれ』、主神様の御目的と天地経綸の真相に迫る話となりました。

 

第1講座で五十鈴川の解釈で世界の今後のことが判るのである。霊返しが出来たら次は天津金木という鍵があると書かれていました。

五十の鈴、鈴は音ですから、五十音で日本語は五十音図で出来ています。言霊なのです。

言霊を並べる棚、つまり、五十音図、日本語の構成そのものがミクラタナであると思うのです。言霊を大切にせよ、ということであると思うのです。

先月、 「アワの歌」 について少し話しました。

〔新説〕 ホツマツタエ 宮地正典著 徳間書店 からもう少し深く話をさせていただきます。

天の御柱があります。いざなきのみことといざなみのみことが回り合う。この上から、天の位置から「あかはなまいきひにみうくふぬむえけへねめおこほのもとろそよ」 それで この「へねめおこほの」 までをいざなぎのみことが歌って、「もとろそよ・・」からいざなみのみことが歌う。「をてれせゑつるすゆんちりしいたらさやわ」で、母音が「あ」で終わる。

「あ」から始まって、「わあ」→「あ」で終わる。「あ」と「あ」です。母音が大事ですね。

「おこほのもとろそよ」は母音が全部おですね。

自分で、「あ」は「a」だと書いてみました。

「あ か は な ま」 、 「a a a a a」

「い き ひ に み 」 まで 「i i i i i」

「う く ふ ぬ む」  が 「u u u u u」

「え け へ ね め」 が 「e e e e e」

「お こ ほ の も と ろ そ よ を て れ せ ゑ つ る す ゆ ん ち り・・」と続くわけです。

ここで発見したのが、言霊で「ん」は何ですか?

「ん」 は 「う」 に入りますということが出てきて、どうしてだと思いました?

分からないけど、そう言われたからだということではないですか?

それで、これを見て思ったのですが、「すゆんちり」で「ん」は「う」に入りますね。だから、「ん」は「う」と霊返しは解釈するんだと、ここに答えがあったんですね。この「すゆんちり」、並べてたら、並びでいっても「u」。

「ん」は「u」 に入るというのはこういうことかと、言霊を並べれば分かるんだということが分かったわけです。

御教えでは、「ん」の霊返しは「u」であるということしか出てないので、こういうことから分かりますね。

これは書いていくだけですから自分で作れます。母音が大事だということです。

 

それで、いざなきのみことが上から、あかはなま・・・と。「あ」は中心ですから、「あ」を除いて23文字あるわけです。

全部で48文字あって「あ」から繋がる23文字、「わ」に繋がってくる23文字です。

「わ」に繋がっていく23文字と「あ」から降りてくる23文字。23本と23本で、これが科学でいう染色体の数と一緒です。また、科学で勉強してくださいね。

これは、二重螺旋構造の言葉のつながりということです。

左進右退でいくと、子供が生まれます。左進右退で生殖作用をすると子供が生まれます。反対だとZになってしまって子供が生まれないんです。

これは科学的な話ですね。

だから染色体の数が23本と23本、男と女23本ずつの染色体が結びつき46本の染色体を持つ、新たな生命の誕生がこの言霊の中に読み込まれていたんです。

1800年代に分かる話が、古事記の前に作られたアワの歌の中に読み込まれていたんです。

そういうことを知っておいてほしい。

日本人というのは、そういう言霊を大切にしてきたんだということです。

男が先に行動することは、西洋の常識であるレディーファーストの精神を否定する、日本の後進性を示すものと今までされてきました。

これは的外れです。西洋文明を優れたものとして日本は受け入れてきたのです。

明らかに男と女の「あめみの柱」を回る方向が、古代の日本人にとっては何としても末永く子孫に伝えなければならないと思うほど、いつの時代の人間にとっても重要なことと思われたからなのです。

わざわざ悪い方法と良い方法の2つを明確に区別して書く必要があったわけです。

なぜ地(下)の位置にある女神が先に回ると生殖はうまくいかなかったのか、天(上)の位置にある男が柱を「左」に回りながら、「あ」で始まる23の「ことば」を歌い、地(下)の位置の女が柱を「右」に回りながら歌う、「わ」で終わる23の「ことば」に結びつけることのできるものは、二重の螺旋状の「言葉のつながり」です。

男が左に回りながら上から下へ降りると、右へ回りながら上がることと同じ構造のものができます。

1953年、ワトソン博士とクリック博士が、DNAが二重螺旋構造していることを発見しました。

上から右回りにできる遺伝子は生命になりますが、上から左回りにできる遺伝子Z型は生命にならないのです。

1953年に西洋科学が初めて発見したこの原理を、日本人は最も大切なものとして古来から伝承してきていたのです。

二神はどんな歌を歌ったのかというと、「あわの歌」です。

いざなきのみこと(男の神) が 「あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの」

いざなみのみこと(女神) が歌った下の句が 「もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ」

あいうえお・・・の順序を並べ替えています。

古代人も現代人も、本質的には同じ日本の言葉を使用していることになります。

幼児まで共有し、素晴らしさを分かち合えるよう、日本の言葉はその目的のために美しい規則性を持って作られているのです。

父の言葉が「あ」から23、母の言葉が「わ」から23ということですね。

ゲノムと呼ばれる、男と女の23本の遺伝子(染色体)を結び合わせることで、新しく生まれる46本の染色体を持つ人間の生命が完成するのです。

1880年代、すでに研究報告がありながら、最終的にはDNA構造が発表になった3年後の1956年(昭和31年)、スウェーデンのチョウ博士とレバーン博士により実験法が確立され、その数が46本であることが確定しました。

「あわの歌」は生命の基本法則、父と母の結びつきから生まれる子供、人間の46本の染色体数を「ことば」で示しています。

現代が多くの難問題を抱え込んで方向性を失い、人類滅亡の可能性を高めていくものであるなら、人間が本来大切にすべき法則を大切にしていないからです。「物と命を大切にする」ことを基本とすれば、問題は解決できます。

これが日本人が本来伝承してきた文化だったのです。

 

今の「あ か は な ま 」 、  「a a a a a」  というのがありました。

天津祝詞はどうなのかというと、

「た か あ ま は ら に」 で 「a a a a a a i」 

言霊の重要性を天津祝詞は大和民族の宗家の神様が作られた、イザナキノミコトが作られたので、同じような感じで作られたのかと思います。だから天津祝詞を唱えることは同じような効果があると私は思っております。母音を大切にということを言いたいと思います。

「あ か は な ま い き」 、 「a a a a a i i」 

「た か あ ま は ら に」 、 「a a a a a a i」 

比べてみました。自分で出来ますので、やってみて下さい。

疑問を持ったら調べていく。そういうことをしていけば、神様は何が言いたかったのかということにたどり着けるのかな、と思っております。

 
ここまでで何かご質問はありますか?

急所の勉強という話がありましたけれども、急所というのは人それぞれ違うし、病気によっても違うし、その人の生活態度によっても違ってくるので、「何処?」と聞かれて「ここだ」、とは言えないんですね。

ですからメシヤ講座で先生がお話しくださっていたのをピックアップして、こういう場合にはここが急所だというふうに言われてました、ということを、自分なりに皆さんがまとめていただければ、それを統合した「急所」というような参考資料ができるんじゃないかと思っております。

体験談の先生の話を聞いていると結構出てくると思いますので、そういうのをピックアップする。体験にあると思いますので、その体験談の中には、その人がどういう生活をしていて、どういうふうになったんだということが出てきますので、そこがわからないと・・。自分のことを何も言わずに隠したままで、「ここが痛いんです」と言っても分からないということです。

運動してるの? 

今までどういう薬を飲んできたの? 

手術したの?

等々、どうだったかということを、それぞれに確認するところを全部確認できずに「急所はどこですか?」と聞かれても、分からないということです。

そこを自分が調べた上で、ここではこういうふうに言われていますが、他に何か思いつくことは?というような答え方だったらできると思いますけど、そういう道標となるようなものを自分たちで作り上げていけばいいのではないかと思います。

急所についてはおいおい分かることを出てきたところで話をしていきたいなと思います。具体的なことがなければ答えられないということです。

私の浄化の時にも、「疥癬の浄化の急所はどこですか?」と聞かれましたけど、答えられないですね。全身に浄霊をしてもらっていました。体をクリアする為に、食事についても気をつけたわけで、そういう話をするのに、わずか何分かで電話で喋れるものでもないですね。

単に、急所は?と聞く聞き方は間違っていませんか、と僕は思います。

聞きたいでしょうけども、自分はどこまで、何を見て調べたのかという話ですね。その結果がそうであれば、そうじゃないんですか、ということになると思います。経験によるものですから。

 
参加者

体験と経験。

 
三救責任者

だから体験集を途中までまとめていましたけど、そのまとめ方をもう少し工夫して急所につながるものにしていったらいいのではないかと思います。 途中で止まっていますね・・。

やることは一杯あるわけです。

 

参加者

一杯ありますね。

あと、つい聞きがちでした。昔、○○さんにも。

 

三救責任者

聞かれた人は困ったと思いますよ。

霊的に答えるのと、体的に答えるのとあるわけじゃないですか。

○○さんは霊的に答えていたと思いますけどね。見える人はね。

そうじゃなくて、霊主体従だから、霊が体に移るんだから体的なことをどうしてきたかということも考えて、それに霊的な知識も加えてということだと思いますね。

 

参加者

最終的に力をいただくということだよね。

 

三救責任者

そういう、気づかせてもらえることも、祈れば気づかせてもらえる。何かの時に祈りましたか?ということです。

その祈る時に言霊を大切にしましょう。母音を大切にしましょう。

そういうことを学ばせていただきました。

 

参加者

深いなぁ。

 

三救責任者

深い? 深くないよ?

 

参加者

いやいや、きっとその一部しかまだ分かってない。一部というか・・・分かってない。

 

参加者

全部分かっていたら神様です。

 

参加者

そうなんですけど・・(笑)。最近やっと霊主体従も全然分かっていなかったと気づきました。

 

三救責任者

自分が学んで覚ったことがあったら人に話をするようにしてください。

自分だけのものにしておくのではなくて。そうすると人がまたこういう話を聞いたと伝えてくれるので、そういうことを覚りの旅でやっていきたいわけです。メシヤ講座ではそこまで行かなかったかもれないですけど。

神様第一でという話をずっと前から教わっています。

人それぞれですから。

では、終わらせていただきます。

 

司会

以上をもちまして10月の月次祭、ならびに一日祭を終わらせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。