令和6年9月3日

覚りの旅  令和6年9月 浜松月年祭を終えて

 

三救責任者

月次祭、おめでとうございます。

本日は9月3日、令和6年ですので、369(ミロク)の数字が入っています。

 

今回の台風の進路は今までにないルートを通りました。九州→四国→紀州→太平洋→志摩半島→伊勢、三重を通り過ぎるころ熱帯低気圧に変わりました。神武東征ルートの四国バージョンというか、山陽道を通るところが四国を通った・・・と思われます。台風の名前がサンサン。

雨台風でしたので家の雨戸をずっと閉めていたのですが、三重の月次祭を通常9月1日の11時参拝のところを、2時間早めて9時にするために、雨戸を開けて・・天の戸を開けて・・(笑)。

今日の学びの内容の「天の岩戸開き」を連想しつつ、電車が動かない区間がありましたので、車で浜松まで送ってもらいました。道中は日が射して、ちょうど型かなと思って出てきました。

 

 

防災の日

9月1日は防災の日でしたね。防災の日に訓練を予定していた官公庁があったようですが、ほとんど中止になって、本番になりましたね。

防災の日は、1923年に発生した関東大震災に由来しております。この震災は約10万5千人の死者や行方不明者を出し、日本史上最悪の被害をもたらしました。その記憶を胸に、防災意識を喚起するために1960年の閣議で、9月1日が防災の日に制定されました。

 

イザナギプレート

先程、台風が四国を通ったという話をしましたけども、イザナギプレートという話をさせてもらいます。

日本列島は地震の原因となる、「プレートがぶつかる場所」の上にあるので、地震が多いのです。

日本列島をつくったのは神話ではイザナギ・イザナミノミコトと言われています。

後期白亜紀(1億3千年前~1億年前)に存在したプレートが現在の北西太平洋にありました。アジア大陸に衝突しながら北東に運動したため多くの横ずれ断層を発生させました。

中央構造線もその一つで日本列島の原型をつくったため、イザナギプレートと名付けられました。

神話と実際の神社とか今の日本列島を構成した地震の元ともなっているプレートと交差してくるわけです。この中央構造線上に伊勢神宮(外宮)や諏訪大社があります。

もう少し紹介しますと、鹿島神宮(タケミカヅチ)・氷川神社・香取神宮(フツヌシ)・成田山新勝寺(弘法大師の開眼した不動明王)・諏訪大社・秋葉山本宮秋葉神社・豊川稲荷・二見興玉神社・伊勢神宮・春日大社

・大神(おおみわ)神社・高野山金剛峯寺(大日如来)・剣山・石鎚山(空海修行)・高千穂。

日本の国土の成り立ちと神々の関係がお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

アワ

イザナギ・イザナミから最初に生まれた島が「おのころ島」といいまして、淡路島です。阿波の国は徳島県ですが、もう一つアワの国があります。

何処でしょう?

 

参加者

千葉

 

三救責任者

はい、千葉です。阿波の国の人が渡って、同じ言霊の「安房」と名付けたという説もあります。

安房。千葉県の鋸山のあるところです。

千葉といえば、チバニアン。77万年前の地層地磁気逆転・・・北極と南極が逆転、N極とS極逆転の痕跡があるとても特殊な所です。今、言いたいことは、地震に関係してくるプレートとか、地磁気が逆転したら電波障害とかで通信が一切止まってしまうとか、人間が一旦心肺停止の状態になるんじゃないかという、都市伝説で言われているようなことも、ここから見ると不思議ではないということです。

神々の神話もこういったところを知って、恐れて、鎮まってもらうために信仰していったのではないかということもあるので、神話も古代の地質学的なことも私達の信仰には関わりがあるということです。

77万年前の地層地磁気逆転を示す地層であるとメシヤ講座や覚りの旅でも取り上げております。

アワ の ア と ワ はホツマ文字の天地をあらわします。アが天、ワが地。イザナギ・イザナミのミコト様がアワ歌をおつくりになり広められたそうです。これはホツマツタエに出てきます。いろはにほへと(いろは歌)のもっと前です。

アカハナマ イキヒニミウ ク

フヌムエケ ヘネメオコホノ

モトロソヨ ヲテレセヱツル

スユンチリ シヰタラサヤワ

というように、最後がワで終わっているんですけども、アイウエオの50音が全部入った歌でイザナギ・イザナミのミコト様が作られて広められたのだそうです。

アワと言えば、アワ踊りというのは、天の岩戸から天照皇大御神様にお出ましいただくために、岩戸の前でアメノウズメノミコトが踊ったのが始まりと考える学者もおられるのです。

この学者が言われるには、古事記の舞台は四国と考える説を出しております。

この文を書いていて気づいたのですが、私事ですが、阿波の字には○○○〇の出生地名が入っています。

導きの神、猿田彦の終えんの地、阿坂 と 九鬼氏ゆかりの地、波切です。

房州鋸山に登る、旧姓が○○。

○○茂登吉先達のお名前にはメシヤ様(岡田茂吉)のお名前の間に「登」が入っています。

〇の旧姓は○○、神々の御神縁を感じずにはおられないわけです。

珍しい名前なので、昔から考えていました。生まれたところは猿田彦と関係がある。

猿と言えば、日枝神社は猿ですね。

鋸山で天照皇大御神様をお迎えになられたメシヤ様は日枝神社に御鎮座をなさいます。その日枝神社と猿田彦は深く関係しております。

 

フォッサマグナ

先に中央構造線の話をしましたが、本州の中央部を南北に横断する大構造帯があります。

フォッサマグナ(ラテン語で、大きな溝)には、北から南へ、焼山、妙高山、八ヶ岳、富士山、箱根山、天城山などの火山が並んでいます。

フォッサマグナの西の線は、糸魚川―静岡構造線と呼ばれる大断層なのです。

 

糸魚川は何を思い出しますか?

メシヤ講座で出てきました。三内丸山遺跡の時の話でも、縄文時代、交易が盛んに行われていた。糸魚川で採れたものを全国に運ばれました。

 

参加者

ヒスイじゃないですか?

 

三救責任者

ヒスイです。

こういうフォッサマグナとか、構造線、日本の成り立ちに由来しているんです。

糸魚川というのは重要だと言われてきているわけです。交易の中心。ここでしか採れなかった。それで、時の権力者はここで採れるヒスイを、古事記を編纂して、朝廷が変る時に隠したという・・。だけど、そこを守り切ろうとしている神々がおられたと。

古事記を編纂した時に負けた側を葬るということがありますよね、編纂で古事記にでてこないという・・欠史八代といって、居なかったことにしてしまっているけど、実際には居たんだと。

その中で重要な場として糸魚川が出てきます。新潟ですね。新潟も重要なんですね。色んな古事記につながってくる神様というのも、関係しているし、ただ、古事記の編纂した当時に権力を持っていた人たちが編纂したということがあるので、元々違う名前で呼ばれていたということもあるので、そういうことを考えていくと、全部繋がってきます。

先程の、四国というのも、本来、古事記の舞台が四国だったのではないかということも、そういう風なことで、考えられるのかなと思います。

東と西とあったように、東にはホツマの国があったとして、それ自体は出て来ない、けれども、ホツマと書いてあるだけのことですが、話が出て来る。ちょっとしか出て来ない事も大事だということです。

 

糸魚川、静岡構造線と呼ばれる大断層があるということです。

 

大使命

メシヤ様は昭和2年に、神憑りとなり、色々のお知らせを受けておられます。何十万年前からの歴史および過去、未来の色々なことを知らされております。

大使命を知らされ、光明世界建設のことも、この時に知らされましたが、最初、これを疑っておられました。その後、たくさんの奇跡が続出することになりました。

この神憑りが三月ばかり続き、半年後、大本教へ行った時、○○王仁三郎先生から、「あなたは病気治しをすれば何ほどでも治る」と神憑りで知らされた通りのことを知らされたので、いよいよ神様から大使命のあったことを悟って、3年かかって商業をやめて、神様専門になられたのです。  (昭和10年1月11日 『私の信仰の経路』)

日本に人が住むようになったのは十数万年前であろうと考えられています。兵庫県淡路島で7200万年前の地層からヤマトサウルス(恐竜)が見つかりました。平成16年5月に見つかりました。恐竜の進化のカギもまた日本を含めた東アジア沿岸部にあったのです。面白いことに、この恐竜を「ヤマトサウルス イザナギイ」と命名しております。

名前が重要だと考えると面白いですね。日本の始まりの所であって、恐竜の進化の重要な所であると考えられているそうです、研究者によると。

恐竜が2足歩行から4足歩行へ進化していく過程(4足になると行動範囲が拡大)で、9500万年前の原始的な種の可能性のあるヤマトサウルスの化石が7200万年前の地層から発見されたことは、この地域が昔ながらの種が残存できた地域だったことを示唆しているということです。

恐竜の時代から日本というのは、昔の物も残しつつ、新しいものも共存できているということです。

大和民族が居て、大陸から人が来た時にも共存していっているということです。

恐竜もそうだった。

恐竜時代もまた、ヤマト・イザナギ・アワが重要なことが見えて来るかと思います。

時代が下って人類史になった時、神として存在を認識して日本の信仰が生まれていったのかもしれません。

これは、私の考えです。

 

皇(スメラ)

皇(スメラ) ― 天から降る ノ 、 日は まるにチョン(⦿) 、 その下に王 がスメラの字です。

日とは(⦿)、まる(〇)とチョン(ゝ)を直した字で、チョン(ゝ)は太陽の黒点、統一、ス、統べる。

大の字は上御一人、ス、皇(す)める、澄める、浄める。

浄めるは、 きよめる とも読みますが、 すめる とも読みます。

大和島根は大調和のことで、豊芦原瑞穂国、秀妻の国。ホツマのことです。ここでホツマツタエが出てきております。

先生は観音講座をずっと意識しておられて・・・まるにチョン(⦿)の説明が出てくる、ホツマのことも出てくる、ホツマのアの文字だというふうに・・。

神様からの神界通信的なことも絡んでいるようですけども。

 

第六講座

この第六講座はこの講座だけで、神様の御経輪を把握させて頂ける大変ありがたい講座だと気づかせて頂けます。では、何故『主神様とメシヤ様』に掲載されなかったのでしょうか?

『⦿』のお文字で検索されなかったからです。

物質側から見ると、検索されないんです。『主神』と『メシヤ』で検索しても出てきません。

だから、この御文字を主之大御神様だと御唱えすることが出来るのは、この御文字を『ス』だと認識できて初めて言霊に出来るわけです。 ここが、大事です。

ホツマ文字の最初のアの字である、 『⦿』 を 『ス』 と認識できないと言霊として発することは出来ません。ましてや、主之大御神様の御神体として奉ることは許されないことがお分かり頂けるかと思います。

 

遡って言えば、『五六七』を『みろく』と認識できなければ『みろく』と発せられないですよね。

『五六七大神』と書かれていて『みろくおおみかみ』と読めるのは教えられたからです。

『五六七』を『みろく』と読めるのは、56億7千万年後に彌勒の世が現われると御釈迦様が言われたと学んでいたが故に『五六七』を『みろく』と読むことが出来る。これは、認識できたからです。

何が言いたいかというと、 『⦿』 を 『あまてらすおおみかみ』と読めますか?ということです。

違いますよね。

認識できるかどうか?

ある意味、このように学んでいると、ここまで全部認識していれば、完ぺきな間違いでもないということですけどもね。

 

「皇」はスメ・スメラと発します。古代天皇のことを何というでしょうか?

 

参加者

スメラミコト

 

三救責任者

はい、スメラミコトですね。

神武天皇はカムヤマトイワレビコノスメラミコトです。

天津祝詞は大和民族の宗家にあたる神様がおつくりになられました。(メシヤ講座三重 平成23年3月)

皇御祖(スメミオヤ)、宗家ですね。

誰ですか? 伊邪諾尊だと出ていますね。

ずっと天津祝詞を唱えてきておりますけども、意味を考えれば、皇御祖神伊邪諾尊(スメミオヤカムイザナギノミコト)様です。

天津祝詞をつくられたのは、伊邪諾尊(イザナギノミコト)様です。

宗家にあたる神様とは伊邪諾尊(イザナギノミコト)様であることがお分かりいただけるのではないかと思います。

そしてメシヤ様は、

いま私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事をしているのです。古事記にある、“天の御柱を廻り合う”と言って、柱をまわり合ったのです。最初、伊邪冊尊は右まわりをしたのです。右進左退です。するとうまくいかず、世の中が治まりません。それで「そうれみろ」ということで、左進右退、左まわりを伊邪諾尊様がされました。

霊主体従ですね。

医学が、機械やなにかで治すのが右進左退で、浄霊で治すのが左進右退です。それが伊邪諾尊様のやり方です。それで伊邪諾尊が主神の代表神です。ですから非常に力が強いのです。それでこの間○○さんの奥さんに伊邪冊尊様が懸って、「自分は非常に間違っていた。だからこれから大いにお手伝いする」というようなことを言われていました。

それからいま世の中では、天照大御神が一番尊い神様としてありますが、天照大御神がこの間出られて、私のことを「主神様」と言っていましたが、

「主神様がいよいよお出になってお慶び申し上げたい」と言って、「これからせいぜい御守護をお願いしたい」ということを言われていましたが、これは本当のことです。』

これは御教えから話をさせ頂いています。

 

これは神代史にある通り、天照大御神は伊邪諾尊・伊邪冊尊から生まれたとなっています。ですからつまり天照大御神は私の子になるわけです。(・・メシヤ様が伊邪諾尊様ですからね。)つまり長女です。それからその次に生まれたのが素戔嗚尊です。素戔嗚尊という神様は私の本にも書いてありますが、物質文化つまりユダヤの祖先になるということにもなってますが、本当はそうではないのです。そういってもよいのですが、とにかくイスラエルの民族というものは、素戔嗚尊の子供ですが、それがユダヤになるのです。そこで今日の物質文化というものはユダヤ文化です。要するに、素戔嗚尊が造られたものです。そこでつまり、キリストは素戔嗚尊の子孫です。だからキリストは伊邪諾尊より生まれた神を祖先として、その後に生まれたのがキリストですから、私の弟子がキリストと同じくらいの奇蹟ができるというのは当然なのです。 (昭和27年11月17日の御講話)

 

伊邪諾・伊邪冊尊、天照大御神、素戔嗚尊、キリストについて、古事記を引用してお説き下さっております。

天の岩戸開きとメシヤ降誕の型が斎行されたのは昭和29年6月15日です。

メシヤ降誕仮祝典ですね。

側近のお話から、重要と思われるケ所を紹介させていただきます。

 

○○氏が田力男之命、○○氏が天宇豆売之命の型をされ、永久に型が終わって霊界に還られ御用なされるとのことです。

メシヤ様の時に天の岩戸開きの型を出すのは、永久に終わったのだということです。

 

『メシヤ様と申し上げたい。』 ということで、この時に発表なさったのが、

西洋的にはメシヤ様の御降誕、

東洋的には弥勒下生、

日本は天照皇大御神様の天の岩戸開き、

これが合体した型をされたということです。

全部まとめるのだったら、やはり主神様ですよね。

岩戸開きが終わったと言われたのが、昭和29年6月12日の午後1時から4時、「中屋」でとり行われております。

この時〇〇様が、キャデラックを私用で使用なされたこと、○○教信仰を続けていることを理由に、『夫婦の縁を切る』とメシヤ様からお叱りを受けておられます。〇〇様がお詫びされたという話は残っています。

 

大メシヤとして御生誕遊ばされ給う

昭29年4月19日

大浄化に入られ、中屋へご案内されます。一階和室で非常に重大なる御神事がとり行われます。

大メシヤとして御生誕なさいます。

そのまま中屋で寝まれます。そして『「中屋」は岩戸開きの場所になる。今に大変な御神業のあった記念の場所となる』と仰せられます。

 

昭和29年4月25日

『如意宝珠の働きで以って力は百倍以上になる』 と仰られました。

 

4月28日

『メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは、我を出さず、素直になるように努めなくてはご奉仕は許されなくなる。

これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい。

 

ここだけを捉えて、間違える人がいるということです。

非常に浄化されています。この御神業の時の話です。

想念が大事ということは、それが言いたいんですね。

 

5月6日

『私に如意宝珠の力が授けられた。これは救世主だけ与えられる力で、自分もびっくりしている。』

 

昭和25年6月15日に、庵原において光の玉に入ったミクラタナの神様、それが、如意宝珠の力が授けられたということだと分かるかと思います。

 

5月12日

『これからはミロクの型をやる。』

 

メシヤと呼びなさいと言われながらミロクの型もやると、だから、全部をなされているわけですね、この時に、全ての型を。天照皇大御神様の天の岩戸開きの型も、全部。

 

『今までと違う。これからは、自らが神様へ心からお詫びと、お縋りする想念が大事なのだ。』

御浄化後、御守護御願いの電報がずっと溜まっておりまして、今日は御体調がよろしいかと思い、御守護お願いのご報告を申し上げたところ、このお叱りをいただいたということです。

『自らが神様へ心からお詫びと、お縋りする想念が大事なのだ。』 そういうお叱りを頂いたということです。

 

5月13日

想念による新しい浄霊を発見されます。

そして御自分の右の御足の裏や腰のあたりの御浄霊を絶え間なく遊ばされます。

 

想念で浄霊が出来るということですね。

メシヤ様だからかも知れないです・・。

 

5月20日

『メシヤに生まれ変わったのではなくて、生まれたのだ。今は乳児なんだ。今、嬰児だ。』

 

5月21日

『今、3千年前の型をしているのだ』

 

これは、3千年だから、天照皇大御神様の岩戸開きの型の事だと思います。

 

5月23日

今日は幼稚園入学だ。

午後9時30分、碧雲荘隣家火災発生。温泉タンクの上方から。

その時に短冊をお書きになられて、短冊を火事場に投げよ、と。そうとすると鎮火したそうです。

短冊は燃えずに残っているから取りに行ってきなさいと仰られて、取りに行ったところ、焼け跡にそのまま残っていた。

『この火事は意味がある。この日を境に、今までの乳児ではなくなりました。』

 

手の筋
昭和29年5月29日

○○氏呼ばれ、これからは何事でも善意に解釈して素直にならなくてはいけない。お前は私と同じように素直な気持ちになれ、少しでも神様にお手数をかけぬようにせよ。そしてこれからは、余分なことに気を回さないように、頭を働かせることである。まごころを持って、気配り、心配りができぬようでは御用には使えぬ。

非常にお厳しくあられ、寸毫も間違いは許されない、と仰せられたそうです。

 

6月3日

5日程前に気付いたのだが、手に世界を治める筋が現れた。このことは、昭和6年6月15日に知らされていた。

昭和6年6月15日に鋸山で天照皇大御神様をお迎えになられ、昭和9年6月15日、日枝神社に御鎮座なされます。3年後ということですね。

昭和9年6月15日から20年の時を経て、メシヤ降誕仮祝典が執り行われたわけです。

 

6月5日

咲見町仮本部から碧雲荘へ500名がバスで移動します。お庭に入ると、ムシロが敷かれてあり整列します。

一同平伏。

網戸を外せ。

○○管長、メシヤ様に御挨拶申し上げる。

『随分若くなったという話だが・・・メシヤ降誕といってね。メシヤが生まれた訳で、メシヤというのは世界で最高の位です。西洋では王の王ということになっているが、キングオブキングといって、その位を持っているんで、私が出て初めて人類が救われるんだから大変な事件なんです。』というお話をされておられます。

この時、11時開式を1時間早められて10時にされたそうです。

私は、9月1日の月次祭を2時間早めました。(笑)

 

昭和29年4月19日

大メシヤとして御生誕遊ばされ、五十日後の昭和29年6月8日より5日間、岩戸開きの御神事が執り行われます。

6月12日に岩戸開きが終わったと仰られます。

そして昭和29年6月15日、メシヤ仮降誕祭(・・メシヤ仮降誕祭と書かれています。)にての

『天照皇大御神』御奉唱となるわけです。

これからは『ミロクの型をやる』と仰せられたのは、5月12日に

世界経綸の型として

日本 天照皇大御神の岩戸開き

東洋 弥勒下生

西洋 メシヤ降誕

すべての型を執り行われたのです。

本来は観音講座を学ばせていただいてから、メシヤ降誕本祝典を斎行すべきであったかと思います。

この昭和において、日本・東洋・西洋の型をメシヤ様が執り行われ、御昇天されました。

主神様として、全宇宙、全世界の御経輪をお進めになられるのだと拝察させて頂くならば、本祝典における御神名は、

『主之大御神』様 であり、

御神体は、

『⦿』 であることを、神界ならびに先生は望まれたと、今更ながら思わせていただけます。

 

○○邸での御神事において、メシヤ様、○○茂登吉先生、○○○ナミ女史、

光の玉に、「ミクラタナ」の神様が神御魂として宿られます。

それ故、メシヤ様がお生まれになられたのです。

昭和25年6月15日に「ミクラタナ」の神様が御降臨され、昭和29年4月19日、大メシヤとして御生誕。

この間3年と10ヶ月になります。おおむね、3年と十月十日になりますね。

 

昭和25年12月23日の祭典での御歌が非常にリアルで、聞いていただきたいので、読みますね。

 

釈迦孔子耶蘇(ヤソ)マホメットたち待ち望む地上天国吾造るなり

朝鮮の焦土の状(さま)の恐しきやがて来ぬらん地の悉(ことごと)に

洗霊の火の手は已に朝鮮に燃え初めにけり心せよ悉(みな)

凄(すさま)じき火の洗霊の来ぬるとていと安からめ神にある身は

原爆の雨に人々逃げまどふ時の来ぬるを覚悟せよ悉(みな)

神を背に科学に頼る諸人の臍(ほぞ)を噛む日の近まりにける

やがて来む審判(さばき)の峠安らげく越す人となれ身魂磨きて

洗霊の火の渦巻は地の上を舐め尽すなり浄所(きよど)残して

神無しといひし鼻高人達の鰭伏(ひれふ)す姿見るぞうたてき

神ありと言ふ人神無しと言ふ人の立別らるる大審判(おおさばき)かな

神に背(そむ)き世を紊(みだ)したる曲人の神に祈るも詮なき終末

ひたぶるに神に祈るも詮なけれ世を 紊(みだ) したる 罪とがの身は

天叫び地震雷(ないふるいかづち)轟かん最後の時の恐ろしき様

天震い地軸揺がむ時こそは神の力に頼る外なき

審判の火の凄(すさま)じさ天仰ぎ神に祈るも已に遅かり

弥果てに滅びんとする現世(うつしよ)を救ふはメシヤの力にぞある

栄光の雲より降る大救主(だいメシヤ)に焦土は忽ち天国と化すらむ

胎蔵のミロクは已に生(あ)れ給ひ建直す日を待たれぬるかな

(昭和25年12月23日 18首)

 

この時は朝鮮ですけども・・、地震についても、同じような事が起こってくるような御歌ですね。

胎蔵のミロクは、今メシヤとしてお働き下さっておられる。

胎蔵のミロクで調べていて、地震、戦争、原爆、審判、近々に迫り来る大浄化のことをミクラタナの神様の御降臨遊ばされた、昭和25年6月15日の年の12月23日の祭典での御歌があまりにもリアルすぎると思いました。

破壊と創造が同時に訪れるということが御歌にて現わしてくださっておられるわけです。

栄光の雲より降る大救主(メシヤ)に、焦土は忽ち天国と化すらむ

大は 一人 で ス ですから、

御帰天され、主神様としての救世主(メシヤ)様と解されます。

ご拝察申し上げます。

 

観音講座における重要語句を書き出して御教え、メシヤ講座、覚りの旅から、今ならこのような構成での観音講座になるのではないかという観点で構成いたしました。

既に原文はお読みいただいているものとしてお話しさせていただきました。

皆さんが知りたかったことの何分の一にも及ばなかったかもしれませんが、観音講座を学び直すことで神観の確立、想念の向上を図っている。そのことが浄霊力の強化となって現界に現れてくるのだと思っております。

想念を正す、向上することが浄霊の一番の急所となって現れるのだと感じております。

これからの学びにも進行姿勢にも通じていくことであります。

本日の学びを今一度、皆さんなりに整理され、大乗化を乗り越えられる地上天国の住人になっておられることをお祈り申し上げて、9月度の覚りの旅を終わらせていただきます。

 

以上、書いたものはここまでなのですが、もう一つ。

重要なのが、ミクラタナの神様の話が出てきて、ここを先生がお話しされておられることと、亡くなられてからの通信で出ていることと、分けて考える必要があると思いますし、先生が、ミクラタナの神様のことをメシヤ講座で、 「ミクラタナ」の神様の御神名 ということで、書かれておりますので、復習させていただきます。

 

『昭和25年6月15日にメシヤ様の腹中の光の玉に魂が宿られた』というお話は聞いていると思います。

(これは「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に先生が投稿された内容です。)

 

『ここで言いたい事は現在の私である。それは静岡事件の際留置所の中で、頗る神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚かいて主なる信者に頒ち与えたのも、その時の経綸によったのである。「神様と私との関係」(地上天国57号・昭和29年2月25日)』

光の玉は元々ある(昭和元年の御啓示により御存在を御自覚)ので浄霊力を万人に授けられた訳ですが、その光の玉に神御魂が宿られたのが6月15日で、その時宿られた神様は『○○○○○』の神様というようにずーっと伏せられております。

ここ数年前から、三重支部の○○さんのあるサイト(・・これはメシヤ講座特選集平成22年6月です)を見つけて、そこでその御神名を知ることができまして、私もその御神名と我々が御神業を続けさせていただいているその繋がりが、どうしても繋がってゆかない部分がありました。大よその教団もそれが繋がっていないからか、正式発表もしていないと思うのです。

出会った資料そのものは公開の許可を得ていませんので、いただいた資料に基づいて説明をいたします。この御神名はですね、メシヤ様の側近中の側近で○○茂登吉先生という方がおりまして、○○○の資料の中では、この○○茂登吉先生ともう一人の女性(○○○ナミ女史)とメシヤ様と御三方で、本部ではなくて○○邸で御経綸上重大な御神事が執り行われた、と記述されています。それ故に明かされていた内容だと拝することができます。(中略)

その神様の御神名はですね、『ミクラタナ』の神様であります。この神御魂についてメシヤ様はどういうふうに御説明されているかというと、今まで光の玉が御自身のお腹にあられたのですけども、そこへ『魂が宿った』と仰られています。魂が宿ったことによって新たに『メシヤ』様が御生まれになられたということです。

この宿られた瞬間というのが、実はこの御神体の形である訳です。光の玉があった訳だから、そこへ「ミクラタナ」の神様が神御魂として宿られたので、メシヤ様という御存在になられたということです。過去に○○教系の「日月神示」とか「大本神諭」などを読んでいると「『○』に『・』というものが大転換を生み出す」という予言を目にしたと思います。しかし、この『○』に『・』というものが大転換に繋がるということについては中々解らないものである訳です。

メシヤ様の御言葉をずーっと繋ぎ合わせていくと、この『○』に『・』という御存在に対して私達が御祈りするということは、メシヤ様の御腹中に宿られたメシヤ様そのものに御祈りするということと同時に、三重支部の方から報告があったような、所謂太陽の黒点ということが象徴的に現われてくるものと一致するということで、メシヤ様であり主神様であられるということになります。そういう御存在に直接御祈りするという事になってゆきます。

そういうことになってゆくのですが、思い起こしてみると、私は主神様の御神体について最初メシヤ教を始める時に前の教団役員の方に「どういう形で信仰形態を整えていくんだ」というように尋ねられましたので、「主神様の御神体『○』に『・』の『ス』というお文字でゆきます」と話をしたことがあります。それから霊能者からも初期はかなり問い合わせが来たりしたので、いろいろ話し合った時に「主神様」という御存在はあまりに高過ぎるので、その高い存在を家庭や支部に御奉斎するというのはちょっと相応しくないのではないか、違う形が良いのではないか、と随分止められました。

しかし、これはメシヤ教を発足する時に「どういう御神体にさせていただくか」ということをメシヤ様に求めさせていただく中で、最後に示されたものであった訳です。しかも、その御文字が存在したということで決めたことであります。

それがちょうど立教11周年を迎えた祭典の日に、太陽の黒点に象徴的な変化が時節を合わせるように起こってきたということ。

 

(黒点の数が非常に増えたということを、私が調べていて、それを先生にお伝えして、こういう話になりました。)

 

まあこの話していること自体がまだ十分お伝えしきれていないのですけれども、これが神様からの「それでいいんだ」と、(中略)

つまり間違いなかったと思わせていただいた訳です。

 

『愈々(いよいよ)、六月十五日(昭和25年)となった。すると朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前書いた著書に、私のお腹の中に光の玉があるという事で、之を読んだ人は知っているだろうが、此(この)光の玉には今迄魂がなかった。処が愈々(いよいよ)今日○から○つた或(ある)高位の神様の魂が宿られた、即ち右の御魂が現世に生誕された事になるのである。之から此(この)神御魂が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮さるるに到るのである。』

 

(この、「○から○つた」ですけども、「天から降った」と読む人が多いのですが、「天から降った」なら伏字にしなくてもいいのではと、先生は仰っていました。私がきいた話では、「伊邪諾尊様から賜った」のだと、そして賜ったのは御頸珠ですから合致しますね、という話をされていました。)

 

天上の王権のシンボル  ということで、

この「ミクラタナ」の神様という御存在は、一つは伊邪那岐大御神(いざなぎのおおみかみ)様からですね、三柱の貴きお子様の内の天照皇大御神様に授けられた御頸珠(みくびたま)であると言われております。この御頸珠こそ、天上の王権のシンボルと言われるものなのです。(しかし、御頸珠は装身具的なものではなく、主神様の神御魂そのものであり、それ故にメシヤ様は『最高最貴』と敢えて仰せられたのです。)

ですから、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」の際に、メシヤ様ご自身に『天照皇大御神守り給へ幸倍へ給へ』と御唱えしたのは「ミクラタナ」の神様の神御魂が宿られた御本体としてお参りしたというように拝し捉えることができると思うのです。

(この時に、この話を各支部で考えて下さいという質問を投げかけて、皆、考えていましたけども、既に先生は答えをここへ載せておられました。)

このことは神様であり肉体を持っておられたという、そういうお言葉になる訳ですね。で、メシヤ様が御昇天されてもう55年になりますけれども、 (今はもう69年になります。これは今から14年前の話ですね。)我々の信仰はこの光の玉に御宿りになられた「ミクラタナ」の神様という御存在、その総体から御力をいただいて、そして地上天国を建設してゆく、という、そういう御力と智慧という尊いものをいただいていくというふうになっていると思います。その源ということを今回示されたというように受け取っていただければ有り難いと思います。

 

というようにまとめておられます。

 

神観という意味で、先程の天の岩戸開きとか、御頸珠を賜った、ミクラタナの神様が宿られたということを、ずっと先生が考えて、御神体御奉斎をして信仰していくうえで、そういうことが各文献と繋がってきたということで、お話をされたというようにとらえることが出来ると思いますので、非常に重要な内容かと思いました。

唯一のミクラタナの神様の神社が三重にあるということと、元伊勢が一杯あって、加良比乃神社もあるわけですけども、先程出てきた阿坂(荒ぶる神様がおられたらしいです)も通って伊勢神宮へ行くわけです。

元伊勢というのは、少しの期間滞在しているところが元伊勢になっているわけですから、短いのですが、4年間おられたわけです。そこに、伊都能売大御神様とミクラタナの神様を御鎮座申上げたということは何故かということですね。荒ぶる神様は良い神様かも知れないし、分からないです。古事記の話は編纂されているのでね。重要な拠点だと思って・・。先程、火事の重要性、意味合いということも出てきましたけども、熱海の大火のあった昭和25年に、加良比乃神社も火事になっています。

神話というのは、日本の成り立ちとも繋がってくるということですので、色々な神社の事なども見ながら、自分達の信仰と合わせて考えていくと、こういう物語になってきます。

それでは、終わらせていただきます。

 

司会

以上をもちまして、月次祭、覚りの旅を終わらせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。