令和6年8月1日

覚りの旅  令和6年8月 月年祭を終えて

 
三救責任者

月次祭おめでとうございます。

 
参加者一同

おめでとうございます。

 
三救責任者

令和6年8月度 覚りの旅

 はじめに

『借金の苦しみと怒りを我慢する』ことがメシヤ様の主な修行でした。

(これは、新札が出ましたので、その時に書いております。)

怒る事の多い人ほど重大な使命を与えられているのです。澁澤氏(新一万円札)は奥様と口論しているところへ来客があっても喧嘩の後とは思えない平常通りのおとなしさで接客されたそうです。その来客ですら、「自分も怒りを容易に抑えられるようにならなければいけない」と心掛けるようになって順調となり地位を得たそうです。

メシヤ様を信奉する私たちは、一万円札を見るたびに『怒る勿れ』の御教えを思い起こして頂きたいと思います。

 

この御教えはご存知ですか?

 

参加者

はい。

 

三救責任者

資料をホームページの三救資料集にアップしてあります。

LINEには送らずに、常に三救資料集にアップしておりますので、ご覧ください。

観音講座の第五講座は読まれていますか?


参加者

はい。

 

三救責任者

では、資料の方で進めていきます。これは、私が観音講座を読んで資料にまとめたものです。

 

『善悪の真諦と光明世界の建設』

善悪の真諦

善と悪 信仰雑話S23年  に同じような内容がありましたので、そちらからです。

「見えないものを信じる人」が善人で、「見えないものを信じない人」が悪人です。

神仏の実在を信じるのか信じないのかで分かれます。

死後は零となり霊界生活などないと思う心が悪を発生させますが、人の眼はごまかせても自分の眼はごまかせません。神様から与えられた魂が、神様から叱責されるので、良心の呵責に耐えかねて自首をするのです。

人間の魂は神様と霊線で繋がっていて、いかなる行為も、閻魔帳に全て記録されるのです。人間堕落すれば獣となり、向上すれば神となるのは不変の真理です。(これは『入門と奥座敷』に記載がありますね。)

真の文化人とは獣性から脱却した人間であって、文化の進歩とは獣性人間が神性人間に向上することです。神性人間の集まる所が地上天国なのです。

 

この 善悪の真諦 というというところは平成29年9月のメシヤ講座でも学ばせていただいております。

こういう図をやりました。(三角形の図で上が 『⦿』、 下に 善⇔悪 と書かれた図) 

善悪の真諦というところ(観音講座の33ページの上)にも図がありますね。(十の中心が真 と書かれた図)

ここだけ読みます。

 

善悪の真諦が解れば大学者に成れるのであって、非常に難しいのである。善悪は対照的なものである。悪があるから善がある、善があるから悪があるので、それがなくなれば何が残るかと言うと真となるのである。

 

この図(三角形の図)はメシヤ教に届いたメッセージの図で、

善悪の真諦の「真とは」の図(十の中心が真 と書かれた図)は観音講座です。

 
「善と悪の中心が真です」ということが書かれています。

光明世界の人間は(観音会の人間は)真を行うのである、ということが書かれていたわけです。

一方、メシヤ教に届いたメッセージでは、

『神様の御神意を汲み取って物事を判断し、その対処として人間の階層にとってベストと思われる事を探っていけるようになってもらいたい』

だから、主神様というのは善も悪も見ているのであって、両方を見ている。人間側の位置にあって、ベストと思われるところを探ってほしいというメッセージを受取っていたということです。

 
この図に関して、Sさんから感じたことを話してもらいます。

 
参加者(S)

Hさんから、5月20日に、

観音講座第5講座の「真とは」の図(十の中心が真 と書かれた図)に関して、先生がお亡くなりになってからの通信に出ていたと記憶しているので、内容を調べて下さいとLINEを頂きました。(三救LINEの方に頂いたので、皆さんご存知だと思います。)

それで、確認してみたのですが、同じ図はありませんでした。

ただ、 このような図(図略)(三角形の図で上が 『⦿』、 下に 善⇔悪 と書かれた図)をみつけまして、

これについて、メッセージを受け取られた方が書かれた内容の中で、

「善悪すべてが大きな善(主神様)に帰一していくので、主神様・メシヤ様と繋がるという事は霊線から光が伝わり、その結果自分達にそういう働きが影響を及ぼしてくる。」

ということと、

その二日前に届いていたメッセージで、

「「〇にゝ」の御神体は生み出された全ての根本の働きであり、集束の働きであり、これから始まる統一の動きの核・芯である。

自分達はその和合の芯となる役割を担わせていただくように・・」

 
と解かれていた部分が、第五講座の「真とは」の図に関して書かれた、

 
「真とは、要するに善なのであるが、又一方より解する時は善でも悪でもなく、又善にも悪にもなるのである。」

「善悪一致、善悪合一なのである。これが結合したといってもよい。この善悪(経緯)が結合したものの中心が真であるから、善でも悪でもなく、光明世界でいかにするかと言えば、我光明世界の人間は真を行うのである。その行は善でも悪でもない真である。それだからやることが総て和やかで、又非常に滑かに出来て行くのである。」

「人が当然の事を行うのであるから、善ではなく当たり前の事なのだ」

 
に通じるように思いました。共通性は無いかと探して読んだからかもしれないですが、芯 と 真 を置き換えて読むと、より通じているように感じました。

 
それから、図とは関係がないのですが、メッセージ(通信)の方を読み返している時に

 ・観音講座の復興、復活
・文明の創造の復興、復活

 というメッセージがありました。これは、世界メシヤ教復興の際に目指すものとして挙げられたものらしいのですが(平成28年10月)、受け取られた方によると、

「メシヤ様がいらした時の入信教修が観音講座でしたので、これが全ての基本で最初に学ばなければいけないもの」

「文明の創造が深く読み込めて来ると観音講座の内容が今の時期で言う何の事なのかが見えてくる、そして観音講座がわかると文明の創造もより深く読み込めて来る」

という内容が伝えられたと書かれていました。

 
4月の覚りの旅で、Hさんが、

「『観音講座』を学んでいて、疑問のある箇所は『文明の創造』と比較しつつ読み込んでいただきたいと思います。」とお話しされ、

「観音講座と文明の創造を共に学ぶことが大切だ」との内容を仰られていたと思うのですが、その言葉がそのまま書かれていて、驚きました。そして、やはりそのような学びを通して、深めていくことが大切だと感じました。

 
そして、追加で、個人的なことなのですが、この「真とは」の図に関して不思議なことがありましたので、話をさせていただきます。

 
5月20日に友人の家に御浄霊に行った時のことなのですが、私が行く少し前に友人の家の窓から東の空に変った飛行機雲をみたと言って、写真を撮ったのを見せてくれました。

それは×があって、その中心に向かって一本線が入る様な雲の写真でした。

とても不思議に感じて、「×は経緯結んでということかな・・・」等々色々考えつつ、帰宅してから、観音講座の中に似たものはないかと探してみました。

そして、観音講座第5講座のこの「真とは」の図を見た時に、似ているなと思いました。でも、他にもあるかもしれない、と探し出したところで、Hさんから先程のLINEが届きました。

こんなタイミングで!とすごくビックリして、こんな偶然あるのだろうか?と思いました。

友人が見せてくれた写真の雲はこの図の事!と教えられたのかもしれないと思いました。

こういうことがあって、その後、友人に御浄霊させて頂く時に、色々迷った時にも、今回の「善悪の真諦」に書かれている、

「善悪(経緯)が結合したものの中心が真。」「善でも悪でもない真」ということ、

「人が当然の事を行うのであるから、善ではなく当たり前の事なのだ。」ということ、

これを自問すること、意識することが多くなりました。

行いが善いことだったのか悪いことだったのか、分からず迷う事もありました。

ただ、その時はそうするしかなかった、そうしてしまったという事もありました。

これを意識していくということをあの時に教えていただけたのだと思い、感謝しています。

今後も、常に意識していく大切なことだと受け止めています。

 

三救責任者

はい、ありがとうございます。

雲の話がありましたね。イギリスのウエストミンスター寺院に行った時に、よく似た雲がありました。

 
参加者

そうですか!

 
三救責任者

イギリスつながりで、 コイン の話ですが、善悪の話でもありますが、コインは表裏がありますよね。コインで思い出すのが、

生前UK先生が大英博物館に行かれた時、コイン(金貨)を探されていたそうです。
同様に晩年「○の使い方がわかったよ」ともお聞きしました。
そのご意図は今もってわかりませんが、今回の『善と悪』の学びに関係があるように思いました。

分からないけれども、つながってきているように感じるんです。

 資料に出した  キューリ  の事にもつながっているのですが、

最初に「目に見える、見えない」という話がありましたが、

放射能というのは物質の目に見えない能力です。放射能の研究をし、元素ポロニウム、ラジウムを発見、物質自体が放射能を出せる能力を放射能と名付けたのはキュリー夫人です。

 

目に見えない「祈る」という行為が現実社会へ影響を及ぼすのかを科学的測定を開発したのが明治大学小久保先生です。

キュウリつながりですが、これは食べるキュウリです。

目に見えないものを見ようとする研究(科学的な祈りの研究というような)もあるという話がしたいのですが、

 
食べるキュウリをスライスして、切断面から放出されるガスの濃度を計測することで「目に見えないチカラ」の測定方法を開発したのです。

結果を分布図にすると中心点から「円形状」「波動状」に拡がっています。

 詳しくはネットで、各自でご覧いただければと思います。

 
波動ですので「波」があります。波というのは「山+」と「谷ー」があるのです。

御教えと考えると、「善」と「悪」があるということです。

波動というのは「+」と「ー」が繰り返す現象なので、「善」と「悪」とも言えますね。

昼の世界と夜の世界が繰り返す。とも受け止められます。

 
コインには必ず「表面」と「裏面」があります。どれほど薄くしたとしても「表面」と「裏面」が存在します。薄くし過ぎてコインが消えたらその瞬間に「表面」と「裏面」も消えるのです。

表だけで存在できるコインなんてあり得ないのです。

 
「善と悪」「表と裏」の話ですけども、そういうのを見た時に、

先生が大英博物館に行かれた時、コイン(金貨)を探されていたのは何だったのかなと思ったわけです。

 
このブログを書いている人が、

「良い」という概念は「悪い」という概念を生みます。

「健康」を求めた人は「病気」という概念を持ちます。

赤ちゃんは熱がある状態が「健康」なのか「病気」なのかを区別していません。

概念を持った大人が区別しているのです。

「こういう状態が健康です」と定義した瞬間に「ということはこれが病気です」と逆側の極を産むのです。

「病気よ治れ!」と祈った中心地点では「良い領域」が増加するものの、その周囲にはむしろ「悪くなる領域」が発生します。

 
これを解釈すると、

これも「浄化」と受け止めれば『くもりの多い人は厳しい浄化をいただく』と受け止めることができるかと思います。

人間の眼で見て、人間の判断基準で見て、良い悪いではなくて、熱が出ているというのはいい状態だと思うのか(浄化だと思うのか)、病気だと思うのかということです。

想念がいかに大切か、「病気」ではなく「浄化」だと受け止めることを繰り返し御教えで学ばせていただいております。

科学的に想念の世界への検証の試みが始まったこともまた神様の仕組みなのだと思わせていただきたいと思います。

 

大嘗祭の天皇陛下の祈りは「通常では絶対に起こらない片寄り」が起こっていたそうです。

この先生が、大嘗祭の時にキュウリの実験を行って、普通ではありえないようなグラフになったということです。図もホームページを見にいっていただくと載っています。

 
因みに、異常な現象というのは9・11のワールドトレードセンターへ飛行機が激突した時の画像を皆が見た時にも異常な現象が起こっていたそうです。皆の想念が波動になって測定できたということです。

善悪の話からこのようにきました。

 
少し話がそれるかも知れませんが、 機心  を紹介させていただきます。

これは天声人語を読んで考えたことです。

「機心を自覚し虜にならず霊性的生活を知りなさい。」  ということで。

 

天声人語で「機心」ついて触れられていました。

【孔子の弟子子貢(しこう、紀元前520年 - 紀元前446年)が楚の国を旅していた時、

(四面楚歌という言葉は知っていますか?楚の項羽が漢の高祖に垓下 (がいか)で包囲されたとき、四面の漢軍が楚国の歌をうたうのを聞いて、楚の民がすでに漢に降服したと思ったという。 敵の中に孤立して、助けのないこと。周囲が敵、反対者ばかりで 味方 のないことのたとえです。)

農夫が一人で瓶(かめ)に水をくみ、畑にまいている。ひどく労力ばかりが多く仕事の能率が悪いので、子貢が機械をすすめる。農夫は「機械を使うと機心が出る。何かと機械に頼り効率ばかり追いかけるようになる。そんなカラクリの心は不純だ」と言う。

パソコンの不具合で航空機が欠航するとう史上最大と思われるシステム障害が発生した。

(セキュリティの必要性をいっているのですが、そのセキュリティが原因でパソコンの不具合が起こって、飛行機も飛べなくなるという状態でした。システムに頼りすぎるとそういう事が起こります。)

世界はネットで繋がり、便利で無くてはならないものになっているが、一瞬にして全てが崩れる危うさを秘めています。

子貢の話を聞いた孔子は「彼は一を知りて二を知らず」機械に頼り過ぎず、かといって拒否もせず、よく自然と生きるべし。古の賢人の教えである。】

 

完全に機械に頼りすぎるのもダメだけど、拒否するのもダメだよということを教えているわけです。

パソコンにしても、パソコンも使って、危険性を理解しつつ・・。

 

参加者

臨機応変に。

 

三救責任者

そうそう。

 
機心とは「はからい」のある心、機械に頼ると、その働きの成績にのみ心をとらわれます。

早く利き目があれとか多くの仕事ができるようにとか、自分の力はできるだけ節約したいとか、少しの資本で多大な利益を占めたいということになります。

問題は「はからい(計画的意図のあるところ)」人間はどうしても成績や効果、効率主義や目的合理性にばかり目を奪われ、より楽をしたいと、我欲が働き始める。ということです。

現代人の生活や行動のほとんどに不純白な心がすでに蔓延しています。

人間生活の終末に果たして何があるのか。私たちは一体何を求めてあくせく「機心」しているのか、機心は虚しく、自己疎外、人間疎外となって我が身に降りかかってきます。

機心の虜になって猛烈に働き続けたサラリーマンが、突然鬱に襲われて自殺することになりかねません。若い世代ではハナから脱社会的な存在であるかのごとく、フリーターとして生きるものの著しい増加。老いた世代では小人閑居して不善をなす。(徳や品性のない人は、暇を持て余して良くないことをしがち)逃げるが勝ちと自分の年金などの心配ばかりして私利私欲にこだわりこびりついた日々を送る。両者増加すれば、社会全体が自滅の方向へ進んでいきます。

霊性的生活のあることに気づかないと、生そのものをもて余します。

機心を自覚し虜になるな。霊性的生活を知りなさい。 霊性的生活は機心を乗り越える鍵となります。

農夫の話を子貢が孔子に伝えると、孔子曰くそれは面白い。このような人は物のまだ一つで、二に別れぬ先に生きている人である。これは一を知って、二を知らぬ人だ。と言ってよいと言いました。一の世界に目覚めつつ、今は二の世界に生きること。これが大拙(鈴木大拙)のいう霊性的生活、つまり霊性とは一の世界をリアルに監視する能力。今までの二元的世界が相克し、相殺しないで互譲し、交換し、相即相入(一切の現象が互いに対立せず、とけあって自在な関係にあること)するようになるのは、人間霊性の覚醒に待つより他はない。精神と物質の世界の裏に今一つの世界が開けて、前者と後者とが互いに矛盾しながらも映発(色や光の対象がよく映り合うこと)するようにならればならぬ。これは霊性的直覚または自覚によりて可能となります。【教育における「機心」について 菱刈晃生】

 

先程出てきました、鈴木大拙というのは仏教学者です。

霊の世界を知らないと、こういう機心に捉われてしまいますね・・という話です。

善悪を両方見て、そこのいい所を見ていかないと・・偏ってはいけないと。

 

光明世界の建設(弥勒の世)  というところがあります。

文明の創造の天国篇にあたるのではないかと思います。

 

○真の世界

真の世界は理想ではなく、観音会がこれからこれを実現するのです。

 

○大体の目的

大光明世界建設の目的は彼岸を知らせることです。

『いままでの世界は、霊的か体的かどっちか一つしかなく、霊体一致という文明はできませんでした。
東洋は霊的偏重の結果、物質否定とか禁欲主義になり、地獄的国になります。

西洋は体的に傾き、極端で、右か左か、どっちかになり地獄的国になります。

これを真ん中すなわち両方を調和した文明、これが理想的の社会の文明で、それを観音会がやります。観音会は彼岸で、ちょうど暑さ寒さの間です。暑からず寒からずという世界が伊都能売式で、これが最後の目的だという意味です。彼岸は彼方(かなた)の岸ですから、その意味でできたものなのです。御講話 昭和10年9月21日』

 

○弥勒の世の政治

政治も伊都能売式でなくてはなりません。

不正を行なわず、利己なく真に民衆のための政治を行ない、信頼をうける(信雑昭和23年)

考え方が極端に偏らず、我をなくすことです。『伊都能売の身魂 昭和27年』

 

観音講座を見つつ、関連のある御教えを紹介しています。

 

ミロクの世の実相  『文明の創造』昭和27年
世界各国の国境は、実質的には撤廃されたと同様で、隣国に対する権力は平等となり、侵略の必要がなくなります。

世界議会が、いかなる問題でも、慎重審議の上可決します。

今日のごとき自国本位の、我利的根性など全然なく、いかなる法案も円満に成立します。争いの余地などあり得ないのが、ミロクの世の世界議会です。

各国の国会も議員の素質も立派で、自利的観念を棄て何事も世界的人類愛的に解決します。何事も説明だけで和気藹々裡に即決されます。

会期も短くなります。それは、法律が非常に少なくなるからです。法律は善人には必要がなく、悪人のない世界なのですから、当然なことです。

 

メシヤ様は、子供の発育を止めぬため12歳から小学校、中学、大学と3年ずつになると『早期教育の弊』を早くからご指摘されておられます。

日本語が世界共通語となり、外国語を学ぶ必要がなくなります。

人間は霊感が発達しなければいけない のですが、早くから教育されている今の人は霊感がありません。霊感がないから、何か事が起こってから対策しているのです。

 

想念の世界

『霊界は想念の世界で、相応の理により想念通り』になります。

仏壇へ飲食を上げる場合、お義理的に上げるのでは飲めません。昭和24年8月25日

『本来全ての動物は、霊と体との密接な結合で生命』があるのです。

霊を支配するのが意思想念で、意思想念を湧起するのが心魂です。『内外公論』昭和11年

 

怒りを克服する  というところにつながってきますけども、

怒る時、鳩尾に想念が集中し、何か結ばれた塊のようなものを感じます。鳩尾を浄霊すると、間もなく塊が溶け、結んだ紐がほどけるような、胸がひらけて何とも言えないいい気持となり、段々心が軽くなって、怒った事が恥しいようになります。

だから「怒りが解ける」と言います。

浄霊は、自分でも人でも治せますので、こんなに良いことはないでしょう。

個人、一家の平和、人との和合、社会や国際間の平和が破られるのも、怒りが原因です。

浄霊は、実に大きな救いとなるのです。『怒りを克服する』昭和26年5月30日
不幸な運命に喘ぎ苦しむ人間社会は、全く間違った想念と行為で、人間自らが作っているのです。このような間違った世の中だからこそ、神様はメシヤ様をお使いあそばし、人間を諭え救われるのです。『一切の災は浄化作用なり』

死ぬ時の想念、生の執着で霊界生活が変わります。早く死んで極楽に行きたいと思って死ぬ人は早く生れ変ってきません。それは、自分の思った所へ行けた為、再び人として生れ変って来よう等と思わないからです。『観音講座(第四講座)』

神様と人間との想念で天国になるのです。悪の想念は地獄となります。

霊界は想念の世界 であるから、相応の理により想念通りになります。 この会場でもいろいろの霊、自分達の祖先や友達の霊が来ています。何とかして聞きたいものだという想念によりその人の生霊が来ています。その人も幾らかは何かの時に解ることがあるのは霊が聞いているからなのです。この会場には何千人いるか解らぬ程いるのです。『観音講座(第五講座)』

産土神社の前で協議すれば利権や賄賂の問題は起きません。濁ったところですれば濁った想念になるから正しい結論は得られないのです。『観音講座(第七講座)』

人間の悪の想念と、悪の言葉と行為で、霊界に汚穢という曇りが溜まります。その浄化清掃作用が暴風雨なのです。風によって吹き払い水で洗い流し、天日で乾燥させる、それで浄まるのです。「火災の霊的考察」『救世』昭和25年5月20日

メシヤ様のかいた文章を読む事によって、目から浄霊を受けます。文章を通じてかく人の想念がそのまま映ります。かく人の霊が活字を通して読む人の霊に通じるのです。メシヤ様がかく文章は神意そのままですから、その人の霊は浄まるのです。 『活字の浄霊』 昭和27年

 

それから、関連して、  幸運の秘訣

(御論文「幸運の秘訣」) 【栄光 二四六号】
運が良くなる、思うようになるということは、簡単なことですので、学んで人に話して差し上げましょう。

百八十段の霊籍の良い方ならば、運が良くなります。どんなに良い家に住もうと思っても、霊籍が低ければ、そこの世界には良い家がないのだから見つかるわけがありません。霊界の層が上がれば、 探さなくても見つかります。そこに住まわなければならないことになっています。それが運命です。

支部を作っても発展しないとか、どうも信者ができそうでできないということは、自分の魂の居所、霊の居所が低いためです。

また、自分は一生懸命に信仰しているが、親父は反対ばかりしている、あるいは伜がぜんぜん分からないということは、自分自身の霊的位置がまだ低いのです。

自分自身の霊的地位が高ければ、他の者もそこの所に引き上げられるのです。

みんな霊線が繋がってますから、親がずっと上に上がると伜もそれについてゆくわけです。そうすると話をしてもよく分かるわけです。ところが自分自身の地位が低いと、効果がありません。

自分の霊的位置が向上するには、一人でも多くの人を助けて、神様の御用をすることで、自分の曇りが減って、霊が軽くなり上に行くから、他の枝でも縁のある人でも、自然にそれについてくるわけです。すべて思うように良くなるというわけです。

結局において自分にあるのです。

こんなにしても自分は苦しいことや災難がいろいろあるというのは、まだ霊に重い点があるので、神様が軽くしてくださるために、軽くするには人を救うか、もし救い方が足りなければ自分が苦しむかで、どちらかで曇りが取れるので、それさえ分かれば、世の中は決して難しくもなんでもないのです。

一切は浄化作用で、一つの掃除ですから、 ゴミがあると、どうしても掃除されなければならないことになっているのです。

稲の虫害というものも浄化作用です。硫安や糞や、肥料を入れるから、そういう物を浄化させなければならないので、その役目として虫が生まれて毒を食うのが、虫害です。

結核だとか、いろんな病気の黴菌というものも、そこに薬毒があるから薬毒を掃除しなければならない。その掃除夫です。

あらゆるものが浄化作用で、汚れ、穢いものを溜めないように、入れないようにして、きれいにするというようにすれば、必要がないから虫もわかないし、なにも悪いことはないのです。浄化作用というものは一切にあるのです。

大乗的 に言うと、火事、泥坊、詐欺に瞞されるのもやっぱり浄化作用で、その人の持っている金の中に非常に汚い金があり、そういう金はどうしてもその人が持つことができないので逃げてしまうのです。

こっちにそういった汚い金があるから、誰かがなにかの手段でその人から取るという、 一つの浄化作用です。一つの浄化機関になっているわけです。

すべて汚いものはきれいにするというように、神様がこの世界を造られました。

それを本当に分かるということは大乗的見方ですが、こういう話をすると泥坊も必要だと、間違えますから、腹の中で覚ることです。『御講話』(S29年1月26日)


言霊について  昭和25年
『聖書』の「太初に言葉あり、万物これによって作らる」とは、言霊(ことたま)の活動をいったものです。言霊は人間の音声と舌、唇、顎の活動によって発せられますが、根本は言葉によって表現しようとする想念で、想念は意欲の表われです。

人間が何らかの意欲が起るその意欲を言葉に表わそうと、想念が活動します。正邪善悪、成不成等の判断力も活動します。これを総合したのが智慧で、具体化したものが言霊で、言霊を具体化したものが行動です。想念、言霊、行為の三段階なのです。
想念は幽玄界に属し言霊は言霊界に属し、行為は現象界に属します。

言霊は幽と物との中間で、念と行との媒介者であるのです。言霊の重要性が判ると思います。
言霊は、鬼を出すも仏を出すも自由自在です。人を怒らすも笑わすも、心配させることも安心させることも悲しませることも喜ばせることも、波瀾を起させるも、和を造ることも失敗するのも成功するのも言霊次第です。

重要な言霊を軽々しく使用するのは、危険この上ないのです。
言霊のみをいかに巧妙に操ったところで、単なる技術でしかなく、落語、漫才、講釈師と同様です。言霊はその根本に偉力を発揮させる力がなくては、何の意義をなさないのです。

力といっても、善悪の区別があります。悪の言霊は罪を構成し、善の言霊は、徳を構成します。

人間は善の言霊を使うべく努力すべきで、善の言霊とは、誠が根本であり、誠は神からである。

神を認めなければならない。信仰者は、真の誠を発揮し、言霊は善的力となって現れます。

 

想念というところから、言霊のところまで来ました。

最後に令和と書きましたが、

 

令和

「令和」の出典は日本最古の歌集である万葉集です。

 初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす

『令月』とあるのは『素晴らしい月』という意味。「令」には、「令嬢」「令息」といった言葉に使われるように「よい」という意味がある。

また「令」の漢字の構造は、ひざまずいている人に申しつけているという形で「命令」の意を含む。このため、令和を漢文調にすると「和たらしむ」とも読める。

 

先日、ブログ上で「暗殺」の本の紹介をしましたが、

「令和」の読み方を違う解釈をすると、和は大和のことで日本、日本に命令する。と受け止めて、○○が怒る・・。

良い言霊で受けとめるのと、悪く受けとめるのと・・善と悪とあるということですね。

悪の方に捉われると、極端にいくと暗殺につながったかもしれないという話です。真実はわかりませんけども。見方が色々あるということです。

私達は良い方にしかとらえていなかったけれども、違う見方をしてしまう人もいる。

 

元号は、今までは漢文の方からとっていたわけで、それを万葉集からということで、僕は「安倍さんよくやった!」と思ったわけですけども、そうではなくて、大和に、日本に命令する・・ととる人もいるわけです。

 

因みに  昭和   の言霊をメシヤ様はどう受けとめられたかというと、

昭和の「昭」という文字は日偏に召すという字ですが、「召す」というのは神道の方でいう「しろしめす」ということです。「統一」とか「治める」という意味です。よく“天照大御神がこの土をしろしめし給う”ということがあります。それから「和」というのは、大和という意味ですが、「和」というのはやはり「世界」という大きなことの形です。ですから「日がしろしめす世界」ということです。そうするとその日というのは太陽です。日という字は、丸にチョンですが、この象形文字です。ですから日がしろしめす順序、段階として霊体が結ばれるというのが昭和二十年です。御講話(S28年1月1日)

 

『霊界は想念の世界で、相応の理により想念通り』と学びました。

「令和」は、霊主体従の世界、礼節を尊ぶ世界になる。との神界からのメッセージだと受け止めたいと思います。  

 

元号の話で締めくくろうと思いました。

観音講座第五講座の内容について他の御教えとか、今起こっていることを織り交ぜながら話しをさせていただいたわけですけれども、ちょっと難しいテーマで、「善悪」、「観音会」、メシヤ様の方の見方でなければわからないようなということです。私たちだからこそ学べているということかもしれないですね。偏った見方、善の方から見た宗教的には解釈しかないので、善悪両方を見ているのが主神様のお立場だということで、今起こっているようなことも善の側からだけ見ていたのでは、違ってしまうということですね。善悪両方です。

よろしいでしょうか。

それでは終わらせていただきます。

 

司会

以上をもちまして、月次祭並びに一日祭を終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。