令和6年覚りの旅 令和6年4月 月年祭を終えて
三救責任者
月次祭おめでとうございます。
参加者一同
おめでとうございます。
三救責任者
いよいよ本日から『観音講座』を、1~7講座まであるわけですけども、7カ月かけて学ばせて頂きます。
『主神様とメシヤ様』に掲載されていない講座もあります。『全集』や、既に内部資料として令和元年6月15日発刊の『観音講座』を参考にされつつ、学んで頂ければありがたく思います。
『観音講座』を学ぶにあたり、○○先生が、まだ未完成であった『観音講座』の「はしがき」を執筆発表されております。始めに「はじめに」を読ませて頂きます。
はじめに
平成二十九年二月の立春祭並びに世界救世(メシヤ)教開教記念大祭において、○○先生は、メシヤ講座のはじまりを、
「“型どおりのホームページでは、皆さん方にメシヤ様の御教えの素晴らしさを伝えることができない”ということから、メシヤ講座をアップするというようになりました。このメシヤ講座の名称は『観音講座』から現代に・・・、観音様からメシヤ様に御出世遊ばされたわけですので、メシヤ様の教えを取り次ぐ講座ということからメシヤ講座という名前をつけてスタートしたわけです。」 と披露され、まだ未完成の、観音講座の「はしがき」をも発表されました。『観音講座』と『メシヤ講座』を現代に伝えていくことを強く望まれておられたのです。
内部資料としての発行ではありますが、『観音講座』を編纂した意味合いを知っていただきたく、先生が書き下ろされた「はしがき」を掲載させていただきます。「はしがき」の中の補足説明資料は、掲載しておりませんが、学ばれる上においては意識して拝読していただければありがたく思います。
はしがきを紹介する「はじめに」ということで、僕が書いた文章でした。
そして、その「はしがき」です。
「観音講座を現代に学ぶ」はしがき
観音講座と私が出会ったのは昭和五十七年のことでした。その時の驚きは今も鮮明に覚えています。まず、第一講座の表題『主神の御目的と天地経綸の真相』に釘付けになりました。それは、『世界救世(メシヤ)教教義』を暗記した学生時代から胸に秘していた疑問が氷解するかも知れないと期待を持ったからです。教義に御神名が明らかにされているにも拘わらず、参拝時の御神名が異なる理由は何か、というものです。そして、次の冒頭文章には心躍らされるものがありました。
『是(こ)れから説く事は世界の大秘密である。それを愈々(いよいよ)暴露するのであります。今迄は夜の世界であった。それ故諸々(もろもろ)の穢(きたな)い事が匿(かく)れて居(お)ったのであるが、観音様が此の世に現れた為に霊的に日が出た事になり、愈々秘していたことが目に見えて来た。』
幼少時に浄霊をいただくことで九死に一生を得た感謝はありながらも、信仰を続けても親戚関係をはじめとして私を取り巻く環境は悲壮なものでした。庄屋の家系として祖父は村の名士と崇められて晩年を迎えましたが脳膜炎を患い他界し、前後して財産を巡るお家騒動が起こり“人間世界はどうしてこれ程までに病貧争いに塗(まみ)れているのか”という悶々とした思いを拭いきれなかったのです。その原因も明らかとなり、暗夜に灯火を得ることが出来るかも知れないという高揚感が加わりました。更に何より
『主神が何の為に宗教を造られたかと言うと、宗教は弥勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落 をなさざらしめんが為の必要的限定的の経綸であって、主神は一方悪の活動を許容され、物質文化を開 き、一方其の悪に因る弊害を甚しくせざらんが為に諸々の人傑を出し、宗教なるものを弘通せしめ、善悪を巧妙に織られたのである。故に今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交りつゝ流転活動し、進歩し発達し来たのである。』
という一文を目にした際には、御昇天後の教団は神観、宗教観、世界観を整理しないままに勧めてきたので混乱を繰り返してきたのであろう、と思い知らされました。そして、拝読翌年に惹起した教団紛争の真因を理解するに至ったのです。しかも「○○○○委員会」指示推進の原動力ともなったのでした。
この著を著わす時期に『神が示したことを人間が理解を深めなかったために真の意味での御神業進展が出来なかった。』との御垂示を賜り、長年の疑問に対するお答えと現代的使命を自覚するに到ったのです。メシヤ様は昭和十年に神観を明らかにされましたが、当時の人々の神性が蘇っていなかったために主神様直系の結びの働きを担う観音様、光明如来様、弥勒大御神様を認識するに留まっていたのです。観音講座本文を学びつつ御垂示に沿って人間としての理解を深めたい所存です。
なお、観音講座口述は、昭和十年七月から九月にかけて行われていますが、口述筆記録は数種類確認されており、筆録者により、内容に若干の相違があります。筆記能力はもとより、神性の蘇りの度合いによって生じたことに起因されることが推測されます。また、メシヤ様御自身、帝国憲法化において天皇制に係る自由な御記述が不可能であったが為、若しくは相当の配慮を必要としたが為、意図的に表現を変えざるを得なかった箇所、又は十全な記述となっておらず補足説明を要する箇所もあります。これらについては、参考にさせていただける御教えを○○編纂委員が引用し囲み表記しました。下段には時代背景に対する判釈を○○氏が注記を行ないました。それぞれ「引用、注記の不備不適切があるとすればその文責はすべて引用者、注記者にあることをお断り申し上げます。」という姿勢で事に当たっていただきました。
《はしがきはここまで》
まだ、これは完成させてはおりませんけれども、このような形で『観音講座』の学びを深めさせていただくための製本作りに、今、着手したところであります。こうして主神様の御経綸ということを私達はより一層深く受け止めることが出来るようにお互いならせていただければ、これに勝ることはありません。
この『観音講座』に先生のはしがきを引用してさせてもらったということです。
『観音講座』を学んでいて、疑問のある箇所は『文明の創造』と比較しつつ読み込んでいただきたいと思います。昭和10年当時、発表が許されなかったことが、昭和27年には許されている。
あるいは、敗戦を経てG◯Qの影響をへて、宗教の自由が認められたとは言え、国粋主義、神道―ナショナリズム、を意識しなければ、何事も発表できなかったのかも知れません。それ故、『文明の創造』がメシヤ様御在世当時未発表だったとも言えるのかもしれません。
そういうことを意識して頂きつつ、『文明の創造』で学んだ事と比較しつつ、読んでいただければありがたく思います。
それでは、『観音講座』、『主神様とメシヤ様』の198頁ですね。読んでいただけますか?
参加者
『主神の御目的と天地経綸の真相 観音講座 第一講座 昭和10年7月15日』 拝読
三救責任者
はい、ありがとうございます。
どうですか?読んでみて。
参加者
難しいです。
三救責任者
ザっといきますと、
今までは夜の世界であった。
穢(きたな)い事が匿(かく)れていた。
観音様がこの世に現れ、霊的に日が出て、秘していたことが目に見えるようになった。
真理は簡単であって、経典やお筆先は難しくて判らない。バイブルも。それなのに、人々は有難がっている。
人間ですら判らないのに、霊になったら、お経はなお判らないでしょう。
この間違いを直して行く事が私達の務です。
座禅も、民衆に通用しません。
それは本当のものではないからです。
バイブルが判らないのは、外国語を直訳したからです。
日本の神道は古いのは教義がありません。
祭式、祈祷、呪禁(じゅごん)のようなものです。
教義の出来ている新興宗教も全部を判ることはできません。
◯◯物語は、何もしないで読んでも一ケ月もかかる。
はっきりしないから一般民衆を救う事ができないのです。
それは夜の世界で出来たからです。 (◯◯物語は夜の世界で出来たということです。)
今度観音様のことが判然とした時が光明世界であって、五六七の世について、全部明らかにすると観音様の御神業に障るから、歯痒(はがゆ)いけれども、今までのことを思えばはっきりとしているでしょう、わかるでしょう。
ということですね。昭和10年の時には、観音様の本当の事は明らかにすることが出来ないので、『観音講座』でこういう風に教えてもらっている。
それで、霊返しが出てきましたね。
岡田仁斎 は 「イ」 になる。
これは、分かりますよね?何回もやってきましたのでね。
参加者
うんうん。
三救責任者
分からなかったら、また聞いて下さい。
「天津金木」 が出てきました。
古事記の眼目は岩戸開きなんだということと、代々御位をおかされてきたんだということですね。
岩戸隠れをされたのは天照皇大神様、艮(うしとら)の鬼門へ押し込められた、御隠退されたのは国常立尊様。国常立尊様は幽界に行かれて閻魔大王となられた。
先程の霊返しで、「イスズ」ですけど、・・分からないですけど、
「イスズ」というのは、例えば、イ、 スを⦿ 、ズ ですよね、主神様を挟んでイズがある。イズに主神様が居られると、読めますよねと。伊都能売神が居られますよね、イズというのは。「イスズ」の解釈はそういうこともあるのかなと。「イスズ」の解釈で、ということは、「イスズ」の言霊の解釈だけとも限らないと思ってね。
だから、伊豆におわします 主之神様 でありますし、「イス」というのは五十、五十音ともとれる、「スズ」を詰めれば「ス」になりますからね、「ス」自体も五十音であり、言霊であり、主神様につながるものであるということが言えるのかなとも思いました。
私の勝手な解釈です。
「天津金木」ということが出てきまして、大石凝真素美翁のことは覚えていますか?
参加者
はい。
三救責任者
大石凝によると、宇宙の根源であり、生命の源であると。声の真理は日本語の言霊を通じて明らかにされる。神典としての古事記を読み、大石凝がたいせいしたとされる占いの法である、占法である、天津金木を使えば真理が明らかになり、正確な予言も出来る。
これは、 大石凝真素美翁について書かれたこと(大石凝真素美全集の中で、大石凝真素美翁を説明した文章)です。御教えではないですよ。
大石凝真素美全集というのを持っているのですが、「天地茁廴貫きの極典」という(スのいわれの文章が書かれている項に出てきます。)のがありまして、ここは先生が紹介して下さった、⦿(す)のいわれの文章、10月10日に読ませて頂いた文章ですね、そのことが書かれているわけですけども、そこに、ミクラタナの神様の事が出てきます。
三大暦儀(みくらたなのかみ) 。そこを読ませてもらいます。
其初伊邪那岐の神が三柱の大御神を産み玉ひし時に、
近江の国を斎庭(さにわ)と定め中央に於て、
北南に一線かくして、東部を顕界(たかまがはら)の御樋代(みひしろ)として、
三大暦儀(みくらたなのかみ)(太陽暦、太陰暦、恒天暦)を授けて、
天照大御神に詔(のり)玉はく、汝(な)が命(みこと)は顕界(たかまがはら)を知らせと因(より)て、
天照大御神は此国の最上部なる、いかごの宮に鎮まり玉ふ也
其西部は湖水(あめのまない)を保ちて幽界(うなはら)の御樋代(みひしろ)として
須佐之男命に詔玉(のりたま)はく、汝が命は海原を知らせと因(より)て
須佐之男命は当国の最下部なる坂本の一宮に、
鎮まり玉ひつつ、毎年十月節に至る毎に、三井(みい)を経て、
石山の麓なる剣泉(つるぎいずみ)を佩(は)き玉ひ瀬田の建部にたけび玉ふ也。
月夜見の命は夜(よ)るの食国(おすくに)を知らせと、因(より)て、此月夜見の命は
大造化産霊(あまつむすび)の眞を執り持ち玉ひて、天(あめ)の御影(みかげ)の神、
日の御影の神を結(むすび)て三神山(みかみやま)鎮まり玉ふ也(三神山は、三神造化の所也)
然(しか)り而(しこう)して大(いか)き主神(ぬしかみ)なる
伊邪那岐の大神は、大主神勅の多賀の宮に鎮まり玉ひて
御子神等(みこかみたち)の御行(みおこなひ)を照覧し玉ふ也。
これは、大石凝眞素美翁の文章です。
ミクラタナの神様について出てきていましたので、紹介させて頂きました。
「天津金木」についての昭和10年の御教えを、紹介させて頂きます。
天津金木(あまつかなぎ)は、天照大神様が押し込められしためお身代わりとしてお作りになり伝えられたるものにして、これが判れば、森羅万象すべてのことはみな判るのである。されど、いま書物などによってこれを知ることは絶対できないのである。昔は口伝えにより伝えられ、稗田阿礼(ひえだのあれ)まで伝えられた宇宙の魂のごときものである。私は、浦和にて古文書を見たるとき、霊感により知ったのである。私は五〇万年以前より五〇○○年前までの歴史を知っているのである。それは、神憑りになったとき知らされたのである。
昔の古い文書は神武天皇がお焼きになってしまったのであるが、そのとき、一人の家来が一部の物を持って逃げ、これを隠して土の中にいけ込んで置いた。それが今に伝えられた。これは、武内宿禰の家に伝えられ、例の○○教の武(竹)内家にあるものにして、武内家には、その中にあった三種の神器の本物を持っているのであるが、◯◯省に献上しようとしたとき◯◯省では受け付けなかったのである。
いよいよ大光明世界を建設するのは、二五年くらい後のことにして、 (・・この時は昭和10年なので、昭和35年になりますね・・) これは世界統一の時のことにして、日本だけなれば、まだ早くできるのである。
これは御教えを調べれば出てくるのでね。昭和10年4月5日の御教えです。
それと、これも何回も紹介していますけども、
立春祭の御講話の昭和29年2月4日、・・天津金木とは関係ないですけども、
三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。
観音講座第三講座の方にはですね、
国常立尊が天照大神から命ぜられた時が九千年前である。
三千年前とか九千年前とか出てきますけども、岩戸隠れが二回あったと思えばいいんじゃないですかね?国常立尊様が押し込められたのが、九千年前に御隠退になったとしたら、三千年前に天照大御神は岩戸隠れなさった。比喩とも言えますので・・。
一番重要なのは、「やっぱり人間の世界です」ということ。
人間の世界なので、人間が当然居たわけです。縄文とか調べていくと、1万年間も続いているわけです。
「やっぱり人間の世界」 そういうことだと思います。
話が飛びますが、もう一つ、「天津金木」のことで、関西巡業御講話、昭和28年のことですので、『文明の創造』を書かれた後になります。関西に御巡業なされた時に、京都劇場に於いて、昭和28年11月10日にバッジについて、
バッジについて、ついでだから話しますが、バッジにこうして丸がありますが、これはこういう意味になります。
これでは本当ではないのです。もう一つ貫いているのです。ですからこれを正面から見ると丸になります。そういう意味もあるのです。昔から神道のほうで非常に神秘とされている天津金木の法というのがあります。この天津金木というのは、古い板にそういったものをこしらえたのです。この四角いものをこういう具合に組んで、そうしてもう一つこうやるのです。こういうものを御神体のように祭ってあるのです。それで天皇が毎年正月元旦にそれに対して祈願するのです。そうするとその年のいろいろな吉凶禍福、そういったものが浮かぶのです。これはまた話が神秘な方面になりますが、天津金木の起こる前というのは、つまり玉座といって、真四角なのです。その時分は畳か板か分かりませんが、そういったものを作って、それは十文字の形になって、その真ん中に神様が坐るのです。それはつまり天照大御神様が統治されたときにそこに坐るのです。そこで目をつぶっておられると、その国のいろいろなことが分かるのです。それが天照大御神様がおかくれになって、その代わりとして天津金木というものをかかげたのです。それが神秘なことで、神道の根本になるのです。神道家でもこのことは知らないでしょう。そういうわけですが、バッジというのは、そればかりではありませんが、そういう意味もあるのです。
そういうことがあります。この真ん中にメシヤ様がお座りになるという・・・だから天照大御神と唱えたというのも繋がっていると言えますし。
色んな神様の名前が出ていますので、ややこしいかと思いますけども、一番は人間であったということですね。人間としてお生まれになった神様です、全部。古事記とかに出てくる。色んな名前で出てきますけど。そう思った方が・・・・・・・・・・・・。
国常立尊様が押し込められたのは、北海道だね。
北海道の名前を名付けたのは?
参加者
松浦武四郎
三救責任者
はい。松浦武四郎ですね。前にやったよね、三重だから。
「北加伊道」
北海道の地名はアイヌ語をもとにしています。
例えば、旭川 はアイヌ語の地名で言うと、チュプ・ぺッ。
チュプ というのは「日の」 、ペッ というのは「川」。
この川の水源は東にありて、日月の出る処故に名付けた。そういうアイヌ語の起源としてあります。
釧路 はアイヌ語で クスリ・クシュリ・クスル。
クシ というのは「超える」、または「通る」。 ル は「道」 と解釈される。
「超える道」、「通る道」と考えられる。
和名では、「久摺」、「久寿里」、「久須里」などと書いた。
釧路と名が定まったのは、明治維新後。
大分も玖珠ですけども、ここも釧路から、最初、「久摺」、「久寿里」、「久須里」というのは重要なんだという話があって・・という、釧路というのはそういうこと。初めて知ったんですけど、アイヌ語の本を見ていて。
北海道内の地名に関り深い松浦武四郎は、伊勢の国一志郡須川村(松阪市小野江)出身です。
蝦夷(えぞ)地と呼ばれた北海道が南下政策をとるロシアに狙われていると知り、1845年28才の時に、津軽の鯵ヶ沢港から船で初めて津軽海峡を渡った。
江差についた武四郎は通行切手をもらい、太平洋岸を知床岬まで探検し、翌年は松前藩お抱え医師の草履取りに扮して日本海岸を知床まで行き、2年がかりで一周に成功。この間に樺太(サハリン)を見聞した。
1849年、色丹、国後、択捉、今の北方領土を巡った。
1855年、幕府弘前藩から蝦夷地を上納させ、直轄地とし、江戸から武四郎を蝦夷地御用に命じた。3年後、役人として西蝦夷地を回り、新政府開拓使、開拓判官に任ぜられ、蝦夷地の地名を制定する。
北加伊道など六つあげ、北海道と命名された。11国86郡を置くことを提唱し、決定された。
現在もほとんど変わっていない。
関り深いですね。
武四郎はこの地で、アイヌの人々が互いに「カイナ」と呼びあっていることを聞き、樺太でもこう呼んでいるが、この山中でも同じだが、その訳は?とアイヌの人に訊ねた。
「カイ」とはこの国に生れし者のこと。
「ナ」とは貴人を指して旦那というように尊敬の言葉です。
つまり、「カイナ」とは この国に生まれしあなた様 という意味です。
“ 蝦夷人の みそぎなしける 天塩川 今宵ぞ夏の とまりをばしる ” と、1858年、「開拓も必要だが、アイヌ民族の救済こそ急務である」と幕府に訴えた。幕府は聞く耳を持たず、武四郎は書物に書き綴る。
新政府から地名制定を命ぜられると、 北加伊(カイ)道 を挙げる。
北海道がアイヌ民族の大地であることを示唆したものである。
名前というのは大事ですよということと、調べていて、釧路というのは玖珠と言霊で関りがあるんだなと思ったということです。それ以上のものは無いですけども。
『縄文文明』という本で小名木善行著、ビオ・マガジンです。
アメリカが日本を占領した時に、神話教育を禁止しています。
ということは、自分達の先祖を否定する事であります。日本の弱体化が目的であった。
日本人であることの自覚・意識を日本人から奪いとろうとしていた。
神代というのは、縄文時代 とか 弥生時代 とか区分をつけていますけれども、
日本における「神」の意味が西洋とまるで違う。
日本はそもそも「宗教」という言葉自体存在しなかった。
幕末になって「Religion」翻訳してはじめて生まれた言葉。
「僧門」「宗派」はあっても「宗教」という言葉自体はなかった。
西洋では人類を創った創造主、人類とは別の存在であるという概念。
キリスト教の神・悪魔は人類とは似ても似つかない。
神は人類のオーナーであり、所有者である。
所有権を持つ神と対立しているのが悪魔。
そういう考え方が西洋の方の神とか悪魔の考え方ですね。
これは、何が言いたいかというと、今学んでいるのはメシヤ様の御教えにおいても九千年前も人間の世界だったと。
毎朝拝読させて頂いている、『神格をいただく道』で「神とは完全なる人間ということである」とありますよね、こういうのを読む上に置いてもそこが大事なのかなと思います。
私達はそういう考え、天照大御神とか色々な神様の名前が出てきますけども、人間、人間として、両方合体しているような感じですね、神道の方と、西洋で言う創造主と。
それから、日本では自分の先祖をずっと遡れば神だという考えがあります。死んだら神様になるという考えね。お盆にはお墓参りをしてお祈りをする。
自分の先祖は自乗自乗で増えていきますよね。20代くらいまでは「我が家の先祖」といえるが、それ以上遡ると日本人の先祖はどこかで重なります。すべての家に共通した先祖がどこかで交わるんです。だから、「私たちにとっての神様は、自身と血のつながったご先祖の物語なんだ」と考えるのが、「かむがたり」。日本人にとっての「かむがたり」、神話。神話というのは、ご先祖の物語なんだと。皆、神様にたどり着く。
当然、天皇家を遡れば天照大御神様につながるような系譜になっている。
古事記の物語というのはそういう概念をしめしているんだと言えるんじゃないかなと思います。
繋げて考えてみました。
考古学会で、相沢忠洋(あいざわただひろ)という学者が、赤城山の麓で石器を発見しました。これは、3万年前の物だったそうです。それまでは、神武天皇の2600年前、それくらいだと思われていた。3000年前までは遡っていたけども、これが、3万年前になったわけです。
ちょうど、それが発見された時期というのが、G◯Qによって神話教育が禁止された時期と重なっています。
禁止されたけども、実際に明らかにされてきている。
隠していたものが、禁止しようとしても明らかになってくるという・・。
その3万年前の石器が磨製石器だった。
人類はもともと自然の石ころを石器として使っていた。ヨーロッパで「旧石器時代」と呼ぶのはそういう石器の時代のことなんだけども、石を削って道具として加工するというのは、「新石器時代」なんですね。そのまま使うというのと、磨いて道具にするというのは、文化的にとても隔たりがあるわけです。
石を削り、道具として加工するには分業が必要となってくる。分業が必要となってくると集団がだんだん大きくなってくる。150人以上の集団になると、コミュニケーションとしての言語が必要となってくる。伝えるということが必要となってくる。
それで、神話ということが・・伝えるというその言葉も発達してということがあって、石器というのを見ると、日本が西洋よりも、ずっと以前から磨いた石器があるということは、世界4大文明と言われるもっと古い時代、縄文時代というのは古かった、その頃から文明があったということ。それが、縄文文明。
「新石器時代」、道具として削って使ったという始まりというのは、世界では8000年前のシュメール文明からだといわれていまして、日本では3万年前にもうすでに新石器時代が始まっていたんだと。だけど、世界に対して波風を立てないように、日本の優秀性、日本から文明が始まったんだとG◯Qには言えないので、(この本ではそういう風に・・)、波風を立てないように、縄文と弥生の区分をつけなくてもよいのにつけていったということです。
縄文文明というのは、本当はシュメール文明よりも先にあった。
静岡県沼津に井出丸遺跡があって、3万8千年前の黒曜石を発見しています。
青森県の大平山元遺跡では、1万6500年前の縄文式土器が見つかっています。
シュメール文明が8000年前、日本が1万6500年前、8500年も前に日本文明が発展していたと、文明があったということなんですね。
縄文時代の遺跡というのは9万531ヶ所も発見されています。
「何が発掘されていないか」というのが、文明を解明する手がかりだと。
何が発掘されたかというよりも、何が発掘されていないかということ。
その一つが、「対人用の武器」。全く出土していない。日本の縄文時代の遺跡から全く出土していなかった。
矢尻が小さくて、小動物用の物。
人骨に外傷があるものもありますが、わずか1.3%で、明らかに矢が刺さった外傷というのは無い。
外傷のある人は事故で転んで頭を打っただけなのかもしれないと。
戦いで死んだ人というのはその頃はほとんどいなかった。
ということで、1万6500年前の土器(大平山元遺跡)は世界最古の土器だそうです。
中国の黄河は幅が何kmあると思います? 18kmあるんですよ。
揚子江というのは40kmあります。
それで、比べて欲しいのが、青森と北海道、津軽海峡は一番短いところで、18.7km。
だから、黄河に文明があるように、青森と北海道に文明があっても距離的には行き来しているわけですね。
両方とも遺跡が世界遺産になっています。
こういうことが、調べていてわかってきました。
昔は祈りというのは、人が集まることによって、祈りが発展してきた。
祈りの一番元というのは、食べ物が手に入ります様にとか、暮らしが上手くいきます様に、赤ちゃんが無事に生まれますように・・そういうことが祈りの始まりだったわけです。亡くなった時には、またこの村に生まれてきますようにとか、そういうことで、埋葬が出来てきた。基本というのは祈り。災害の事等も埋葬とかも繋がっているわけです。
それで、神様にお願いするものとして、土偶とか土製品が出来た。日本に埴輪とか多く出るというのは、神様にお捧げする、祈りの儀式の物だということです。
宗教の起源みたいな感じです。
これは、この本に書いてありますので。
「日本をかっこよく」 ということで、YouTubeでもやっておられます。
それと、縄文ということと古事記の関係したことが、神様が一杯出てきますので、色んな神様の名前を細かく云々というよりも、人間の神格化したものが神だと言われてきてずっと続いているということです。そういうことが、縄文を読み解けば分かってくる。それと、御教えでもくっついてくるんだなということ。
日本で起こった事が、縄文の文明が世界に行ったんだということも、ある意味、日本の優位性を言うことになるので、世界的には認めがたいかも知れないけれども、実際にはそういうことであったのかなと思います。
我々は学べばそういうことがわかってくるので、大変ありがたいことかなと思います。
最後に 『神格をいただく道』 を読んでいただきましょうか。
参加者
『神格をいただく道』
神とは、言い換えれば完全なる人間という事である。故(ゆえ)に人間は、努力次第で神にもなり得るのである。そうして、本当の宗教の行(や)り方は、一歩一歩完全人間、即(すなわ)ち世に言う人格完成に近づかんとする努力の生活であらねばならない。
然(しか)らば、完全人間とは如何(いか)なる意味であろうかと言うと、真理即(すなわ)ち神意を骨とし、人間生活を肉と見るのである。即(すなわ)ち如何(いか)なる不正にも誘惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵し、常に天空海濶的(てんくうかいかつてき)心境に在って、日常の言動は融通無碍(ゆうずうむげ)、時所位に応じて何物にも拘泥(こうでい)する事なく、千変万化身を処すべきである。又、規律を尊び、怠惰を嫌い、万人を愛し、人に接しては春秋の気候の快適の如(ごと)く、何事にも極端に走らず、人に好感を与える事を之(これ)努め、親切謙譲を旨とし、他人の幸福を念願し、人事を尽くして、神意に任せる態(てい)の信念を以(も)って進むべきである。
人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、斯(かく)の如(ごと)き人間こそ生甲斐ある真の幸福者と言うべきである。
勿論(もちろん)、信仰の妙諦(みょうてい)も是(ここ)に在るので、此(この)様な人間の集団こそ地上天国でなくて何であろう。
三救責任者
はい。
以上を持ちまして覚りの旅を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
司会
以上を持ちまして 4月度月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
三救責任者
月次祭おめでとうございます。
参加者一同
おめでとうございます。
三救責任者
いよいよ本日から『観音講座』を、1~7講座まであるわけですけども、7カ月かけて学ばせて頂きます。
『主神様とメシヤ様』に掲載されていない講座もあります。『全集』や、既に内部資料として令和元年6月15日発刊の『観音講座』を参考にされつつ、学んで頂ければありがたく思います。
『観音講座』を学ぶにあたり、○○先生が、まだ未完成であった『観音講座』の「はしがき」を執筆発表されております。始めに「はじめに」を読ませて頂きます。
はじめに
平成二十九年二月の立春祭並びに世界救世(メシヤ)教開教記念大祭において、○○先生は、メシヤ講座のはじまりを、
「“型どおりのホームページでは、皆さん方にメシヤ様の御教えの素晴らしさを伝えることができない”ということから、メシヤ講座をアップするというようになりました。このメシヤ講座の名称は『観音講座』から現代に・・・、観音様からメシヤ様に御出世遊ばされたわけですので、メシヤ様の教えを取り次ぐ講座ということからメシヤ講座という名前をつけてスタートしたわけです。」 と披露され、まだ未完成の、観音講座の「はしがき」をも発表されました。『観音講座』と『メシヤ講座』を現代に伝えていくことを強く望まれておられたのです。
内部資料としての発行ではありますが、『観音講座』を編纂した意味合いを知っていただきたく、先生が書き下ろされた「はしがき」を掲載させていただきます。「はしがき」の中の補足説明資料は、掲載しておりませんが、学ばれる上においては意識して拝読していただければありがたく思います。
はしがきを紹介する「はじめに」ということで、僕が書いた文章でした。
そして、その「はしがき」です。
「観音講座を現代に学ぶ」はしがき
観音講座と私が出会ったのは昭和五十七年のことでした。その時の驚きは今も鮮明に覚えています。まず、第一講座の表題『主神の御目的と天地経綸の真相』に釘付けになりました。それは、『世界救世(メシヤ)教教義』を暗記した学生時代から胸に秘していた疑問が氷解するかも知れないと期待を持ったからです。教義に御神名が明らかにされているにも拘わらず、参拝時の御神名が異なる理由は何か、というものです。そして、次の冒頭文章には心躍らされるものがありました。
『是(こ)れから説く事は世界の大秘密である。それを愈々(いよいよ)暴露するのであります。今迄は夜の世界であった。それ故諸々(もろもろ)の穢(きたな)い事が匿(かく)れて居(お)ったのであるが、観音様が此の世に現れた為に霊的に日が出た事になり、愈々秘していたことが目に見えて来た。』
幼少時に浄霊をいただくことで九死に一生を得た感謝はありながらも、信仰を続けても親戚関係をはじめとして私を取り巻く環境は悲壮なものでした。庄屋の家系として祖父は村の名士と崇められて晩年を迎えましたが脳膜炎を患い他界し、前後して財産を巡るお家騒動が起こり“人間世界はどうしてこれ程までに病貧争いに塗(まみ)れているのか”という悶々とした思いを拭いきれなかったのです。その原因も明らかとなり、暗夜に灯火を得ることが出来るかも知れないという高揚感が加わりました。更に何より
『主神が何の為に宗教を造られたかと言うと、宗教は弥勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落 をなさざらしめんが為の必要的限定的の経綸であって、主神は一方悪の活動を許容され、物質文化を開 き、一方其の悪に因る弊害を甚しくせざらんが為に諸々の人傑を出し、宗教なるものを弘通せしめ、善悪を巧妙に織られたのである。故に今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交りつゝ流転活動し、進歩し発達し来たのである。』
という一文を目にした際には、御昇天後の教団は神観、宗教観、世界観を整理しないままに勧めてきたので混乱を繰り返してきたのであろう、と思い知らされました。そして、拝読翌年に惹起した教団紛争の真因を理解するに至ったのです。しかも「○○○○委員会」指示推進の原動力ともなったのでした。
この著を著わす時期に『神が示したことを人間が理解を深めなかったために真の意味での御神業進展が出来なかった。』との御垂示を賜り、長年の疑問に対するお答えと現代的使命を自覚するに到ったのです。メシヤ様は昭和十年に神観を明らかにされましたが、当時の人々の神性が蘇っていなかったために主神様直系の結びの働きを担う観音様、光明如来様、弥勒大御神様を認識するに留まっていたのです。観音講座本文を学びつつ御垂示に沿って人間としての理解を深めたい所存です。
なお、観音講座口述は、昭和十年七月から九月にかけて行われていますが、口述筆記録は数種類確認されており、筆録者により、内容に若干の相違があります。筆記能力はもとより、神性の蘇りの度合いによって生じたことに起因されることが推測されます。また、メシヤ様御自身、帝国憲法化において天皇制に係る自由な御記述が不可能であったが為、若しくは相当の配慮を必要としたが為、意図的に表現を変えざるを得なかった箇所、又は十全な記述となっておらず補足説明を要する箇所もあります。これらについては、参考にさせていただける御教えを○○編纂委員が引用し囲み表記しました。下段には時代背景に対する判釈を○○氏が注記を行ないました。それぞれ「引用、注記の不備不適切があるとすればその文責はすべて引用者、注記者にあることをお断り申し上げます。」という姿勢で事に当たっていただきました。
《はしがきはここまで》
まだ、これは完成させてはおりませんけれども、このような形で『観音講座』の学びを深めさせていただくための製本作りに、今、着手したところであります。こうして主神様の御経綸ということを私達はより一層深く受け止めることが出来るようにお互いならせていただければ、これに勝ることはありません。
この『観音講座』に先生のはしがきを引用してさせてもらったということです。
『観音講座』を学んでいて、疑問のある箇所は『文明の創造』と比較しつつ読み込んでいただきたいと思います。昭和10年当時、発表が許されなかったことが、昭和27年には許されている。
あるいは、敗戦を経てG◯Qの影響をへて、宗教の自由が認められたとは言え、国粋主義、神道―ナショナリズム、を意識しなければ、何事も発表できなかったのかも知れません。それ故、『文明の創造』がメシヤ様御在世当時未発表だったとも言えるのかもしれません。
そういうことを意識して頂きつつ、『文明の創造』で学んだ事と比較しつつ、読んでいただければありがたく思います。
それでは、『観音講座』、『主神様とメシヤ様』の198頁ですね。読んでいただけますか?
参加者
『主神の御目的と天地経綸の真相 観音講座 第一講座 昭和10年7月15日』 拝読
三救責任者
はい、ありがとうございます。
どうですか?読んでみて。
参加者
難しいです。
三救責任者
ザっといきますと、
今までは夜の世界であった。
穢(きたな)い事が匿(かく)れていた。
観音様がこの世に現れ、霊的に日が出て、秘していたことが目に見えるようになった。
真理は簡単であって、経典やお筆先は難しくて判らない。バイブルも。それなのに、人々は有難がっている。
人間ですら判らないのに、霊になったら、お経はなお判らないでしょう。
この間違いを直して行く事が私達の務です。
座禅も、民衆に通用しません。
それは本当のものではないからです。
バイブルが判らないのは、外国語を直訳したからです。
日本の神道は古いのは教義がありません。
祭式、祈祷、呪禁(じゅごん)のようなものです。
教義の出来ている新興宗教も全部を判ることはできません。
◯◯物語は、何もしないで読んでも一ケ月もかかる。
はっきりしないから一般民衆を救う事ができないのです。
それは夜の世界で出来たからです。 (◯◯物語は夜の世界で出来たということです。)
今度観音様のことが判然とした時が光明世界であって、五六七の世について、全部明らかにすると観音様の御神業に障るから、歯痒(はがゆ)いけれども、今までのことを思えばはっきりとしているでしょう、わかるでしょう。
ということですね。昭和10年の時には、観音様の本当の事は明らかにすることが出来ないので、『観音講座』でこういう風に教えてもらっている。
それで、霊返しが出てきましたね。
岡田仁斎 は 「イ」 になる。
これは、分かりますよね?何回もやってきましたのでね。
参加者
うんうん。
三救責任者
分からなかったら、また聞いて下さい。
「天津金木」 が出てきました。
古事記の眼目は岩戸開きなんだということと、代々御位をおかされてきたんだということですね。
岩戸隠れをされたのは天照皇大神様、艮(うしとら)の鬼門へ押し込められた、御隠退されたのは国常立尊様。国常立尊様は幽界に行かれて閻魔大王となられた。
先程の霊返しで、「イスズ」ですけど、・・分からないですけど、
「イスズ」というのは、例えば、イ、 スを⦿ 、ズ ですよね、主神様を挟んでイズがある。イズに主神様が居られると、読めますよねと。伊都能売神が居られますよね、イズというのは。「イスズ」の解釈はそういうこともあるのかなと。「イスズ」の解釈で、ということは、「イスズ」の言霊の解釈だけとも限らないと思ってね。
だから、伊豆におわします 主之神様 でありますし、「イス」というのは五十、五十音ともとれる、「スズ」を詰めれば「ス」になりますからね、「ス」自体も五十音であり、言霊であり、主神様につながるものであるということが言えるのかなとも思いました。
私の勝手な解釈です。
「天津金木」ということが出てきまして、大石凝真素美翁のことは覚えていますか?
参加者
はい。
三救責任者
大石凝によると、宇宙の根源であり、生命の源であると。声の真理は日本語の言霊を通じて明らかにされる。神典としての古事記を読み、大石凝がたいせいしたとされる占いの法である、占法である、天津金木を使えば真理が明らかになり、正確な予言も出来る。
これは、 大石凝真素美翁について書かれたこと(大石凝真素美全集の中で、大石凝真素美翁を説明した文章)です。御教えではないですよ。
大石凝真素美全集というのを持っているのですが、「天地茁廴貫きの極典」という(スのいわれの文章が書かれている項に出てきます。)のがありまして、ここは先生が紹介して下さった、⦿(す)のいわれの文章、10月10日に読ませて頂いた文章ですね、そのことが書かれているわけですけども、そこに、ミクラタナの神様の事が出てきます。
三大暦儀(みくらたなのかみ) 。そこを読ませてもらいます。
其初伊邪那岐の神が三柱の大御神を産み玉ひし時に、
近江の国を斎庭(さにわ)と定め中央に於て、
北南に一線かくして、東部を顕界(たかまがはら)の御樋代(みひしろ)として、
三大暦儀(みくらたなのかみ)(太陽暦、太陰暦、恒天暦)を授けて、
天照大御神に詔(のり)玉はく、汝(な)が命(みこと)は顕界(たかまがはら)を知らせと因(より)て、
天照大御神は此国の最上部なる、いかごの宮に鎮まり玉ふ也
其西部は湖水(あめのまない)を保ちて幽界(うなはら)の御樋代(みひしろ)として
須佐之男命に詔玉(のりたま)はく、汝が命は海原を知らせと因(より)て
須佐之男命は当国の最下部なる坂本の一宮に、
鎮まり玉ひつつ、毎年十月節に至る毎に、三井(みい)を経て、
石山の麓なる剣泉(つるぎいずみ)を佩(は)き玉ひ瀬田の建部にたけび玉ふ也。
月夜見の命は夜(よ)るの食国(おすくに)を知らせと、因(より)て、此月夜見の命は
大造化産霊(あまつむすび)の眞を執り持ち玉ひて、天(あめ)の御影(みかげ)の神、
日の御影の神を結(むすび)て三神山(みかみやま)鎮まり玉ふ也(三神山は、三神造化の所也)
然(しか)り而(しこう)して大(いか)き主神(ぬしかみ)なる
伊邪那岐の大神は、大主神勅の多賀の宮に鎮まり玉ひて
御子神等(みこかみたち)の御行(みおこなひ)を照覧し玉ふ也。
これは、大石凝眞素美翁の文章です。
ミクラタナの神様について出てきていましたので、紹介させて頂きました。
「天津金木」についての昭和10年の御教えを、紹介させて頂きます。
天津金木(あまつかなぎ)は、天照大神様が押し込められしためお身代わりとしてお作りになり伝えられたるものにして、これが判れば、森羅万象すべてのことはみな判るのである。されど、いま書物などによってこれを知ることは絶対できないのである。昔は口伝えにより伝えられ、稗田阿礼(ひえだのあれ)まで伝えられた宇宙の魂のごときものである。私は、浦和にて古文書を見たるとき、霊感により知ったのである。私は五〇万年以前より五〇○○年前までの歴史を知っているのである。それは、神憑りになったとき知らされたのである。
昔の古い文書は神武天皇がお焼きになってしまったのであるが、そのとき、一人の家来が一部の物を持って逃げ、これを隠して土の中にいけ込んで置いた。それが今に伝えられた。これは、武内宿禰の家に伝えられ、例の○○教の武(竹)内家にあるものにして、武内家には、その中にあった三種の神器の本物を持っているのであるが、◯◯省に献上しようとしたとき◯◯省では受け付けなかったのである。
いよいよ大光明世界を建設するのは、二五年くらい後のことにして、 (・・この時は昭和10年なので、昭和35年になりますね・・) これは世界統一の時のことにして、日本だけなれば、まだ早くできるのである。
これは御教えを調べれば出てくるのでね。昭和10年4月5日の御教えです。
それと、これも何回も紹介していますけども、
立春祭の御講話の昭和29年2月4日、・・天津金木とは関係ないですけども、
三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。
観音講座第三講座の方にはですね、
国常立尊が天照大神から命ぜられた時が九千年前である。
三千年前とか九千年前とか出てきますけども、岩戸隠れが二回あったと思えばいいんじゃないですかね?国常立尊様が押し込められたのが、九千年前に御隠退になったとしたら、三千年前に天照大御神は岩戸隠れなさった。比喩とも言えますので・・。
一番重要なのは、「やっぱり人間の世界です」ということ。
人間の世界なので、人間が当然居たわけです。縄文とか調べていくと、1万年間も続いているわけです。
「やっぱり人間の世界」 そういうことだと思います。
話が飛びますが、もう一つ、「天津金木」のことで、関西巡業御講話、昭和28年のことですので、『文明の創造』を書かれた後になります。関西に御巡業なされた時に、京都劇場に於いて、昭和28年11月10日にバッジについて、
バッジについて、ついでだから話しますが、バッジにこうして丸がありますが、これはこういう意味になります。
これでは本当ではないのです。もう一つ貫いているのです。ですからこれを正面から見ると丸になります。そういう意味もあるのです。昔から神道のほうで非常に神秘とされている天津金木の法というのがあります。この天津金木というのは、古い板にそういったものをこしらえたのです。この四角いものをこういう具合に組んで、そうしてもう一つこうやるのです。こういうものを御神体のように祭ってあるのです。それで天皇が毎年正月元旦にそれに対して祈願するのです。そうするとその年のいろいろな吉凶禍福、そういったものが浮かぶのです。これはまた話が神秘な方面になりますが、天津金木の起こる前というのは、つまり玉座といって、真四角なのです。その時分は畳か板か分かりませんが、そういったものを作って、それは十文字の形になって、その真ん中に神様が坐るのです。それはつまり天照大御神様が統治されたときにそこに坐るのです。そこで目をつぶっておられると、その国のいろいろなことが分かるのです。それが天照大御神様がおかくれになって、その代わりとして天津金木というものをかかげたのです。それが神秘なことで、神道の根本になるのです。神道家でもこのことは知らないでしょう。そういうわけですが、バッジというのは、そればかりではありませんが、そういう意味もあるのです。
そういうことがあります。この真ん中にメシヤ様がお座りになるという・・・だから天照大御神と唱えたというのも繋がっていると言えますし。
色んな神様の名前が出ていますので、ややこしいかと思いますけども、一番は人間であったということですね。人間としてお生まれになった神様です、全部。古事記とかに出てくる。色んな名前で出てきますけど。そう思った方が・・・・・・・・・・・・。
国常立尊様が押し込められたのは、北海道だね。
北海道の名前を名付けたのは?
参加者
松浦武四郎
三救責任者
はい。松浦武四郎ですね。前にやったよね、三重だから。
「北加伊道」
北海道の地名はアイヌ語をもとにしています。
例えば、旭川 はアイヌ語の地名で言うと、チュプ・ぺッ。
チュプ というのは「日の」 、ペッ というのは「川」。
この川の水源は東にありて、日月の出る処故に名付けた。そういうアイヌ語の起源としてあります。
釧路 はアイヌ語で クスリ・クシュリ・クスル。
クシ というのは「超える」、または「通る」。 ル は「道」 と解釈される。
「超える道」、「通る道」と考えられる。
和名では、「久摺」、「久寿里」、「久須里」などと書いた。
釧路と名が定まったのは、明治維新後。
大分も玖珠ですけども、ここも釧路から、最初、「久摺」、「久寿里」、「久須里」というのは重要なんだという話があって・・という、釧路というのはそういうこと。初めて知ったんですけど、アイヌ語の本を見ていて。
北海道内の地名に関り深い松浦武四郎は、伊勢の国一志郡須川村(松阪市小野江)出身です。
蝦夷(えぞ)地と呼ばれた北海道が南下政策をとるロシアに狙われていると知り、1845年28才の時に、津軽の鯵ヶ沢港から船で初めて津軽海峡を渡った。
江差についた武四郎は通行切手をもらい、太平洋岸を知床岬まで探検し、翌年は松前藩お抱え医師の草履取りに扮して日本海岸を知床まで行き、2年がかりで一周に成功。この間に樺太(サハリン)を見聞した。
1849年、色丹、国後、択捉、今の北方領土を巡った。
1855年、幕府弘前藩から蝦夷地を上納させ、直轄地とし、江戸から武四郎を蝦夷地御用に命じた。3年後、役人として西蝦夷地を回り、新政府開拓使、開拓判官に任ぜられ、蝦夷地の地名を制定する。
北加伊道など六つあげ、北海道と命名された。11国86郡を置くことを提唱し、決定された。
現在もほとんど変わっていない。
関り深いですね。
武四郎はこの地で、アイヌの人々が互いに「カイナ」と呼びあっていることを聞き、樺太でもこう呼んでいるが、この山中でも同じだが、その訳は?とアイヌの人に訊ねた。
「カイ」とはこの国に生れし者のこと。
「ナ」とは貴人を指して旦那というように尊敬の言葉です。
つまり、「カイナ」とは この国に生まれしあなた様 という意味です。
“ 蝦夷人の みそぎなしける 天塩川 今宵ぞ夏の とまりをばしる ” と、1858年、「開拓も必要だが、アイヌ民族の救済こそ急務である」と幕府に訴えた。幕府は聞く耳を持たず、武四郎は書物に書き綴る。
新政府から地名制定を命ぜられると、 北加伊(カイ)道 を挙げる。
北海道がアイヌ民族の大地であることを示唆したものである。
名前というのは大事ですよということと、調べていて、釧路というのは玖珠と言霊で関りがあるんだなと思ったということです。それ以上のものは無いですけども。
『縄文文明』という本で小名木善行著、ビオ・マガジンです。
アメリカが日本を占領した時に、神話教育を禁止しています。
ということは、自分達の先祖を否定する事であります。日本の弱体化が目的であった。
日本人であることの自覚・意識を日本人から奪いとろうとしていた。
神代というのは、縄文時代 とか 弥生時代 とか区分をつけていますけれども、
日本における「神」の意味が西洋とまるで違う。
日本はそもそも「宗教」という言葉自体存在しなかった。
幕末になって「Religion」翻訳してはじめて生まれた言葉。
「僧門」「宗派」はあっても「宗教」という言葉自体はなかった。
西洋では人類を創った創造主、人類とは別の存在であるという概念。
キリスト教の神・悪魔は人類とは似ても似つかない。
神は人類のオーナーであり、所有者である。
所有権を持つ神と対立しているのが悪魔。
そういう考え方が西洋の方の神とか悪魔の考え方ですね。
これは、何が言いたいかというと、今学んでいるのはメシヤ様の御教えにおいても九千年前も人間の世界だったと。
毎朝拝読させて頂いている、『神格をいただく道』で「神とは完全なる人間ということである」とありますよね、こういうのを読む上に置いてもそこが大事なのかなと思います。
私達はそういう考え、天照大御神とか色々な神様の名前が出てきますけども、人間、人間として、両方合体しているような感じですね、神道の方と、西洋で言う創造主と。
それから、日本では自分の先祖をずっと遡れば神だという考えがあります。死んだら神様になるという考えね。お盆にはお墓参りをしてお祈りをする。
自分の先祖は自乗自乗で増えていきますよね。20代くらいまでは「我が家の先祖」といえるが、それ以上遡ると日本人の先祖はどこかで重なります。すべての家に共通した先祖がどこかで交わるんです。だから、「私たちにとっての神様は、自身と血のつながったご先祖の物語なんだ」と考えるのが、「かむがたり」。日本人にとっての「かむがたり」、神話。神話というのは、ご先祖の物語なんだと。皆、神様にたどり着く。
当然、天皇家を遡れば天照大御神様につながるような系譜になっている。
古事記の物語というのはそういう概念をしめしているんだと言えるんじゃないかなと思います。
繋げて考えてみました。
考古学会で、相沢忠洋(あいざわただひろ)という学者が、赤城山の麓で石器を発見しました。これは、3万年前の物だったそうです。それまでは、神武天皇の2600年前、それくらいだと思われていた。3000年前までは遡っていたけども、これが、3万年前になったわけです。
ちょうど、それが発見された時期というのが、G◯Qによって神話教育が禁止された時期と重なっています。
禁止されたけども、実際に明らかにされてきている。
隠していたものが、禁止しようとしても明らかになってくるという・・。
その3万年前の石器が磨製石器だった。
人類はもともと自然の石ころを石器として使っていた。ヨーロッパで「旧石器時代」と呼ぶのはそういう石器の時代のことなんだけども、石を削って道具として加工するというのは、「新石器時代」なんですね。そのまま使うというのと、磨いて道具にするというのは、文化的にとても隔たりがあるわけです。
石を削り、道具として加工するには分業が必要となってくる。分業が必要となってくると集団がだんだん大きくなってくる。150人以上の集団になると、コミュニケーションとしての言語が必要となってくる。伝えるということが必要となってくる。
それで、神話ということが・・伝えるというその言葉も発達してということがあって、石器というのを見ると、日本が西洋よりも、ずっと以前から磨いた石器があるということは、世界4大文明と言われるもっと古い時代、縄文時代というのは古かった、その頃から文明があったということ。それが、縄文文明。
「新石器時代」、道具として削って使ったという始まりというのは、世界では8000年前のシュメール文明からだといわれていまして、日本では3万年前にもうすでに新石器時代が始まっていたんだと。だけど、世界に対して波風を立てないように、日本の優秀性、日本から文明が始まったんだとG◯Qには言えないので、(この本ではそういう風に・・)、波風を立てないように、縄文と弥生の区分をつけなくてもよいのにつけていったということです。
縄文文明というのは、本当はシュメール文明よりも先にあった。
静岡県沼津に井出丸遺跡があって、3万8千年前の黒曜石を発見しています。
青森県の大平山元遺跡では、1万6500年前の縄文式土器が見つかっています。
シュメール文明が8000年前、日本が1万6500年前、8500年も前に日本文明が発展していたと、文明があったということなんですね。
縄文時代の遺跡というのは9万531ヶ所も発見されています。
「何が発掘されていないか」というのが、文明を解明する手がかりだと。
何が発掘されたかというよりも、何が発掘されていないかということ。
その一つが、「対人用の武器」。全く出土していない。日本の縄文時代の遺跡から全く出土していなかった。
矢尻が小さくて、小動物用の物。
人骨に外傷があるものもありますが、わずか1.3%で、明らかに矢が刺さった外傷というのは無い。
外傷のある人は事故で転んで頭を打っただけなのかもしれないと。
戦いで死んだ人というのはその頃はほとんどいなかった。
ということで、1万6500年前の土器(大平山元遺跡)は世界最古の土器だそうです。
中国の黄河は幅が何kmあると思います? 18kmあるんですよ。
揚子江というのは40kmあります。
それで、比べて欲しいのが、青森と北海道、津軽海峡は一番短いところで、18.7km。
だから、黄河に文明があるように、青森と北海道に文明があっても距離的には行き来しているわけですね。
両方とも遺跡が世界遺産になっています。
こういうことが、調べていてわかってきました。
昔は祈りというのは、人が集まることによって、祈りが発展してきた。
祈りの一番元というのは、食べ物が手に入ります様にとか、暮らしが上手くいきます様に、赤ちゃんが無事に生まれますように・・そういうことが祈りの始まりだったわけです。亡くなった時には、またこの村に生まれてきますようにとか、そういうことで、埋葬が出来てきた。基本というのは祈り。災害の事等も埋葬とかも繋がっているわけです。
それで、神様にお願いするものとして、土偶とか土製品が出来た。日本に埴輪とか多く出るというのは、神様にお捧げする、祈りの儀式の物だということです。
宗教の起源みたいな感じです。
これは、この本に書いてありますので。
「日本をかっこよく」 ということで、YouTubeでもやっておられます。
それと、縄文ということと古事記の関係したことが、神様が一杯出てきますので、色んな神様の名前を細かく云々というよりも、人間の神格化したものが神だと言われてきてずっと続いているということです。そういうことが、縄文を読み解けば分かってくる。それと、御教えでもくっついてくるんだなということ。
日本で起こった事が、縄文の文明が世界に行ったんだということも、ある意味、日本の優位性を言うことになるので、世界的には認めがたいかも知れないけれども、実際にはそういうことであったのかなと思います。
我々は学べばそういうことがわかってくるので、大変ありがたいことかなと思います。
最後に 『神格をいただく道』 を読んでいただきましょうか。
参加者
『神格をいただく道』
神とは、言い換えれば完全なる人間という事である。故(ゆえ)に人間は、努力次第で神にもなり得るのである。そうして、本当の宗教の行(や)り方は、一歩一歩完全人間、即(すなわ)ち世に言う人格完成に近づかんとする努力の生活であらねばならない。
然(しか)らば、完全人間とは如何(いか)なる意味であろうかと言うと、真理即(すなわ)ち神意を骨とし、人間生活を肉と見るのである。即(すなわ)ち如何(いか)なる不正にも誘惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵し、常に天空海濶的(てんくうかいかつてき)心境に在って、日常の言動は融通無碍(ゆうずうむげ)、時所位に応じて何物にも拘泥(こうでい)する事なく、千変万化身を処すべきである。又、規律を尊び、怠惰を嫌い、万人を愛し、人に接しては春秋の気候の快適の如(ごと)く、何事にも極端に走らず、人に好感を与える事を之(これ)努め、親切謙譲を旨とし、他人の幸福を念願し、人事を尽くして、神意に任せる態(てい)の信念を以(も)って進むべきである。
人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、斯(かく)の如(ごと)き人間こそ生甲斐ある真の幸福者と言うべきである。
勿論(もちろん)、信仰の妙諦(みょうてい)も是(ここ)に在るので、此(この)様な人間の集団こそ地上天国でなくて何であろう。
三救責任者
はい。
以上を持ちまして覚りの旅を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
司会
以上を持ちまして 4月度月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
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