令和3年8月1日
覚りの旅  令和3年 8月 月次祭を終えて

多様性と調和

(三救責任者)
皆様、月次祭おめでとうございます。
連日オリンピックで熱戦を繰り広げております。
東京オリンピックのテーマはご存知ですか?
「多様性と調和」 です。 
この多様性ということにつきましてはメシヤ講座でもしばしば取り上げられました。
どのようにかと言いますと、人類の抱える諸問題は多様化している。地上天国建設の要は「現代の諸問題を解決する」ということと、「問題解決のあり方を示す」ということだと。
諸問題を集約する「時代苦」は御在世当時と異なり、複雑かつ多様化してきている。「病貧争」というハッキリとした区分で掌握できなくなっている。御教えはネット上で公開されておりますが、それを現代にどのように活かしていくかということを示していない現状であるということを言われております。
例えば『霊主体従の法則』で生きていかないといけないんだよと、いくら説明しても相手の問題は解決していきません。人の話をよく聞くことが大切なんだと。人の話を聞くうちに相手の問題点が明確になっていく。相手は喋っているうちに、私はここが間違っていたんだと気付くようになる。
その気付いたところへ光を当てていくのだと、御教導賜りました。
そうすると御浄霊をいただく姿勢というのは、メシヤ様に、自分自身がこういうことに気づいて、そして今、このように改めて生活していこうと考えておりますので、それが順調に行くように、お浄めいただけますようにという気持ちでいただかないと、その人の人生というのは変わっていかないんだと、問題は解決していかないんだと。
それからメシヤ様に繋がると、自分自身がやってきたことを振り返ることができるので、その振り返った分だけ変わってきます。これが『霊主体従の法則』によって変わってくるんだと。
今回のテーマの『霊主体従』を多様化している現代の諸問題をどう解決していくかということにスポットを当てて現代に活かす方法をメシヤ講座で教わっていたのです。
もう一つの「調和」ということでは、令和3年3月の「覚りの旅」で、神様は霊、人間は体 であるから、霊と体と調和すべきであると。これは 神様との、あるいはメシヤ様との共同作業ということに繋がっているのだと学ばせていただきました。
入信ホヤホヤの頃、手にされた 『天国の礎』 に、 『調和の理論』 という御教えがあります。

『調和という言葉は良い意味で使われるが、考え方が浅い。
大宇宙の一切は、悉く調和していて寸毫の不調和はない。
人間の目に不調和に見えるのが表面だけの事。
不調和とは人間が作ったものであって、その原因は反自然の結果である。
大自然から見ると反自然によって不調和が出来るのが真の調和であり、これが厳正公平な真理である。
人間が天地の律法に遵いさえすれば、万事調和がとれ、順調に進むのである。
不調和を作るから不調和が生れ、調和を作るから調和が生まれるのが自然の大調和であるとしたら、人間はこれを深く知ることで、これによって幸福者となるのである。
不調和(小乗的) → 調和(大乗的)
不調和というのは小乗的、調和というのは大乗的。だから調和から不調和に変わっていくというのもよくある。』

調和というのは、大宇宙とか自然に対して御教えでは使われております。
人的交流を止めるとか、外出制限をするとか、というのは今の状況ですけども、不自然なわけですよね。そういう意味でいくと、ワクチンというのも不自然なわけです。血を汚してしまいます。血を汚すと霊が曇ります。霊が曇ると浄化します。これが自然な流れです。ですから、今の状況でいっても自然免疫が一番ですよね。不自然なことをして病にかかるより、 浄化作用を受け止めてですね、お一人お一人の体験から振り返って、自分の言葉で不自然から不調和を引き起こしていることを伝えていくべきではないかと思います。

それでは本日のテーマ 『文明の創造』 「霊主体従」 の拝読をお願い致します。

『文明の創造』 「霊主体従」拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。

挨拶も含めていきますと、

図1

3-8-1

最初にオリンピックの話をしましたよね。オリンピックのテーマというのは『多様性 と 調和』。

図2
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多様化する現代の諸問題を解決。
解決の在り方を示していかなければいけない。

図3
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それから、霊体の調和ということで、調和ということから、今ちょうど『霊主体従』ですけども、霊体調和していかないといけないんだよということが出てまいりました。

図4
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霊が主で、体が従となっているのが万有の法則。これが『霊主体従』の御教え。

図5
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で、今回のテーマは『霊主体従』ですよと。
今の話を要約していくと、

図6
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病気というのは汚物の排泄作用なんだと。
今まで学んだ事の続きの中で、今、『霊主体従』をやっていますので、その話も含めていきますけども。

図7
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現代医学の欠陥というのは、霊を無視して体のみを対象としていることなんだと。

図8

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毒素排除作用の・・、体内に溜まった毒素の排除作用の伴う苦痛ということを、今の世の中では病気と称しているんだと。ですから、病気こそ浄血作用。血をきれいにする。
だから、全部血液。体としては血液が関係してる。

図9

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何ヶ月か前、『肺炎と結核』という学びをしましたけども、痰が固まると・・・固まった痰というのは腐敗していくんだと、腐っていくんだと。そうすると、微生物が発生します。それが結核になっていくんだと。如何なる物質も腐敗するでしょう。腐敗すれば微生物が湧くのは必然ですと。

図10
3-8-10

肺患と薬毒ということでは、薬を多く使うので、薬毒が、薬が身体に溜まってしまうと。溜まりに溜まってどうにもならなくなると、薬毒を・・。それを除る方法というのは浄霊法がありますよと。
これはメシヤ様から与えられた力ですので。

図11
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それで、人間と病気。
病気とは人間の健康を保持するための神の最大なる恩恵なんだと。病気というのは神様の恩恵ですよということを学んでます。

図12
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で、無機質界。神霊界と科学界の間の空白を埋めてるのが無機質界と言います。
無機質界というのは目に見えない世界であって、科学と神霊界の繋がりの存在。これを繋ぐための、要は霊というのは神様と科学界を繋ぐものであるよということを言ってます。
科学を否定しているわけじゃないということを分かって頂かないといけないという事です。別に否定しているわけじゃないんです。見方が間違っているんですよと言ってるだけで、科学についても。
顕微鏡が発達すれば霊も見えるようになってくるわけであって、今、微生物、ウイルスとかも見えるようになってるわけですので。

図13
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霊と体ということで、霊界は無機質界とも言いますよと。
霊は見えません。体の方は見えます。
霊界が曇るというのは、体で言えば垢が溜まる。垢が溜まったら入浴しますよねという事で、そうすると、例えば、体ばかりでなくて自然界ですね、暴風雨とか洪水とか火災とか震災とか、そういったものについても要は霊界の曇りによって、引き起こされているんだと。だから、そこの人の誰がというんじゃなくて、全体的に地域に溜まっていた曇りとかがあるので、そういうところに発生してくるんですよということです。自然浄化作用と言います。
だから、曇りの原因というのは霊自体に発生するものもありますし、体から移写してくるものもあると。体から移写してくるものというのは先程の薬とかを入れて血が濁ると浄化するので、それというのは霊の方へ反映していって、また自分の病気となって戻ってくる。

図14
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さっきの魂・心・霊という三段階になっていますよという事で、善より悪が多ければ多いだけが罪穢となって魂を曇らせるんだと。その魂の曇りというのが心へ反映して、心というのは霊へ反映して、色んな事となって起こってくるんですよという。

図15
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で、濁血とは薬剤。薬毒によって病気が作られます。現代医学の治療方法自体が、病気を作っているんですよと。

図16
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万有の法則は霊が主で体が従。
病苦は霊の曇りさえ解消すれば、濁血は浄血と化し、全治しますと。
ということで、 浄霊 、霊を浄めるという方法を私達は学んできました。

それで、『天恩地惠』1ページ目の…『霊主体従』のテーマでしたので、『霊主体従』について。
これは未信者さんと対談されている内容です。6行目から読んでみますと、

『人間は霊と体との両方で成り立っているのです。ところがその霊を認めないのです。医学というのは体を根本にして研究しているのです。しかし私の方では霊主体従と言っているのです。つまり、人間一人ひとりの中心は魂ですが、魂というのは霊界に属していて、体は現界に属しているのです。この霊界というのは現界と同じで層になっていて、その層は百八十段ありそのどれかに魂は属しているのです。たとえて言えば地獄にあれば、貧乏、争い、忌まわしい悪いことばかりがあり、だんだん上に行くに従ってだんだん良くなって、真ん中の中有界というのは、良いこともあるし悪いこともある中位の所です。それを越すと天国になりますが、ここは良いことの方が多いのです。良いことばかりが流れているのです。そこで人間に曇りがあると、罪によって、下の地獄に行きますから、地獄のすべての影響を受けます。そこで貧乏で苦しむということも、そういった下段の方に影響されているわけです。籍が下にあるからです。そこでその籍を上にすれば、そういう忌まわしいことが少なくなるから、貧乏やいろんな苦しみはずっとなくなるわけです。だから籍を上にすれば、嫌でも良いことばかりが来て、悪いことは来ないというわけです。そこはそういうようなことになっているのですから、しかたがないのです。貧乏もそういうわけです。今の人間はみんな地獄にいますから、それをだんだん上に引き上げなければならないのです。ですから救世教の信者はみんな貧乏をしなくなります。
(真山氏)では救世教の信者はみんな、病気もないし貧乏もしてないわけですか。
(メシヤ様)しかし最初はありますが、だんだん年限が経つとそうなるのです。
(真山氏)それは、どういうようにして引き上げるのでしょうか。
(メシヤ様)魂の罪が減ればよいのです。つまり、罪の重荷と言いますが、その罪を取れば軽くなるから上がるのです。
(真山氏)どういたしましたらその罪が取れましょうか。
(メシヤ様)浄霊によることと私の本を読むとかすることです。それは光が出るからです。私の方で発行する新聞の活字から光が出るので、それを見る人があります。

だから、浄霊と御教え拝読という事を一般の未信者の方に分かりやすく話をされていると思います。

タイトルをやっていこうかな。
2ページ目は、『霊主体従』の順序 ということで、 物事を進めようとして行く時に絶えず見ておくこと! ということで、

霊主体従の順序
箱根と熱海だったら、箱根が霊で熱海が体という関係になっていまして、それも順序があると。先に箱根の整備をして、次に熱海という順序があるんだよということを・・。
これは箱根とか熱海のことで言われていますけども、色んな事が順序、霊が主で体が従という順序が狂ってくると上手くいかない事があるので、何かそういう事が起こった時にはですね、きちんと順序が正しかったかどうか、そういう事を見る必要がありますよという事を、ここで言っています。

物事を進めようとして行く時には、その『霊主体従』の順序であるかということを絶えず見ておかなければいけないという、そういうことをメシヤ様は教えていただいている、ということであるかと思います。

それから、 『霊主体従』は長い歴史に関わる御教え ということで、
よく先生が言われていましたけども、人間の進化論、71行目に

(楳木先生)例えば、私達が、蛇やトカゲを見て、気持悪いと思ったり、恐いと感じたりするのは、ずっと遡って行くと、恐竜時代に、哺乳類として生きていた頃の、踏みつぶされたりした記憶が遺伝子の中に残っているからだと言われています。という事は、メシヤ様の御教えは、霊主体従の法則というものは、ものすごく歴史の長いスパンの中で、出て来ている御教えだという事なのです。

(三救責任者)
これは、ウイルス自体も人間がウイルスを体に取り込んだからこそ胎盤が出来たんだと。胎盤の出来た進化の過程において、体の中で子供を育てるようになったのは、コロナのようなウイルスを体に取り込んで、それが進化を与えるわけですね。それは新聞記事にも出ていましたし、あと、脳の発達の過程においてもウイルスによって変化があった。その歴史の長いスパンの中で、ウイルスというのは必要性があって人間界に関与してきてるわけです。必要だったんです。だから、絶滅してないわけですね。色んな事、形変えて、それは別に自然に。昔は薬がまだ無いのでね、まだ胎盤のできない頃の話ですから、外敵から守るためにウイルスを体に取り込んで進化。それによって進化して、胎盤が出来た。また、脳もそうだったということが。これも科学で解明してきたことではあるけども、そういう目に見えないものであって、今だからこそウイルスという話だけど、昔のその頃は何もわかってない時代ですから、そういう頃の人間というのは自然界と調和してきたということ。
そこまで、こういう『霊主体従』の話を御教えに書いてあってもですね、そういう話をする人というのはほとんどいないので、御教えできちんと話をされていますよという事です。
だから、科学と私達が学んでいる御教えというのは、最後まで科学が進歩してくればですね、ずっと一致してくるわけ。
目に見えない世界のことを解いてるのでね。
それがだんだん見えるようになってくるんだと。

それで、3ページの82行のところ、

自分自身を振り返った分だけ変わる
(楳木先生) 実は、メシヤ様に繋がると、御教えを求めるようになると、自分自身がやってきたことを振り返ることが出来ますので、その振り返った分だけ“変えていこう”と思うと、変わってくる訳ですね。これがね、『霊主体従の法則』によって変わってくる訳ですので。このことが、皆が、変わっていかないといけないですので、そういう信仰をですね、この出張所を中心にやっていただきたいと思います。

89行は、
かけがえのない体験から解かる『霊主体従の法則』
(楳木先生)これは、御教えからゆきますと『霊主体従の法則』ということになります。受胎は、夫婦の愛の営みによって許されるものではありますが、趣向の変化というところから見ると既に魂が宿っていることが解ります。

魂が宿っているからこそそういう趣向の変化があるんじゃないですかと。

この魂が本日ご参拝した主神様の分け身魂なのです。その魂が欲するので、母体の食べ物が変化するのです。つまり、魂である霊的なものが主になるのです。そして、それに肉体が従ってゆくのです。こうしたことを『霊主体従の法則』と教えられていますので、どうぞこの機会に覚えておいてください。

『宗教と科学の一致』の根底は神観の確立
(楳木先生)『宗教と科学の一致』の根底にはその神観の確立がなければなりません。そうでなければ、この度のヒッグス粒子確認の意義も把握することができませんし、今後の方向性も見出せません。また、人類の研究がここまで来たので更なる最小化が目睫に迫っているのです。つまり霊子の領域です。そこに達してこそ『霊主体従の法則』を科学的に理解できるのです。私達は、こうした神観の確立に基づく考え方の、その普遍化に努めてゆかねばなりません。これからも弛まぬ努力を重ねさせていただきます。

次の106行のところ、 
『無機質界』を先月学びましたけども、そこに、 
『一新紀元を劃(かく)する』
(三救責任者)
『一新紀元を劃(かく)する』 との記述について、浜松で次のようにメシヤ講座を頂いております。
「おひかり」なしの浄霊、宗教宗派を超えて浄霊力を授けることが出来るようになったことが、新世紀を迎えたという意義付です。
そして、入会のお世話として、『霊主体従』は教習で皆様方から未信者さんへお話しして頂きたい内容として取り上げておられます。

で、その 『一新紀元を劃(かく)する』 という御教えからですね、 『一新紀元』とは何だ?ということで、今まで御守りとかお光という事を掛けることによって、という事で来ましたけども、新紀元を迎えてですね、御光無しで浄霊が出来るようになったんだと。
それは画期的な事ですので、物を介さずに直接メシヤ様と・・。メシヤ様と唱えて、神様と繋がれば浄霊ができるんですと。
このことが 『一新紀元を劃(かく)する』 という事ですよと、随分前に学んでるわけです。
新紀元と言うのは、メシヤ教が発足してですね、先生が御光無しの浄霊ということを推進すると決めてやって来た浄霊力拝受、お光を入会という形で授けるのじゃなくて、誰でも出来ますよという事で、そういう話をしてきた、そのスタートの時点を ‶新紀元と意義付ける″ と、先生ご自身がおっしゃっておられたのだという認識を持っておいていただきたいと思います。
これは今の『霊主体従』とものすごく結びついているわけですので。
先生の頭の中にこういう論立てがあってですね、浄霊力拝受の活動を展開しておられます。
時代が下って、御神体の御奉斎と入会と絶対条件となったのは御存じのとおりです。
僕等の頃はそうでは無くて、この浄霊力拝受、受けて浄霊すること自体は誰でも、入っていても入っていなくても出来ますよと。で、そういう活動に協力していくんだと、自分も誰かにこういう浄霊力を、御光無しで浄霊をどうですかという話を推進していくことに協力していくということが、入会でありますよということの話で、入会教習を組み立てておられます。
私は、その先生のその頃の活動が好きですし、その御精神というのは
だから、ちょっと変わって来たけども、そういう意味を大切にしないといけないので、メシヤ講座というのはそういった初めの頃のをしっかり読んでおくべきかなと思います。意味合いを理解してね。


そういうことと、その流れの中で123行から

『現代文明の一大転換を捲き起し、人類史上空前の一新紀元を劃(かく)する事となろう』と。
この『一新紀元』ということが21世紀であるということ。
そして、皆さん方に21世紀になったときに、「おひかり」がなくて、『宗教宗派を超えて浄霊力を授ける』ということを、浜松支部を出発点に始めましたね。これが一新紀元をかくしたということです。
一新紀元をかくしたのは、「おひかり」がなくても『メシヤ様にお祈りすれば宗教宗派を超えて浄霊力を授けることができる』という、その新世紀を迎えたのだという意義付けをもって生活していただきたいということです。
で、最初にできたのが、この浜松支部なのだというふうに意義付けして進んでいただきたいと思います。
このように、『メシヤ様の御名を唱えれば、宗教宗派を超えて浄霊力を授かる』という御啓示の下に進めてきた現在ただ今の取り組みが『一新紀元を劃(かく)する』ということなのです。

ということで、この頃いろんなところからの問い合わせが殺到していた頃で、 入会のお世話についてということで、こういう内容を話して下さいよ、ということをメシヤ講座・特選集の方で先生は纏められておりまして、その中で『霊主体従の法則』が、教習で理解していただきたい御教えの一番に上がっています。それは、浄霊力伝授ということと、密接に関わっていますし、メシヤ様の御教えの中の中核の部分であるということかと思います。
それでこの機会に、入会教習的な内容の、先生が特選集にあげられている部分を、何号かに渡って掲載されていたのを『天恩地惠』に集約しました。これは、浄霊力伝授とかの時に、未信者さんに対してお話しして頂ける内容になっているかと思います。
この『霊主体従』の話しを未信者さんにされる時に、こんな風な話し方をしたらいいんですねという纏め方になっているのだと受け止めて頂ければと思います。

救霊祈願祭について
今回の『天恩地惠』の一番最後のまとめに、救霊祈願祭について掲載いたしました。
平成13年に、玖珠のある処に建立された「塚」の慰霊祭を、先生が斎主をされて、行っています。
「今のこのコロナ禍で行けないんです、気になってるんです。」という話があったので、皆さんと話をしてですね、どういう形がいいんだろうかということで、考えた経緯が書いてあります。
救霊祈願祭という形でさせていただくことになりました。
この前、『救霊・慰霊』について御教えとメシヤ講座、その他の資料を編纂しました。
その中でも、浜松は新盆という事で7月なんですよ。こちらは8月ですよね。そういうことがあって、慰霊、盆の時はずっと「善言讃詞」を奏上した方がいいですよという話とか、御教え集を纏めたわけですけども、その中で、遠隔でも墓参りができませんかという話があった場合は?などの話もありましたので、こことここの御教え、何番と何番を読んでおいてもらったらいいですよ、という話でここに掲載したわけです。ダブっているかと思いますけども、そういう意味合いで、考え方・・御教えはこうだよ、メシヤ講座でもこういう事ありますよという話をさせてもらって。
画一的ではないので、こうじゃなきゃいけないって言うんじゃないので。
今もコロナの状況で県外へ出てはいけないとか言われた場合に、どうしたらいいんだっていう事は、今までなかったわけで、こういう状況でどういう考え方をしていったらいいだろうかということ、慰霊についてもね。そういうことで考えたわけですね。なんていうかな・・救霊祈願祭という形にしたと。
本来御教え上では、御文字にかかるので、仏壇のお位牌のお文字ですね。そこで、慰霊祭というのはさせてもらう。墓だったら墓でもそうですね。それが本来なんだけども、そういうことが叶わない場合は?ということだったので、こういう風にしたと思って欲しい。だから、何でもかんでも、行けるのに・・安易に考えるのは・・・。行けるようになったのに、前にこうやったよね、とかいうようなことを言う人がいると思いますが、それは先祖様に対して話しして本当に納得して頂けたのか。そこの辺ですね。
御教えでも「墓参りに行かなくとも、善言讃詞をその霊に奏げてやる気持ちで奏げる。
そうすると離れていても霊へは届く。」ということが990行のところにも書かれておりますので、色んな御教えというのがあって、自分が周囲の状況を把握して整理した上で、それがだから、先程出てきていた自分の人生を振り返る。振り返るということです。
今回僕も話を聞いて、そこの家庭に関わることじゃないの?と。最初、そう思うじゃないですか?だから、そこの家がやったらいい話でと思うんだけど、僕に質問が来たという事は、これは何か意味合いがあるのかなと思って調べた。そういうことで調べていったらですね、諸々の関連性が見えてきたのです。

(中略)

ある資料に、菅原道真公の供養をされたということと、御釈迦様も最後の仏滅の時に一旦日本に来て、その礼を言いに来たのかな、で、見送りをしましたよということが書いてありました。今回、天神様ということと、この菅原道真公の供養の話が頭にあって、何か関係あるのかなと思ってもうちょっと深く調べていったら菅原道真公というのはご存知のごとく大宰府に左遷されたんですね、ある人がチクってというか、天皇に讒言(ざんげん)というか、色々言って、そういうことで太宰府へ送られた。太宰府へ行く途中で刺客に襲われるかも知れないからといって何か月か留まったところが玖珠だったんですよ。

(参加者)
くす?

(三救責任者)
玖珠。先生の所。玖珠ね。
これ(天恩地惠26ページの写真)、玖珠ですよ。
この話からね。色々調べていたらそういう・・菅原道真公も色んなことを言われて左遷されたその想いというの?その想いというのがずっと残ってて、それがあまりにも怨念が強かったので、雷とか雷雨とかになって人々を苦しめるもので、天皇家はじめ皆困って、天神様として祭り上げて神様にして、そういう災いというのは無くなってきた、慰霊する事によって無くなってきたというのが天神様であるわけですから。
ここで、今の自分達に起こってきた事と、そういう過去に色んなこと、何でかということを調べていくと繋がってきたので、やっぱりそういう祈願というのは大切なんだなと思います。

それで、令和の時代の始まった時にですね、これは私の挨拶文ですけども、令和ということ自体がですね、意味合いを調べていきますと、万葉集の出典で、これはテレビで何回も放映されていますので

梅の花の宴会(歌会)の序文である事、楳木先生のお名前の和麿の「和」のお文字が入っていることに吃驚いたしまして、さっそく万葉集を調べてみました。
九州の大宰府に師匠を慕って集い、宴会、歌会を催すのです。
そして思い思いに語り合う、みんな非常に良い気持ちになります。満ち足りるのです。
昔の人も梅の花を見て楽しみ語り合った。今も昔も変わらないではないか。
膝を突き合わせて語り合おうではないか。そういう情景を詠んだ序文なのです。
ハッとさせられませんか。お前たちもいろいろあるだろうが師の家に集まって語り合えと。今のメシヤ教の状況を憂えて先生が元号にまで働きかけたのかと思ったのです。

というような話をさせてもらいましたけども、そこでも太宰府ということですので、菅原道真公の何等か関係していたかもしれませんという事と、842行の左遷という所を見るとですね、今の玖珠へ左遷されたというのがあって・・。847行

都から大宰府へ向かう時、刺客を避けてしばらく玖珠の地に滞在するのです。
そういう縁もあって道真公が大宰府で延喜3(903)年2月25日亡くなると供養を始めたのが玖珠の菅原天満宮です。

救霊祈願祭と言っても、させて頂くことは一緒で終わった後で、天津祝詞、善言讃詞を奏上して、御浄霊をさせてもらうという事だけではありますけども、そういう何でこういう事をしているのかという事を想いを馳せることが大事なんだよという事ですね。自分たちが今まで、何事も全部学んでるわけですので、それをどういう風に組み合わせして自分の生活の中に活かしていくかということ、そのやり方を今後皆さんとともにですね、考えながらやっていけたらいいかなと思います。
全ていろんなことはもう教えられてる。メシヤ様も御教え下さっている。先生からも御教導賜った。
それを現代に活かすのは私達というわけです。
ですから考え方の一つを今回ここに掲載させてもらったということです。

『霊主体従』というテーマにピッタリだったなと思います。

(参加者)
深い! すごいなぁ。

(三救責任者)
何かあって調べていくと繋がってくるよ。遡れば遡るほどね。今も何代も遡ってますからね。皆関係してきますよ。その関係性を因縁とか御神縁と捉えることが出来るかどうかですよ。自分に関わってきてそこへ分かる人に向かって霊界から、神界からいろんな形で知らせてくるので、それをキャッチできるかどうかだと思うので。何かあった時にこれは何かを知らせてきてるのかなと、どういうことかと、こういう御教えとかをめくりながら、どういうことかということを自分の腹の中に落として、何を求めてるのかというのを考えて行くという事が大事かなと思います。

(参加者)
うんん。

(三救責任者)
遠隔浄霊でも出来るという事は、今は浄霊する気持ちというのは先程のことですと、その塚の霊に届くようにと、霊に対してじゃなくても人間に対してもですね、来てる人に浄霊をすることによって、その人に繋がっている霊線があるので、その霊線で誰々に届くようにという思いというので浄霊をすればいいと思いますし、それは浄霊力を授かったら誰でもできるわけで、どういう形でやらせてもらうかと決めて出来るわけであって、そういう事を学ぶいい機会になったのかなと思います。

では、終わらせて頂きます。

司会
以上をもちまして、8月度月次祭、並びに一日祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。