メシヤ講座no.103浜松(平成21年8月)より

月次祭が一番大事

(参加者)
今回のメシヤ講座を孫と読み合わせをしました。その中に「最も重要なものが各支部・各拠点の月次祭です。神様が人間に合わせて最も御力を下さる日だからです。」とありましたので、孫にそのことを話しました。どこまでわかっているかはわかりませんが、読ませていただいて学ぶことができました。

(楳木先生)
なるほどね。「そういうところがわかったかもしれない」とか「どこまでわかっているかわからない」という考え方を捨てていかないといけませんね。参拝の姿勢については、しょっちゅう言っていかないといけません。特に月次祭の前日は、〔必ず言う〕とそのようにして育てていかないといけません。そうしないと大人が“一回言ったからもうわかったでしょう”というような気持ちを持つと腹が立ってしまいます。だから子供が「あ」という言葉を身に付けつけるまでに、親は何万回も言うわけですから。ですから、何回も何回も教えていかないとわからないことなのだという構えでいかないと「いつまでもわからないね」ということになってしまいます。

なぜ月次祭の時に「おめでとうございます」というか知っているでしょ?何がおめでたいのでしょう。

(参加者)
今まで無事に何事もなく生活できて今日を迎えられておめでとうございますということではないかと思います。

(楳木先生)
それも一つあります。で?あのね、お祭りの語源と言うことを話したことがあると思います。その一つに祭りというのは、真に釣り合うと書きます。=真釣り

これはなにが釣り合うのかというと、神様と人間が真に真釣り合うのだけれども、どういう風に真釣り合うのかというと先程の事になるのですが人間側の都合というのが一つはあるのだけれども、私の出張の関係で第二日曜日に浜松支部の月次祭をさせていただこうというように、これは私の都合に合わせていただいて皆さんが日程的に決めてもらって、毎月第二日曜日に月次祭をさせていただくという事を決めて、神様に御奉告させていただきます。すると、『それでは浜松の場合、第二日曜日に一番光を授けよう』という風に神様の方で準備をしてくださるのです。

そうすると、今度は、これは人間の都合で決めた月次祭だけれども、一旦そのように奉告すると、神様の側からすると、第二日曜日の月次祭に光を一番注いでくださって、みんなに力を下さる訳です。

そういう風に決った以上、人間の一ヶ月の生活は第二日曜日に合わせて毎月動いていくような生活をしていって、そして旅行の計画や法事、結婚式など様々なことがあるのだけれども、「第二日曜日だけは必ずここへ来よう」という風にみんな準備を重ねて、諸事情を乗り越えてくることが出来て、初めて神様と人間が真に釣り合うことが出来る、神意と人間のそういう思いが釣り合うことが出来るのです。釣り合うことが出来たので「月次祭、おめでとうございます」と言うのですよと、十何年前にお話しています。(笑)

(参加者)
メシヤ教が出来る前の話ですね。

(楳木先生)
そうですね。ですから聞いていない人もいますね。だからそういう風に〈万難を排してこの浜松支部に集まることができて、おめでたいことですね〉ということです。ですから“真釣り合い”ということを覚えておいてください。

では何故神様はそのように御力を下さるのかということを考えていくと、私達は日常生活の中で、結構毎日生活に追われています。

例えば子供がいると、今は夏休みですからそうでもないかもしれませんが、何時に起こして、朝ごはんを食べさせて、着替えをさせて学校に送りださないといけないと、そして次は幼稚園に、というようになってくるともう追われることが多くなります。

しかし人間というのはやっぱり正しいことをいつも心に思って、正しいことを貫いていかないといけないという、そういう存在だということが自分自身もわかっているので、少しでも課題を乗り越えていこうというように心掛けるのだけれど、やはり壁にぶつかってしまうことがあります。そして「私って弱い人間だな~」「駄目な人間だな~」「育てられ方が悪かったのかな~。やっぱり親が悪いんだ(笑)」なんて様々な言い訳を考えてしまいます。そして「だからこんな自分なのよ~」とか考えてしまいます。でも、こうして月次祭に来て話を聞くと「いやいや、親ではなかった。私が原因だったのよ~。私という魂がしっかりしないといけない。」というように思い直してまた進んでいく。すると、また一ヶ月が過ぎていくと、いろいろな思いがもやもや起きてくるので、それを月次祭ごとに一つは話を聞いて修正していくということと、それから壁をどうしても乗り越えられないときに神様というのは人間の正しい願いだけは必ず聞かないといけないという人間的に言うと掟があるのです。破ってはいけないのです。よこしまな願いは聞かなくてもいいけれど、正しい願いだけは叶えないといけません。

正しい願いをかなえてあげる時に、その願いを叶えてあげるのではなくて、本人が自分の願いを叶えるための力を神様は下さるのです。壁を乗り越えるときにはお尻を上げてはくれません。壁を乗り越えるためには、肉体的に言えば筋力や跳躍力がないと越えられませんから、その跳躍力を鍛えるための力を下さるのです。神様がヒョイと乗り越えさせては下さいません。そういうことが可能になるための最善の力を下さるのです。これが信仰の一番ありがたいことです。

 

【御教え地上天国四号 昭和24525日 神に愛される】

『信仰の妙諦を一口に言えば「神様から愛される」事である。「神様の御気に入られる」事である。然らば神様はどういう人を愛されるかという事であるが、それは後にしてその前に先ず知っておかなければならない事がある。それは本教団の使命である。此使命たるやキリストの曰った世の終り、又は最後の審判、釈迦の言われた仏滅の世という時節が愈々迫り来った事である。之に対し神様や仏様は大慈悲心を発露させ給い、此世の大峠を一人でも多く無事に乗越させようとなさる事で、其方法として神様はどういう方法を御採りになるかというと、勿論人間を通して行わせられるのであって、その重大な任務の担当者として選ばれたのが私であると思っている。

何しろ未だ聞いた事も、見た事もないようなドエライ使命であるから、一介の凡人たる私として、些か荷が重過ぎるように思わざるを得ないのであるが、ただ委任の当事者が大変な御方で、世にも素晴らしい神様と来ているのでどうしようもない。まさか断わる訳にもゆかないという訳で、最初は随分疑っても見、反抗もしてみたがテンデ歯が立たない。神様は私を自由自在に操り、踊らせるのである。或時は有頂天に喜ばされ、或時は奈落の底へ落とされるような目に遭わされた事は一度や二度ではない。然しながら其度毎神様のなされ方が実に幽玄微妙にして、何ともいえない妙味があり、嬉しいような有難いような全く人生の醍醐味とでもいうのであろう。言葉では一寸言表わせない。恐らく此感じは世界中私一人だろうと思わずには居られない。

偖(さ)て、之から本文に取掛るが、最初に述べた通りの神様に御気に入られるという事は一体どうすればよいか。之が一番肝腎である。先ず神様の御気に入られるには神様の御嫌いな事はやらない事で、その反対に神様の御気に入る事を一生懸命やるようにする事である。之は誰でも常識で考えても判るように神様のお嫌いな事といえば道に外れる事で、即ち嘘を吐く事、他人を苦しめる事、社会に迷惑をかける事などである。処が今日の人は他人がどうなっても自分さえよければよいと思い、それを行動に表わすのがあまりにも多い事である。之が一番いけない。これでは神様のお気に入る筈がない。之に就て自分は今神様のお気に入られているか、或は嫌われているかという事を知らなければならない。それならどうして判断するかという事であるが、これを知る方法は実に簡単で、何等の手間ひまも要らない。すぐ判る。それを書いてみよう。

自分はどうも思うようにゆかない。物質に困る、仕事が発展しない、人の信用が薄い、人があまり寄って来ない、健康も面白くない、之ほど一生懸命にやっているのにどういう訳だか判らないという人がよくあるが、之こそ神様の御気に入らないからである。神様の御気にさえ入れば仕事は面白いように運び、うるさい程人が寄って来る。物質は使い切れない程入って来るという訳で、世の中がとても面白くなるという訳である。

之でほぼ判ったと思うが、斯ういうような幸福者となる事こそ初めて信仰というものの価値があるのである。故にせっかく信仰をしながら幸福がもし摑めないとしたら、必ず自分の心に原因が潜んでいる事を覚るべきである。』

 

(楳木先生)

やはり自分がまっすぐ歩んでいって正しい方向に進んでいこうという、そういうものに対して神様は力を下さるのです。その力を最大限に下さるのが月次祭なのです。ですから月次祭にくるというのは、信仰をしていく意義と同時に、信仰していく上において一番力を下さる月次祭を大事にしていけばその人は必ずいい方向に進んでいきます。それを今日また新たな気持ちになっていただいて、月次祭を大事にしていただきたいと思います。

だから先程外科医が言った話のように、血管が詰まったり、動脈瘤が出来たりしてどうしてもふさがった時には、医者は血管を切って繋ぎます。しかし繋ぐと言っても数か所パチッパチッと留めるだけなのです。しかもあとは自分の体が修復するのです。自分の体が修復する時にまた薬物を使ってしまうとまた新たな動脈瘤を作ってしまう可能性もあるのだから、そのときにしっかりと浄霊をしながら浄めていくと、血管が本来の形に繋がっていくのです。そういうものなのだという見方を持っておかないといけません。その浄めていく力を神様が自分に一番大きく下さるのが月次祭です。

そして、日常は御神体にお参りして力をいただきます。そういう意味でここに短い文章ですが体験記を載せたというのはこれからもいろいろな取り組みをしていきますが、やはり月次祭が一番大事であると言うことを受け止めていただきたいために、今回は最後に載せてあります。

今回はガンとか病気の仕組みについて少し触れているように、すべて自分の細胞なのです。元は。それが薬物などによって突然変異を起してがん細胞に変わり、増殖していくのです。ですから薬物の入らない生活をすると共に、元々は自分の健全な細胞だったのですから、バランスがとれれば健全な細胞になりますので、そのバランスをとるために浄霊が不可欠です。ですから浄霊だけで、変なものばかり食べていると浄霊でよくしている一方でがん細胞を作っていってしまうのです。浄霊がなくて良いものは食べていればがん細胞は出来ないけれど、もう既に出来てしまったがん細胞があるときには治りようがありません。そのときには浄霊をしてバランスをとって元の細胞に戻っていけば良いのです。ですからトータルで人間生活が変わっていかないと健康体を許されないので、是非浄霊を心掛けていただきたいと思います。そういう方々のためにガンの仕組みについて何行かに書いておきました。