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覚りの旅 平成312月度 勉強会を終えて

20190220

「浄霊と幸福」拝読

【御教え】「浄霊と幸福」地上天国三十四号 昭和二十七年三月二十五日

 

浄霊とは幸福を生む方法

三救責任者

浄霊とは幸福を生む方法であり、浄化というのは、病気、貧乏、争いに現れてきます。病気というのは浄化であって、霊の曇りの解消作用を言うのです。不幸の原因は霊の曇りなのです。そして、人間一切の苦悩の無くなる作用が病気なのです。だから、病気は悪いものではないわけですね。今の人間は、悪くとらえてますけども、病気ととらえるか、浄化作用ととらえるかということは大きな違いですね。

病気、貧乏、争いが浄化の表われなのですが、命に関わるから病気が一番重要です。

不幸の原因は霊の曇りであって、それを簡単確実に解消するのが浄霊ですので、浄霊は大変有難いですね。だからタイトルは『浄霊と幸福』なのですね。

 

霊層界

三救責任者

人間の運命の根本は霊界ということを、『霊主体従』『霊層界』の御教えで、今まで学んできました。

霊層界の構成は、上・中・下、天国・中有界・地獄、60段ずつあると。

この60段がまた3段階に分かれて20・20・20、全部で180段あって、一番上に主神様が御鎮座されて181です。

霊層界の上に、自分の魂が居れば、天国・天人であって、歓喜悦楽です。

一般の人間というのは、中有界・八衢(やちまた)といって、現界に相応します。普通の暮らしですね。自分の霊が地獄の方におれば・・。一番下はまた最低地獄でこれ以上ないほどの苦悩に満ちた世界なのだそうです。それが人間界に表れてくる。霊の位置が人間界に表れてくるので人間界においては苦境のドン底になってしまいます。

これは、絶対に変わらない法則なのです。信じる人も信じない人もおられるでしょうが、自分達はメシヤ様を信じているので、メシヤ様の説かれていることは信じているということです。

その人の居る段階そのままが運命ですので、一段でも上に行くよう心掛けるべきです。上になる程益々苦しい忌まわしい事がなくなり幸福は増すのですね。

それは、浄化すべき苦痛の必要がなくなるからなんです。上がっていけば浄化しなくても・・浄化というのは自分の曇りをとってもらう事です。曇りがあるから浄化するのであって、その曇りが取れていけば浄化しなくても良くなってくるのですね。上へ行けば行くほどね。しかし、上がるには浄化が伴います。だから、逆に言えば有難い事ですよね。病気をいただいて、浄化して、曇りを取ってもらうんだから有難い事なのです。

霊身が下段にある間はどんなに智慧をふるい、骨を折っても、霊主体従の法則で反映してくるということは、一生懸命体の方であがいても結局は良い事をして上がってない限り人間界に表れてくるわけです。いくら智慧を絞ってもこの霊層界によるのですからという事が書いてあるのです。

それは神の天則であって、霊主体従と言います。この霊主体従の法則というのは厳として冒す事が出来ないのです。

『神格を頂く道』の実践と浄霊で霊を浄めて霊籍を向上させる。それが幸福への道につながるのです。

まずは、このことを、念頭に置いておいていただきたいと思います。

 

節分祭・立春祭に関して

「天津祝詞・神言のてほどき」より

三救責任者

3日・4日、節分祭・立春祭ということで、その辺の事を今までブログを上げた中から話をしていきたいと思います。

先程、天津祝詞を奏上しましたね。天津祝詞、これは「手ほどき」(本)にも書いてあります。

ここから、ブログにあげたわけです、神言とかの話と、これもそうですけど。

天津祝詞でいきますと、

高天原に神留り坐す 神漏岐神漏美の命以ちて・・神漏岐・神漏美っていうのは、高皇産霊神・神皇産霊神、霊・体、善・悪と。この神様は天界に居られて地上に下りては居られません。神様で、主神様の直系で、主神様が一番最初に作られた時に、神様を、その時から善・悪、霊・体を御作りになられたわけです。そういうことが、この対比で分かるんですけども。

命以ちてですから、命様のお言葉で伊邪諾尊。命以ちて、皇祖神である伊邪諾尊様が御禊祓いした時にお生まれになったと。で、祓戸の大神等、これは祓戸の四柱の神。祓戸の大神等って書いてあるね、天津祝詞に。この四柱っていったのは 速佐須良比売神・速秋津比売神・瀬織津比売神・気吹戸主神、これは、神言に出てくる神様ですね。神言では御一人ずつ働きが祝詞の中におり込まれてますけども、天津祝詞ではまとめて祓戸の大神等って。だから、諸々の枉事罪穢を祓う神様っていうことが分かります。

で、祓戸の大神というのを現実的に当てはめてみると、メシヤ講座の浜松でご教導賜りましたが、お働きを人間の体に当てはめると腎臓に当たるんですよと。祓戸の大神っていうのは腎臓に当たります。これは、血液を祓い浄めて、血液を美しくしますね。血液を祓い浄めるということは腎臓の周りの余剰尿を外へ排泄するという事。で、血液が美しくなると頭がさえ柔軟性が出てきます。美しくなるという事で病気症状を修復していくんだと。ですから、添加物を入れない食生活で血液をきれいに、腎臓を柔らかくしていくんだよという事を祝詞の中におり込まれてるんだよという風に意識した方がいいですねっていう事。現実に当てはめると血液の浄化という事です。

節分祭の時に奏上する神言のことも出てきます。

ここに書いてある内容でいくと、神漏岐神漏美の命以ちて、また出てきましたよね、高皇産霊神・神皇産霊神、この産霊(むすひ)っていうのは、これは生成化育の根本の力を表しています。皇親(すめらがむつ)というのは、皇祖神、祖神(おやがみ)様、天皇の元、一番元のことを皇親(すめらがむつ)。

「すめら」は別の意味でいくと統一するという意味があります。心が澄むとか、という「すめら」。清浄であるという事ですね。

「むつ」というのは睦まじい、和の徳とか、そういう意味があります。

で、八百万(やおよろず)って出てきましたね。「八百万神等・・」この、八(や)っていうのは 弥(や)にも通ずる。いよいよたくさんのという意味があります。

言霊が大事なので、発音が。漢字というのは聞いて当てはめるんですよ。昔は、ホツマの時代はまたホツマ文字という違う文字だったんですけど、アという字がこの〇にゝになるように違う文字だった。で、中国から漢字が伝わってくる前というのは発音だけだったんですね。字が無かったので当てはめたわけですね、中国の文字を。中国の文字を当てはめたので色々な漢字が出てきますけども、発音なんですよ。

神言の書かれている紙を広げて見ながら

これは本居宣長の。

 

三救責任者

本居宣長記念館というのが松阪にありますよね。僕が放送大学に行ってた時に、そこの吉田館長という人が講師をしてくれたわけ。本居宣長記念館へ行って面接授業を受けた時に、この本があったので買ってきたのです。今、役に立つと思わなかったんだけど。これは(神言が書かれている紙)はここに(本)に入ってた。

言霊一つずつ当てはめてるという事です。

この話は「宣長さんと大祓祝詞」という事でブログにアップしましたけども。

言いたいのは、漢文じゃないよという事ね。日本の言葉を、発音してたのを、平仮名が出来る前ですから、中国の漢字を借りて当てはめたよと。そういった中でやってる人の意味合いの中でこの文字を当てはめようかと選択していくので、人によってそれぞれというのがあるんですけども、これはこういう風に宣長さんがとらえたっていう事かな。そういう意味合いがありますよと。

という事で、今の「八」も「弥」という風に当てはめるときもあるよという意味です。言葉の「や」という意味の中に、そういう色んな意味が含んでる。その人の感性によって書く使う字が違ったよというのがあるので。

我が皇御孫命(あがすめみまのみこと)、我の最愛の直系のお孫という事です。最愛の直系のお孫という事であって、祝詞には誰とは書いてないんですね。通説ね、一般の学者たちが言うにはニニギノミコトかなと。それは今の天照から神武につながる、ニニギノミコトが降尊。高天原から降りて高千穂にっていうことから言ってるだけで、ニニギノミコトとは書いてないです。

で、さっきの祓戸の神出てきましたよね、ここに。

祓戸四柱の神、瀬織津比売・速秋津比売・気吹戸主神・速佐須良比売。

瀬織津比売というのは、「せおり」さっきの言葉の・・これは織という字が書いてあるけども、「瀬下り」と読んだ場合、水流、水の波紋が綾を織りなすという意味があるのかな。罪穢れを海に押流す。流れで浅瀬の石が磨かれるように磨き合いとぎすます神の御徳という働きの神様。名前が働きをあらわしてるので、神様の名前というのは。

速秋津比売、「秋」と書いたり「開」と書いたりしますけども、「速」という字は迅速にとか速やかにという意味。「開」という字は大きな口を開いて呑み込むという意味があるそうで。

何をって、罪穢れを素早く呑み込んで一切を清く明らかにするという意味合いの神様。で、信仰というのはこの神様のように大きい度量を以って、相手の失敗をいたずらに責めず咎めず、それを呑み込み許してやるべきであるという、これはここに書いてあることね。

気吹戸主、「気吹戸」これが地脈の下、海底であって、根の国底の国の中間。

中間。気吹戸から先というのは地獄になるよということね。そこに居て人の息をするその呼吸音に意志が働いて歯や舌、あごに当って息が出るね。息が出る時に言葉になりますと。その言葉は自分の生命を保つ、「保の息」というのかな、生命を保つための息、呼吸することによって人間は生きていられるので、この息に意志が加わって発するものでありますと。だから、自分の意志が神様の御心に叶った正しきものであれば言葉も美しくなるべきでしょうと。そういう働きがあるんじゃないかと、この気吹戸主には。

だから、祝詞というのは大事ですよと。その意志を言葉に乗せるから。

速佐須良比売、この字というのは「さすら」をどうとらえるかによって違ってくるんですねサスル、擦するの敬語でもあるわけ。そうすると、全ての罪穢れを磨擦、磨き上げてその穢れを消して、もとの正しい姿やあり方に浄めるよと、そういうのがこの速佐須良比売の役割・働きであると。

散らし失せしめて一切の罪穢れを無にする、迅速に、そういう意味があるんですよという事ですね。この神様の御神名を唱えるという事は・・

参加者 すごいことですねぇ・・

三救責任者

すごいこと。全部たまってきた罪穢れを流してくれる、そういう思いであげるべきなんですよと。それで、これは自分の考えが入ってますけども、

人類の祖神「カムロギ・カムロミ」のお心とそのご命令によって始められた地上の歴史ですと。ここ、書いてある話ね。で、祖神の理想というのは地上天国建設ですよと。これもここに書いてある。じゃぁ、誰っていう話だったら、あまりややこしく考えずに主神様って考えたらいいんじゃないのと。主神様が派遣したんだから主神様と。御教えの中でも「親方が・・」と出てくるじゃないですか。祖神様でもあるわけですから。で、すべての神々が何等異議をさしはさまない立派な神人を中心として地上経綸が行われていくということで、色々、「神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて」お遣わし下さったのは誰?と言ったら、僕等が考えればメシヤ様しかないでしょって思うんです。そこは一つも書いてないけども、ニニギノミコトに摩り替ってるんじゃないかと思うんです。ニニギノミコトというのは中国から来た神様。攻めてきた方。だから、歴史がすり替わってしまってるよと。神言というのは、後の天孫族によって作られたってことかもしれないし、天津祝詞自体は大和民族の方で作ったというのがある。そのもっと後になって大祓祝詞ができてるので、本来の歴史と摩り替ってるところがあるので、その辺も意識しながら、だから今言ったみたいに通説のニニギノミコトとして考えてしまうと、ちょっとはまってしまうところがあるので、僕等は素直に一番尊い創造主の主神様がメシヤ様を遣わした。それで、地上天国を建設していくんだという事ですから。地上天国建設していく人は誰と言ったらメシヤ様ですよね。て、思うんです。国常立尊ですよ。メシヤ様=国常立尊だからね、ややこしいけどね。(笑)

参加者 (笑)

三救責任者

結局、尊い、僕等から見たらメシヤ様、遣わしてくれたんだと思った方がシンプルですよという事です。

参加者 メシヤ様はこの神言の事に関しては・・

三救責任者

天津祝詞というのは大和民族の系統にあたる神様が作られたと。昔からあったと。

その大分後になって大祓祝詞が出来たという事ですから、これをそれ程言ってるわけじゃない。それは、遣わされて許す側の立場であって、先生が言われてるのはね。

じゃ、先生は何故節分祭にあげてきたかと言ったら、あげなくなった理由というのが、これはメシヤ様が作られた祝詞じゃないからと言ってるけども、お詫びする私たちにとっては、お詫びする気はないのかという事になるので、そこのところでこの祝詞の意味をしっかり解ってあげるんであれば当然それはお詫びになるので、そういう意味です。だから、節分祭をしないところというのはお詫びする気はないのか?という話です。というか、何も勉強せずにやってるあなた達は何をお詫びしてるのとなるじゃないですか?だから、勉強するべき。

参加者 じゃ、〇〇教では年末に?

三救責任者 分からない・・。〇〇ではそうだったんで。

〇〇で昔からあげなくちゃと思ってる人は大祓祝詞としてとらえれば・・。もっと、詳しく言えば、大祓祝詞というのは6月にあげるのが本当なんですよ。遡るとね。6月に祓いをする。大掃除というのは6月にしてたんです。それが、半年ごとという事で12月にもすると。「12月はこれに倣い・・」と書いてあるから、6月の方が主だったんです。

参加者 へぇー、そうなんですか。

三救責任者

6月にはやらなくなりましたので、一つ、その一つと言ったら何時かと言ったら、神様を押し込めた節分祭だから、節分祭としての内容的に意義あるでしょうというとらえ方なんですね。それは国常立尊様がメシヤ様であるという事を分かったら、当然押し込めたということに関わる。何時だと言ったら、23日にこの祝詞をあげて、大祓いですから。それをやって立春を迎えるというのが筋でしょうと。

それは僕も前々から、〇〇先生のとこに行ってる時に、国常立尊様の事を立春の御教えという事でやられてるので、そこでは「本教の主宰神は国常立尊様です」とはっきり言われてるので、そこを分かっておられて言われてるわけですね。だから、その時に国常立尊様の事を分かってた〇〇関係の人ってどれだけいたのかなと思うのです。

それで、先生が23日に節分として国常立尊様を押し込めた、素戔嗚尊も内容を見てると関わってきますけど、そういう事でやられてるんだなと分かったので、繋がったわけです。そういう意味合いがあってやってたと。

だから、〇〇教の方の理解は分かりません、僕は、今となっては。あの頃はやってなかったからね。ただ、零時参拝の時にはやった方がいいよって、大祓祝詞という事でやるんだよと。だから、〇〇でも年に1回零時に集まって・・。

参加者 零時参拝はありましたねぇ。

その時が神言だったかは覚えてないです。

三救責任者

神言なんですよ。

参加者 お詫びとか、そういう意味も全然ね、何も・・。

三救責任者

意味わからずにやってるから。

ただ、これは僕等は勉強したよ。研修担当だったから。善言讃詞の勉強とかしたので、そこの内容については勉強してる。その時には、こういう風な関係は分からなかったけど。ニニギノミコトはニニギノミコトとしてとらえる。で、祝詞の言霊で、年を経て罪穢れが、枉事というのは溜まってくるので、神様を押し込めて加担した、見て見ぬふりをした、浄め、お詫び、審判という事ですので、これを祝詞に込めてお詫び、祈りの言霊を、そうすると神々の活動が始まるよと。だから、尊い祝詞ですので、磨けた魂の持ち主が誠をこめて唱え奉ると威力があるんですよと書いてある。今言ったことの繰り返しになりますけども、書写するとそういう事が段々頭に入ってくる、という事で、書写してみました。

たかあまはらにかむづまります すめむつかみろぎかむろみのみこともちて

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 

やほよろづのかみたちを かむつどへにつどへたまひ かむはかりにかはりたまひて あがすめみまのみことは

八百万の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫之尊は 

とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたひらけくしろしめせとことよさしまつりき

豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き

まず、ここで切れるのね。七つに分かれてる。

参加者 途中で切れるんですか?

三救責任者

意味合いでいくと。

そうすると、これ七つ書いたわけです。で、そこに書いてあるのを抜き出したという事で、

一つ目が、(一)皇孫が地上に降臨されること が書いてあります。

これは、高天原におられます祖神様(おやがみさま)、さっき言った高皇産霊・神皇産霊の神様のお言葉によって八百万の神様をお集めになったと。で、会議をお開きになってご相談された結果、その最愛のお孫様に地上統治をお任せになることになったと。その地上は葦が乱れ茂り、悪の横行している世界であるが、やがてこの神様によってみずみずしい稲穂が実り、人々が心楽しく平和に暮らせるようになるだろうとの期待を持ってお任せになりましたと。

ということで見た時に、お任せになったお孫様って誰?という話。

メシヤ様だと思いましたという話。

次のところがね、(二)騒乱の地上平定のこと

地上の秩序を乱し暴れまわっている神々に早く改心をしなさい、と問いただし、言う事を聞かないものを追い払い、退去させ、多くの泣き騒ぎ争うものを鎮めて世の中を平穏になされた。そして、いよいよ天にある玉座を離れて下向されることになり、幾重ともなく重なり合っている密雲を勢いよく押し分けて降臨するようにとご命令になったのである。

荒ぶる神が居たら行って「何でそんなに暴れるんだ?」と言って、「改心せよ」と言って、説いて平定していったよと。

天孫族側の事と見たら、また話しが違ってくるからね。

攻め寄せてきて殺したという事をきれいな言葉で書いてあるという事かもしれないよ。だから、見方によって変わってくる。自分は、メシヤ様が一生懸命説きふせて、ご苦労されたんだなと思ってやった方が気持ちがいいからそういう風に。見方によって違うよという。

それから、(三)宮殿御造営と罪の発生のこと

地上の四方の国々の中から最も太陽の光を豊かに高く仰ぐことのできる日の本の国を平和な地上天国建設の地と定めて、ここに宮殿をつくるべく大地に深く太い柱を打ち立て、天空高く千木をそびえさせた、立派な麗しい宮殿を御造営になられたのである。そして、祖神の守護を受け平和な楽しい国となすべく、統治された。しかし、その国の中に生まれ増え、生々発展を約束されている人々が、時が経過するにつれて、悲しくも色々の罪を犯すようになった。その多くの罪は信仰的に言えば神様に対する罪、人に対する罪であるが、人々は神様から自由が与えられているがゆえにそれを悪用して、こうした沢山の罪を犯すようになるのである。

要は、メシヤ様であられる国常立尊様が九千年前平定したわけですね。一旦、国常立尊様が治めてた時代があった。これは御教えにありますから。国常立尊様とすると、悪を許さないということですけども、だけど人間は自由を与えられているから色んな事を自由気ままにやるようになってきたという罪が、たまってきましたよと。長い年月の間に。そういう事を言ってるわけですね。

次、(四)罪を浄むる神事のこと

このように多くの罪が発生したならば、高天原で行われているような罪を祓う神事に倣って、小さい木の枝の元を切り、末を断って、適当な長さにそろえ、たくさんの台座の上にいっぱい置き重ね、また、菅や麻の根元の方と先端の方を刈って捨て、それを針で細く切り裂いて、それらによって祓いの行法を行い、さらに祝詞を奏上しなさい。

「太祝詞事を宣れ」ってこと。要は、行法を行って祝詞を奏上しなさいって書いてある。色んな罪穢れを祓う行法を行って・・

参加者 ぎょうほう(行法)・・?

三救責任者

修行というか、そこを僕は浄霊ととらえるわけです。天界でどういう風な行法を行ったって書いてあるということだけども、菅や麻や色々あるけども、自分達で言えば祓うという行法が大事なんですよという事。普段の行法、それも浄霊であり、御教え拝読でありじゃないですか。自分達に置きかえれば。そういう事を常にか、前日にか分からないけども、やっていて祝詞を奏上しなさいと。で、天津祝詞を奏上して、神言を奏上しますという事です。

で、(五)神々の罪を浄めたもうこと ということで、

このように奏上すると、天津神々は、天界の堅牢な門を押し開かれ、天空に幾重にも重なりあっている雲を、勢いよく押し分け押し分けてお聞きくださるであろう。また、国つ神々は高い山や低い山の頂上に登られ、その高い山や低い山に、もやもやを立ちこめている雲や霧をかき分け、押しのけてお聞きくださるであろう。天つ神々、国つ神々は、あらゆる罪という罪は、消えて無くなれと、ちょうど強い風が重なり合う密雲を吹き飛ばしてしまうように、また、朝夕立ち込める霧や霞を、朝夕の風が吹き掃ってしまうように、さらには、大きい港につながれている大船の船首のもやい網や、船尾のとも綱を解き放って、その船を大海に押し出してしまうように、ないしは見渡すかなたに繁茂している木々の根元を、よく焼のはいった鋭利な鎌で、スッパリと切り払ってしまう様に、そのように、沢山の罪穢れをひとつも残ることのないまでに、祓い、清めくださるのである。

色々比喩が多いので分かり難いんですけども、そういう事をいってるんですね。きれいさっぱり祓い浄めてくれるでしょうと。要は、行法を行って祝詞を奏上したならばって。この祝詞かもしれないし。

で、(六)の 祓戸四柱の神お働きの事。

これが今の祓戸の神の事が書いてある。

このように祓い清めてくださった罪穢れを、さらに高い山々、低い山々の頂上から水が勢いよく流れ落ちたぎりたち、さかまいている激流の浅瀬においでになる瀬織津比売という神様が、大海原の方まで押流されるであろう。すると次には渺茫(びょうぼう)たる大海洋上を走っている、幾筋もの潮の流れが寄り集まって渦巻いているところにおいでになる、速開都比売という神様が、その罪穢れをガブガブ海底へ呑みこみ、まきこまれるであろう。このように、海底深くまきこまれた罪穢れを、気吹戸主という神様が ―この神様は海底から地底の根の国底の国に通ずる門戸においでになる― はげしい息吹きで、根底の国に吹き払われるであろう。そうすると、根底の国におられる速佐須良比売という神様がすばやくそれを一切無に帰するようにどことも知れず捨て去ってくださるのである。

と、四柱の神の事が書いてある。すごい神様だよという事が、これで分かる。

比喩が多いんですよね。

最後に(七)浄化を祈願する祈りの結び。

このように、罪穢れをすっかり無くしてくださるならば、私どもこの世に生きておる者の、肉体にも心にも、罪というものは一切無くなるであろう。どうかそのように、お祓いくだされ、お浄めくださるようにお願い申し上げることをお聞き届け賜るよう、謹しみ畏み言上する次第であります。

ということですから、この祝詞を奏上する、奏上していること自体がお詫びしてるという事。

お詫びお詫びって何?って、祝詞の意味合いですよと。

今まで自分に曇りが溜まってきた事を祓ってくださいってお願いをしてるんだから、何が?とかの前にこれをそれまでに考える時間というのは必要だと思いますけども。お詫びって何?って言ったら、この事自体です。

参加者 それをあげれるって、涙が出そうやね。

参加者 本当、こんなに深い。

三救責任者

事でしたという。

 

艮の金神による現界的裁きより

三救責任者

閻魔大王が出てきました。艮の金神による現界的裁き。何でかというと、節分祭は閻魔大王が関係してるからね。「今度はこの世の閻魔と現れるから」国常立尊様はメシヤであられ、閻魔大王であられる。「神はこの世の閻魔と現れるぞよ」ともある。これは昭和25年の御教えです。で、閻魔大王というのは霊界における検事総長みたいなもので、最高裁判長みたいなもんなんです。で、「この世の閻魔と現れ」というんですから、審判、現界的裁き、要は現実的世界で閻魔様が現れて裁きを始めるよと。だけど、いい人は怖くないんですよね。いい人は観音様に見えるから。閻魔大王は観音様でもあるわけですから。優しい働きが観音様、怖い働きが閻魔大王、国常立尊様の方。国常立尊様は善悪ピッピッピッとやる。観音様は救ってくださる。あんまり厳しいとやってられないだろうと言って観音様を遣わしてくれたわけですから。両方の働きがあるわけなんですね。で、両方の働きと言うのがメシヤ様になるわけですから。ややこしいけど、結局イコールなんです、全部。観音様も国常立尊様も閻魔大王もメシヤ様も一緒です。働きを言ってるので。それで、この世の閻魔と現れて型があったそうです。昭和29年の立春の日に閻魔大王の絵がメシヤ様の手元に入ったんですね。購入できたという事ですね。「神様はすべて型で見せますから、この閻魔王の掛物によってお知らせになった」んですよと、これが御教集31号に書いてあります。国常立尊様は大本教祖にお筆先を書かせてるんです。出口なおという人にね。一番最初にメシヤ様は大本教に居られましたけども、大本教がメシヤ様を産んだみたいな形になってます。お筆先の重要事項は国常立尊様による啓示として引用されることがあったという事ですね。メシヤ様がね。私はこれだけは信じているというのは、お筆先の事は信じられた、メシヤ様も。これは漫画的に書きましたけども、閻魔の庁の帳簿があって、一分の狂いもなく記録係がいて記録するそうです。全部霊線でつながってるので現界に起こった事というのは全部ここへ記録されていきますので、その記録を見て亡くなる時に、「お前は地獄の何段目・・」とか(笑)。

参加者 (笑)怖い。

三救責任者

・・らしいです。見たことないから知りませんけど。(笑)

信じる御教えに書いてあるので・・。(笑)

参加者一同 (笑)

三救責任者 

悪事の大小によって相応に罰が。罰当てないって言うけれども、これ、罰当たります。

参加者 あの世に行ってから?

三救責任者

これねぇ、現界の方では巧妙な手段で暴露されるわけです。

参加者 誰かが言わなくてもつながってるんですよね?

三救責任者

つながってるんだけども、現界の方で罰を与えるというのは、今の時代、死ぬよりも前の何か、さっきの現界に反映してくるというもの。記録されてこれは現実的にちょっと浄化させなくてはといった場合に、巧妙な手段というのは、例えば全然関係なさそうに見えるけども、その人ともつながってるので、「悪いことしてたよ○○さん」って全然関係ない人がポッとしゃべってしまうとか、そうすると皆知れるじゃないですか?例で書いただけなのでどんな手段かは分からないですけども。今のテレビを見ててもどんどん出てくるじゃないですか。暴露されるじゃないですか。

参加者 芸能界でも何でも。

三救責任者

表に出てくることが多かったじゃないですか。

参加者 人の口には戸を立てられないってことで、隠してこの人は大丈夫だなと思っていても結局どこからかまわってきたら・・・

三救責任者

悪は何故暴露するか?

参加者 悪に関してね。

三救責任者

そうそう。

三救責任者

これ、前やったね?

参加者 やった?(笑)

三救責任者

イスラム教のコーラン。

モーセに啓典をもたらし、彼のあとにもつづいて使徒たちを遣わし、マリアの子イエスにもろもろの明徴を与えて聖霊によって彼を強くした。ところが、お前たちの気に入らないものを持った使徒が現れるたびにお前たちは不遜の態度を示した。すなわち、ある者を嘘つきとし、またある者を殺害したであろうと。

つまり、神が言うには、私はモーセに啓典を与え、マリアの子イエスにもいろいろな教示を与えたり、聖霊によって彼を強くしたその神と同一の神なのだ。

イスラム教の神もキリスト教のも一緒ですよという事を言ってる。全部主神様ですから、これ見ても分かるでしょと。経典に書いてあるから。コーランって、イスラム教の経典ですから。雌牛の章八十七に書いてあります。

ところが信仰心の薄いお前たちはお前たちの気に入らないものをもった使徒たちが現れると、その使徒を嘘つき呼ばわりしたり、ときには殺害するという不遜な態度を示したではないか。

つまり、イスラム教とはユダヤ教やキリスト教とは別個の新しい神を信奉する新宗教ではなく、ユダヤ教やキリスト教と同一の神を信仰する宗教なのであるが、ただ、われわれイスラム教徒たちこそが、もっとも正しく、そしてもっとも誠実に神に仕えている者なのだと主張する宗教。

要は神様は一緒だという。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教というのは一緒ですよと。一緒だけど、イスラム教は一番ってイスラム教は言ってるんですよということ。これは「伊勢と仏とキリストと」に書いてありました。

参加者 伊勢?伊勢神宮の事ですか?

三救責任者

そうそう。

参加者 日本で一番は伊勢神宮ですか?日本で一番というか・・変な言い方ですけど。

参加者 一番尊い神様は?ってことを言ってるんだよね。

三救責任者

天照皇后としてね。それを天祖神として。天孫民族が決めた一番。

参加者 全然違う余談を言ってもいいですか?

三救責任者

はい。

参加者 弟の知り合いの人が霊感があるらしくて、○○社には、今、神様が逃げていって、居ないって言ってたらしいんですけど。聞いたことありますか?

三救責任者

ない。

参加者 何か、不穏なものが○○社に入ってきて、神様はそれを察知してどこかへ逃げていったから、今、○○社にお参りに行ってはだめよって、その人が言ったらしいんですよ。

参加者 へぇー。猿田彦が居ないってこと?

三救責任者

いつの事?

参加者 お正月に聞きました。初詣の話してて・・

三救責任者

今・・そうかもしれん。

参加者 で、新車を買ってお祓いしてもらった方が事故にあったという話もしてて・・。

参加者 えー!沢山いるよね、あそこだと。

三救責任者

車のお祓いする人多いって言ってたよね。

でも、ここでも車のお祓いってしますけども、それは車を作る過程において色んな想念が入るのでそれを祓うという事であって、あくまでも乱暴な運転をしてもいいのかと言えばそうじゃないので。

常日頃の自分の曇りがどれだけあるのか、霊衣があって、この光の霊衣が目に見えないけど厚ければ、もしそういう状態になったとしても守ってくれるんです。霊衣が。だから、そこまで太くしておけば問題ないわけであって、その時に、車自体の作る過程におけるものは祓ってくれてるかもしれないし、今、どういう神様が居られるのか分からないけど・・。

参加者 分からないですけど、初詣の話をした時に、そこに初詣に行かない方がいいよって、その人に言われたよっていう話はしてて、神様はあそこにはもう居ないからって・・。その不穏なものが何か分からないですけど、そういうのが来て、それで神様は逃げていったって。

三救責任者

さっきの伊勢神宮で言えば、メシヤ様が行かれる時までは素戔嗚尊様が居られたわけですから。

参加者 ふぅ~ん。

三救責任者

これは御教えにあるので。

で、今までご苦労様でしたという事で、私は帰りますからって帰って行かれた。で、入れ替わった。今まですり替わってたということ。今まで素戔嗚尊様が居られて、今はもう天照大御神様。

参加者 えーっ。

三救責任者

それは誰も分からない話じゃないですか。

参加者 ずっと、そうとは思ってないですよねぇ。みんな、ずっと天照大御神様がって・・。

三救責任者

だけど、素戔嗚尊様が悪いかと言ったらそうじゃないですね。もう、改心してる素戔嗚尊様。

素戔嗚尊様も三代居るけども、改心してる素戔嗚尊様が。素戔嗚尊様はさっきの話のキリストでもあるわけなんですよ。悪い事をしたので、西洋へ行ってキリストになって向こうを教化していったというか、いい風にしていった。その罪穢れを祓うというか、そういうお役をになってやられてるわけですから。素直な神様なんですね。ただ、短気だけど。

参加者 (笑)

三救責任者

ホツマの方にも書いたけども、そういう神様であって、誰が今○○社に居られるかって、だれも居られないならそれは・・・

参加者 その人はそう言ってたみたいです。もう、逃げていったから、行っても無駄みたいな・・。

参加者 今度は厳しい神様がみえるのかもしれないね(笑)

三救責任者

そうなの?そうすると・・

参加者 事故もどうとったらいいか分からないけど、例えば違反とかそういうのがあってのねぇ。私の事故もそうでした。私が悪かった。

参加者 だから、それを浄めとして。

参加者 やっぱり、そうだったと思います。

三救責任者

事故も受け止め方です。

参加者 受け止め方だね。

(補記)この話を2月2日に聞きましたので、猿田彦命様に関わる参拝を2月3日にさせて頂いたのです。

 

日本人の霊的考察

三救責任者

日本人の霊的考察ですが、天孫族というのは高千穂にいきなり天から降りたんじゃなくて、山口から入って高千穂へ行って新宮から入って太陽を背にしてずっと攻めていった。

参加者 西方面。

三救責任者

もともと西は出雲族が治めていた。出雲族というのはさっきの素戔嗚尊様を中心とした出雲族。出雲族が衰えたところに、天孫族が入ってきて。こうした歴史があるよと。この出雲系・天孫系の戦いがずっと起こってたわけです。

出雲系、月の系統であって、神素戔嗚尊であって、神・速・建速、素戔嗚尊が居りますけども、大国主命につながって、事代主命、建御名方って続くんですけども。

で、瓊瓊杵尊、これ、日の系統とは言うけれども、本当の日の系統じゃない。

日の系統なんだけど、瓊瓊杵尊であって、神磐余彦(かむいわれひこ)って神武天皇につながっていく、そういう系統があったという事です。

参加者 今の天皇は何系なんですか?

三救責任者

ここからつながってるけど(図)、霊統と血統と違って、中でも大和民族として生れたのが聖徳太子、応神天皇、仁徳天皇、光明皇后、光明天皇、義経、光琳とか、こういう人たちは大和民族として元々の日本の。だから、色んな人種が混ざってるんですよと。厄介なのは、今、土匪だね。今、ロシアがごちゃごちゃしてきてるよね。

参加者 はい、してきてますね。

三救責任者

蒙古、満州、から来て青森から入ってきてる。これ、今、ここを何とかしようとしてるかもね。この辺の話ね。これも、朝鮮も絡んでるよね。こう流れてきて、満州から。ま、こういう時代からずっと、何ともならない、話が通じないとかいうのはそういうのもあるよという事です。自分の血というか霊統自体が大和民族だったら・・

参加者 日本人は優しい感じがする

三救責任者

大和民族というのは一部しかいないらしいですけども。中国とか見てると訳分からないことやってる。

参加者 きつい感じがする。

三救責任者

あれは、支那系で、それが天孫系なんですよ。ただ、大和民族と言われる人たちに何の罪があるのかと言ったら、天孫族が押し寄せてきたときに、戦わずして服従してしまったということがあるので、それがずっと、日本が乗っ取られたみたいなもんじゃないですか。そこの意識をしておかないといけないらしいです。ややこしいね。

神言の話をさっきしてて、神言は大祓いの祝詞という事で、中臣祝詞。中臣鎌足という人が居て、そこが祭祀、祈りをささげる役を担っていたわけです。一番最初の頃。だから、中臣祝詞って言うんですけども。遡ると天児屋根命につながるんですね。神事、祭祀職を世襲してましたと。藤原姓を臨終に際し、天智天皇から賜ると。

国宝の藤壺があるよね。野々村仁清の作ですけども、メシヤ様は210日、御帰天の直前、入手しました。藤壺というのは三千坪の土地を売却して一つの壺になったんです。土地を売却して入手。三千坪が一壺になったんです。三千世界が一つに帰一したわけです。メシヤ様が亡くなる直前に。

「つぼ」というのは物事の大事なところ。急所。要は、ここと見込んだところ。壺にはまるということは、急所をついているということですね。

で、藤のつるは壺を一周してつながってるんですね。藤壺の話ね。つるはまわりながら上から下へ延びているということです。

ここを思った時に、直前に、こういう型があった。三千坪が一壺に、三千世界が一つに帰一されるという型があった。

遡って、中臣鎌足、藤原姓を臨終に・・要はその時の天皇から名前を授かるというのは非常に名誉なことでもあるわけですね。直前に賜って、翌日逝去です。

じゃぁ、どんな人?ってあるじゃないですか。大化の改新、知ってる?

参加者 何だったっけ?って感じです。(笑)

三救責任者

これね、聖徳太子、メシヤ様ですね。聖徳太子の時のお子さんに山背大兄王(やましろのおおえのおう)という人がいたんですね。で、蘇我稲目、蘇我馬子、蘇我蝦夷(えみし)、入鹿って続いるわけ、ここが牛耳ってたわけです。国を。天皇を席巻するほど。子供が天皇と結婚したりしてるので、姻戚関係を結んでたので、めちゃくちゃ力が強かった、蘇我氏が。その蘇我氏が、蘇我入鹿が襲撃したんですね。自害に追い込んだ。要は、蘇我氏がこの人(山背大兄王)を、メシヤ様の息子様を。ということがあって、このままではいけないという事で、立ち上がったのは、中臣鎌子、鎌足ね。この頃、鎌子っていうんだね。子というのが、何かの役につけるのかな。鎌足、誰を味方にしようかと思った時に、軽皇子(かるおうじ)に最初。でも、この軽皇子というのがなよなよとして弱かったんですよ、これはだめだと思って中大兄皇子とも組むわけです。この3人が組むわけです。中大兄皇子は後の天智天皇ですけど。で、この時、実権を握っていたのが入鹿です。入鹿をやっつけようと。じゃ、いつやっつけたかというと、朝鮮とまだ国交があったんですね、貢ぎ物に来た時に大臣だから出るじゃないですか。出た時に、そういう公邸の場で殺害したわけです。中大兄皇子と中臣鎌子。これを、乙巳の変(いっしのへん)っていうんですよ。これが大化の改新と間違えてる人がおりますけども、違うんですね。これから後の、これも含めて、色んな政策を行ってきました。律令国家にする為に。律令国家とは何?というと、天皇中心の国家を作ろうという事です。で、行政法とか刑法とか、律というのは刑法、令というのが行政法ですから、税とかの事。これは、中華思想。儒家、儒教とか中華思想。法中心。そういったので、律令国家なんですけども、要は、中央集権国家にしていこうと。でも、地方分権の一番大きいのはアメリカ。アメリカは州がものすごく力を持ってますよね。これと対比したわけですけども。中央集権国家を作ろうとしたんですね。まだ、弱いから。こういった国に対抗しないといけないから。そういう改新を行ってたのが大化の改新という事で、公地公民制。豪族の持つ土地・民を天皇に。班田収授法、戸籍を整備しようと。それから、租税。こういうのを大化の改新というんですけども、その後で、朝鮮に攻めるというのがあるんですよ。中臣鎌足中心に。これが言いたかったんだけどね。白村江の戦と言います。

これは、朝鮮が乱れてたので、唐(中国)が新羅と同盟を結んで百済、伽耶・・伽耶はすぐに滅ぼされてしまいますけども、この百済もほぼやられてたけども、助けてと言ってくるわけです。日本に助けを求めてきたので、千艘の船を出して戦おうとするけども、負けてしまうわけです。

要は、百済はもう滅びてたんです。この時に、百済から何人も来てるわけです。百済の一番の天皇的な人が来てるわけです。そこと、今の天皇と関係あるんでしょという話。この頃、ここと仲が良かったわけです。ここ「助けてー」と。・・・・・・・・でも、こっちは中国がここと、新羅が全部統一してしまうというのは。この時代は。

聖徳太子のすぐ後でこういう事になったので、ずっと鎌足は悔やんでたわけです。だから多分、それまで藤原の姓とかご褒美をとか言われても固持してたけど、死ぬ直前にもらった。だから、この時やっと名をあげたという感じ。

本当は天智天皇はよくやってくれたと思ってるけども、鎌足としては、負けてるからね。でも、負けたおかげで、この辺に太宰府置いて防衛しようということで、その頃からもう太宰府があるわけです。海につながったところだというと、こう攻めてくると危ないので難波から近江へ、要は大阪から近江へ都を移した。出来るだけ、海から離れた。そういう事があった。じゃぁ、遡って。

参加者 歴史の勉強だね。(笑)

三救責任者

色々、罪穢れの話の中に自分はどこで関係してるか分からないけれども、関係してたんですよ、という事が言いたいだけですよ。

じゃぁ、もっと遡って、三韓征伐というんだけど、三韓征伐しようとしてこれはやられてるわけですね。その前、神功皇后というのは、戦いの時にお腹に応神天皇がいたんです。応神天皇はメシヤ様です、さっきの話。日本人の霊的考察とつながったわけですよ。応神天皇がお腹にいる時に三韓征伐に行ってるわけです。この時、もっと時代が遡ってますよ、日本武尊もこのころですから、すごく昔です。で、神功皇后は応神天皇を妊娠したまま出兵して、だけど、戦わずして向こうは降伏したんですよ。貢ぎ物をするので許してくださいと。後からどんどん従ったので三韓ですけども、本当いうと、さっきの新羅、この時のやられたという思いがあるのでここが今度は全部統一するわけですけども。

この応神天皇、だから、全部関わってきてるんですね、聖徳太子のちょっと直後くらいと、これは聖徳太子の前の、メシヤ様が応神天皇、の前ですから、時期的によくにてますね。で、この百済というのは、その当時から仲良かったのかな、百済は百済王が七支刀っていう七つ枝が出てるような刀があって、それは宝ですけど、神功皇后に済倭同盟の記念として贈られてるわけです。鏡(七支鏡)も贈られたそうです。どんなのか分からないけど。これが三種の神器につながるかどうかは分かりませんけども。なんとなくそんな感じがしないでもないかなぁ・・。これがつながってるんじゃないかなぁと思っただけです。

これで締めようかな。

 

最も大いなる神様の愛

私というものを選ばれたのは天地創造の時、既に約束された事。一番最初に遡ってね、神言を遣わしたのは誰って、天地創造の時ですから、その時に決まってたんですよという事ですから。この頃から歴史の繰り返しが色々あるんですねという話でした。本当に歴史の勉強になったね。わけ分からない?

参加者 (笑)分からないけど、何か分かったような気がする。

三救責任者

何が言いたいか分かるよね。そういう対決というか、色々あるけども、天孫族的な朝鮮的な、こっちへ攻めてくるという中には、こんな時代もあったんだよと。三韓を全部抑えてるという時もあったんだよと。この応神天皇の時ですから。だけど、中臣鎌足というのが負けたのでそれを悔やんでたよと。でも、メシヤ様が藤壺を授かった時と同様に、亡くなる直前に冠位を授かってということがあったんですよ。

参加者 関係あるよね。

三救責任者

関係あるよね。

で、旧姓を調べてたら、日本に60人しかいないんですけど、藤原鎌足につながったっていう話。

参加者 えー。

三救責任者

宇佐。宇佐神宮の宇佐。九州の。その頃に関係してたんだなと。宇佐神宮の宮司というのが藤原鎌足につながっていくので。宇佐氏というのが出てきて、宇佐津彦というのがいるんですけども、そういった関係というのが藤原と関係してる。

宇佐から房になって・・・。60人しかいない。

加良比乃神社が、阿佐加藤方片桶宮(あさかのふじかたのかたひのみや)ですよ。名前が。だから、比定地としては・・

参加者 ひていち?

三救責任者

比定地。ここと定める。

今は藤方になってるけどね、小阿射加神社か大阿射加神社かわからないけども、そこかもしれないって事も延喜式の中には書いてある。分からないけどね。

神様的には伊都能売神皇とミクラタナの神様ということですから、そこはそこで。

じゃぁ、何で入ったかと。この阿坂があって、藤方があって、加良比乃神社があって、加良比乃神社に4年間居られたわけですね、天照大御神様。天皇か皇后か分からないけど。で、進んで行った時に、ここに荒ぶる神様がいて、抵抗したわけです。抵抗したけど、4年かかって平定された。平定したというのは殺したかもしれないね。ここは猿田彦がいるからね。

参加者 阿射加神社?

参加者 うん。

三救責任者

抵抗したのが猿田彦かもしれないよ。

参加者 さっきの話と・・。

三救責任者

そうそう。猿田彦というのは導きの神。地元の神様が抵抗するのは攻められたからでしょ?これはいつの時代か分からないよ。四年間居られたというのがね。伊勢に行った後でここに収まったのが、さっきの伊都能売之神様、ミクラタナ之神様、この二神は、天照大御神様が伊勢へ行かれた後で鎮座されているわけです。どういう事?という話で、元々の日本の神様がここに入られたのでは?と思ったわけです。

で、伊勢神宮というのは素戔嗚尊様がずっといたわけですから、後にメシヤ様がいかれて、天照大御神様がお戻りになられたわけですから。どこでどのようにすり替わっているのか良くわからなくなりますね。

参加者 天照大御神様と素戔嗚尊様とね。そこに、位牌があるってことだからね。

三救責任者

位牌があるんですよ。ここのお寺に。これは神仏習合でその当時、天照大御神様を祀る。だけど、位牌ですから。位牌というのは、亡くなったという伝承があったのではないかと思ったわけです。

参加者 それは分かりませんけど、お寺にあったのは私も聞いて、「えー!」て言ったんだけど。

三救責任者

素戔嗚尊様に入れ替わってるというのと、天照天皇は俄かに崩御されたと御教えにあって、だから、皇后が行って、いつ素戔嗚尊様にかわったのか分からないけど、何かあったのかなと思って。そういう意味でいくと、日本を守らなくてはと、加良比乃にこの二神様が後の世のために御鎮座されたのかもしれませんね。

で、猿田彦が居ないって・・どう?

参加者 逃げた?

参加者 その話を今日聞くというところが。

三救責任者

猿田彦は古事記では、ここ(阿坂)で殺されてるわけです。

参加者 という話になってるね。

三救責任者

比良夫貝(ひらぶがい)。貝に殺されるわけはないので、何者かに海に引きづりこまれたかして、殺されてるわけですね。この(阿坂)は大昔は、近くまで海だったんですね。おかしいでしょう?猿田彦は荒ぶる神と言われてるのは、天孫族から見たら荒ぶる神であって。百人通ったら五十人殺すと言って、伊弉諾尊様と一緒のような話がここに残ってるわけです。伊弉諾・伊弉冉の関係もあるのかもしれないけど、一方では、猿田彦というのは導きの神でもあるのですね。○○社、関係してくるなぁ。

参加者 今回、なんかそんな感じ。話が出たってことは。

三救責任者

猿田彦もちょっと考えないといけないかも知れない。今までそこは出てきてないので。一般的には導きの神。これは天狗でもあるわけです。御教えにあります。天狗界の統領。学問には長けてる。・・居ないの?由々しき話だね。

参加者 何処へ行かれたんでしょうね。

三救責任者

どうなんだろうねぇ。何か働きに行ってるかもしれないしね。

参加者 そうそう。

三救責任者

出た時に守る神様が居ないと悪雲立ち込めたということ・・今、忙しいよね、全部。

参加者 ちょっと、留守を頼んであるのか?

三救責任者

留守を頼んであるのが、弱いのかもしれないねぇ。お祓いして事故が起こるって・・。

自分の、だと思うけども・・。

参加者 事故はどういう状況で起こってるかは分からないですもんね。

参加者 それが浄化の、浄めの、かもしれないし。それは何とも分からないけど。

三救責任者

猿田彦が上がったのかもしれないしね。

参加者 ここ、猿田彦も行くところが多いよね。

三救責任者

すごい神様ではあるんですよ。天狗でもあるわけで、鼻高々というのもあるかもしれないけど。ちょっと、キーワード。つながるかどうか。

参加者 全然話が変わりますけど、藤の蔓って、右巻きと左巻きとある。一本の木から右からと左からと。綾を成してる。これもすごい・・。

三救責任者

何で藤壺が欲しかったのか?という話だよね。何かあらわしてるんだよね。

参加者 霊と体とか。

三救責任者

それではこれで今回の『覚りの旅』を終わらせていただきます。ありがとうございました。

参加者 ありがとうございました。

 

 

 

1223日は、令和二年三救として三回目の『メシヤ様御降臨祭』を執り行います。

祭典というのは毎年の積み重ねであり、その学びもまた積み重ねが大切であると思います。令和元年の内容を祭典までに確認して置いていただきたいと思います。