令和2年11月
覚りの旅 令和2年11月度 を終えて

三救責任者挨拶
皆様、一日祭ならびに月次祭、誠におめでとうございます。

本日のテーマの一つに「病気とは何ぞや」ということで、メシヤ講座から浄化作用の事を多く取り上げました。平成28年11月メシヤ講座三重で先生より指導を賜った「これが本当の浄化作用」と小見出しの箇所を最初に引用いたします。私の浄化の話です。

これが本当の浄化作用

「これが本当の浄化作用」 ということで、

早くからメシヤ様と御縁を頂いた方々というのは、メシヤ様と御縁を頂いた自分であるからこそ、今、三重支部の支部長代理が報告してくれたように、「責任があるのだ。」という風にお互いに思って大勢の方々に御教えを伝えつつ、浄霊の素晴らしさをお伝えして行っていただきたいと思います。
今日は『天恩地恵』という季刊誌を持ってきましたので見て頂いたと思いますが、あの支部長代理の写真は大変好評で・・・。(笑)去年の10月26日に『伊都能売観音様』が御奉斎されている札幌定山渓温泉・岩戸観音堂の玄関に支部長代理が奥さんと一緒に立っている所をみんな、支部長代理と親しい人たちも素通りして、「おはようございます。」とお堂の中に入ってくる訳です。それはもう、奥さんが恐らく“お舅さんを連れて来たんだろう”と、奥さんは今日“義理のお父さんを連れて来ているんだろうな”と思ってみんな通っていたのですけれど、よくよく見ると支部長代理だった、と。「大体82歳位に見えた。」とみんな言っていましたけれど、それくらい、疥癬の浄化を頂いて、皮が何回剥げ落ちるかという位の浄化を頂いて、奥さんも毎日シーツの洗濯をしないといけないくらい大変だったと思います。
これは正にメシヤ様が御在世中・・・、御神業を許される人たちはその当時の先達は殆んど疥癬をしておりますので、「疥癬の浄化を頂かなければ、本物の布教師ではない。」と言われるくらい、その当時は疥癬をされていた様です。それと同じように支部長代理がその浄化を許された後ですね、ずっと願っていた、“もうちょっと大きい所に支部を移転したい”と思っていたことが実現しました。そして、ここに移って来ると同時に「ミクラタナの神様」の御垂示も始まったので、大きく御神業が進展して参りました。そういう姿を見た時に「これが本当の浄化作用」というのが良く分かるのではないかと思います。
世界救世(メシヤ)教から世界〇〇教になってしまってから・・・
「浄化を頂いたらお赤飯を炊け。」と昔の先生は仰っていたのですけれど、段々と“浄化というものは怖いもの”と受け留められるようになりました。指導者がそういう方向に持っていったのか、或いは組織運営に重きを置いたために成果第一主義になっていった中に専従者が巻き込まれていったため、成果を出すためには浄化というのは脅し文句にして信者さん方をコントロールするように押しやられた為なのか・・・。例えば献金なども、「あなた、そんな程度では浄化してしまうわよ!」とかいうようなことを口にしてしまうことが専従者にも出てしまった訳です。段々と浄化作用というのが有難いものよりも、怖いものとの受け留め方をしてしまうような教団になってしまった所があります。
しかし、本来の浄化作用というのはこのように素晴らしいものだという事に、支部長代理の浄化中と浄化後の写真の変化が教えてくれるのではないかと思うので、少し余分に『天恩地恵』はここに持って来ております。大いに活用して頂ければ有難いと思います。

というお話。覚えてますかね?三重での話です。
平成28年10月の定山渓参拝の時に一番酷い浄化の状態の顔をお見せしたのだと、今ではこんなに良くしていただきました。
ここにも書かれていますように浄化作用を怖いものと受け止めるのではなく、素晴らしいものだと受け止めて頂きたいと改めて紹介いたしました。
それでは、覚りの旅に入らせて頂きます。


デカルトの二元論
『天恩地惠』の1ページの最初には『文明の創造』の『病気とは何ぞや 感冒』に書かれている御教えを受けて、デカルトの二元論で肉体と精神を二つの実体に分けて物質面だけを見て発展させてきたのが現代の医学なのです、と説明しています。
デカルトって習いました?覚えてないよね?
先日、本を整理しておりましたら、「人は死なない」、先生が紹介された本ですけども・・

参加者
先月も紹介されてた本?

三救責任者
そうそう。
矢作直樹「人は死なない」という本で、東京大学大学院医学系研究科の教授であります。この本を紹介して頂きながら最後まで読んでいなかったことに気付きました。
この本にデカルトの二元論のことが書かれていました。
デカルトの二元論というのは現代の自然科学の手法。すなわち、現象をきたす要因を分析的 解析的に抽出し、それを組み合わせることで当該現象を再現するという研究手法はルネ・デカルトやガリレオ・ガリレイによってその有効性が明らかにされた。こうした手法は高次の概念と低次の概念で全体を部分によって説明しようとする試みで還元主義と呼ばれる。

高次の概念を低次の概念で、全体を部分によって説明しようとする試みが二元論ですので、デカルトは高次・神科学 を 低次・現代科学 で説明しようとしているわけです。
なかなかこの本は鋭いことが書かれているのです。
もう少し紹介しますと、理論物理学者のデヴィッドボーム・・この人はアインシュタインがアシスタントとして来て欲しいと求めた人です、と、その同僚で脳科学者のカール・プリグラムは「21世紀には科学と宗教が一つのものとして研究されるであろう」という仮説を提唱しています。
メシヤ様が『宗教と科学の一致』と御教え下さった同時代、その時代に生きた研究者が提唱しているのですから、真理を悟った科学者は確かにいたのです。

そして、生命の誕生と進化の謎を解き明かせるという可能性とともに、すべての存在はつながっているという事実を科学の側から説明できる、と世界賢人会議の「ブタペストクラブ」の代表アーヴィン・ラズロは言っています。
このように、古代ギリシャ哲学や東洋の宗教思想において直感的に理解されていた万物の合一性という概念は20世紀の量子力学発展により、科学的なアプローチがなされるようになってきました。
ここまで科学と宗教が重なって来たのは驚くべきことです。と、この書に書かれています。

『科学と宗教の一致』という御教えに示された真理の概念にまで迫っていた科学者は実際にいたのだということに、改めて驚かされました。


主神様の御意図により御浄化の形が決まるという説

それで、次、1ページの25行目のところです。
主神様の御意図により御浄化の形が決まるという説 ということがありますけども、内容は飛ばしまして、3ページの91行から読みますと

薬毒を出すには大変な手間暇がかかるのです。その手間暇が現代人には耐えられないのです。瞬時に治したいと思うのです。
ですが、考えてみてください。子供が生まれるのには十月十日という手間暇がかかっているのです。そういうことをわからなければいけません。
現代の子どもと昔の子供が違うのは日常的に洟(はな)がでないということです。今の子供は美しすぎて、すぐに切れてしまう子に育つのです。
熱を出してぐずぐすしているのは有難いことだと思えるようになって頂きたいのです。

手間暇が耐えられないんですね、今の人は。ぐずぐずしているのは有難いと、思えるようになって頂きたいということです。(メシヤ講座・三重)

参加者
先日の子供の御浄化の時にここを読み直して「あぁ、これだぁ」と思いました。やっぱり焦ってくるんですよね、学校も休んでるし。でも、「これだ」って思って、子供にもここだけ読んでみてって言ったんです。有難かったです。

三救責任者
先生は子供が生まれるのに十月十日(とつきとおか)かかって生まれてくると、そういうことを考えると10月10日(じゅうがつとおか)という数字とかって、伊都能売観音様とかを認識する上ではですね、ちょうどいいタイミングだったのじゃないかなと。だから、グズグズ、時間かかるでしょというという事です。

参加者
そこへ行くまでにも時間がかかってるからね。

参加者
そうですよねぇ。

三救責任者
まぁ、グッドタイミングと。

夫(奥様)の毒素が集溜する場所を常に意識しておくこと

次に100行のところね。
夫(奥様)の毒素が集溜する場所を常に意識しておくこと ということで、
『そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(その)場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである。』

107行目、神経を使う人は後頭部、積算で前頭部に毒素が溜まる と。
これはだから、私の話ね。積算っていうのは・・予算の仕事をしていて頭を使うからという話を先生にした時に、そういう積算で前頭部に毒素が溜まるんだよと。まぁ、当時、円形脱毛症になったんだよね。僕の話ね。うつ病で厄介な人が居りまして、色々あったんだよと話をする時に、なかなか理屈で対応してもどうにもならない人が居りますので、会社とか世間にはね。そうしたところで頭を使うんだよという話の中で、人それぞれどういう仕事をして、どこを一番使っているかとそういうことを考えて浄霊をしていきましょうと。
目を使うと後頭部に毒素が集溜しやすくなりますよと。

毒素集留個所をリサーチ
体系化


137行目のところには、毒素集留個所をリサーチしましょう ということが書かれていまして、例えばメシヤ講座に出てくる浄霊の急所とかですね、そういうことは、どこに毒素が溜まってどこを御浄霊したらいいかって出てきますので、これはもうメシヤ講座を読んで、気付いたことをですね、自分なりに整理してみてですね、まずは自分で取り組んでみる。で、自分でピックアップしてメシヤ講座のここにこういうことが書かれてますよっていう事をですね、教えて頂ければですね、最終、皆の話を本まとめることは私の方で出来ますので、それが索引を作っていくっていうことであり、後の方で出てきますけども、体系化、御教えの体系化、メシヤ講座の体系化、ということに繋がっていくのかなと思います。
例えば、先達のN先生の『伝導の手引き』の作成について、N先生は目次や索引づくりを非常に重要視されていました。楳木先生の頭の中ではですね、色んなことが整理できていましたので、メシヤ講座で話が出来たんですね。私達はその頭の中の引き出しをいつでも取り出せるようにすること、御教えにおいても全集は年代順に並んでいます。自分達が人に伝えることが出来るように、体系化することが必要なんだと思います。体系化されてないので、自分達が使えるようにするのが体系化。だから、『主神様とメシヤ様』というのは、僕が「主神様」とメ「シヤ様」の御神格ということを求めて、それをピックアップして、そのピックアップした中で最初はこの文字の入ってるところだけの薄い冊子だったけども、全文をということでまとめたら、こういう本になったということですので、これが先生としては「神観」と。当時の先生は、「主神様」と「メシヤ様」、ここの御神格が一番大事でありますので、そこを求めるという事が「神観」ということですね。 「神観を体系化した」 ということです、これは。ここをしっかりと学んでいかないと、主神様に全て帰一していくんだよという事がなかなか分からずに、色んな御神名の話が出てくるとそっちにフラフラ行ってしまうんじゃないかなって思います。
そういう体系化というのは大事なので、今度は浄霊ということで行けばですね、メシヤ講座で現代に降ろした話をして頂いてるので、そこをピックアップして体系化しないといけないよね。ここの時はここだよって。先生は頭の中に入っているから喋れるけども、僕等は頭の中に入ってないから、聞かれても検索するわけですから、そういうことを、自分達が検索する手間暇を惜しむんじゃなくて、そういった気付いたことを教えてくれれば、こういう形にしていけばですね、皆がスッと調べられるようになる、と思います。

参加者
うんうん。

浄化作用

三救責任者
で、浄化作用ということで、「浄化作用」・・一杯出てきますね。
浄化作用は自然の恩恵
浄化作用は人間本来の使命を行うために起きる
浄化作用は神の恩恵中最大のものである
神秘浄霊力!骨でも筋肉でも毒素は透過する
そういった浄化作用についての話が御教えでは一杯出てくるわけです。
で、最初に「これが本当の浄化作用」 ということで私の浄化についてお話しましたが、「浄化作用」ということで、実に多くメシヤ様は御教えくださっておられます。一般の人が理解しやすいように丁寧に説明して下さっているのですから、私達は浄化作用という事を重要視して未信者さんに分かりやすく説明をしていけるように、今月号は特に繰り返し拝読ていただければ大変ありがたいと思います。
此処のところは読んでいただければと思いますけども、「浄化作用」ということが一杯出てきまして、そこに
「浄化作用」とは何だろうと、痛いだとか、浄化が長引くと怖いとか、そういったことで、浄化作用の捉え方がなかなかピッシリ腹に落ちてないというのがあるので、戸惑うという事がある。そういったところで、御教えとメシヤ講座の「浄化作用」のところをピックアップして纏めていけばですね、しっかりそうした人に伝えることが出来るんじゃないかなと思います。

『自然に合理的に』が問題解決の判断基準

次の課題として、6ページのところに 『自然に合理的に』が問題解決の判断基準、ということがあります。
これは宗教として問題解決、色んな問題がありますけども、問題解決のことが書かれておりますので、237行目から読んでみたいと思います。

『此(この)様に浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』
と書かれております。この浄化作用というのは造物主が我々に下されている恩恵中最大なものなので、この最も自然に行われるということと合理的に行われるということが、実は主神様の御意図でありますし、主神様の行われ方が自然であって合理的であるということです。ですから、我々は問題解決をするとか、今これは私はやる時期か悩む時がありますよね。その時はいつも『自然に合理的に』ということをキーワードにして判断の基準にしておいていただきたいと思います。
即時性
昔メシヤ様の御精神ということでお話したことがありますね、メシヤ様の御精神というのはまず“直ぐやる”ということ。
これは“即時性”ということでお話しました。
合理性
それから神様というのは何でも理屈が通らないと駄目なんだと。理屈が通らないとうまくいきませんよということをおしゃっておられます。
これは“合理性”ということです。
利他愛
ですから“即時性”と“合理性”とそれから最後は“利他愛”だと。この3つがメシヤ様の御精神として集約されることだという話を何年か前にしたことがあると思いますけども、それを元にさらに今日この浄化作用ということを考えていくと『最も自然に合理的に行はれる』ということが一番大事だということです。
だから我々が問題解決していくときにも“これが自然な流れだ”というふうに物事をみていけるだろうかということが、“うまくいくのかいかないのか”ということになってきます。
それからもう一つは“理屈にあって進んでいるか”ということです。“合理的に進んでいるか”ということが大事なことだということですので、この点はですね、私達がいろいろ判断をする時、あるいは問題解決をする時に非常に役立つお言葉なので、この箇所もよくよく線を入れておいて、そして、問題解決の判断の基準にしておいていただきたいと思います。(三)
『此(この)様に浄化作用なるものは最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』というところに線を引いて、『最も自然に合理的に行われるもので』と書かれています。これが浄化作用の起こり方です。自然にということは、さっき○○くんに話したように、風邪が引いた人が一人クラスにいると、自然な形で毒素を溶解しなくてはいけない人に風邪がうつっていくと。しかもその毒素に応じて合理的にうつっていくのだと。この『自然な流れ』というのと『合理的』にというところをよく印を付けておいて、これをいろいろなところに当てはめていきますと、「私は今こういうことを考えていますが、そういうことをやっていくべきでしょうか」というように質問されることがよくあります。
例えば若い子が職を変えたいときに、「私は今、仕事のこういうところに限界がきているので、職を変えたいと思いますが、どうでしょうか?」とたずねられたときには、それが自然な流れになっているかということが、回答の一つの目安になっていきます。それから変えることが合理的、合理的というのはつじつまが合っているかということになりますが、つじつまが合っていればOKなのです。だから自然な流れということと合理的というところがいつも判断の基準になっておかなければいけないのです。

先生に質問して答えが返ってこない時があったと思いますけども、それは自然な流れでないのでということです。

だから私がいろいろと電話がかかってきたりするときに答えなかったりするときには、まだこの自然な流れと合理性というのがわからないのかと思ったときには答えない場合があるのですね。笑った人は理由がよくわかったと思うのだけれどね。だからいつも自然な流れだろうか、つじつまが合っているのだろうかということを自分が生きていくうえにおいては大事にしておいていただきたいと思います。これが、主神様に日々祈りを捧げている人間の判断の基準になっていかないといけないということです。あるいはメシヤ様の御教えを拝読していく人間は、そういうことをいつも判断の基準に持っておいていただきたいということです。それから問題を解決するときにも、その解決の答えというものが、自然な流れでこういう答えに到達するということと、理屈が合っているということ。これはメシヤ様の御教えでも『神様といえども理屈が合わなければどうにもなりませんよ』とおっしゃっています。理屈が合わなければだめなのです。(浜)

三救責任者
だから、ここでは問題解決の判断基準が自然な流れとメシヤ様から、先生からも教えて頂いているのですが、メシヤ様が御昇天され、或いは先生がお亡くなりになられて折角後世に残された貴重な教えを私達は活用していますか?振り返っていますか?失念していませんか?
例えば、先生が生涯をかけて後世にたくされた「主之大御神様」の御神体、御神名、メシヤ様と御尊称申し上げること、このことについてはですね、一貫した信仰姿勢で私達に示されてきたことです。『主神様とメシヤ様』を編纂なされたことは神観の確立を目指されたのです。私達に、或いは未信者の方に、世界中の方にわかることを目指されたのです。しかしながら、御神名の変更、メシヤ講座を学ばないという元メシヤ教信者が迷走しています。ここで、自然な流れ、つじつまが合っているかを考えてみてください。今一度あなたの信仰を振り返ってみてください。「主之大御神様」と最高最貴の御神名を唱えさせて頂くことを許されるために、教祖をメシヤ様と御尊称申し上げ、〇(まる)にゝ(チョン)の御神体を御奉斎させて頂く光栄に浴し御教えを伝えメシヤ講座を伝える最高の御神業に携わらせて頂いている。この時代にその使命の為にメシヤ様に、先生に御縁をいただいたと考えるのが自然な流れであり合理的なことだと私は思います。
例えば、『主神様と大弥勒様』という本を作ろうと思っても作れないんですね。二つしか無いですから。それが自然な流れですか?ということです。先生はずっと言ってきたけど、大弥勒様のことは一個も言ってないですね。ここに書かれている神観という事で言えば、間違いなくここに書かれていることが全て、全てというより検索して引っかかて来たのがここの概要ですから、『主神様とメシヤ様』ね。
世界的にという事を考えて欲しいなと。世界宗教にとの考えで世界救世(メシヤ)教・・日本観音教団と五六七(ミロク)教、観音ミロクを世界救世(メシヤ)教という教団名に変更されたという事ですね。メシヤ様の想いを受け止めれば観音様、ミロク様の教団の型は既に示されたんだと。観音教団の時と五六七教の時に示されたんじゃないでしょうかと。ましてや、天照大御神様は太陽神で日本ですね、その御神名が自然な流れなのでしょうかと。私達は自然の流れの中で先生のなされようとされたこと、成してきた事の一番であるメシヤ講座を大切にし、その想いを「覚りの旅」として伝えて参りたいと思います。全てをメシヤ講座に顕してきたと御教導賜っているのですから。

それから8ページの327行ね。
「メシヤ様のご精神」を重く受け止めてこなかったために、関連(岡田茂吉教祖を仰ぐ)教団は迷走しているのです。この迷走は、夜の時代の「摩り替え」とも通ずるところがあります。ちょっとした嘘も、人から指摘されて嘘の上塗りをしてゆけば、最初は小さいものでも時間の経過と共に大きなズレとなってしまいます。
「迷走の歴史」とも見えてしまう原因は、「メシヤ様のご精神」を求める姿勢の希薄さにあると思われます。当然、メシヤ様の願われる信仰姿勢にはなり得ていません。
昭和二十五年のご法難もそうした姿勢に端を発したことは言うまでもありません。しかも前回お話いたしましたように、メシヤ様という存在に対して、その御神業を阻止しようとする働きがあり続けています。それは関連教団にも覆いかぶさっており、そのために各教団の志を曇らせ、御神業指針を鈍らせています。
私達は「メシヤ様のご精神」を現代に求め続けると共に、「メシヤ様のご悲願達成」を祈りつつ実践に努め、しかも「曲(まが)の障(さや)り」を防いでゆかねばならない、と強く思います。

346行目。
神様という存在について『理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりません』とお述べになって、合理性を生活の中に取り入れるように強く求められました。
これは米国人的な要素を引き合いに出されたところが多分にあるのですが、ご昇天が五十年も早まったために、以後は占領政策が形を変えて日本へ浸透してしまいました。巷間"自己責任"が取り沙汰されていますが、それは、ともすると自分中心の心を作り、自分中心の在り方を当然とする風潮を生じさせます。

これ、ちょっと、最近の話で気付くことといえばですね、政治というのは公助を行うことであって、自助、共助を推進することじゃ無いですよね。実際、自助・共助から漏れてしまう人を公助で救うべきことです。今の総理大臣ね。自助・共助・公助って、もっと自助を、もっと共助をって・・要は逃げてるよね。政治のやることっていうのはそこから漏れた人を公助でどれだけ救えるかということが政治であるので、それをまず自分で努力を、まず地域で助け合いをって、もうやってるわけですよね、実際。やってるのにそれを促す政策というのは、先生の言われるように、自分中心のあり方、地元中心のあり方を助長してしまうと私は思います。

『誤った考へ』とは薬毒であり想念面でもある

次に『誤った考へ』とは薬毒であり想念面でもある と。
『人間が誤った考へで毒素を作り』というところがあります。この『誤った考へで毒素を作り』というところが、薬毒でもあるし想念面でもあるわけですね。
 
参加者
「誤った考え」で毒素を作るんですね?

三救責任者
曇った想念が毒素を作ってしまうというのがある。曇りを作るという事ですよね。曇り=毒素と考えて。
ここで言う「誤った考え」というのは、薬に頼るという事ですけどね。
それから、自然に放任しておけば完全に浄化が行はれると。これは、『文明の創造』に出てきた事であります。
それから、381行目。
現代人の陥(おちい)っている最大の錯覚とは・・「病気が治るように見える」。痛み止めを飲んで痛いのが治ると治るように見えると。毒素をためてるという事、これが固めてるんだよという事ね、固めているという事が現代の医学だということが、今、現代人の陥っている最大の錯覚ですと。「病気が治るように見える」というね。そこの話を借金の返済を事例に説明して下さっている。利息が付いてくるんだよと。毒素が溜まってきて一杯になってきたら大きな浄化になりますよと。最初は緩慢な請求が来るよと。風邪でいただいて、それで済んでいけば有難いけどもという話ですね。肺炎になり、肺がんになっていくと。ずっと溜めておけばですね。

参加者
子供の風邪の浄化で、薬を使うのと使わない場合の差を見せてもらえたようなことがありました。

三救責任者
インフルエンザでもそうですよ。会社でも休暇をとるようにとは言われるけど、どれだけ休むようにとは言われない。一緒のように休んでも変わりませんから。逆に僕たちの方が短い時間で・・。それはハッキリしてる。薬を飲んで鼻水をおさえるとか、また出るから、逆に長引いてる。それはもうハッキリしてますよね。

テーマ2
覚りの旅 平成31年1月『時局と霊界』を拝読して


三救責任者
で、10ページね。
覚りの旅 平成31年1月『時局と霊界』を拝読して ということで、31年1月にやったことですけども。

一切は霊界が根元である

ここではですね、一切は霊界が根元であると。善悪の摩擦も物質文化を発達させるためであったという事を中心に書かれております。
で、439行のところで、伊都能売神というのはメシヤ様の守護神だったということ、これは『神智之光』にも書かれていますので、そういうことが何で出てきたか、ここの御教えを拝読すれば分かると思いますけども、出てきているんだということで。
それから、この御教えの根拠をここにあげてあります。447行。
棟梁は伊都能売の神、即ち九頭龍である。これが私の守護神となっている。ということですので、ここが根拠ですね。伊都能売神というのはメシヤ様の守護神だったという根拠です。

御教えを伝えていかないといけない人達が何をしてるのか?

で、456行。ちょっと話は変わりますけども。
御教えを伝えていかないといけない人達が権力闘争に明け暮れて何をしてるのか? 
ということで、人類の為、貢献しているのか?と、権力闘争をやっている場合じゃないですよと。これは世界救世(メシヤ)教、宗教界のことを言ってます。
ですから、469行のところね、
ひたすら主神様、メシヤ様にお詫びして、御教えの探求、人類への貢献、可能な限りメシヤ様信者に働きかけを!して下さい、ということで、この頃先生が言われていたことです。

安心立命

12ページのところですけども、『安心立命』 ということで、484行のところ、
色んな事が起こっても御教えに照らして思考できるように、霊層界の学びを積み重ねてきた。
ということで、489行に行くと
私達のやるべきことというのは「神格をいただく道」を実践して、メシヤ様の御教えを一人でも多くの人に伝えていくことが、私達の信仰であり安心立命を得ることにつながると思います。と書いてあります。
神憑りとか霊憑りというのがあってもですね、御教えに照らして思考できるように霊層界の学びを積み重ねてきたんだという事ですので、そして、信仰生活、即、宗教ということを学びましたので、『神格をいただく道』の実践をして御教えを伝えましょうと、いうことで、私達は安心立命を得られてますよねということです。御教えに照らして思考できるようになっていればですけどね。

人間の想念が霊界に反映する

「人間の想念が霊界に反映する」 ということで、495行ね。
悪の想念や言霊は出来るだけなくしましょう、 という結論をメシヤ様は書かれています。
で、501行、世界的浄めの業ということが書かれてまして、浄めという事で、この時、祓戸の大神とか色々神様の名前が出てきますけども、513行のところね、
霊界をくもらすと汚穢がたまります。そして、曇った結果、豪雨、台風、雷鳴、洪水、大火、地震になります。それを拭き払い、洗い流し、焼却するのが祓戸大神が分担しますよという御教えがあります。でも、そんなビビらしてばかりじゃいけないので、安心立命という御教えがあるんですよと。

惟神医術

「惟神医術」 のところを見れば今の内容というのは良く分かると思いますけども、519行からですけども。
祓戸大神。惟神医術という御教えがあります。大浄化っていうのと大震災とか色々あるので、そういう浄化作用に対して働くのは、役目を分担されてるのは、祓戸大神なんです。『大自然も天地間もあらゆる物に浄化作用なるものを行うのである。この事は大祓の祝詞中にあるごとく、祓戸四柱の神の担任せられ給うところであって、たとえていえば地上に汚穢(おわい)が溜れば風に吹き払い、雨水によって洗い浄め天日によって乾燥させるのである。また一軒の家においても塵埃が溜ればそれを払い掃き水で洗い拭き清めるので、それらの事は人間においての病気、即ち浄化作用と同様である。従って、この場合、自然に放置すれば治癒するのは当然である。又、浄化作用の期間中、発熱や痛苦によって労務に耐えなければ休養すべきであり、食欲がなければ食わなければいいのである。それが自然である。そうして人間の浄化作用は人間自身の体が行ってくれるからまことに都合がいいのである。故に、この意味において私の提唱する医術と健康法は飽くまで自然を本とし自然に準(なら)うというので、惟神医術という所以(ゆえん)なのである。』

自然の浄化作用というのも、人間の言霊から発しているんですよというのが、世間一般では言われていないけども、御教えに照らせばそういうことです。だから、普段の生活を「神格をいただく道」のようにしていけば、そういう大きな災害も少なく・・多くの人がそういうことが分ってやっていかなくてはいけないですけども・・そういうことですね。
ここは三重の話しでしたけども、次に浜松のメシヤ講座の話が書かれてまして、551行から読みますと。

『善言讃詞』の中にある『夜叉龍神』の解釈のしかたと日常生活

 (参加者) 『私の兄』ということですが、この方はどういう方だったのですか?
(先生)メシヤ様の兄だったということです。そうしていくと、善言讃詞にも『夜叉龍神』がでてきますね、これを今までの解説としては『夜叉』と『龍神』をわけて解説してあります。「善言讃詞の手ほどき」の中には『夜叉』と『龍神』をわけて説明をしているので、『夜叉』の説明と『龍神』の説明をしております。しかし、メシヤ様がここに『夜叉龍神も解脱爲し』というふうにお書きになっているのはどういうことかというふうに善言讃詞も解釈しなおさなければいけないということになります。
わかりやすく説明をしますと、ある組織団体があるとします。大きな団体にいくとその代表に会っても、その組織とはわからないくらい非常に紳士的に対応をしてくれます。しかし、下の小さな団体に行くほど、話しにならないくらい対応が悪いことがあるのです。
そうすると、『夜叉龍神』というのは一番の大元ですので、この『夜叉龍神』はメシヤ様の御出現によって改心したから、『解脱』したわけですね。しかし、その下の眷属は『夜叉龍神』が『解脱』したことはわかりませんので、いまだもって権力を奪うように、いろいろな大きな人間に憑依しながら、問題を起こしたり、画策したりしているのです。そういう状態だということです。ですから、御神体の御前で夕拝をするときに唱える『善言讃詞』とそれから家庭月次祭のときに上げる『善言讃詞』のときには、この『夜叉龍神も解脱為し』ということを言霊界に響かせるということが大事になるわけです。
この言霊界の中では《夜叉龍神は解脱したんだ》ということが行き渡りますので、行き渡ると《トップが解脱したんだ》と眷属わかり始めることが大事なことなので、この御神体の前で『善言讃詞』 を唱えるときには、そういう想念をもって『夜叉龍神も解脱爲し』という言葉を唱えていただきたいと思います。
これがなければ、夜昼転換というものが進んでいかないということです。

他の教団のことで、『善言讃詞』を改ざんしているという所についてはですね、非常にお気の毒だという事です。ですから、救ってあげる対象だよということをこうした勉強会を重ねるごとに、より一層そういう気持ちを持って進んでいただければ有難いということです。
ここにまとめると、トップは解脱したんだという事を眷属が分かることが大事ですと。下っ端が分かることが大事ですと。その為に、『善言讃詞』を唱える時の想念というのがですね、「夜叉龍神も解脱為し」という所をそういう想念で唱えていただきたいと、それが夜昼転換を進めることに繋がっていくんだと。で、弟子といえども大きな間違いを犯しているんですよと。メシヤ様の弟子でありますよね。弟子であるわけですから、『善言讃詞』を唱えるところの改ざんしたとういうところで、大きな間違いを犯しています。それはお気の毒なんですけども、救ってあげる対象でもあるという風に考えて下さいよと。そして、自分自身は夜叉になっていないか?眷属にやられていないか?ということを常に自分を見つめて気を付けていくことが大切ですよと。この後の方に書いてありますけども、そういうことだと思います。

最後に私の事を

それから、16ページの663行のところね、『主神様とメシヤ様』の「時局と霊界」 と 『天国の礎』の「時局と霊界」 を比較した人が浜松にみえるんですね。『天国の礎』というのは二代様の時代に問題ないような御教えを集めて、道徳的なことが多いですけども、ここで抜けてるところは何かといいますと、そこだけ読みますね。

最後に私の事を、少しばかりかいてみるが昨年五月から六月にかけて、奇禍の為警察や刑務所生活で悩まされたが、其時の検察官諸君には、何れも○○龍神の眷族が憑依して私を責めたので、余り責め方が酷い時は私の守護神が一寸加減させるので、息がつけたのである。という訳で彼等役人と雖も実は右の霊に思わせられ、させられたのであるから、暫く経つと、あの時どうしてああいうように思われたり、あんな事をする気になったのかと、自分で自分が判らなかった事を、後悔するに決っている。
以上は霊界の、ホンの一部をかいた迄であるが、多少の参考になるであろう。実はもっと深くかけば尚よく判るが、経綸上今はかく事が出来ないのを遺憾とするのである。

という所が抜けているということに気付いて書いたと。ここを読んだ時に、何が抜けてたのかなというのを調べてみると、良く分かるのじゃないかなと思って。三重の人もですね、ここを読んだ時にですね、何だろうって思いませんでしたかと、調べてみようと思いませんでしたかと、私は気になったので調べました。ということで、今の話ね。
例えばニュースで、何であの人があんなことを、という事がよくあると思います。まさか、あんな立派な人がと。
表裏のある人の本性が現われたんだということもあるかもしれませんが、検察官に霊が懸ってメシヤ様を苦しめるという事が、実際にあって、もっと詳しく書けばよく分かるが、世の中がそういうことを許さないので書かなかったわけです。『天国の礎』では更に省略してしまっているということです。よく分からなくて良いと幹部が思ったのかもしれません。ね、という風に思います。ここを読んで僕が思ったことです。

体系化

それで、体系化 ということ。今、先程来出てる体系化ということに繋がっていきますけども、『主神様とメシヤ様』を僕がまとめてピックアップしてみましたと先生に送ってからこういう本になって来たと、これが体系化ととらえればですね、先程の御浄化の話とか、色んなテーマがあると思いますけども、それの単語をとらえてですね、いつ、こういうことを、こういう風に説明なさってるということをまとめ上げればですね、 「御教え」 と 「メシヤ講座」 を、そうすれば体系化出来て行くんだと、そういうふうに思いますので、何か気付いたことがあればですね、教えて欲しいなと思います。
それが、御教えと生活を線んでつないでいくという作業だね。これが思想の体系化なんですよという風に書いています。

歴史観を持って

で、そこには歴史観を持ってということで書いてありますね。歴史観を持って思想体系を整理すると。自分の中に信念体系を築いていくんだという事が書いてあってですね、要は分かっておかないといけないのは、歴史っていうのは覇権者によって塗り替えられているという事ですね。覇権者。
そこの例として、702行のところで、百姓という字。「百」というのは沢山という意味ね。「姓」っていうのは カバネ ということなんですよ。
カバネ・・豪族が氏の下につけた称号。諸々の姓を有する公民の事。
だから、一般人民、庶民のことになって、だんだんと言葉が変わって来たんですね。一般人民、庶民の事を指すようになって、今度は中世頃の農民を指すようになったと。百姓っていうのがね。変わってきてますよという事。言葉の歴史をたどってみないとその言葉の持つ意味というのは分からない、そういうのを理解した上で歴史観を持って編纂していかないといけないよねという、なかなかその単語を集めるだけでも難しいんですけども。
で、今、僕は、百姓ということから カバネ と出てきたので、 カバネ を調べるわけです。そこには「ひこ」とか「ひめ」とか出てくるんですね。神道系の御位牌には○○比古とか○○比売、という所に残ってきてるというのは、そこからきてるというのはありますね。氏とか姓の「かばね」というとこから来てる。
ちょっと気になったのが、「ひこ」というのは、古代の地域の首長だったわけです。

参加者
「ひこ」って?どの「ひこ」?

三救責任者
色々使われてるので。○○比古の比古 とか、彦、日子。
例えば、伊都国(いとこく)っていうのがあったんですね。伊都につながるかなというのはありますけども。伊都都比古(いとつひこ)というのが・・。前に話をしましたけども、この地域は伊勢津彦、宇佐の方では宇佐津彦とか、そこの首長というのが居たんですね。だから、伊勢津彦というのはこの地域を元々治めていた。要は元々治めていた部族が居て神武天皇が攻めてきて追われてという事があって、歴史は元々の天照の関係と神武の関係をくっつけて作ったのが古事記であり、それを海外に分かるようにしたのが日本書紀であると。だから、ホツマツタエとかそういったもう一つ前のもよく分かっておかないと、古事記はある程度の流れはあるけども、さっきの勝った側の話ですよという事を分かった上で・・。負けた側の話の方が元々から居た人ですよというのがありますよということです。出雲の国風土記とかそういうのもありますので、そういう時代を見ながら、御教えと照らし合わせながら、歴史観を持ってやっていかないと。だから、ここのところは難しいのでそれの体系化の中では色んな体系化があるので、さっきの話の一番分かり易いのは、自分の一番気になる、こういう浄化の時ここを痛い時は何処を浄霊したらいいかとピックアップして、ここにこういう事が書いてありますと、特選集の何号に書いてありますとかね、いくつも集まってくればそれをチェックしておいて、色々集まった時にそれを本にすれば皆さんの知りたい事が出るんじゃないかと。その都度、自分では調べられないって言うんだったら、パッと気付いたことをその都度教えてもらえれば溜めておきますので、そういうのが体系化じゃないかなと、これからやっていくべきことじゃ無いかなと思ったわけです。

御教え拝読し急所発見

参加者
ごめんなさい。話が戻りますけど、2ページの81行目の「急所が外れている・・」と書いてもらってあって、今回の子供の風邪の浄化の時に、急所って私は全然分からないなぁと思って、『医学の革命書』の咳嗽(がいそう)、咳のところを読んだら、こんなこと事書いてあったっけって思ったんですけど、頭脳、顔面、とかいろんな急所があって咳に・・・・と書いてあって、書いてあるしやってみようと思って顔面をしたら、それまで咳をして寝られない状態だったんですけどスーって寝ていったんです。わぁっ!てビックリして。まぁ、次の日、起きたらまた咳はしていたんですけど。でも、その時には寝ていって・・。

参加者
休ませてもらえるように・・。

参加者
そう。で、次の日に子供にその事を伝えたら、子供が「額が痒かったのも治った」って言って・・。もしかして、痒かったって事は額に何かあったのかもしれないなぁと思いました。

参加者
で、咳で出してもらったのかも・・。

参加者
それまで額が痒かったというのも全然聞いたことなかったんですけど。

三救責任者
それは全部繋がってるよね。そういう実際の経験を少しずつでも、そういう積み重ねが大事だと思います。自分達は気付いた人から学ぶ、体験から学ぶという事が大事かと思います。

参加者
この『天恩地惠』を頂いた時に読んでるんですけど、その時は普通に読んでたんですね。実際に娘に熱が出てから読みだすと・・。

参加者
その時その時でね。

参加者
はい。だからそれも御守護だなと思いました。

主神様に向かう姿勢を整える

三救責任者
19ページの810行のところ、主神様に向かう姿勢を整える の中の
主の神の表現神で被在(あらせ)らるる天照皇大神様・・ということが書いてあって、ここを読まれたかと思いますけども、時代背景、昭和10年の御教えですよと、昭和10年ね。時代背景を考慮することは勿論神様の御出世の段階を拝察せねばなりません。というとで、これは先生がよく引き合いに出された御教え。今の御神体を謹製された時にね、そういう意味で書かれていまして、天照大御神様のことに関して昭和10年ですので、時代背景の考慮がされたうえで書かれた御教えということをしっかり認識しておかねばいけませんと。そのように先生も御指摘されておられます。天照大御神様は天皇の先祖として皇孫とか一番として神様としておかねばならないからこういう表現になっているんだという事を理解せねばいけません。だから、主神様の表現神であらせられるというとこの表現にとどまっている。私達は何よりも神様の御出世の段階を拝察せねばなりません。御腹中の光の玉にミクラタナの神様という御存在が魂として御宿りになられた事で、事態は一変したことを認識すれば代理神、先程の天照大御神様もそうですし、観音様、光明如来様、ミロク大御神様他、代理神の御存在を介さず直接拝するときを既に迎えているのです。とご教導下さっておられることをしっかりと噛み締めなければならないと思います。
このように、メシヤ講座、メシヤ様のご精神を現代に伝える座談会への先生のご投稿は改めて学ばせていただく機会を持てて大変ありがたく思います。学びを進めていきますと過去に学んだ事、気付いた事というのも神仕組だと思わされます。
例えば、伊都能売大御神様の御神格を主之大御神様の御神名で奉唱され「口を突いて出てきたのだ」といわれて、その時の説明として、仏教講座で私達が学んできて、先生にお伝えした〇(まる)の光背と、ゝ(チョン)の白毫を人々は知らず知らず礼拝していたと、私達は〇(まる)にゝ(チョン)を認識して礼拝するようになったわけですから、御出世を認識させて頂くことにつながったからこそ、主之大御神様御神名御奉唱となったのだと思われます。要は仏教講座へ行くことも神仕組だったわけです。
個人参拝としてではありますが、先日、メシヤ様御揮毫の観音様、岩戸観音堂において、〇(まる)にゝ(チョン)を意識し、主之大御神様の御神名を唱えさせて頂きましたことをご報告させて頂きます。

今回、先程の体系化ということで、メシヤ講座から浄霊の急所とか生活全般の事とか子育てとか介護のこと、気になることを拾い出して、「ここに、こういう事書いてあるよ!」というのでまとめたら有難いなっていうのがあればですね、連絡をいただければですね、手書きでもメールでもいいので。整理していくのに置いておかないといけないので。ある程度まとまったら『覚りの旅』で掲載して、体系的にまとまったら『天恩地惠』の特集号として印刷したいなと思います。是非皆さんで参画をお願いします。

司会
以上をもちまして11月度月次祭、並びに一日祭を終わらせていただきます。

参加者一同
ありがとうございました。