テーマ2
「覚りの旅」平成30年12月度 勉強会を終えて
2018年12月23日
98頁、『邪神活躍』地上天国十九号 昭和二十五年十二月二十五日 拝読
三救責任者
『邪神活躍』ということで、「一切は主神の経綸であって、文化発展上、正邪相争ひ、明暗、美醜相混り、斯くして一歩々々理想に近づくので、之も深奥なる御神意であって、到底人智の窺ひ知るを得ざる事を知るべきである。」ということから始まっていて、霊界で起こることは現界に移写しますね。
混乱、変化が大きいというのは世の終末の様相になってくると、邪神が必死的活躍、最後のあがきをします。霊界から現界への移写というのは昼の世界になるに従い段々と短くなってくる。数年だったのが数日に段々短縮されてく。場合によっては起こってすぐというのもあるかもしれませんけども、ミロクの世になってくるに従い、こういう風になってくるよという事が書かれてました。
それで、油断できない!という事で、善の仮面を覆らせ悪を行わせる、要は中流以上とか知識階級の人に多いので、見た目全然分からないという事が、ここが油断できないという事で、これは何かというと、正しいと思う説、○○主義とかこれは間違ってないんだというように、誰が見ても思うような言い方や文書で信用させると。
だけども、いい事を言ってるように見えても、陰で反対の事をしている人もいるということです。それが例えばテレビなどで報道されてる人のその言葉だけ聞いてると善人なのに、と思うかもしれないけども、裏では何をしてるか分からないよというのがあるよと。それはよく見ないといけない、油断できないという事です。
最期のあがきという事で、メシヤ様、昭和25年の時に黒龍・赤龍の下に十億という部下がいて働いていて足搔いてるわけですから、今だったらもっと頭目ね、夜叉龍神は解脱したっていうけど、その次くらいのが分かってなくて本当の足搔きをやってる可能性はありますね。
頭目というのは総本部にいて、副守護神に働きかけてくるわけです。色々眷属が一杯いるので、働きかけてくるわけですね。この人に働いたら、そこを支配できるとか、そういう思いで、副守護神を使って、直接ではなく働きかけてくる、それが怖い。そうして人間を悪に導こうとします。
善人の仮面を覆って知謀的犯罪をするんですね。この中には、人の財産を巻き上げたり、贈収賄、涜職、脱税、隠匿物資、闇の売買、酒、婦女子を弄ぶ、とか、世間で悪と言われてる、結構テレビとか見ててもこういうの出てきてますよね。それから詐欺、偽造、誘拐、姦通。上の方が知識階級、低い方がいきなり殺人とか強盗に走ってしまう。何でって、自分はやった覚えが無いのに、こういうのがかかってやらされてるというのもあるでしょうから。あの人、いい人だったのになあとかね。賢い人の場合は、わざといいことをしゃべって裏でっていうのがあるけども、何かがかかって霊にやらされてしまったというのもあるんじゃないかなあと思われる事件もあるよねと思いました。
『神見の善』
次に『神見の善』って出てきました。
これは、セットだと思うんですよ、御教えとしては。善と信じ懸命に行う。結果が悪となってる場合がありますよという事で、この例としては五・一五事件とか二・二六事件がありました。五・一五事件というのは、1932年(昭和7年)5月15日に青年将校が犬養毅総理大臣を殺してしまったわけですね。この頃というのは、世界恐慌(1929年)、企業倒産とか、不況対策を行う公約をしたとか、こういう背景があったようです。要は企業倒産や満州事変を黙認したとか、そういう色んな青年将校の不満がたまっていたのが、殺すという事に至ってしまった。いいと思ってやったんですね、この人達は。それが悪だよと。二・二六事件というのは1936年2月26日から2月29日の間に起こった事件で、これも青年将校ですね。1483名の下士官でクーデター未遂だと。昭和維新と言われています。天皇中心の近代民主国家復元のため独裁状態の政府中枢を襲ったと。
それから、人の気付かない罪悪、立派な学説とか述べて身を挺して実行しているんだけども、実は人類に禍を与えていることもありますよと。何れも邪神が操っているという事で、科学で固まった頭脳ではこれはちょっと分からないのですね。
それで、高級な人々と言われている宗教の教祖とかは、新学説を言ったり発見したりした、大学者、有名思想家であってもですね、ここは邪念とか私利私欲とか微塵も無いわけなんですけども、真に人類の為と信じて、一生を尽くしたいとやっている。しかし、偉人の業績も色々あるけど、福祉に貢献する一方で禍もまたあるのです。良いほうばかりじゃない。善と悪があるという事ですね。功罪決められない。
学者、宗教家という社会に有用なこともあれば、時とともにそれが有害無益になっていくものもあります、医学の事でもまたそうかと思います。
それから、人智では分からぬことを知れ。深奥なる御神意というのは、正があれば邪があるし、明があれば暗があるし、美があれば醜があると、相混じってるもので、これでもって理想に近づいていくので、これらのことは、全部が主神様の経綸の中で行われてるので、人智で分からないことをここの事については知って欲しいという事です。
『神見の善』という事で思い出すのが、平成28年6月、地上天国祭で拝読しました。僕が拝読したんですね、先生の挨拶の途中で。先生にこれを読んで下さいと事前に聞いてましたけども。28年の6月というのは、先生最後の地上天国祭ですね。異例だったので、覚えています。だから、『神見の善』ということは、重要だと思うのです。
29年6月のメシヤ降誕仮祝典のやり直しですが、この時期未定でした。30年3月3日のメシヤ降誕本祝典も未定でした。一年前にこの御論文『神見の善』を拝読したのはなぜかなと。ミクラタナの神様のこと、本祝典の挙行は画期的であるが故に邪説と世間から受け止められる可能性がある、という事を思ってたのかなと思ったんです。ミクラタナの神様についての原稿を先生は用意されたんですけども取りやめました。そして、『神見の善』を拝読しました。そういう背景がありました。
この時の代表挨拶の内容ですけども、熊本大分地震の本震の夜から大浄化になりましたと。「地上天国祭をどのようにさせていただくのか」、いつもは直接メシヤ様から御内流がありましたよという話をされてます。今回は『地球の種、芯のような御存在』宇宙の中心からの意思からの伝達でしたよと発表されてるわけですよね。この根幹は何かということですね。あと、メシヤ様の配下の御方からということで、先生に対してこれは教育なんだと。ミクラタナの神様の御存在を明らかにしただけでとどまっていたじゃないかという教育だったよという話を、この時されてるんです。メシヤ様は地上天国を建設していくという目的で、世界救世(メシヤ)教を開教された。目的というのは地上天国の建設ですからね。その為の世界救世(メシヤ)教の復興なのです。地上天国の建設というのは、世界救世(メシヤ)教のみならず、仏教であっても他の宗教であっても言い方は違っても同じなのです。ここを忘れたらいけないということですね。
参加者 ― 本当ですね。
三救責任者 ― 世界救世(メシヤ)教をつくったけども分かれていったわけですね。本体の方は世界救世(きゅうせい)教と二代様によって名前が変わってしまって、それもまた分かれる。でまた、くっついたり離れたりここでしてるよという状況です。
神界通信というのは様々な言い回しで来ます。先生もこの時神界通信について真剣に考えられてるわけですね。様々な言い回しなので、道筋が見えてきませんでしたと。で、先生の肚から沸き立つものでなければならなかった。だから、直接の指示はされない、神界側からはこうしなさいとは言わないんだと、色んな言い回しで話が来る、それをどう受け止めて自分は何を行動するかというのは先生の肚一つだったんですよと。
今も言えることだと思うんですね。神界からメッセージがあったとしても、それをどう捉えるか、自分は何を行動するかというのをきちんと考えるということだと思います。
参加者 - そうですね。
三救責任者 - 沸き立つ想いを持てば自ずと道筋は見えてくるんですよと。
全てに御神慮あってのミクラタナの神様からの御垂示だったことを先生はつかまれたわけですね。
で、主神様の御啓示=宇宙意志では?と。これは僕の先生に対するメールが紹介されるんですね。それを発表されてます。
主神様の御啓示=宇宙意志と普通の人は考えてしまうけども、なぜ配下の方の御指摘なのか?というのは配下からというのはミクラタナの神様だねということで、そこがこの配下と言ってる言い回しが分かりにくいんですよという質問を先生にしたのです。
還暦の型
で、この時も僕が、還暦の型じゃないですか?という事を平成24年5月5日に発表したのをとらえて、先生がそれをお話されております。
ある高位の神様の魂が宿られたのが昭和25年6月15日。すなわち右の御魂が現世に生誕されたことになる。これから、この神御魂が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大威徳を発揮さるるに至るのである。これは、『一つの神秘』に書かれております。
そうすると、ミクラタナの神様、メシヤ様の御腹中に宿られたのは昭和25年6月15日、それから60年たって平成22年6月15日、この時に文明の創造(一)研鑽資料が発行されました。メシヤ様を世に御出し申し上げる型じゃないのかなという事で、その時に話をしたことをお話しされました。
メシヤ様を押し込める=メシヤ様と御呼び申し上げないとか、御教えを人に伝えていかなくなったとか、そういったことを封鎖してしまったという事であって、御出しする=文明の創造発刊、Amazonにものせて誰にでも買えるようにしたという事であって、その前に先生がミクラタナの神様の伏せられてきた話をメシヤ教の祭典という公の場でされた、という事によってミクラタナの神様からの神界通信が始まったんだと思います。発表しなかったらそういう事はないんだと思います。
玉の光が輝きを増した
宇宙、地球、伸縮を繰り返す。生成化育してます。これを夜昼転換というんです。これも、さっきの先生の話の中の続きね。メシヤ様の御腹中にミクラタナの神様が宿られて、成長されて大偉徳を発揮されます。この時に善悪、経と緯を結ぶんですよと。玉の光が輝きを増したから可能になったんですよと言われてます。
結びのシステムというのは人間側が担うんですよと。で、イメージを膨らませるようにということで、先生を6月の初旬に頭を空白にしましたよという話があって、再構築させられました。だから先生は、結ぶ役割だったのですね、この頃。そうすると、先生のやられたことの御意志を引き継いでいくのはどういう事かということです。今までの事を考えてね。
目的は地上天国
地上天国を建設していくという目的を忘れてはいけませんよと。
志を、同じくした宗団、個人の集まりを世界救世(メシヤ)教と呼ぶのが相応しいのではないか?と私は思います。(ここは私が補記しました)
地上天国を五六七の世とか甘露台の世、松の世と言いますけども、色んな宗派、宗教によって、色んな呼び方がありますよね、この地上天国に対しては。この目的があるわけですから。こういう、五六七の世を作っていくんですよ、甘露台の世を作っていくんですよというのも一緒の事を言ってるわけですから、目的は。だから色んな事の、色んな考え方の宗派があるけども、目的は一緒。こちらで言う地上天国建設。そういう集まりを世界救世(メシヤ)教というんじゃないかと。だから、メシヤ教が世界救世(メシヤ)教になると言うわけではないんですよと。色んなのがあっての集まり。その代表という事で、先生は人類の代表でもありという事で言われたんだと思います。
体験報告について
『神見の善』を出したという、もう一つの中では、浄霊の急所を信者さん方に示してきたある教団でさえも変質してしまったと。善と信じ懸命に行った結果が悪であることを知ろうと・・・『神見の善』ですね。
霊界順序に厳しいある教団、信者さんに根本的救いをもたらすことができなくなってしまったと言われてます。
なぜ変わってしまうのか、地上天国建設の御教えを基に是正していくことが必要だと思いますと。出来ないと田舎宗教で終わるんだよと、そういうことが御垂示であったという事です。田舎宗教で終わってしまうぞよという事を言われたよと。
『返報返し』という事も言われてまして、仇討ち思想をやめて、喜ばして返報返しをする。これでやるべきだよと。
それぞれの教団は高い志があるんですよ、最初の頃はね。だって、全部地上天国建設が目標ですから。組織中心になってしまうと方向性がおかしくなりますと。
初心貫徹してね、初心を讃え伸ばすようお導きしていくべきですよと。
メシヤ教はね、小さいからこそメシヤ様からの使命を自覚できる。これは、先生の話です。最期の地上天国祭にこういう事を言われてます。
求心力を生むにはね、トップがまず霊性を高めるんだよと。で、切磋琢磨して御神業を進めるべきだ。評価というのは『神見の善』に照らして功罪両方を見ることが大切ですよと言われました。
世の中を見ていると、やっかみが、多いんですね。「和を以って貴しとなす」の真意ですけども、“皆がわかるまで”と勘ちがいしている。それは慣れ合いですよと。「和を以って」って、なあなあで言いたいことも言わずに引く精神だけで思ってると自分の中にうっぷんがたまってしまう。会議が長くなりますよと。メシヤ様は『会議は30分で切り上げる』と言ってます。先生はこれに従ってやってました。
志がある方々を集めていくには霊性を高めあらゆる情報に勉学に励み大勢の方々が集えることを目指していきますと。で、皆は先生を支えるんですよという事をこの時にお話しされたのです。
メシヤ様に繋がる教団の中で陥ってくること
ある教団は、御教えを切り貼りした膨大な資料の作成。自分達の持っていきたい方向の御教えだけ寄せてくるという使い方ね。それを御教えの切り貼りと言います。
『御教えを免罪符として使っている』と。御教えで人を切るというようなやり方ですが、『御教えは実は使い方によっては大変なことを犯してしまう』そういったことを指摘すると、すぐ守る体制に入って、心地よい状態をくずしたくないので、反感を持たれてしまうと、先生はこういう言い方をされてるわけです。
先生は、御教えにものすごく詳しいので、相手の御教えの使い方についてちょっと指摘すると反感を持たれる。「十分注意していきましょう」という事で、例えば、そういった人に対して「あんた方なってないね」と言ってしまうとまとめられないので注意しましょう。これからの信仰はより高いところへバージョンアップしていくのだとの想いで取組んで欲しいという事を言われています。
未来に向かって何を残して行くか。
○○をつくりたい。これだけにあまり奔走すると『悪』になってしまいます。未来に残す資料の整理が『善』ですよと。と先生の言葉ね。この時の。そこを理解することが先生の意思を継いでいくことかなと思って、取り上げて、ちょっとテーマと繋がってきたので話をしてるわけです。
先生自身、自分自身も未来のためにどんな仕事がこれから出来るのかを考えてやることが『善』ですよと。どんな仕事が、どんな御神業が出来るかを考えてやることが善です。未来のためにという事ですね。未来のための資料の整理ですから。
しかし、これから自分がこういうことをやっていこう、ああいうことをやっていこう、という事だけに固執してしまうと、『現在のことに取り組みすぎると実はそれは悪になってしまう』こういうことをしっかり見つめながら進めていく、そして『主神様とメシヤ様』拝読による、『覚りの旅』が始まったんです。だから、先生も向上していかなくてはいけない、皆さんにも向上してほしいという事で、未来に残す資料の整理ですからね、こういう風に作ってきた事を捉えて話をしていく。で、資料が出来てくるじゃないですか、メシヤ講座自体の事を言われてますよね。
三救祭
令和二年十月十日三救祭を執り行います。
十月十日は、三救での御神業はじまりの日であり、結びの月、結びの日であります。
そして三救としての御神業が始まった日であります。
そして、なにゆえ三重の地に三救の近くに御倉板挙(みくらたなの)大御神様、伊都能売(いずのめの)大御神様、天照皇大御神様、を御祭神とする神社が存在するのか御神意を感得させて頂くべき日であると思います。
『天上の王権のシンボル』としての御存在であらせられる
御倉板挙(みくらたなの)大御神 様 が神代に
伊都能売(いずのめの)大御神 様
天照皇(すめら)大御神 様 と受け継がれ、現代に
メシヤ大御神 様に受け継がれて御降誕され、全ての神様が、
主神様に帰一していくことを認識させていただく祭典とさせて頂きたいと思います。
月日 時 場所 御祭神
10月10日 9:00 三救 主之大御神 様
10:00頃 加良比乃神社 御倉板挙大御神 様
伊都能売大御神 様
11:00 三救 主之大御神 様
今年で3回目の三救祭となります。振り返って確認させて頂きます。
平成30年10月10日『三救 Three Pillars of Salvation での御神業始まる。』として、本日は特別に意義ある日となった、私は、これまでも何かの行動を起こすときや祭典において自分なりに意義を持って臨む。という姿勢を貫いてきた。そうすることで、生活に豊かさが伴ってくると思うからだ。
私が、初めて御神体(五六七大神様)をお迎えさせて頂いたのが、平成五年十月十日で、その時から25年がたつ。25の数字については、『法華経二十八品で、二十五番目が観音普門品である。彼の日蓮上人はこの事を知って、法華経こそ仏法の真髄であるとなし、熱烈なる信念をもって法華経の弘通に当られたという事である。』とあるように、この25年という歳月に意義を感じる。
次に、三十年十月十日については、『十十十と三つ重なると千になる。』とあります。その上に三が付いているので三千。三千というと、
【御教え】仏滅と五六七の世 『文明の創造』昭和27年執筆
『私の善言讃詞の中には大千三千世界と直してある。というのは三千世界とは、神幽現の三界であるに対し、これを纏(まと)めて一つにすれば大千世界となる。大とは一人とかくのであって主神御一方が主宰され給う意味である。』
とあるので、仏滅となり五六七の世になるこの時、神幽現の三界を主神様が御一方が主宰される。御教えに帰一する時となったと受け止められる。
また、十月十日というとメシヤ様は、
『胎もれる これの身魂を安らかに 守らせ給へ伊都能売之神 S10. 5.11』
お腹帯に『伊都能売之神』というご神名を御揮毫になられておられますように、新しい生命の息吹と、『伊都能売之大御神』様にこの数字は関係あるようです。
メシヤ講座・特選集 no.87(平成20年4月分)では、
「胎児は、このように十月十日の間に38億年間の生命誌を辿って人間として完成してまいります。メシヤ様の仰っているのは、ダーウィンの進化論では不十分で、宇宙の誕生、地球の誕生をも踏まえて人間を考えてゆかねばならないということです。」と学びました。
メシヤ講座・特選集 no.96(平成21年1月分)
「幸いなことに昨年十月十日に開設したホームページ「メシヤ講座・三重」には、毎月の三重での学びをアップさせて頂くことができております。ネットを通じてたくさんの方々と学びを共有することができれば、嬉しく思います。」で確認できますように、十年前の十月十日に最初のホームページを誕生させて頂きました。
このように確認させて頂きますと、
三十年十月十日は、意義ある日で『伊都能売之大御神』様に関連が深い。十月は神無月でなく神有月である。『伊都能売之大御神』様に参拝ができるところが三重にはあるではないか。と、決意を新たにさせて頂いたのです。
『救いの三本柱 略称:三救(さんきゅう)』
そういう意義ある日でありますので、三十年十月十日をもって、この御神業の場の名称を『救いの三本柱 略称:三救(さんきゅう)』とさせて頂きます。
「Thank you」 というとまず感謝の言葉「ありがとう」が浮かびますし、
Sun 太陽の救い でもありますが、これは『救いの三本柱』を略しての『三救』であります。英語表記では
Three Pillars of Salvation(スリー ピラーズ オブ サルベーション)
となります。英語表記の頭文字をならべたTPOSは、ギリシャ語で場所とか論点を意味します。また「TPOに応じた行動をとろう」等、社会でも良く使いますね。
Time 時間 どんな時に
Place 場所 どんなところで
Ocation 場合 どんな動機で
Style 生活 どのようなライフスタイルで
もちろん活動の中心は『救いの三本柱』であります。
メシヤ様のご精神である御教えを中心において、
⦿浄霊 ⦿自然農法 ⦿芸術 による救いを、現代に伝える取り組みを進め、その恩恵を享受できる人々が一人でも多く集える世界、地上天国建設を目指してまいりたいと思います。「三救」は、⦿浄霊 ⦿自然農法 ⦿芸術 による救いの場であり、その救いの方法を、共に学び話し合う。TPOS(時間、場所、場合、生活)の論点を御教えをもとに明確にし、一人でも多くの人の『救い』に繋げていく場であります。三本柱いずれも御教えが根底になければならないことから、TPOSを念頭におき、御教えの編纂を行う。底本(よりどころとする本)を『メシヤ様の御教え』『メシヤ講座』とし、新聞、雑誌、WEB等の情報から真実を見極め発信していく。このような取り組みを行ってまいりますので、気軽に参加していただければありがたく思います。
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三救祭の意義について三救最初の挨拶文から確認させて頂きました。
ミクラタナの神様
ここで、ミクラタナの神様について、メシヤ講座で確認させて頂きます。
NPO法人「にっぽん文明研究所」から「伊都能売神観・御倉板擧神」についてのアンケートの協力依頼があり、次のように回答されておられます。これは、メシヤ教としての公式見解であったと言えます。
メシヤ講座・特選集no.129(平成23年10月分)
「にっぽん文明研究所」御中
アンケートの回答を送信します。
教団名「メシヤ教」
1.貴教団の「伊都能売神観」とはどのようなものでしょうか。
に対して
「世界救世(メシヤ)教」岡田茂吉教祖が執筆した『文明の創造』を、質問に対するお答えの論拠とします。
この論文は内部的には知られるところですが、対外的には未発表のものです。
何故、この論文を論拠とするかと申しますと、質問に関する内容については昭和十年から様々に語られてはおりますが、信教の自由及び言論の自由が保障されるまで、皇室に配慮しての記述が続き、不明瞭な部分が存在しました。一方同時に、教祖自身の神格の変遷もあり(これは、2.の質問に関わる内容ですが)、それに伴い発表内容も吟味された上で論調が整えられています。
『文明の創造』は、昭和27年、満を持して執筆に当たったものであることから、論拠とする理由にした次第です。
メシヤ教では『文明の創造』を内部資料として復刻して、来年6月には外部向けに出版する予定です。
内部資料は12月に完成しますが、それに、“「世界救世(きゅうせい)教」三派、神慈秀明会、天聖真美会の信者の皆さんへ特に読んでいただきたい”というサブタイトルを付けた「天国篇」の仕上げ解説(代表の執筆原稿)を添えたものにします。出版社は未定です。
その中に記述されている「仏教の起源」「伊都能売神」「観世音菩薩」の内容が回答する場合の具体的論拠になります。正確を期すために引用しますが、長くなることをご容赦ください。
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ここに『文明の創造(宗教篇)』より『仏教の起源』『伊都能売神』『観世音菩薩』の全文を添付しました。三タイトル共に本年12月23日刊行の『文明の創造(三) 宗教篇』から添付したものですが、ここでは、紙面の関係から本文を割愛させていただきます。発刊をお楽しみに。)
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2.岡田茂吉師が静岡事件で留置場に収監される法難にあわれたとき、腹中に最高最貴の〇〇〇〇〇神が入られたとされております。その神とは御倉板擧神(みくらたなのかみ)といわれておりますが、貴教団での見解を教えてください。
に対して
『天上の王権のシンボル』としての御存在と捉えています。素盞嗚尊が押し寄せてきた理由もそれを狙ったものでしょうし、神武天皇が中国から上陸し高千穂に身を潜め素盞嗚尊による治世の乱れを目論んでいた理由も同様でしょう。しかし、覇権主義においては手にすることができなかったことは自明の通りです。
また、『天上の王権』であることから創造主、宇宙の主宰者(主神様)から降る御霊であり、昭和元年岡田茂吉教祖の腹中に宿った光の球に、昭和25年「チョン」が入り「ス」となり、この時から『メシヤ(救世主)』という御存在になった、と理解しています。
この内容については、ご承知のように『〇〇〇〇〇』の神とした表現に留めています。その後も踏み込んだ教祖の直接的執筆はなく、当時のI茂登吉執事のみに明かされた内容、とされています。教団境内の外でI氏他と執り行った神事において、宇宙の主宰者からの降臨であることが承知できます。その意味から、I執事のみに明かされた内容、とされています。
ただし、教祖言の『主神直接の啓示』や『主神直接の絶対力』という表現がそれを雄弁に物語っていると思われます。
そして、メシヤ教では、そのことに対する認識を深めた者ほど救済力を発揮することができている、という(客観的に見ての)現象が起きています。以上です。
平成二十二年六月十五日
地上天国祭 代表挨拶より「ミクラタナの神様」に関する箇所を抜粋
今日お伝えする内容と言うのはですね、昭和25年6月15日にメシヤ様の腹中に宿られておられた光の玉に魂が入ったというお話は聞いていると思いますね。光の玉は元々あるので浄霊力を皆様方に授けて下さっておられるわけですが、しかしその光の玉に魂が宿ったのが6月15日でその時宿った神は○○○○○の神というようにずーっと伏せてきております。で、ここ数年前からですね、三重支部のHさんもあるサイトを見つけてそこでその御神名を知ることができまして私もその御神名と我々が御神業を続けさせて頂いているその繋がりがですねどうしても繋がって行かない部分がありまして、大よその教団もそれが繋がっていないと思うのですね。だから、正式発表も中々していないと思うのです。
その繋がっていないことをメシヤ講座の中ではまだ載せる約束をしていませんので、頂いた資料に基づいて説明を少ししますと、この御神名はですね、メシヤ様の側近中の側近でIM先生という方がおりまして〇〇Aの資料の中では、このIM先生ともうひとりの女性とメシヤ様と3人で、本部ではなくてI邸で何回か執り行われておりますね。そしてその時の御言葉が「ああこれで間にあった」とおっしゃられていたというそういう資料を読まれたことがあると思うのですけども。この神様の御神名はI先生が資料として残して話しておられたという資料しかまだ私は入手しておりません。その神様の名前はですね。
この神様の名前を聞き出した先生はM神教のIと言う先生です。この先生はI先生はメシヤ様から許可がない限りは絶対口にすることは出来ないのだと。いうことでずーっと拒んでいたらしいのですけども絶対口外しないのでということで頼み込んで問いただしてそして聞かれたのが「みくらたなの神」というそういう御神名であると。これについてメシヤ様はどういうふうに御説明されているかというと、今まで光の玉が御自身のお腹にあられたのですけどもそこへ魂が宿ったと。魂が宿ったことによって新たにメシヤが生まれたのだと。こういうお話をされておられました。
この宿られた瞬間というのが実はこの御神体の形であるわけですね。光の玉があったわけだから、そこへ「みくらたな」という神様が魂として深く入ったのでメシヤという御存在になられたと。
過去に霊的知識のおありになる方が書かれた「日月神示」とか様々な神示あるいは神喩というのを読んでいるとこの○・というものが世の中を変えていくということをちらちら読んでおられることと思います。しかしこの○・というものが変わって行くということについてはなかなかわからないものであるわけですね。しかしこのメシヤ様の御言葉をずーっと繋ぎ合わせていくと、この○・という御存在に対して私達が御祈りするということはメシヤ様の腹中に宿られたメシヤ様そのものに御祈りするということと同時に、三重支部の方から報告があったような、所謂太陽の黒点と言う事が象徴的に現われてくるものと一致するということでメシヤ様であり主神様であられると。そういう御存在に直接御祈りするという事になっていきます。そういうふうになっていくからには、私は主神様の御神体について過去一番最初メシヤ教を始める時に教団役員の方たちに「どういう形で信仰形態を整えていくんだ」ということで聞かれたのでこの「主神様の御神体○・のお文字でいきます」と話をしたことがあるのですね。それから霊能者からも初期はかなり問い合わせがきたりしたのでいろいろ話し合った時に「主神様」という御存在はあまりに高すぎるのでその高い存在を家庭や支部に祭るというのはちょっと相応しくないのではないかと。違う形が良いのではないかとずいぶん止められました。しかしこれはメシヤ教を発足する時にどうしても御神体としてどういう御神体にするかということをメシヤ様にずーっとさせて頂きながら最後に示されたものとそしてそのお文字があったということで、これに決めようということでどういう形になるかはわからないけれども進めていこうということで、決めたことであります。
それが丁度立教11周年を迎えた祭典の日に太陽の黒点でそういう変化が時節を合わせるように起こってきたということ。まあこの話していること自体がまだ十分お伝えしきれていないのですけども、これが神様からの「それでいいんだ」と言う、丁度夕べですね、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に川崎支部から書きこんで頂きましたが、その本文がメシヤ様から「それでいいんだ」と夢の中で言われたと書きこまれていましたけどそういう思いが沸々と湧いてくるような出来事でした。
それではその「ミクラタナ」ということを色々調べて行った時にですね、これはそのI先生とI先生のやり取りの中を読んでいきますと、「昭和25年6月15日天運満ち満ちて御降下となられたのです。戦う体、溢れる血潮、神話時代の物語は幾千幾万年の時空を超えて20世紀半ばの現在只今生々しく復活し、いとも現実的に救いの聖業となって示現されているのだと。その絶妙の言霊「ミクラタナ」I先生の一言一句に酔うた如き小生に「観音様、天照皇大御神の玉の関係について必要なことすべて明主様は説き明かされていますからそれはIさんあなた自身の勉強課題です。」此処で深い溜息をつかれた先生は急に声調をお変えになって「メシヤ様をめぐっていろいろあったようだなあ。ミクラタナの神様の御降臨がわかれば明主様の御神格に異論を差し挟むことなどできる訳はないんだよ。なあIさん若いあなたがしっかりしてくれなきゃあいけないよ。私はもう第一線を退いたのだから。」先生の眼がしらに一滴光るものがありました。
感動の連鎖から我に返った小生は万感の謝意を申し上げて辞去し耳に残るI先生からの固い誓約の元免除された未知の宝物を一片たりとも漏れ落とさじと全身に包みながら帰路につきました。
まあこれで締めておられるのですけどもこの「ミクラタナ」という御存在は一つは伊邪那岐命(いざなぎのみこと)様からですね、3人のお子様の内の天照皇大御神様に授けた玉であると言われております。だからメシヤ様が昭和29年6月15日のメシヤ降誕仮祝典の時にメシヤ様ご自身に御祈りいたした時の御神名は天照皇大御神様と御唱えしたのは「ミクラタナ」を授けて頂いた本体としてお参りしたというふうに捉える事ができると思うのですが、しかしこれは神様であり肉体を持っておられたというそういうお言葉になるわけですね。でメシヤ様がもう御昇天されて55年になりますけども我々の信仰はこの光の玉に宿った「ミクラタナ」自体から力を頂いてそして地上天国を建設していくそういう御力とか智慧とか頂いていくというふうになって行くと思います。そういう力の源ということを今回示されたというふうに受け取って頂ければ有り難いと思います。
それからこの「ミクラタナ」をいろいろ三重支部の方で調べて頂いた内容の中には、例えば私達のこのしゃべっているですね、母音と子音によって日本語というのは構成されておりますが、「ミクラタナ」というのはその言霊を全部のせる棚のことなのだというような説明もあります。そうすると私達が物事を考える原点は言葉がないと思考することができません。何か考えると言っても言葉で考えているわけですよみなさんはね。その言葉の一番基が日本人は母音と子音の構成によって出来上がっていると。それが一番根元的なものでありますね。だから古代の日本で使われていたお文字はこの○・というお文字は「ア」になります。母音と子音の一番最初の言葉としての「ア」ということになってくるということが繋がってきますので、一回で聞いてもわからないと思いますが、根元中の根源を示されたというわけです。それから私達はそのことを知ることを許された人間であるというわけです。此処に集まっている人達はね。でこの許される人間を一人でも多く増やしていくという事が実は布教と言う事になるわけです。そういう神代のことまでわかって行くということが願いとしてはあります。
メシヤ様のご精神を現代に求める座談会より
みくらたなの神様
三重支部です。
地上天国祭において代表より極めて重要な内容のお話がありました。
『ここで言いたい事は現在の私である。それは静岡事件の際留置所の中で、頗る神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚かいて主なる信者に頒ち与えたのも、その時の経綸によったのである。
神様と私との関係 「地上天国」五十七号、昭和二十九年二月ニ十五日』
の○○○○○の神様とは 『みくらたなの神様』であるという内容でした。
このご神名については、古事記に次のように出ています。
「あは子生み生みて、生みの終(はて)に三はしらの貴き子得たり」とのらして、すなわちその御頸珠(みくびたま)の緒も、ゆらに取りゆらかして、天照大御神賜ひて詔らししく、「なが命は高天の原を知らせ」と事依さして賜ひき。かれ、この御頸珠(みくびたま)の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
伊邪那岐命は、天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠を天照大御神に授ける。稲妻の表象でもあった。その珠の名を「みくらたなの神」とよぶ。天照大御神には高天の原の領有支配者になると同時に穀霊としての性格が付与されることになった。(古事記 新潮日本古典集成 新潮社 より引用)
御倉板挙(みくらたな)の神様については、五十音言霊図であり、恒天暦、太陽暦、太陰暦であり、生命の大本源であり、大御神の大宮殿であり・・・
ネットで調べると多種多様の解釈がありました。
○ かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
御倉板挙とは御厨(みくりや)の棚(たな)の意です。天照らす大御神の知しめす食物といえば言霊のことです。それを並べておく棚という事で五十音言霊図の事であります。天照らす大御神が父神、伊耶那岐の命から授かった御頸珠とは五十音言霊図、またはその原理だ、という事となります。
○本居宣長は『古事記伝』にて「御祖神の賜いし重き御宝として天照大神の御倉に蔵め、その棚の上に安置奉りて崇き祭りたまいし名なるべし」と言い、板挙とは「板を高く架挙て物置く所に構うる故に如此書けるならむ」と説明する。
○ この御頸珠をお授けになったというのは、いわゆる御倉板挙の神、すなわち恒天暦、太陽暦、太陰暦をお授けになったのであります。
○ 伊邪那岐神の御頸珠は、万神万生万有のありとあらゆる一切が貫かれている所の大連珠であって、玉緒(即ち生命)の大本源である。一切はこの玉緒に連なって生かされているのである。顕幽両界を通貫して、無限小から無限大に至る一切を、至慈至愛至護をもって生かしている根本生命なのである。
○御倉板擧神のミクラタナのタナとは、天文(天体の諸現象)という義である。タナバタ(七夕)という言葉も、タナ(天体運行)ハタ(機織り)であって、天体の諸星が縦横に運行して、ちょうど機織りのような状態であることから来ているのである。天体のすべてが一連の玉繕に貫かれて、縦横無尽に自在に運行して、美しい機織りの姿をとっている大境界、即ち大御神の大宮殿を指して、ミクラタナというのである。
私は「50音言霊図・原理」と、暦(太陽の運行)ということが気になりました。6月度のメシヤ講座・三重で繰り返し言霊に関する話題が出ました。また、2、3ケ月前に日室岳のことが話題になり「伊勢の二見―伊勢神宮―元伊勢が一直線に結ばれる。夏至の日、二見から登った太陽は元伊勢日室岳の真上に沈んでいく。」ということが話題にのぼりました。そこで、地上天国祭前の6月12日に伊勢神宮で朝日を見て参拝し、その足で丹波大江へ向かい、日室岳遥拝所より天照皇大御神様にお祈り申し上げました。
(詳細はメシヤ講座・三重参照)
言霊についてメシヤ様は「五十鈴川の解釈で世界の今後のことが判るのであるが、今是をお話することは出来ません。
観音講座第一講座 主神の御目的と天地経綸の真相」と御教え下さっております。
五十鈴川についてネットで調べますと、五十鈴川の五十鈴は50音の言霊を表し、五十鈴川を渡ることの意味について、今事記ワークス代表の木戸寛孝氏は、ウェブサイト「スピリチュアル・ボイジャーズ」のインタビュー記事で、こう話されています。以下、引用。
「伊勢神宮の神域に入っていくには宇治橋を渡って五十鈴川を越えていかなければなりませんが、この五十鈴、「五十の鈴」が意味しているのは何かというと、50音図のことなんです。そして、川を渡るということは、五十音図の頭の部分『カ~ワ』に当てはまり、宇治橋を渡っていく自分自身が『吾・ア』であり、つまり『アカサタナハマヤラワ』の50音の形式を暗号化しているわけです。5つの母音によってア行(アオウエイ)とワ行(ワオウエイ)が縦に両脇に並び、その間を横並びに8つの父韻(k、s、t、n、h、m、y、l)がブリッジしています。この5母音がアマテラスという母性の象徴であり、8つの父韻を八幡と呼び、スサノオという父性の象徴を表しています。この5つの母音と8つの父韻という父と母の掛け合わせにより五十音図が形式化され、万物を作り出す雛型になっているという世界観なんです」
五十音の最初の「ア」のお文字を御神体にいただいている私達は言霊ということを常に意識すべきだと思いました。
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ところで、三重県津市に加良比乃神社があります。延喜式神名帳にある由緒ある神社のようです。 【延喜式神名帳】加良比乃神社 伊勢国 安濃郡鎮座
なんとこの神社の御祭神が 御倉板挙神様 伊豆能売神様 なのです。御倉板挙神様を御祭神とする神社はあまり存じませんし、天照大御神様が御遷座なされた後で、御倉板挙神様 伊豆能売神様の二柱を祭神として御迎えされたことに天照大御神様、御倉板挙神様、伊豆能売神様の深い因縁を想い感動した次第です。
『社伝によれば、倭姫命が天照大御神を奉戴し、この地に廻歴せられて、4年後さらに他所に遷座せられた後に、その宮跡に御倉板挙神・伊豆能売神二柱を祭つたのが創祀であり、それより産土神として崇敬されて来たとする。』
2010-06-18 御神名について メシヤ様のご精神を現代に求める座談会ブログより
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御神名について(1)
本部です。
三重支部から報告された資料は非常に貴重なものです。そして、この資料を参照することにより御経綸の深奥に一歩近づく足掛かりを得ることができます。何度かに分けて補足してまいります。
まず、 ここで重要視される内容は、天上の王権のシンボルとしての御頸珠(みくびたま)の御存在です。
この神界の秘儀を明らかにしなくては「地上天国祭」の由来も理解できません。過去、「昭和6年6月15日に房州鋸山で『夜昼転換』の啓示を受けられた」という教えられ方で来たために、私自身もそのように受け止めてまいりました。しかし、お蔵入りされていた御教えに出会う中で「メシヤ様は『夜昼転換』の神事に臨まれた」と拝することが出来るようになりました。そのため、それ以後の説明は「啓示を受けた」のではなく「神事に臨まれた」ということに変更をしました。
一方その時点では、同時に、次なる疑問が生れていました。それは、天照皇大御神様をお迎えし日枝神社に御鎮座申し上げたのはどういう意味か、ということです。そして、昭和29年6月15日に執り行われた「メシヤ降誕仮祝典」において、メシヤ様に真向かって「天照皇大御神守り給へ幸倍給へ」と唱えられた理由についても解答を得ることが出来ずにいました。過去の御神名と異なるからです。数年前に「みくらたな」の神という御神名を知り得ることは出来ましたが、明確にメシヤ様との繋がりを見い出すことが出来ずにいたのです。
その疑問が氷解したのが、この度の「メシヤ様お出ましの夢物語」からの思索なのです。その恩恵によって、昭和元年の御啓示、昭和6年の御神事、昭和25年の 御秘儀、昭和29年の「メシヤ降誕仮祝典」が全て繋がったのです。
2010-06-23 * 御神名について
御神名について(2)
本部です。
御啓示から『メシヤ降誕仮祝典』までの繋がりは、神界の秘儀、天上の王権のシンボルに全て関わっております。ミクラタナの神様の御降臨が解ればメシヤ様の御神格に異論を差し挟むことなど出来ない旨の話をされたIM先生のお言葉通り、信仰形態を揺るぎないものにさせていただけることになったのです。この上なく拝賀奏慶すべきことであり感謝に堪えません。
またこの喜びは、私達に通ずる法則を見い出すことにも繋がります。
何故なら、メシヤ様の御神格 に関わる秘儀を時系列に拝させていただくと、メシヤ様の御姿勢と御決意、弛まぬ御行動 に伴って執り行われていることを感受できます。
つまりはメシヤ様によって『夜昼転換』が実現し、地上天国建設の手引き書が示されたのですが、メシヤ様が御啓示を受けられてから御啓示内容の検証に5年余を掛けられ、御決意を固められることにより『夜昼転換』が実施されました。そして、それは天照皇大御神様をお出迎えすることでした。その御事から浄霊法の確立へと繋がりました。慎重ではあられましたが、一度決めたら決心が揺るがないことを意味します。そのメシヤ様の弛まぬ御神業推進により光の玉におみたまが宿られメシヤ様という御神格にまで御出世されました。
信仰形態とは、このメシヤ様の御姿勢、御決意、弛まぬ御行動を追体験させていただくことに外なりません。メシヤ様の御言葉『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』に照らして、追体験は私達のレベルで神格を有することへの道を唱導していただけるものなのです。
2010-06-27 * 御神名について
御神名について(3)
本部です。
メシヤ様の御啓示は、私達のレベルでは初めて浄霊を知った時であり御教えに触れた時である、と置き換えることができます。また、メシヤ様の御決意は、私達のレベルでは浄霊力を拝受した時である、入会をした時である、と置き換えることができます。私達の『夜昼転換』は先祖の導きでメシヤ様に出会い、自らの神性の輝きで浄霊を取り次ぐ決意を固めた時に実現した、と言っても良いでしょう。
ただ問題は、メシヤ様のなされた御啓示の検証と弛まぬお取り組みに近付く私達の姿勢です。これは、『メシヤ降誕仮祝典』に「仮」を付けられた理由に繋がると思われるところです。これから述べることは、「『文明の創造』は何故完成しなかったのか」と合流して考えねばなりません。問いかけた鎌田氏の「神業が完成していないということですか」に対する答えと関わってくるからです。
前回冒頭の「御神格に異論を差し挟む・・・」というお言葉は、裏返すと御在世当時、異論を差し挟む者がいたということですね。ほんの数人以外はメシヤ様の御神格も本来の御神業も理解していなかったことになるのでしょうか。大変な文言です。「完成していない」のは弟子達だったのです。
これは、偉大なる浄霊力に出会い、弛まぬ取り組みを目指す中で勘違いや取り違いが生じたことから起きることです。メシヤ様は教祖になるべく御啓示までありとあらゆる御苦労を重ねられています。
個人としては『婦人病以外の全ての病気を体験した』という程の罹病を経験されています。家庭人としては最初の妻子を失ったことをはじめとして大変なご苦労を重ねられました。事業家としては大成功を収められますが、新聞社創業のために株に手を出し大借金を背負うことになります。客観的事象としては、そうしたことを重ねられながら教祖になるための準備をなされました。その過程から教祖となられても一貫されたことは『可能な限り全人類を救済する』という御悲願です。
その御悲願の行為化が浄霊です。私達が不断に行使させていただいているものです。しかし、この霊の行使はメシヤ様からのものであり、私達からのものではないのです。 この一点から寸分でもズレれば、大変な勘違いを生じます。取り違いをしてしまいます。それが「御神格に異論を差し挟む」背景です。
メシヤ様の一貫された御悲願に対して御腹中の光の玉が存在し、その光の玉に神御魂が宿られたことで、地上天国建設の推進ができるようになられたと拝することができます。それ故に『文明の創造』御執筆に着手された、としか考えられないということが、時系列で拝されることです。
2010-06-27 * 御神名について
御神名について(4)
本部です。
天上の王権のシンボルである御頚珠は装身具的なものではなく、『ミクラタナの神様』と申し上げて主神様の神御魂そのものであります。だからこそ、メシヤ様は『最高最貴』と敢えて仰られたのです。このことを知り得てこそ、勘違いや取り違いを起こすことのない信仰ができるのです。
さて、ここでいよいよ、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に何故「仮」を付けられたのかという推論に臨みたいと思います。
解答を得るために、 時系列をもう一度整理いたしますと、昭和元年の御啓示によってメシヤ様は御自らの腹中に光の玉が存在することを御自覚されました。大本教時代から他の誰よりも奇蹟が顕著であった理由を再確認されたことと拝されます。
それ以後、御啓示の検証を重ねられると共に光の玉が絶対的な救済力を発揮されるという確証をお持ちになります。救世主の任を担う御決心を固められたメシヤ様は、昭和6年6月15日『夜昼転換』の御神事に臨まれます。この際、天照皇大御神様を迎えられて日枝神社に御鎮座申し上げました。
この御神事を契機にして絶対的な救済力は浄霊法という形に整えられます。そして、浄霊力の伝授方法を確立されて昭和10年御立教になられます。
御立教後も御苦労を重ねられますが、その極みである御法難に見舞われた際の昭和25年6月15日、光の玉に神御魂が御宿りになられます。この神界の秘儀により、それまで神示をいただきつつ御神業を推進される御立場から神人合一の御境地に立たれます。
その過程で信徒が浄霊を取り次いでいただいた奇蹟の数々は、それ等一連の繋がりが真実であることを裏付けするものです。それなのにです、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に「仮」を付けなければならなかった。この式典は、本来昭和25年に執り行うべきものです。しかし準備が整わなかったために4年もずれ込んでしまった、と受け止めなければ理解のしようがありません。準備が整わない最大の理由は弟子達の信仰の境地のことです。『御神格に異論を差し挟む』という一言に帰する訳です。
「仮」を付けられ「本祝典」への思いが高まれば・・・、と考える推論です。昭和30年3月3日の「メシヤ会館」の竣工に併せて「メシヤ降誕本祝典」を執り行う予定になっていた訳ですから。「メシヤ様とお呼び申し上げさせてください。」と弟子達一同平身低頭でお願い申し上げれば・・・、と考える推論です。
私達が現在ただ今「メシヤ様」とお呼び申し上げて絶大なる奇蹟を日々いただいていることの幸せを改めて噛み締めるところです。この度、奇蹟の背景を深く認識することができましたことは、求道者としての宝をいただいたことであり、自らが更なる探求に努めつつ御縁のある方々へ宣べ伝えてゆかねばならない使命を有するものです。一段と堅い誓約を胸に膨らませました。
2010-07-04 * 御神名について
御神名について(5)
本部です。
この度の御神名の公開の意図するところを 「メシヤ講座・特選集」と前回までの書き込みを通して、その主眼としているものは「遥か高位の御存在を自らの場に降ろして考えることにある」ということをご理解いただけると思います。
『天上の王権のシンボル』という解説も加えましたので、私達の生活からは遥かに遠く高い御存在という感覚が生じて、御神名を今明かすことが何故重要なのかという疑問も湧いてきます。実際には「メシヤ講座」で率直な感想として語られもしました。しかし、公開を通して大きなうねりが生じていることも事実です。
誠とは言ったことを成すと書きますが、良くも悪くも言ったことが実現する時を迎えたようです。本日送信した資料も、その現われの一つであろうと推察できます。
また、御神業の要には薬毒論がありますが、これは精神戦争の様相を呈します。神経戦と申しても過言ではありません。人は易きに流れますので、薬毒に気付いても気を抜くと何時の間にか元の木阿弥になる危険性を孕んでいます。あれほど力強く薬毒論を説いていた幹部が、薬毒を入れてしまうという悲劇をよく見聞きします。教団浄化も、薬毒を入れた者が惹起させ、その者たちが今も引き摺っています。
7月は私も身を以て薬毒の恐ろしさを知らされました。47年も前の消毒薬が出されるという浄化を激痛と共に許されたのです。詳しいことは今月のメシヤ講座でお話したいと考えています。
大きな時代の転換期と共に、本来の御神業推進の時を迎えていることを痛感する毎日です。
御神名について(6)
本部です。
御神名を明らかにさせていただくことにより、メシヤ様の御神格に対する認識が更に明確になり、想念の高まりと深まりを得ました。その認識の変化と呼応するように私自身をはじめ各地で変化が起きています。
私自身については、47年前の薬毒を溶解していただいた内容を各地の「メシヤ講座」で報告しました。詳細は「メシヤ講座・三重」で逸早く掲載していただいています。
信徒の皆様の上に起きている様々な変化の代表例は、「枚方支部」仮発会式で参拝者がいただいた御守護です。こちらは「メシヤ講座 大阪(松原勉強会)」で掲載していただいています。
また、「枚方支部」仮発会式では、『御神霊が天下る場所というのは、神様御自らお決めになる』ということを改めて強く思わされました。このことは「三重支部」発会の折に報告されていること併せて受け止めると、より理解しやすい内容ですが、やはり神様のお仕組は絶対的なものであることを痛切に思い知らされます。
というのは、枚方市で支部発会が決まる前には八尾市に九割方決まって改装の準備も進められていたのですが、ある事情で支部として使用出来なくなりました。そのため他を当たっていたところ枚方市に良い物件があり、幸いにも改装の必要もなく直ぐに決まったのです。ところが、枚方市という土地を考えてみると昨年候補に挙がった場所でもあったのです。その時点では一旦流れたのですが、今回支部仮発会に到り、『神様が御神業をお進めになる場所として決められていた』ということを強く認識させられたのです。神様がお決めになったことは変更できないのである、と支部仮発会式をさせていただく中でしみじみと思わされました。
この話は、広島支部でもあったことです。広島支部が発会する前年に、広島市に候補が上がったのです。その時もある事態の影響で流れてしまいました。しかし、他の人の決断により支部発会が広島の地で許されました。御神霊が天下る地は神様の方でお決めになり、人間の方では願いとして思わされるのです。また、神様から御指名があるのですが、決心した者に任が降るのです。メシヤ様の追体験を目指すことで、より判らせていただきます。私達はその一連のお運びを恐(かしこ)んで拝さねばなりません。
そして、重複しますが、それは人間の決心と共に進展いたします。神様の御意図に沿って因縁使命を自覚しつつ御神業にお使いいただける自分づくりに努めたいものです。
御神名について(7)
本部です。
メシヤ様御在世当時に『みくらたな』の神様という御神名は側近に明かされた由ですが、どの程度の人にまで知ることが許されたのかは定かではありません。また、知ることができた人が「天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠(みくびたま)」と同義でもあるという内容に基づいて神界の秘儀をどのように捉えるに到ったのか、というところが大きな関心事です。
一方「メシヤ講座(7~8月開催)」では、 「御神名のことを知っている」という反応もあった旨お伝えしました。それ故に「知った人間はどうあるべきか」ということを考えさせられました。前回書き込みのような変化が続いているからです。
以前「三重支部」の方から資料を提供してくれた中に
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このご神名については、古事記に次のように出ています。
「あは子生み生みて、生みの終(はて)に三はしらの貴き子得たり」とのらして、すなわちその御頸珠(みくびたま)の緒も、ゆらに取りゆらかして、天照大御神賜ひて詔らししく、「なが命は高天の原を知らせ」と事依さして賜ひき。かれ、この御頸珠(みくびたま)の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
伊邪那岐命は、天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠を天照大御神に授ける。稲妻の表象でもあった。その珠の名を「みくらたなの神」とよぶ。天照大御神には高天の原の領有支配者になると同時に穀霊としての性格が付与されることになった。(古事記 新潮日本古典集成 新潮社 より引用)
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という部分がありました。
この内容をメシヤ様御在世当時の先達はどのように捉えたかということです。仮に、覇権主義的によってこれを捉えたならば、その勘違いによって教団紛争を起こす火種になるでしょう。 『徳によって治める』『絶対平和主義』ということが脳裏に浮かんだならば、御法難という不祥事を起こした信仰姿勢を挙(こぞ)ってメシヤ様にお詫び申し上げたことでしょう。
浄霊の奇蹟を目の当たりにすればメシヤ様の御神格は明確であるに関わらず、教団紛争が繰り返され現在まで真の和合が実現しないでいる事象を見つめると、前者の捉え方をしているとしか思えません。そうすると、やはり 「知った」「知っている」ではどうにもならないところがあります。知った上で、いや知ったということはそのこと自体「使命に基づいて知らされたのだ」と受け止めなければならず、どのような行動をするのかが重要なのです。意味を求め行動に移さねば、地上天国建設を設計図通りに進捗させることになりません。
順に思考を重ねてゆくと「勿体ない」と思うばかりです。メシヤ様の御神格は60年も前に明確に明かされており、素直にその認識に立ちさえすれば絶大なる御力をいただくことができるからです。
幸福への扉は、自らの認識と行動によって一段と開かれるのです。
御守護報告
針仕事の御守護 静岡・E
月次祭で御守護報告がありました。
これからまた新たな気持ちで御神業に臨まれることと思います。
昔は裁縫をやっていまして、御神床用布巾などの御用もさせて頂いておりました。
2011年7月浄化 左目の視力がなくなり仏壇のお線香に火をつける時に焦点があわなくなりました。針に糸を通すことが出来なくなってもう何年も針仕事をしておりませんでした。月次祭で学ばせていただく中で、気づき、御神前にて新たな気持ちで真剣に自己浄霊していました。それで、最近になってふと、針仕事ができるかな?と針に糸を通して見ましたら、一発で通り吃驚いたしました。御守護に感謝申し上げます。
孫の浄化に御守護 三重・H
月次祭前後では前浄化とか後浄化を頂くことが良くあります。8月2日の月次祭の翌日のことです。午前中に来訪者の浄霊お取次ぎを終え、外出しておりました。娘から「孫(1歳)がチーズを食べてから唇が腫れあがり、顔に湿疹が出て泣きじゃくっている。こんなの初めて。どうしよう。」と妻に電話がありました。アトピーだと思われます。妻は「大丈夫だよ。あなたの時にもそういうことあったよ。今から行くから」と落ち着かせ、私と二人で娘の家へ向かいました。道中、妻は、LINEで孫の様子を確認しつつ遠隔浄霊をしました。到着した時には、もう唇の腫れもおさまり、眠っていました。それからしばらくして、起きて動いて食事がとれることが確認できるまで浄霊を取次いたしました。娘に、「到着するまで、自分でも浄霊できるからね。」と妻が話すと「そやな。今度はそうするわ。びっくりしてしまって」とホッとしておりました。私達がメシヤ様と御神縁を賜ったのは、娘のアトピーがきっかけです。娘もタラコ唇になり、顔がボコボコに腫れあがった時があり、導き親のところへ御浄霊をいただきに駆け込んだことを思い出しました。あれから32年たちました。
信者より信仰心厚く(御守護報告) 三重Mさん、Kさん
7月22日―夕方の散歩をしておりましたらMさんから妻に、「Kさんが、体操教室で倒れ、トイレで、もどしたらしい。家の前をふらふらで歩いていた。大丈夫かな心配だ。神様にお祈りしてください」 と電話がありました。すぐに三救に戻り御祈願をさせていただきました。そして、私は遠隔浄霊し、妻はKさん宅へ浄霊に向かいました。Kさんは、気持ち悪くて動けなく、床についていました。一時間くらい浄霊させて頂いたら、少し楽になった様子でした。
7月23日―午前中に再度浄霊に行かせていただきました。まだ本調子ではない様子で、4~50分浄霊。昼過ぎに「浄霊後寝たらすっかり良くなった。」と電話をいただきました。
夕方 Mさんが「Kさんの浄霊にいってくれてありがとう。神様にお礼をさせてください。」と三救へ参拝された。妻が一緒に参拝させていただく。そして、Mさんに浄霊お取次ぎ。
7月24日―Mさんは仕事に復帰し、夕方御主人と二人で「神様にお礼」に三救へ来られる。私が一緒に参拝させて頂く。
こうして3人の未信者さんが参拝されました。信者さんより信仰心のある方たちだなあと思いました。御神縁とか因縁とか御神書や勉強会で学ばせて頂くのですが、話を聞いても自分自身に置き換えて、自分の御神縁は?因縁は?と考えられる人はどれくらいおられるのでしょうか?ぜひこの機会に考えて頂きたくお話しさせて頂きます。
まず、体調を崩されたMさんですが、この御夫婦は私達が教団護持委員会のころ、初めてお導きさせていただいたご夫婦です。旧支部のご近所さんです。もう大分前から世界〇〇教の信仰から離れたのですが、宗教組織に所属していなくても信仰心はズーっと持ち続けておられたのだと思います。浄霊で治ったのかどうか分からないのにと思ってしまうのが未信者です。
それが御夫婦で御礼参拝されるのですからきちんと礼節をわきまえた御夫婦だと思います。
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