令和2年9月
令和2年9月度『覚りの旅』を終えて

複数会場での『覚りの旅』の内容を統合して掲載しております。


三救責任者挨拶
皆様、月次祭、おめでとうございます。台風一過くもりを払い晴天となりました。
最近の台風は過去最大級とか未だ経験したことがないとか言われる大きさですので準備を怠らず防災意識を向上させていかねばなりません。
三救三重の月次祭は一日でしたので「防災の日」についてお話しさせていただきましたので、その話からさせていただきます。

資料9-1

2009A

9月1日、今日は防災の日です。1923年9月1日、大正12年、関東大震災が発生しました。霊視能力のある人が大震災の数年前、東京市中を歩きながら霊眼で見るとどの街もバラック建のお粗末な家屋が建並んでいるので不思議に思ったところ、果たせるかなあの大震災が起こったのでなるほどと思ったと。
この話を受けてメシヤ様は
「一切は霊界で先に起こるというのは真実である。つまり『霊主体従の法則』によって、霊界の方が一足先に浄められて、それが現実に移写されるのである。」とお述べになられ、続けて
今回の熱海火災の際、本部仮本部の建物は火に包まれながら助かったという事は、右の如く穢れが無かったからで、むしろ当然というべきである。この事実によってみても、人的には不燃焼建造物を作り、霊的には出来るだけ汚さないようにすれば初めて永久不変の安全都市となるのである。
西洋の不燃焼都市も第二次世界大戦で爆弾で破壊された。実に宇宙の原則は厳として犯す能わざるものたることを知ればいいのである。 (火災の霊的考察 昭和25年5月20日)

熱海の火災があったのは昭和25年4月13日です。
昭和25年6月15日にはメシヤ様の御腹中の光の玉に ゝ(ミクラタナの神様)が御宿りになられ、メシヤ様という御存在になられるわけですからその前の大浄めだったのではないかと拝察申し上げます。

ところで同じ昭和25年ミクラタナの神様を御祭神とする津の加良比乃神社の社殿が炎上しました。
御神体は無事だったようです。すぐに拝殿が造営され平成8年に神宮の御神木により正殿を造営しております。

昭和25年ということ、霊主体従の御教えと御祭神を併せ考えますと決して偶然ではないと思うのです。

資料9-2
2009B


このような大震災も戦争も大火も『霊主体従の法則』によっておこる。霊界の方が先に浄められてそれが現界に移写される。
なぜこんな災害が、なぜ私が病に、と誰でも思ってしまいますが、浄めなければならないくもりがあるという事です。それは現代に限ったことではありませんので、縁とか因縁とかが関係してきます。地縁というのもあるわけです。
私達は日本に生まれ、メシヤ様に御神縁を頂いているわけですから、最大の御神縁を御神恩を一人でも多くの人に真配らせて頂かなければならないのです。知らせていかなければならないのです。その使命が果たせるように頂くご浄化も厳しいのです。

と初めにお話しさせて頂きました。
それでは9月度の『覚りの旅』に入らせていただきます。

本来ならば『文明の創造』を拝読させて頂いて皆さんがどのように受け止められたのかを話して頂いて、それに基づいて話を進めるというのが一番良いのかなと思っています。
しかしながら一気には難しいかと思いますし、それで月次祭に参拝されるのが嫌になっても困りますので『天恩地惠』に『文明の創造 科学篇』で各メシヤ講座で学ばせて頂いた内容をピックアップして纏めてあります。既に学ばせて頂いたことでありますのでぜひとも思い出して頂いて1つなり2つなり心に留められるようにお願いいたします。

その思い出すという事は、先生が良くお話しくださった『神性を蘇らせる』手助けになればとの想いで『天恩地惠』に掲載の内容をまた要約して『覚りの旅』で復習しているのだと思っていただけたらありがたく思います。


資料9-3
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メシヤ講座・浜松 2011年2月 に

「マスクもうがいも、インフルエンザ予防にはなりません。インフルエンザウイルスは小さくて、マスクなどものともせずに通過してしまうのです。うがいをしても無駄です。のどの粘膜にウイルスがとりついたら、三十秒~一分以内に体内に入ってしまうのですから、うがいで予防するつもりなら、延々とうがいをしていなければいけない、ということです。」
「消毒液やマスクなど意味のないことが、学校にはいつまでも残ってしまう。」、「ワクチンを打つのがよい行為である、どんどん子どもにワクチンを打つのがいいお母さんであるという思い込みからは、もう脱却すべきではないでしょうか。」
「製薬会社が大きなスポンサーであるテレビや新聞で流れている情報は、ほとんどがワクチンや薬を売ろうとする宣伝です。病気で人を脅すやりかたには乗らないように注意しなければならないのです。」
「病気にかかること、うつすこと、うつることは決して悪いことではありません。人は病気にかかりながら強くなるのです。すべての病気を予防しよう、病原菌やウイルスは排除しよう、撲滅しようと考えることは不自然だし、ワクチンで自然界にある病気を撲滅できると考えるなど、人間の思い上がりではないでしょうか。
感染症が恐ろしいのは、貧困と混乱の下という環境でのこと。何より戦争のない世の中が感染を減らしたのです。そして、これだけ生活が豊かな現代では、感染症が発症したからといって、そうそう死ぬことはありません。逆に感染することで、強い免疫力がつきます。人間はそれほどヤワじゃありません。そして、世界を見渡してみれば、日本は世界一、乳児、新生児死亡率の低い国なのです。お母さんが安心して子育てできる国なのです。脅しの情報に右往左往させられることなく、自分の体を信じ、自分の感性を信じましょう。私たちはもっともっと、おおらかにいきていいのではないでしょうか。」
(「インフルエンザワクチンはいらない」母里啓子著 双葉新書より)

とあります。
私たちがいつもメシヤ様の御教えから学ばせていただいていること、先生からご指導をいただいていることが書かれていました。御教えやメシヤ講座のおかげで私たちはそのような恐怖や不安の中で生活をしていませんが、恐怖や不安を抱えている人がたくさんいると思います。そういう人たちにメシヤ様の御教えを知っていただきたい、それが許されなくても正しい情報を得て判断できるようになって貰いたいと思いました。

信者でなくても真実を分かった人、目覚めた人が発信しているのです。
信者がいつまでも眠っていてはいけないのではないかと思います。

浄化が厳しいのでね、浄化は有難いという事を真底受け止めて頂いて、浄化が終了するまで継続して取り組んでいただければ有難いと思います。自分に置き換えて考えて頂ければ良いかと思います。

資料9-4
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『現代医学の欠陥』 
『現代医学の欠陥』は何だと書かれていましたか?
➀は、霊と体と人間にある霊を無視して体のみを対象としてきたことだという風に書かれていましたね。見えないから分からないのですね。

基本的に『覚りの旅』としてまとめた9月号のタイトルにそっていると思って下さい。だから、一通りは読んでもらってあって思い出しながらやって頂きたいという思いです。


資料9-5
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『身魂相応に御教え拝読』 
それで御教えというのは、時に応じて、身魂の浄まり方によって、受け止め方が変わってきますので、何回でも拝読を繰り返し繰り返ししていただきたいのです。
浄化している時、健常な時、ストレスがある時無い時、受け止め方は違うと思います。

世の中は自粛生活という機会を与えてくださったのだ。御教えを拝読するチャンスだと受け止めて頂いて、御教え拝読と浄霊に取り組んでいただきたいと思います。


資料9-6
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それから、66行に『精神活動があるのが人間』と言う箇所には、

精神活動があるのが人間

『動物には人間のような神経作用がない』と書かれてますよね。そうなってくると、神経作用というのは精神活動ですね。そうすると精神活動を持っているのは人間である、と。ということは、人間と動物の違いは何かというと、この精神活動があるということです。この精神活動を持った最初は何だったかというと、葬式をしたということなんです。人間が初めて人間になった時に。これは今から約六百万年前の類人猿の遺骨を掘り上げた時に、花をたむけた痕跡があった、ということから学問的に解釈されています。死者を弔(とむら)ったんだろう、と解釈されています。要するに宗教行為をしたということが人間のスタートなんです。だから宗教をするとは、どういうことかというと人間生活を送るということなんです。ということから、世間一般で宗教を否定するということは、「人間でありたくない」と言っているのと一緒だということです。この違いが分かっておかないと、取り分け西洋の方々に宗教の位置づけを説明することができないですね。特によく海外に行かれた方々が、「あなたの宗教は何ですか」と言われて「私は無宗教です」と言うと、もうその時からお付き合いしてくれませんね。宗教を持ってない人というのは人間ではないわけなのでね。(岡山)

人間の歴史は「お葬式をした」ということから始まっているのです。それが動物と人間の全く違うところです。像など、遺体のまわりをグルグルまわったりして動物もお葬式に似たようなことはします。ですが埋葬はしません。遺体は野ざらしなのです。あるいは他の動物に食べられてしまいます。しかし、人間だけは埋葬するか火葬するか風葬か鳥葬・・・そしてインドの方だったら川に流したりする葬送の仕方もありますが、遺体をそのままにはしておかないで何らかの形で弔います。そういうことをするということを人間は行います。そうすると動物と人間の違いは葬送をするということ。いわゆる宗教行為を行った瞬間から人間になったということです。宗教行為をしないのは動物だということです。宗教をやるということが実は人間の証(あかし)だということです。(三重)


『人間らしく生きるために宗教はある』のだということが書かれています。
学んで、認識するということが大切だと。
宗教をやるということが人間の証なのです。
それは、御教えに沿った生活を送るという事ではないでしょうか。

それで、さっき『現代医学の欠陥』は何かという事で、もう一つ挙げられていましたけど、何でした?

参加者
「人間と動物を同一」に視ている点。

三救責任者
そうですね。

資料9-7
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現代医学の欠陥の②つめに、『人間と動物を同一視していることだ』と御教え賜りました。
人間は向上すれば神となり、堕落すれば獣となるのですから全然違うのです。
その人間以下の動物での実験結果を人間に当てはめているわけですから非常に恐ろしい事を医学はしているわけです。

そうすると、メシヤ講座ではどういう風に解釈されておられたかというとですね、ips細胞ってことが報道されましたよね。


資料9-8
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その頃に神経細胞を作ることに成功したんだと。だけど実験は動物での実験ですからね。そういう事によって、医学会の方は認知症の薬に応用できると考えるけども、御教えで考えればですね、浄霊をしていけばもう一回細胞が復活していくんだと。そういう風な受け止め方をして下さいよと。現代医学が進んでですね、こういうipsの細胞ということが発見されて、進歩してきたけども、それを薬の方って医学の方は考えるけども、それと同時にですね、そこのところというのは、「じゃぁ浄霊をどういう風にしていったらいいんだ」、「浄霊すれば細胞が復活するんだ」と、そういう風に考えて欲しいんですよという事をですねメシヤ講座で学んだわけです。
僕はそういう風に受け止めました。
そういう事をとらえて、次のところの 心筋球。

資料9-9
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心筋球というのは心臓収縮で働きを良くする。細胞が悪く変化すると癌化してしまうこともありますよと、きちんと研究の段階で、副作用として癌になっていくということもあるんだよと書かれてるわけです。だから、考え方とすればですね、ここに書いてありますけども、細胞の働きを正常になるように浄霊していけばいいんだと。そういう風に受け止めればいいんじゃないかなと。こういった情報も、当然自分達も知っておいてですね、それをどうとらえるかという事をですね、今までのメシヤ講座で学んできたような考え方に沿って行ってもらえればいいんじゃないかと思います。

薬の開発に応用というところを、『浄霊の急所』や『浄霊するときの想念』というところへ結び付けていけば良いのです。

資料9-10
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そういう事が、「世の中の動きと浄霊中心の御神業を一致させていく」ことになるんじゃないでしょうか。

資料9-11
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『歴史に基づいた御教え』
これは天恩地惠の3ページを読みますけども。93行目ですね。
『歴史に基づいた御教え』ということで、
メシヤ様が昭和元年にご啓示を頂いた過去・現在・未来というのは、過去はおおよそ50万年前からということですので、メシヤ様が我々に示していただいているのは、おおよそ50万年前から、人間の歴史がより人間らしい生活として始まったということであろうと思います。日本では一万数千年前から石器時代ということですので、その時には石器を使って人間生活を送っていたということですね。そういう歴史に基づいて我々に御教えを下さっているという点を、ここでしっかり認識しておかないと、御教えが、薄っぺらい読み方になってしまいます。
ということが書かれています。

人間のスタート、50万年前からメシヤ様は御啓示をお受になられたわけですが、『入門と奥座敷』に恐竜のことも出て来ます。

資料9-12

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資料9-13
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歴史を思いっきり遡るとですね、恐竜の時代ですね。
「恐竜の化石からがんの痕跡発見」って、8月18日の日経の夕刊に載ってました。恐竜もがんがあったんですね。細胞の変化、突然変異という事ですから、当然あり得るんですよね。今まで分からなかったのが、CTとか顕微鏡が発達してなかったので見えてなかっただけで、実際あるものが見えてきたということ。「恐竜のがん痕跡発見」ということがありました。だけども、実際には、滅んでいった原因というのは病気じゃなくて、恐竜自体は洪水で滅んだということだそうです。歴史がだんだん明らかになって行くということで、ちょっと紐解いてみました。

参加者
肉食だったのかな?

三救責任者
肉食恐竜と草食恐竜とあるんですね。元々は肉食恐竜。最初は肉食恐竜で、肉を食べていた。だから、がんというのもあって当然であって、で、草というのは後から出てくるんですね。草を食べるには胃腸が丈夫じゃないと食べれないんですって。だから、草食動物の方が胃腸は丈夫なんですよ。だから、草食動物というのは後からだったんですよ。肉食があって、草が生えてきたから草の根や幹の皮などを食べるようになってきて、草食系の恐竜が出てきたから、草食系の恐竜を食べる恐竜がまた出てくるようになったと。そういう連鎖。だから、植物を食べる動物が現われて、それらは食べることに困らなかったことから生きのびることが出来てだんだんとその仲間が発展していったのではないかと思います、ということが書かれてますね。
これは御教えじゃないですよ。ネットで調べました。
だから、それぞれの恐竜で食べるものが違ってたと、だから突然変異でがんになるのもあった。ただ、草根木皮ということは、我々が今食べてる食べ物というよりも、漢方系に近いんでね。木の皮とか。
ということで、恐竜もがんにかかるんだと。がんって新生物と言われてるけど、新生物じゃないよねって。要は細胞の突然変異だと考えればいいと思います。
顕微鏡、CTの進歩により見えないものが見えるようになったんだと。恐竜は洪水などの災害に襲われて多数死んでいったんだよと。

「病というのも主神様がおつくりになられたのだ」ということを後の時代に気づくように、7700万年前という人類が誕生するはるか以前に恐竜にもがんという病を与えておかれたのだと、地球の土壌を踏み固める御役目ではあっても後に来る人間の世界のために病の痕跡を残しておかれた、この壮大な神仕組みに感動致しました。

資料9-14
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で、『反文明の原因』いうのが3ページ目に出ていますよね。
『反文明の原因』、病気なんだと。色々書いてあるけども、知って欲しいところを抜き出して書くと『反文明の原因』は病気なんだと。

資料9-15
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で、「病貧争」。「病」のところに●を付けておきましたけども、「病貧争」の原因というのは同一原因なんだと書かれてました。だから、病がもとですよと。「貧しい」というのも、病院へ行ってお金を使うから貧乏になって行くんだと。で、「争い」というのも、精神病の一種なんですよね。皆が人を殺すことを正当化してるんですから。戦争ということでいくとね。全部病気がもとですよということね。

資料9-16
2009-9

『苦痛緩和法』の誤り。天恩地惠の4ページですね。
ここは資料が無かったので読みますけども、161行目(天恩地惠)から。
『苦痛緩和法』の誤り
『右の結果医学は病気の場合外部に表はれたる苦痛を緩和するのみに専念してゐる。従って医学の進歩とは一時的苦痛緩和法の進歩したものであって、其方法として採られているものが彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。』というところですが、血圧の話が一番分かりやすいということで、血圧が上がると頭がモワーッとしたり吐き気がしたりとか、色んな症状が起きてきます。そうするとこれは危険だからと言って血圧降下剤を処方されます。血圧降下剤を飲むと血圧は下がるので、そういう症状は治まる。これはメシヤ様は『苦痛緩和法』と仰っています。
痛いから痛み止めを処方するということですね。苦痛緩和法。
血圧が上がれば、後ろ頭が痛くなったり重たくなったり、あるいはふらふらしたりとか、戻しそうになったりだとか、色んなことが起きますと。元々は腎臓が疲れているということが原因で起きていることなんです。この症状だけ抑えていきますと根本の腎臓はさらに、・・・薬で抑えていくとまた腎臓に悪影響を及ぼしてきますので、腎臓はさらに疲れ続けていくということなので、体を良くするということには繋がって来ないということです。だから、苦痛緩和の方へ走っていくと、人間の本来の健康ということを得ることはできないわけなので、人間の本来の健康体を考えていった時に、もう一度宗教の概論というところにたえず帰るようにしておかないと、どうしても薬に依存し始めていってしまいます。そうすると、人間性が段々となくなっていく、動物に帰って行ってしまうということになっていきますので、今回の拝読をさせていただいた時に、元々宗教とは一体何かということを我々にメシヤ様は、課題提起をくださっていながら、病気を捉えていると心得ておいていただきたいと思います。
ということですね。

資料9-17
2009-10

『見えないものを明らかにしながら人類は進歩していく』んだと。最終的には霊が科学で見えるようになるんですね。霊が見えないのが問題だった。霊と体の体しか見えてなかったのが、段々と科学が発展してくると、御教えにもあるような、霊が見えるものが出来てきて、霊ってあるんだなと分かってくるというのが、本当の地上天国に繋がっていくんでしょうね。

資料9-18
2009-11


資料9-19
2009-11-2

次に、 『独断的観念』と『頑な偏見』 ということで、
「これは大丈夫よ」 とか 「こんなことをしても大丈夫よ」って考えるのが問題を起こすんだと。
人の注意を聞かないとか。「ちょっと待てよ」とかゆっくり考える人は問題を起こさない。
身辺や家庭に問題があって『独断的観念』が自分にないかってよく考えて下さいよと。『頑な偏見』は無いだろうかと絶えずチェックしながら進んで行ってください、とここに書かれています。

ちょうど今、安倍さん。

図ー1
安倍時代


図ー2
多種多様

図ー3
とらわれない

安倍時代幕を引くということで、今日の朝日新聞で 千葉雅也さん という立命館大学大学院教授。著書に『働きすぎてはいけない』とか『勉強の哲学』とか『意味がない無意味』とか、そういうことを書かれてる哲学者のことが出てました。そこで、安倍時代幕を引くということで、総括してるんですね。
大衆感情に即した政策をしてきた。結局、大衆の方におりて、知識人やメディアが多数派に忖度している。だから、多くの人の意見を聞きすぎてる。それが、正しいか間違ってるか、ということを考えてるんでしょうけども、そこを忖度しすぎてる。忖度、得意だもんね。
人間は多様なんですよと。理念だけでは生きられないし、傷つけあったり、嫌な感情をのみ込んだり、愛憎を持つのが人間であって、そういったことを受け止めながら、大人の議論をしていくべきであるのに、そういったことが姿を消してしまったのが、安倍時代であったのではないだろうかと。多数派は本人が自覚していないだけでとらわれが多い。ちょうど今日のことだったのでね。さっきの『頑な偏見』ということにマッチしてたので。多数派は本人が自覚していないだけでとらわれが多いんだと。狭い思考の枠組みから抜け出せない。
というのが安倍時代の問題点として千葉さんという方はとらえておられます。

とらわれない。頑な偏見をもたない。
御教えに照らして考えるとね。
知識人・大衆の声に耳をかたむけつつ自分で御教えに照らして思考するということが大事なんじゃないかなという風に今日の新聞を読んでいて思いました。

参加者
難しい・・。

三救責任者
難しくないよ。大衆に寄り過ぎてるんだよと、安倍さんは。
桜を見る会でも何でも芸能人が横にいたりしながら、大衆に寄ってきていいような恰好をしてたり、今回の自分がコーヒーを飲んでくつろいでるところを自分は大衆のところに寄り添ってるんだよというようなイメージ戦略かどうか分からないけども、やってるけども、そういう風におりてきてはいるけども、もうちょっと知識人も大衆も両方受け止めたうえでの議論が、色んな考え方の議論をしないといけないのに、皆、皆のいうところによって押し込めなくてもいいのに皆を押し込めて、やるのが皆の意見だという風なことで、寄り添ってるように見えて、寄り添ってないですよね。
というのが、この安倍時代である、という風に思います。

参加者
最後のところはコロナ対策のことね。

三救責任者
そうそう。だから、自分の頭で考えてねということ。しっかりと。色んな意見はある、だから、大衆の意見を、テレビの言うことを聞いていれば大丈夫ということじゃ無いんですよ、ということをしっかりと考えて欲しい。皆、多数派に寄り添っていたらそれを自分の意見かと思うけども、「えっ、本当に自分の意見?」ってことです。自分は色んな意見、人の話を聞きつつも、やっぱり御教えに合わした考え方でいくとこうですよという、自分の考えをしっかり持たないといけないよということです。テレビで言ってたからとかそんなんじゃないよということです。メディア受けのする人が言ってたことだけ、テレビの言うことっていうのはほとんどがテレビ局の意向が入ってるので、あまりね・・。
わけの分からない方向に走る人もいるので、そこはかわしつつ、自分としての意見をしっかりと持って行かないと。

テーマ2に行きます。


資料9-20
2009-12

テーマ2 『私は真理を書く』 解り易く 主神様一柱に帰一
真理というのは解り易いんです。で、主神様御一方に帰一していくんですよという。他に御教えで、主神様以外の神様に帰一していくっていう御教えはありませんので。そこはちょっと分かっておかないといけないかなと。

資料9-21
2009-12-2

『私は真理を書く』
いかなる階級の人にも解り易く、主神様一柱に集結、帰一していくんだと。帰一的宗教が今生まれるべきなんだと。理想世界を造る手段・方法・計画設計を教えるのが世界救世(メシヤ)教の使命なんだと。で、これを認識する人が増えていく、理想世界に向かって一歩一歩前進していくことを真理の具現と言うんだと。

資料9-22
2009-13

真理というのはメシヤ様によって全人類に開示されました。それは御教えによってです。御教えで出ていますよと。

資料9-23
2009-14

ということで、御教えが真理なんだよと。御教えが真理なんですね。
メシヤ様が教えて下さったことというのはですね、浄霊・自然栽培・芸術の向上というのが救いの三本柱なんですよと教えて下さっています。
私達の三救というのはここからとっています。組織の名前というのではなくてですね、働きの名前。「救いの三本柱」、そういう意味ですよと。今、ピッタリだねと思っています。

資料9-24
2009-14-2

真理というのはメシヤ様の御教えによって開示されていくんだと。これ、繰り返しですね。 浄霊・自然農法・芸術 ということで、今の話ですね。救いの三本柱 というのは、真理を伝えていくのが私達の使命ということで、ちょうど今の時期に求められていることですよ、ということですね。


資料9-25
2009-15

次に、世界救世(メシヤ)教教義に出てくる御神名というのは当然ながら主之大御神様。主の大神(エホバ)はと出てきますので。 主之大御神様 一柱なんですよと。
というと、ここに書いてある 世界救世(メシヤ)教 、 救世(きゅうせい) って書いて きゅうせい って読ませるんじゃなくて、メシヤ って読むんですよと。世の中を救うということがメシヤ様の働きですので、それで世界救世(メシヤ)教とつけましたと。だから、世界を念頭に置いてる、この時からね。世界を念頭に置いた時の御神名というのは 主之大御神様 であるということ。で、西洋では「天の父」とか「主よ」とか言いますよね。それは、「エホバ」ということですから、西洋の認識の一番の神様ということですので。
他の御神名は出て来ないということです。一柱に帰一していくのは主神様である。


資料9-26
2009-15-2

日本観音教団の教義には、どういう御神名で出てくるかというと、これは以前にやりましたけども、
「主神の御分霊たる」って、この時、御分霊ですからね。「御分霊たる聖観音菩薩は仏界に下らせ給いし御名であって専ら救世済民の為、三十三相に変現化身せられ、或時は光明如来と現じ、又或時は応身彌勒と化し、実に応変自在自由無碍の御活動を・・・」っていうことが日本観音教団の中で出てくるわけです。教義。だから、まだ主神様の御分霊の時の働きの教団ということですね。

資料9-27
2009-15-3

次に五六七教ですけども、「主の大神とは、泰西(ヨーロッパ)に於てはエホバ、ゴッド、ジュウス、ロゴス等々、中国に於ては天帝又は無極、亜細亜に於ては梵天、大自在天、アラーの神又は天之御中主の神とたたえ奉る」と
「観世音菩薩は最後に五六七(ミロク)の御力を揮せ給い」という風に出ています。

資料9-28
2009-15-4

この二つの教義があった上で、二つの教団をまとめて 世界救世(メシヤ)教教義。
『主の大神(エホバ)は・・』
五六七教においては世界の神々が・・・
観音経においては日本の観音様の御出世の御活動が・・・という風にでてきます。
そして、世界救世(メシヤ)教になった時に全ての神々の元、主神様に帰一して主神様を主宰神として救済活動を進めていく、このような想いが教義に表現されているにもかかわらず・・と。
何も書いてませんけども、いるにもかかわらずこの現状だ、ということですね。

資料9-29
2009-15-5

世界の三毒って出てきたので・・。よく私は薬は飲んでないからって・・薬毒っていうのは50年ですから、50年前のことも考えないといけないよという話で。もっともっとということは、然毒というのがありますので、これは薬毒の遺伝ということで自分は今飲んだことは無くてもですね、先祖が飲んでるよね。300年以前から疫病とか発生してますので、そういう遺伝というのも出てきますよね。然毒というのがあります。
あと、尿毒というのもありますので。これは何でも腎臓が急所だと言いますが、腎臓中心というのは尿毒に関係してくるので、腎臓の機能が弱ってくると余剰尿になって、それが腎臓内部から進出して固結となって腎臓を圧迫していくんだよと。
これの見分け方というのは、然毒というのは無痛で、尿毒というのは軽痛で、薬毒というのは強痛。
痛い痛いっていう人はやっぱり薬毒。


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