メシヤ講座・三重 平成23年8月分
○真の祈りとは
~ 参拝について ダイジャスト版 ~


(先生)
○○さん、月次祭来ないと今ドンドン「メシヤ教」の取り組みは進んでいるからね。
休むとね、えらい事になっている。

それで先達が一人で祝詞を奏上して皆がお祈りをする、
形式はまだ何回も経験していないかもしれませんが、
なぜこのような形になったかと言いますと、今までの参拝の先達はね、

みろくおおみかみ まもりたまえさきはえたまえ
おしえみおやぬしのかみ まもりたまえさきはえたまえ

と言ったあとにお祈りをする時間があったでしょう。
するとそのお祈りと善言讃詞はどうかと比較して見た時に、善言讃詞こそ祈りであるわけです。
後ろの方をズーッと拝読すると

『仁慈の御胸に抱かれん  吾等が日々の施業にも』

吾等が日々の施業にもというと施術ということなので、
施術の業というふうに解釈するというのが、浄霊を中心とした救いの業というのともうひとつは仕事職場での仕事ですね。

『吾等が日々の施業にも 妙智を賜ひ眞覚を得さしめ 家は富榮え』

これこそが人間の生きていく上においての最大の祈りでしょう。
この祈りをきちんと響かせないで、いくら頭を下げてお祈りしたところで
大した祈りにはならないのです。

メシヤ様が我々信者に対して代りにつくって下さった祝詞だということなのです。

『家は富榮え 壽は永く無医藥に』

だから薬を用いないで長生きをさせて下さい。と。
そして 善徳行を重ねる中で福壽海無量の大功徳を垂れさせ賜へ座せとー
ですからここに祈りを集中させて祝詞を響かせない限り・・

口早に祝詞を唱えてもね。響いているだけですね。自分の祈りが入ってこないで
しょう。

そしてそういうふうな文言を唱えて最後に
『念々從心 下座頓首』もう下座から幾重にもお願いしますというふうにするのが、
『念々從心 下座頓首』ですから
『跪伏禮拜願ぎ申す』とお願するということです。

これが皆でお参りしているとね『跪伏禮拜願ぎ申す』の意味など全くわからなくなる。

跪伏とはひれ伏しているわけだから。そして禮拜してお願いたします。
というのが『跪伏禮拜願ぎ申す』だから

そのことを神様に対してきちんと意味を持って唱えていかないと
あまり奏上している意味がなくなってしまいます。

まあそういうことを認識して頂きたいためにね、先達者が一人で唱えて、
ただその先達者は十人集まったら十人の中で一番立場の高い人が
お祈りの言葉を唱えるという姿勢が参拝の度に必要だということです。

最後に御神名を唱える時には御教えから行くと、高位の神様の御神名を唱えるだけで光を頂けると。
ですから低い氏神様などの御神名を唱えるとそれなりの光をいただくというわけです。
最高位の御神名を唱えるからこそ強い光を頂けるのです。
主神様は181段の頂点の神様ですから、その御神名を唱えるわけなので、
「その御神名を唱えさせてお頂きます」という姿勢で御神名が出て来ないといけません。

こういうものだからこのように唱えるのだ、というのでは本来の光を頂けない。

一呼吸おいて
「最高神の御神格の一番頂点にある神様の御神名を只今から唱えさせて頂きます。」
という気持ちを胸いっぱい膨らませて、

『主之大御神 守り給へ 幸倍給へ』

と唱えてこそ、その御神格に相応しい光を頂けるのです。

そういう姿勢を持ち直して頂きたいと、そうしたらその御神名を唱えただけで光を頂けているわけですから、感謝に溢れた気持ちになって

『惟神霊幸倍坐世』

と唱えて頂きたいということですね。
惟神(かむながら)というのは「神様の御心のまにまに」なので、
参拝するのにここへ座った時に、メシヤ様が御覧なっておられるのは
腹の中を見ておられるわけです。『本当に惟神(かむながら)なのか』と。

そういうふうな姿勢で、逆に自分に問いただしてね。
そして『霊幸倍坐世』と魂を太くして頂いてね、
そして一層幸せに恵まれるようにね、適えられていくんだと。
これが参拝の時にもう一度我々が確認しておかなければいけないことなんだとい
う事です。

まあこの何ヶ月間をダイジェストのように編集すると今のような話になります。

今回は「夏休み特集」と合わせて「ダイジェスト特集」になりました。

それでは時間になりましたので終わらせていただきます。