平成15年3月 に勉強会を行った時の資料

家族の無理解も霊線によって浄まる

私は昭和二十四年八月十二日入信致しました。私は後妻として今の家に来たのですが、先妻の子供が二人ありますが、長女(二十三歳)がヒステリーが強く、その為に家の中が暗くなってしまいます。私はなんとか良くしたいと考えておりますが、本人は信仰する気持ちはない。御浄霊は大嫌いです。長女は胃が弱く、いつも胃薬を用いており、長女の子供(二才)が一人ありますが、叱り飛ばすので子供まで癇が強くなってしまいました。今後いかにしたらよいでしょうか。

〇本人が徳を積むことです。すると家族も霊線によって浄まります。長女も霊線によってきよめていけば入信したくなります。ある程度きよめなければ信仰心は起こりません。それには、こちらが浄まることで、そして、霊線によって浄めることが一番効果があります。霊線を伝って曇りがとれるのです。ひとりわかった人ができればいい。(昭和二十四年十一月七日)


お役に立つ人間になれば御守護くださる

私は昨年九月まで長年医薬の厄介になっておりました。喘息も御浄霊により楽にさせて頂き、主人は昨年十一月、私は同年十二月入信しました。まだ御神体は御祀りしてありません。今年三月ごろから再び御浄化を頂き四月ごろは一時大変やせましたが、五月ごろよりは午後になると熱が出て、四時、五時ごろまでは激しく頭痛発汗があります。翌日朝は気分が良いのですが、膝のあたりが震えて、悪道路を馬車に揺られるように震え、約四十分ほど四回にわたって、震えがくるという状態が一日おきにくるのでありますが、何か霊的な関係がありましょうか。また今後いかにしたらお救いがいただけましょうか。

〇震えが来るのは寒気で、つまり、浄化熱で結構である。一日おきに良い悪いがある病気もある。御神体を御祀りすると良い。早く治るには信仰に入ると神様がよくしてくださる。よくしてくださるのは「ない命をやるから世の人を救え」という意味であるから、ただ治っただけではいけない。多くの人を救えばますます早く治して下さる。神様は人間が役に立てば、できるだけ良くなるようにしてくださるし、また、悪くならないようにしてくださる。(昭和二十四年)


罪穢があると神恵を受ける資格がない

入信してからの不幸災難の原因にたいする神の慈悲と恵みについて

〇信仰者に対し、神様が恵みを与えようとしても、その人に罪穢があっては神恵を受ける資格がないためである。すなわち、入れ物の中が汚れているから、それを取り除いてきれいにしてくださるというわけである。(昭和二十四年)


苦痛はすべて浄化で、倖せになる資格を与えられるため

神が浄化を与えてお救い下さる場合、苦痛を与えられるのは、罪業の許しとしてでしょうか。それとも刑罰としてでしょうか。

〇苦痛も浄化です。ある人に信仰を勧めてもはいらず、この救いの綱につかまれと言ってもついてこないのは、その人が綱までまだ距離があって、すぐにはこられないのです。そんな場合、その人が自力で苦痛をなめると罪が少し消え、したがって距離が短くなって綱までこれるのです。いくら言い教えを説いても、手の届かない人が多いのです。これは時を待つほかない。苦痛はすべて浄化です。自力の浄化です。ところがおきよめの浄化は他力なんだから楽なんです。しかし、他力でも罪により相当苦しみますがね。
 人が一度信仰に入ると神様はお恵みを下さろうとするが、汚れたものがある場合、それをきよめてくださる。それは倖になる資格を与えてくださるのです。信仰に入ると必ずいきなり倖になるとはいえない。まず、汚れを取り除かねばならない。
 前の世で罪穢れをためて霊界へ行き、浄化が不充分でまた現界に出てくる時、浄化の続きをせねばならない。善人であって不幸な人というのは、大体これです。(昭和二十三年六月十八日)

救いの綱について
文明の創造
『文明の創造』は、明主様が最後の審判の接近と新しい文明世界の誕生を、全世界の宗教界、学界、言論界、著名人に知らさんとして書き下ろされた原稿ですが、そこには「宗教も、思想も、哲学も、教育も、科学も、芸術も悉く包含されて」います。

文明の創造の序文に救いの綱についての記述があります。

序   文
 此著は歴史肇って以来、いまだ嘗て無い大著述であり、一言にして言えば新文明世界の設計書ともいうべきもので、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルでもある。というのは現在の文明は眞の文明ではないので、新文明が生まれる迄の假の文明であるからである。聖書にある『世の終り』とは、此假想文明世界の終りを言ったものである。又今一つの『洽く天国の福音を宣べ傳えらるべし、然る後末期到る』との予言も、此著頒布である事言う迄もない。そうしてバイブルはキリストの教えを綴った物であるが、此著はキリストが繰り返し曰われた処の、彼の天の父であるエホバ直接の啓示でもある。又キリストは斯うも言われた、『天国は近づけり、爾等悔改めよ』と。之によってみれば、キリスト自身が天国を造るのではない、後世誰かが造るという譯である。
 處が私は天国は近づけりとは言わない、何となれば最早天国実現の時が来たからである。それは目下私によって天国樹立の基礎的準備に取り掛かってをり、今は甚だ小規模ではあるが、非常なスピードを以て進捗しつつあって凡てが驚異的である。それというのも、一切が奇蹟に次ぐ奇蹟の顯われてくるには驚嘆している。そうして之を仔細に検討して見る時、神は何万年前から細大漏す處なく愼重綿密なる準備をされていた事である。之は明瞭に看取出来るが、其根本は旧文明の精算と新文明の構想にあるのであって、私はそれに対し實際を裏付けとした理論を徹底的に此著を以て説くのである。そうして先ず知らねばならない肝腎な事は旧文明は悪の力が支配的であって、善の力は甚だ微弱であった事である。處が愈々時期来って今度は逆となり、茲に世界は地上天国實現の段階に入るのである。然し之に就ては重大問題がある。
というのは旧文明は当然精算されなければならないが、何しろ世界は長い間の悪の堆積による罪穢の解消こそ問題で、之が世界的大淨化作用である。從って之による犠牲者の数は如何に大量に上るかは到底想像もつかない程であろう。勿論之こそ最後の審判であって亦止む事を得ないが、神の大愛は一人でも多くの人間を救わんとして私という者を選び給い其大業を行わせられるのであって、其序曲というべきものが本著であるから、此事を充分肝に銘じて読まれたいのである。
 そうして右の如く最後の審判が終るや愈々新世界建設の運びになるのであるが、其転換期に於ける凡ゆる文化の切換えこそ空前絶後の大事変であって、到底人間の想像だも不可能である。勿論旧文明中の誤謬の是非を第一とし、新文明構想の指針を輿えるものである。それを之から詳しく説くのであるが、勿論之を読む人々こそ救いの綱を目の前に下げられたと同様で直ぐに之を掴めば救われるが、そうでない人は後に到って悔を残すのは勿論で時巳に遅しである。以上の如く罪深き者は亡び罪浅き者は救われて、将来に於ける地上天国の住民となり得るのである。そうして来るべき地上天国たるや其構想の素晴らしさ、スケールの雄大さは到底筆舌に尽せないのである。其時に到って現在迄の文明が如何に野蛮極まる低劣なものであったかがハッキリ判ると共に人類は歓喜に咽ぶであろう事を断言するのである。



仏壇について
新家庭には仏壇を備えるべき事

新家庭は必ず仏壇を設けねば駄目です。(光補十一・四 二十三年二月八日)


分家したら仏壇を備えるべき事

分家したばかりで仏壇がございませんが御屏風は何処に御祀りすべきでしょうか

〇こういうのは早速仏壇を作らねばいけませんね。よく田舎などでは本家さえ祀れば分家は祀らなくてもいいというところがありますがあれはとんでもないことです。祖先によっては自分は次男のところが良いとか私は三男のそばがよい、長男はいやだとかいうのが沢山あるんです。又人間でいえば長男のところへも行きたい、次男のところへも三男のところへも行ってみたいっていうもんですが、ところが行きたいと思っても次男三男のところには場所がないわけです。だからこれは大の親不幸者になるんです。だからね世間で「孝行したい時に親はなし」なんていうけど死んでから本当の親孝行が出来るんです。仏壇のない人は断然仏壇を買って早く祀るんですね。
(光8 二十四年五月三十日)


宗旨変えについて

仏教信者が自分の代から他の宗教に変わるのは如何でしょうか。――

〇一概には言えませんが例えば長い間真言宗だった人が他の宗教に変わることは祖先が気に入らぬでしょう。然し同じ仏教の間なら大した違いはありませんがね。仏教信者が観音教団(現在の世界救世教)に入ることは構いませんよ。祖先は救われるから、非常に顕著に救われるから。しかしこの道は今までの宗教を信じながらでいいのです。一向差し支えありません。日蓮宗は一代法華といって一代限りです。これは法華経というのは仏教の花ですから長くない。一代だけははなやかにゆくんですが散るとあとが悪くなるんです。

日蓮宗はいけないのでしょうか――

〇いいえそんなことはないのです。普通の信者の程度ならいいんですよ。
光1 (昭和二十四年一月十八日)


宗旨を変えるということはいけないとお伺いいたしておりましたが―――

〇宗旨を変えても良いですよ。メシヤ教になればね。変えるというのはどういう風にかえるのですか。浄土宗を日蓮宗に変えるのですか。

二代三代前にそういうふうに変わりました場合には――

〇大体はいけないんですよ。なんとなれば祖先が承知しないからね。だから却って禍がありますよ。ところが宗旨によっては――お寺がつぶれちゃったとかお寺が遠くなったという場合にやむを得ず変える場合がありますが原則としては――祖先が霊界が異なっちゃうとそっちに行かなければならないからね。然し不可抗力な事があった場合は良いんです。つまり理屈がつけばよいんですよ。
光十一 (昭和二十四年八月二十一日)