遷霊式を行う機会があり、『天の数歌』について確認しました。

天の数歌と岩戸開きの意義            

【問】天の数歌及び岩戸開きの御解釈を御垂示お願ひ申し上げます。
【答】之は天地創造の順序である。凡ゆるものがこの順序にゆけばいいが、様々に乱れて此通りゆかなかった。それで、此言霊は霊界の本当のリズムに合ふ訳で、霊界を調えるといふ働きになる。岩戸開きとは、夜の世界から昼の世界になる事である。


数の意義、(数の活用)         

【問】数の神秘、数霊について御伺ひ致します。
【答】数には霊的意味がある。五六七など神秘がある。数の働きは非常にある。日の吉い悪いも事柄によって用ひる。
  婚礼などは十とか七とか結ぶ数がよい。私など十を用いる。二十一日は極く良い。十一日も良い。八の日はいけない。四も良くない。葬式などは何時でも構はぬ。始める日など八などがよい。四は使い道によってはいいが、言霊の善くない事がある。
  一は最高の神、主神――祖先でもよい。二は陰陽に分れる。(父母)三は親子三人。四は四方に拡がる。正月の四方拝などは大間違いで、東西南北の四方を祝ふのであるが、之は平面的で、立体的――天地を忘れている。故に六方拝が本当である―だから皇室は続かぬのである。五は火になる。  火の働きである。六は水である。ムユルといふが、これは納得し兼ねる点がある。七は成る。八は開ける。  九はつくす、開け切るのである。今は九の時節である。皇室を九重といふが、之は尽きるんで大変悪い。尽きるとは終る事である。十は完成で、十一で始まる。経緯が完成して大地に立つ事である。観音教団は十の仕事である。
  天の数歌はその順序を言霊でいふ。それで順序の狂ったのが直る。




天の数歌に沿って進む御神業
メシヤ講座no.186岡山(平成28年8月)
先生
それからもう一つはですね、実はこのメシヤ教を、「世界救世(メシヤ)教」復興事業というものを貫徹させるために・・・天の数歌というのはこの世の中が出来ていく数字のですね、意味がありますけれども・・・まず一(ヒト)、二(フタ)、三(ミイ)、四(ヨー)のですね、一(ヒト)というのはこれはメシヤ様が肉体を持って神様が神界から降りて下さって、メシヤ様の身を以てですね、御神業というものが、その当時の霊性の人間が分かるように身を以て教えた時代だと・・・。
そして、それが二(フタ)に移った時に、一旦メシヤ様の所にお集まりになった先達がばらばらにさせられて分裂をする状態にさせられたのだ、と。そしてその役を担ったのが二代様と当時の役員達なのだ、と。だから今冷静に見つめると間違った事をやっているというのが分るのだけれども、しかしこれも全て、その人達がその時代に、メシヤ様の御神業をしっかり担わせていただきたいと思って精一杯やったことなので、『どこまでも敬意と感謝で見つめて、その上で冷静なる批判的な精神をお互いに持つように』と・・・その根底には尊敬と感謝というものがあった上で批判をしていかなければ、自分達も道を誤ってしまうので、まずそういう姿勢でいてもらいたい、と。
そして、三(ミイ)の時にですね、これを一旦ばらばらにしたのを纏めて行くというのが、これが世界救世(メシヤ)教を復興するということなんだと。しかも、この世界救世(メシヤ)教を復興するという時には組織は使わないんだと・・・ですから教主様とか、理事長とか、会長とか、そういう立場の者は使わないと。真にメシヤ様を求めて、そして御教えを拝読をして、そして御教えを身に付けていった者達の中で、気付いた者達を使って、その集まりが世界救世(メシヤ)教になるのだ、と。
ですから、そこで組織だとかいうものは、本当の意味では関係なくなるのだけれども、世界を救済する時点では世界救世(メシヤ)教がないといけないので、世界救世(メシヤ)教として取り組みを進めていくようになるので、どうかそのメンバーになるように、皆さん方にしっかり学びをしてもらいたいということであります。
で、私が気付いたこととかを話していくと、皆の魂の中に奮い立つものが起きたり、或いは魂と魂が震えるという状態が起きるので、これを共振と呼ぶのだ、ということであります。魂の共振と呼ぶので、その共振を起こす機会を色んな場所で設けていくように、ということでありました。これから一層、感じていることとか、思っていることとか、或いは疑問でも結構ですので、お互いにですね、フランクに話し合いをしながら、そして御神業を担う、そういうものを一緒にですね、培っていただければ大変ありがたいと思います。
それから、私自身は絶えずですね、ちょっとでも、この中でこの御神業を担うことに於いてですね、ちょっとでも疑問を持ったりするとですね、たちどころに注意が飛んできます。(笑い)これはもうどうにもならないと思うくらい嫌なものですよ。例えばさっきのですね、御教えにありますね、天の数歌の説明が・・・これは間違いがないようにちょっと話しておこうと思ってですね、印刷してきたんですけれども(原稿を探すも場所が見つからない)・・・。
 
【『御光話録(昭和23年9月23日)』より引用】
お伺い  天数歌の言葉の意義について御教示をお願い申し上げます 。
 
御垂示 これは天地ができたときの順序で、だいたい七が完成で、七はナリナルです。殖えて発展することが八です。
一は独一神であり、それが陰陽に別れる(二)、そこへ子が生まれ(三)、そして四方へ発展し(四)、火が燃え(五)、水ができ(六)、それで完成(七)です。キリスト教は七でできたから日曜を安息としています。九はつくしと言って極点であり、いまは九の世の中です。十で結び、十一で始まる。
天の数歌は天地創造の順序を数で表わしたもので、これを唱えれば 霊界で順序・・・活動力となる。つまり神の力徳が順序の言霊で力を発揮するのです。気持ちよくゆっくり上げ たらよい。

神科学によって進められている
メシヤ講座no.186三重(平成28年8月)
(先生)
それだからこそ、私自身の事について少し触れて行きますけれども、実はメシヤ様が御昇天されたのが昭和30年2月10日で、その五日後の昭和30年2月15日に私が生まれているのですけれど、この五日開けたという事が神界が決定した事なんだと。それはどういう事かというと、天の数歌で「ひと、ふた、みー、よー、いつ、むゆ、なな、やー、ここのたりやー」と言った時に、これで現界が出来上がって来る時に、一は独立真神御一方で、二になった時に陰陽に分かれて、天之御中主神様を中心にして、高御産霊神様、神御産霊神様という風に分かれていきます。そして、三によって更に進展していくのですけれど、それを五によって今度は五六七(ミロク)という風に移していくので、この事を将来理解する為にそういう出生のさせ方をさせたのだ、と。
それと同時に私は源氏だということが今回分かったのですけれども、平家の落人の末裔の家に生まれさせて、相手は平家の落人なので、源氏がそこに生まれると非常に疎外感を与えてしまうという事と孤独感を与えるということ。この孤独感と疎外感の中で成長させて人生とは一体何かという事を、人が生きて行くという事は何かという事をずっと考えさせて幼児期を育てて、それから、この前も少し触れましたが、京都での最高学府の教授たちを与えて勉学に励ませたのだという話が来たので、“天の数歌の一が五になるとかいう事が論理的とは言えないなあ”と私がチラッと思ったら、また御叱りを受けまして、『何が論理的でないのだ!これこそが論理だ。』という事を御垂示されたときに、所謂、私たちは神科学、神様の科学とメシヤ様が何度も御使いになっておりますが、これは浄霊力と浄化作用についてだと私は解釈をしていたので、その点についてこれは非科学ではないのだ、と。神様をもっての科学だという風にずっと説明してきたのですけれど、実はこの宇宙を創造されて、そして、太陽系を創造されて、地球を中心に太陽と月を創られ、地球の中に生命を宿らせて、地上天国を建設していくというこの取り組みが天の数歌によって進められてきた、それが最大の論理なのだ。これが真の論理なのだという事を私自身が判らせて頂きました。これからもより一層、この神様の科学によって地上天国を建設していくという論立てを更に人間界に判るように論立てをしていきながら、これからより一層御神業を進めさせて頂きたいと思います。


◎天の数歌と『夜昼転換』の歴史観
メシヤ講座・三重83号 平成26年9月度
(先生)
それからもう一つは、『天国の福音書(二)』では歴史観をまとめようと思っていますが、そうした時に『夜昼転換』の御教えが中心になってきます。

『夜昼転換』というと波のように『夜昼転換』があるように教修を受けたりしますと、『昼の時代』から『夜の時代』になった時に夜というと逆戻りしたようなイメージを植えつけられてしまっています。

(先生)
それで最近一番わかりやすいのでは、と思っていることは、

『天の数歌』を唱える時に低く出て「ひとー ふたー みー よー いつ むゆ なな やー ここのたりやー」と段々上がって行きます。これを『昼の時代』になっていくと考えた時に、次にまた1オクターブ上げるような感じで、「ここのたりやー」の高さから「ひとー ふたー みー よー いつ むゆ なな やー ここのたりやー」と唱えて行きます。そういうように時代を捉えていかないと、三千年前に『夜の時代』になった時に悲惨な戦争とかがありますので、悪くなったように錯覚してしまいます。しかし物質的には発展しているのです。

ですから物質的には進み続けているのです。

その中で精神的に退化したというよりも欲望が大きくなったというふうに受け止めていきませんと『夜昼転換』の捉え方が間違ってしまうところがあると思います。

時代がズーッと進んできているのです。その中で植物の種類や生き物の種類も無限大に広がってきています。


メシヤ講座・特選集三十三(平成十五年十月分)

(先生)
私は墓上げの経験がありませんでした。そこで、まず墓に関する教えを改めて研鑚し、手順、留
意点などを入念に整理しました。特に留意点は三点ありました。

土葬の骨は百年間存在する

(先生)
 一、土葬の場合、骨は土に還るまで約百年を要する。もちろん土壌の状態や土質によって多少異なる。そのため百年前までの墓は、お棺の底の部分まで丁寧に土を掘り起こす。

 二、百年以上前の墓は、骨が土に還っているので、約三十センチまで土を掘り、その下にある土を〝骨〝という想念で掘り上げる。

 三、作業は誠を込めて執り行う。先祖に通じるものは誠である。また、誠を込めると私語はなくなり、作業は丁寧となる。

 墓上げの当日、私は念には念を入れて、一体たりとも上げ忘れのないように埋葬日を確認しながら慎重に執り行いました。当家はもちろんのこと、近隣の方々が寒い中を手伝いに来てくれ、中には天理教の分教会々長の方もいて、若輩者の私の指図通りに動いてくれました。そして、踏みつけていたという墓をはじめ二十八 体の墓上げをし、新たに設えた「先祖代々」の墓に納骨致しました。

 一体一体掘り上げていくと、教えの通り百年前までの墓には指の大きさほどの骨が必ず残っており、それより古い墓には残っていませんでした。また、墓を掘り上げていくと、三十センチほどの深さまで進むと土の状態が変わり 〝ここからがお棺だったのだな〝と解りました。そして更に掘り進むと、土が固くなり〝ここが底だな〝と解りました。

 これらのことから、百年以上古い墓は三十センチ下の土を上げる、という意味が良く解りました。私は、〝確かだな〝と何度も心で頷きながら作業を進めました。

 恙無く滞りなく作業を終え、「先祖代々」の墓の建墓式を執り行いました。天の数歌を唱え遷霊を執り行い、善言讃詞を奏上する時に、また冬を忘れさせるような日差しが辺りを明るく照らしてきました。さながら極楽浄土の様相で、先祖達の喜びが静かに伝わってきました。