【御教え】私の名称に就て  (栄百二十一号  昭和二十六年九月十二日)

『今度本郷弓二氏が、私が信者に対して、時々言う弟子の言葉に就て、色々心理的にかかれたが、之も面白いと思ったので少しかいてみるが、私は現在は光明如来の働きを主にしておるので、釈迦如来、阿彌陀如来と同等の地位として、釈迦如来がよく曰われた十大弟子の意味と思えばいいのである、又浄霊を専門にしてる人と、普通信者と紛れ易いので、そう言った方が判り易いからでもある。

氏のいう如く、以前私は大先生と呼ばれた事があったが、其時は観世音菩薩という菩薩行であったからそれでよかったが、如来となってから明主の名にしたのである、又自観とは自分は観音の働きをしているという意味であり、その他和歌の名の明麿も斯ういう訳で付けたのである、それは皇太子殿下の御誕生が、昭和八年十二月廿三日で、十二月廿三日は私も同じ月日に生れたので、忘れもしない、生れて初めて、右の昭和八年十二月廿三日に、信者の勧めで誕生祝をしたのである、そんな訳で殿下の御名が明仁と発表されたのを記念したい為、其時明麿と名付けたのである、又ユーモアー的のものには、明烏阿呆の名を用いているが之も由緒がある、それは明治の初め頃、大阪に朝寝坊喜楽という冠句の宗匠があって、此人は当時相当認められた宗匠で、其二代目が大本教の出口王仁三郎師で、朝寝坊閑楽の名で、旺んに信者間に冠句を奨励されたので私も其弟子となり、好きな為大いに努力し、其甲斐あって三代目朝寝坊暉月という名を貰ったのである、それから笑の泉でも知らるる通り、選者となって一時は、私の弟子数十人に対し大いに冠句を奨励したものである、処が其頃、私は非常に朝寝坊だったので、早起きになりたいと思い、そこで改名したのが今の明烏阿呆である、すると不思議にも、それから早起きになって、今日も続いているのであるが、言霊の妙用も馬鹿に出来ないのである。

そうして神様は私の霊的地位や、仕事の関係などから、相応した名前を御付けになるので、今後と雖も名前が変るかも知れないし、変らないかも知れないと思うが、考えてみると明主の言霊は、メシヤと五十歩、百歩だから、或いはメシヤの名前になるかも知れないとも想っている。


テーマ2 は平成30年10月度の復習になります。