テーマ1
 

『医学革命』


天恩地惠 
20206月号14頁の『天国の福音書』発刊の進め方について(H.24.6.15)に、第三巻 救世主の御力 浄霊篇 として「今までの浄霊の急所だけを記載したものではなく、現代の科学の進歩と浄霊を関連付けた意識を持って浄霊を取り次げるような組み立てとする。」とあります。この内容は『文明の創造 科学篇』のメシヤ講座に集約されています。編纂するにおいて、根本としなければならないのは、『医学革命』だと拝察いたします。『文明の創造』はS27年の御著書です。S28年の御著書に『医学革命の書』があります。この御著書も『文明の創造』同様『英文にして世界的に配ります』とお述べになっておられます。そこで今月は『医学革命の書』についての御教えを学ばせて頂きます。

 

・神も時節には敵わぬ事          御教え集25号〔S28825

  医学でそういう事を説こうと判ろうとするのは無理なのです。それを説明するだけに行ってないのです。又若しそれを説明できるまでに医学が行っていれば、医学を止めてしまいます。そうしてやっぱり救世教のほうのやり方になってしまいます。だからこれは時節を待つより仕方がないのです。それにはお医者始め一般人にも分からせなければならないという事が、さっきから読んだ「医学革命の書」でこれをできるだけ世界的に読ませて本当のものを見せるというわけなのです。これも無論英文に訳して、米国のみでなくヨーロッパの方にも、世界的に配ります。そうしてやっぱり実例を百つけて、その一つ一つの病気に対する批判も添えるつもりです。今五十ばかりできました。それでこれを一冊読めば恐らくどんな人でも分からないはずはないというように徹底的に書くつもりです。しかしたゞ、今言ったようなごく根本の深い所をあんまり強調すると宗教論になりますから、そう深い所まではゆきませんが、たゞ実際的に今の人が分かる程度に説くわけです。そうすれば、結局世界的の問題にならないわけにはゆきません。神様もそういう経綸です。大本教のお筆先にうまい事を言ってます。“この事が分かりたら、世界は動くぞよ”とありますが、つまり今言ったように世界中が動揺するというわけです。だから何が大問題と言ったところで、人間から病気をなくし、寿命が百以上になるというこのくらい大きな問題はありません。結局それを目標に進んでいくのです。そして人間がやるのではなく、主神がやられるのですから、神様の方からいえば訳ないことなのです。しかしそれにはやはり順序があり、天地の律法、神様の法律があります。それを破るわけにはゆかないからして、やはり相当の手間がかかるわけです。いくら神様でも桜の花を冬咲かせたいと思っても、咲かせるわけにはゆきません。ちゃんとその季節に咲くように作ってあるのだから、それを壊すわけにはゆきません。太陽は何時何十分に出るというように決まっているのですから。それを一度でも狂わせる事はできないので、それが法則です。御神業の事でも、よく未信者の人の言葉に「そんなに立派な医学なら何故ドンドン知らせるようにやらないのだ」と言うが、それは人間が我がままでやるなら一時的にドンドンやるでしょうが、神様の方はそういう法則に外れた事はできないのです。しかし非常に早いのは早いです。

 

・真如実相となる事             御教え集25号〔S28825

  御論文〔硝子製造人〕

  つまり今までの文明というものは、全部といいたいほど間に合わせものです。つまりイミテーションです。だから医学というものも、病気が治りそうに見えて治らないのです。それはイミテーションだからです。ダイヤモンドほどの硬度がないからガラスを切る事もできないし、切れそうに見えていて切れないというわけで、本当のダイヤモンドなら切れるのです。そういうようなもので、本物がなかったのです。それをお釈迦さんはちゃんと言ってます。「真如」という事を言ってますが、「真如」というのは、真理ではないので、真理の如くというのです。だからやっぱりダイヤモンドが真なら、ガラスで作ったものは真の如くです。うまい言葉をつけたと思います。仏教の方で「実相真如」といいますが、これは逆様なので、「真如実相」が本当なのです。つまり真の如きものが出て、それから後に実相が出るのです。仏教の方では大抵逆になってます。私が善言讃詞に「大千三千世界」という事を書いてますが、仏典の方では「三千大千世界」となってます。これはあべこべです。「大」という字は「一人」と書きますが、つまり「一人」とは「主」ですから、これが元です。それで「三千」というと「三界」です。現幽神、或いは天地人で、三つに分けてあるわけです。最初は一で、それが三つに分かれるのが本当です。ですから三つの方を上につけるという事は間違いです。それで一は太陽で三は月、一は火で三は水ですから、大千三千世界というのが本当です。ですから私はそう書いたのです。ところがそれを見て質問したり疑問に思ったりするのです。この間信者でない人から手紙が来て、「大千三千世界」というのは間違っている、けしからん。という事を言って来ましたが、そういうようで今までのあらゆるものはみんなあべこべになっていたり、仮りのものです。だからお釈迦さんは“仮の娑婆だ”と。今読んだ中に「病」が生病老死の四苦の中に入っていて、四苦だけはどうにもならないとお釈迦さんは言ったのです。ところがこれが解決され、しかも百才以上生きるとすれば、どうにもならない方には、入らないわけです。病気は勿論無くする事ができるのです。これが「真如」ではできなかったが、「実相」ではできるのです。そういう意味を書いたものです。他の発明発見にも、人間に害を与える方がおおかったのです。これは使う人の善悪にもよりますが、素晴らしい発明だと言った原子爆弾が、あのとおり恐るべき殺人器です。そういうようなわけで、逆になっていたわけです。それの一番肝心なのは人間の生命ですから、そこでこれを根本として一番主力をそそいでいるわけです。

次もちょっと面白い論文です。

  御論文(神と硝子玉)(註 栄光二二五号)

  今のはやはり「医学革命の書」の中にはいる論文です。

 

附、人と動物との本質的な相違が分からなかったのも神の経綸による事

                      御教え集26号〔S2895

    御論文「医学封建」 〔註 栄光二二七号〕

  これは「医学革命の書」の中の一項目です。今読んだとおり医学というものは文明の一部なのです。それを全部と思ってしまったところに誤謬があるのです。文明を進歩させる全部と思って、実は一部の城郭に楯籠もって、そうしてその城郭の中に入っていない人間を自由にしようとする。そこに大変な間違いがあるのです。地平線の下にあるのが万物ですから、それはどんなにでも自由にできるのです。人間は地平線であるからして、地平線の上に人間を救うべきものがあるのです。つまり地平線が人間とすれば、下に行く程獣になって行き、上に行くほど神に近くなるのです。結局最高は神であり、人間は神と獣の間にあるのです。それで人間を救うというのですから、人間の以上の存在でなければ人間を救う資格はありません。それを今の医学は獣の救いを人間に当て嵌めようとしているのです。医学は猿やモルモットや兎や二十日鼠を試験して、それをそのまま人間にもってゆくのですから、つまり地平線に居る人間としたら、それより以下は獣ですから、獣を材料とするのは当たり前ですが、それをもって来て人間の病気を治すというのは、およそ見当違いです。今読んだのはそういう意味のもので。だからして医学が如何に一生懸命やっても、全然見当違いを一生懸命にやっているので治るはずがありません。それでは今まで何故そういう愚な事をやっていたかというと、地平線の上にあるものが見えなかったのです。見えなかったというよりか、実際は見せなかったのです。これは実際神様も人が悪いのです。しかし、見せては神様の方では都合が悪いからです。これを見せては、今までの物質文化を発達させるに都合が悪かったのです。どうも人間は、物質文化を発達させるには、神様のような最高のものを見せない方が、物質を進歩させるという精神力は非常に強くなるのですから、神様はそういう手段を選ばれたのです。しかし神、仏と、宗教は出しましたが、あんまり上のものを出しては物質的の進歩は形式がちになるから、何処までも最高の神という事は隠して、二流三流のものを出して、これが神であり、これから生まれたのが宗教だというわけで、悪く言えば人間は神様に瞞されていたのです。しかしそれは仕方がないので、そうでなかったらこれまで物質文化は発達しなかったのです。ですから非常に素晴らしいトリックというわけです。そして今までの人間が神をみる、神観というものも間違っていたわけです。

 

・医学迷信が壊れゝば五、六、七の世になる   御教え集18号〔S28116

   御論文 一、医学革命の書〔序文〕二、医学は迷信なり 三、病気とは何ぞや

  結論から言うと結局薬です。薬の恐ろしさという事は、今まで充分に説いてありませんから、これから説きますが、結局ミロクの世というものは、人類から薬を無くしてしまう事で、これでミロクの世が出来るのです。ただ薬という迷信が根強くはいってますから、その迷信をぶち壊すという手数がわれわれがやる仕事です。神様が浄霊の力を与えたのは、浄霊というのは薬をとる事です。薬を減らす方法です。それでそんなに恐ろしいものを神様ともあろう方が何故つくられたかという事になりますが、それはやはり大変な必要があってつくられたのです。それも今書いてますからいずれ分かります。そういう様で、薬を征伐するというのが根本の仕事と思えばいいのです。

 

医学革命と農業革命を比較する     御教え集4号〔S2725

  農業の方も肝腎だけれども、医学の方はもっとずっと肝腎なんです。医学の間違った為に、人間が苦しむと言う方がずっと大きいですね。

 

医学革命は神定のもので教師が気をもむ必要のない事 御垂示録7号〔S2731

 「結核信仰療法が頒布されますと、医学界からの反撃もあると思われますが、それは邪神との闘いと言う言葉を使いましても宜敷いもので御座いましょうか。神様の御経綸は絶対のもので、私達資格者がしっかりした覚悟をもっていなければ・・」

  それはありませんよ。と言うのは、私のは真理だからね。

 「兵という・・」

  そうです。神兵ですよ。

 「玉砕すると言う事も、お役に立つ迄の運命と・・」

  けれども、玉砕はないですよ。それでちゃんとそう言う迄は、神様が準備してありますからね。言論の自由なんて、神様が準備されたものです。言論の自由にするには、日本を敗戦にするよりないからね。どうしても一度は発表しなければならないんですよ。闘おうが闘うまいが、そんな事は問題ではない。闘うと言うが、こっちは、救う積もりですからね。向こうがぶっかけて来るんだからね。別に武器を持ってするんじゃないからね。安心なものですよ。ああ、之は大したものだと、最初から軍門に下ると思って間違いないですね。闘いですよ。私なんか霊的にも軍人ですね。毎日闘ってます。書いてあるがね。

  それから、こう言う事を知って置かなければならないですね。今度、人類救済ですからね。けれども、皆んな救われるんじゃないんですよ。救われない人もありますよ。救われない運命の人が、祖先なりで居ますが、救われない運命の者はしょうがないんです。メシヤ教信者になれば救われると思っていたら大変です。大部分は救われるんですがね。

 

・薬毒と列強の衰退 3      御教え集19 S2825

なにしろ、国民がそういう様で、何と言うか、とに角弱ってしまっているのです。そういう状態で、イギリスなども非常に食物が足りないと、新聞などによく出ているから知っているでしょうが、卵でも、一週間に何個と決められているくらいです。それで私は聞いてみたのです。とに角イギリスはあれだけの土地があるのだから、一寸でも空地があるだろうから、どんどん畑にして作ったらいいだろうと言うと、それが不思議だと言うのです。イギリスの国民は長い間食料を輸入していたので、自分で作るという事は全然しないのだそうです。だから日本人なら、それこそ戦時中の様にネコの額の様な所に種をまいて作りますが、そういう事はしないそうです。というのは、これは私の説にあるとおり弱ってしまっているのです。それは何故弱って来たのです。その外には、勿論医学で薬をのませるために弱ったのです。だから種痘が遅かった国だけはどうやら活気があるのです。そこでソ連とアメリカは種痘が遅かったので割に活気があるわけです。それでアメリカもこれから進んでいくと、英・佛の様になるから、そうなったら大変です。そこで世界制覇を目的とする邪神の赤龍黒龍という連中は、世界に勢力を張っている民族をできるだけ弱らせて、最後に武力をもってやっつけてしまい、世界を自分のものにするという事を、二千年数百年前から計画をたてているのてす。そしてそのとおりになって来つつあります。英・佛が駄目になり、米国もおそらく一世紀たたないうちに弱るでしょう。そうして共産主義の方の国民は労働をうんとやって、労働によって体を鍛えて、それに武器をあてがってやればいいのです。その一歩手前に来ているわけです。それで私が「アメリカを救う」という本を出した根本はそこにあります。そこでその手段というのが薬をのませる事です。薬でなく毒をのませて弱らせているのです。それで“薬は非常に効き、病気をなおすものだ”という様に巧妙に瞞ましたのです。注射とか、手術というのは、みんな邪神の巧妙な計画なのです。日本もそのお相伴をして、今盛んに弱らせられている現状です。これが九分九厘です。九分九厘まで文化民族を瞞ましてしまったのです。それで私が医学の革命という事を始めたのは一厘の仕組です。この九分九厘と一厘という言葉は、それが根本なのです。そうして目覚めさせるというわけです。今私が書いているのは「医学革命の書」というのです。これは微に入り細に亘って徹底して書きます。病気・健康・医学という事について、どうしても分らなければならないという様に書いてあります。これを読んだら、おそらくどんな人でも分らないわけにはいかないと思います。これも英文にしてアメリカやヨーロッパに全部配るつもりです。これは人類から病が無くなるまでの聖書の様なものになるわけです。そういうわけで医学革命というものは、そういう様に非常に深い意味があるのです。

 

               御教え集19号〔S2827

私が今書いているのは「医学革命の書」というのですが、つまり医者を革命するのです。それで世界は邪神に掌握されますから、そうなるとこれまで来たのがまるでぶち壊しになってしまいますから大変なのです。だから表面から見ただけではなかなか見破れないのです。それで医者の方はアメリカを弱らせ様とするし、又一方の手はソ連の軍備を大いに充実してやっつける準備をするというわけで、世界はほとんど九分九厘まで、彼の計画が成功して来たのです。それで九分九厘と一厘という事になりますが、私は一厘の仕事をして引繰り返してしまうというわけです。これは私がやっているのではないので、神様同志がやっているのですが、大変なものです。

 

奇蹟中の奇蹟   (栄百九十九号  昭和二十八年三月十一日)

左の御蔭話は驚くべき奇蹟であるが、これを説明してみると、小紙片と雖も神霊が篭っているので、神霊の活動は総て一切を本当にするものであるから、あってはならない物は出してしまい、其処を正しい状態にするのである。この理によって世の中にあるありと凡ゆる物が不正な状態にあるのを、正当な状態にならせる、これがメシヤの力徳であるから、これが大にしては、全世界一切の誤りを是正されるのである。その中で最も根本的なもので、最も誤っているのが医学であるから、医学革命をなされるのである。

      御霊紙の奇蹟--咽喉に掛った藁を巻いて出る--

 私は昭和二十六年五月強度の神経衰弱に罹り、医療を受けたるに益々悪化し、一家陰鬱の中より明主様の有難き御守護を賜わり心身共にお救いを戴き、あまつさえ入信のお許しを得ましてこの尊き御道にお縋りさせていただく身となりました。今では家族の御浄化にも短期間に御守護を賜わり、一家揃って益々健康となり、家内一同心から感謝の日々を送らせて戴いております。

 御霊紙の御力の偉大さにつきましては、今更申し上げるまでも無く、信徒皆さんの日々体験されておられるところと存じますが、今回私の甥、(十六歳)に戴きました御霊紙の奇蹟につき御報告させていただきます。

 昨年九月下旬のある日、午後一時頃、前記定雄が私宅へ遊びに参りました。私方では野菜の栽培販売を致しておりますが、その時ちょうど畑から葱を抜いて来ましたのでそれを結(ゆわ)く手伝をすると言って、物置にありました藁縄を口で切りました際、あやまってその切っ先をのみ込み、それが咽喉につかえてしまったのです。それから含嗽(うがい)をしたり、水をのんだり、指を口へ入れたり、空咳をして見たり種々の方法を尽しましたがどうしても取れませんでした。私は早速座敷へ上げ、明主様にお願い致しまして三、四分間咽喉に向って御浄霊をしました後御霊紙を頂かせましたところ、御霊紙の咽喉通過と同時に取れてしまいました。本人の喜びは勿論私達も驚いてしまいました。そして一同心より明主様に御礼申し上げました。

 ところがその日の夕方六時頃突然咳と共に一箇の魂が咽喉から飛び出て来たので取って見ると先程頂いた御霊紙らしいと本人が見せますのでよく見ますと、何と不思議ではありませんか。間違無く御霊紙なのです。しかもくるくると細長く丸まっておりますので、丁寧に開いて見ますと、何と咽喉につかえて困った縄の切っ先三分位が中にちゃんと入っておったではありませんか、そのようなことがあり得ることでしょうか、しかし眼前における事実なのです。水に浮かして頂いた小さな一片の御霊紙にこの奇蹟、何と有難いことでございましようか。

 この尊き御救いの御道にお縋りさせていただく身の幸福を沁々と感ずるのでございます。又かかる絶対の御神力を眼前に拝させて頂きましたことは、更に一層お縋りせよとの尊き神様の御啓示とも思われ、益々信仰を強固にして、地上天国御建設の大業に微力ながらお使い頂きたいと念願致しております。

 明主様有難うございました。今後共御守護賜わりますようお願い申し上げます。

 

油断ならぬ結核の現状   (栄光 二百二十号  昭和二十八年八月五日) 

左の記事は去る五月三十日の、朝日紙神奈川版に出ていたのであるが極めて慎重な審査の結果、結核容疑者十三パーセント強というのであるから、余り楽観できない実情である。最近日本における結核患者の死亡率激減したといって喜んでいるが、成程死亡率は減ったが、患者の数は少しも減らないとは当局者の言である。これに就いての理由は近々発行の「医学革命の書」の、結核に関する論文を読めば、充分納得できる筈である。

        住民の十三パーセントが結核、鶴見工場街で結核調査

 横浜市では厚生省、県と協力して去る二十二日から四日間鶴見区大東町をパイロットスタディ(模範試験調査)地区として地区内の三十六世帯百七十六人を対象に結核患者の確実な数をつかむための精密な調査をしたがその結果病的所見のある者五十四人と二十九日まとまった。これは全体の三十・七%で、内訳は要医療者十四名(全体の八%)要休養者四名(二・三%)要注意者五名(二・八%)古い病巣のある者三十一名(十七・六%)また一家族から四名出ているのが二世帯、三名が五世帯、二名が十世帯となって家族内感染の高率を示している。

 この試みは厚生省が結核予防対策の一環としてこの八月全国二百十四カ所の住民に徹底的な検診を実施するに先立って大東町を工場地帯パイロットスタディ地区に選定したもの。なおこの調査には結核研究所長隈部英雄博士等結核予防会員、公衆衛生員、小児結核研究会員など関係学界の権威者二十数名があたり、老人から乳児に至るまでツベルクリン、直接撮影、間接撮影、医師の細かい診断喀痰検査など行った。

 丸山市衛生局保健課長の話。

 この結果は権威のあるものだが、これによると工場地帯の住民の十三%強が結核に罹っていることになる。樹木を多く植えて空気の乾燥を避けたり、もっと定期的に全員の健康診断を行うなど、健康管理を十分充実する必要がある。又満五歳以下の幼児が四人冒されているなど子供だからといって油断は出来ない。

超科学   (栄光 二百二十二号  昭和二十八年八月十九日) 

左の稿は目下執筆中の、医学革命の書中の一節である。

私は先日ラジオで、最近帰朝した湯川博士を囲んでの、座談会の録音を聴いたが、それによると最近科学の方でも、余程私の説に接近して来たようで、喜びに堪えない次第である。それによれば素粒子論に対して、物性論という新しい説を話されたが、それは素粒子は目に見える粒子であり、物性論は目に見えぬ原子をいうらしいが、勿論前者は実験物理学であり、後者は理論物理学であるから、これこそ私が唱えている前者は体であり、後者は霊という事になる。としたら漸く科学も吾吾の方へ鞘(さや)寄せして来た訳である。

これに就いて従来から理論物理学者が新説を立てる場合、想像、推理、仮定が基本となり、実験に移るのであるが、湯川博士の場合もそうで、初め新発見の中間子(素粒子)にしても、幸い米科学者が実験中、宇宙線撮影の際偶然発見され確認されたので、その功績がノーベル賞授与となった事は衆知の通りである。処がそれに一歩前進した理論が右の物性論であり、この研究が現在主眼となっているようだ。併し乍らこれが実験によって確認される迄には、まだ相当の迂余曲折を経なければならないと共に、事によると意外な難関に逢着するやも知れないと思うのである。というのは現在の顕微鏡が其処迄発達するには容易ではないからで、そうかといって仮にこの物性子が実験によって把握されたとしても、それだけでは何等意味をなさない。要はそれが人類の福祉にどれだけ貢献されるかである。処がこれに対して科学では夢想も出来ない重点がある。それは現在以上科学が進歩するとすれば、吾々が常に唱えている霊の圏内に飛込んでしまうからである。霊の圏内とは勿論宗教であるから、そうなると当然科学の分野から離れてしまい宗教に隷属する事となる。という訳で唯物科学の現在は進歩の極致に達し、今や壁に突当らんとする一歩手前にまで来たと言える。従って壁を突き破るとしたら、顕微鏡の能力を今より数倍以上、数十数百倍にも引上げなければならないかも知れないがそれは無理である。よしんばそれが可能としても、何世紀かかるか見当はつかないであろう。以上によって考えてみても、今後の世界は科学でも哲学でも既成宗教でもこれ以上の進歩は至難とみねばなるまい。この意味に於て愈々現在文化のレベルから超越したXが現われる時が来たのである。このXの一大飛躍によって現在の如き行詰り文明の一大危機を打開し驚嘆すべき新文明を創造するのであって、それが私の使命である。

次に素粒子論と物性子論に就いて一層深く掘下げてみよう。そうして私の唱えている素粒子とは物質を構成している細胞の如きものであり、それは物と霊子との結合である。換言すれば前者は陰子であり、後者は陽子である。これが凡ゆる物質の本体であるが、今日迄の科学は其処迄は未発見であった。ではこの様な高度の科学理論に対し、私の様な浅学の者が何故発見出来たかというと、勿論主神が必要によって私に教えられたのであるから、私は史上何人も知り得なかった万有の真理を会得したと共に、実験科学的にその実証を示す力をも与えられたのである。それがこの著の附録である治病実績報告であって、勿論多方面の信徒から寄せられたものである。尚言いたい事は宗教にしろ科学にしろ、最も貴重なる人間の生命を救い得るとしたら、これ以上の福音はあるまい。今その原理を詳しく説明してみよう。

言う迄もなく人間は万物の霊長であり、地球の王者であり支配者でもあり、天地間一切の万有悉くは、人間の為に必要な存在であって、第一は人間の生命を保持し、第二は一人一人の使命を援助しているのは勿論である。という訳で生命力をより旺盛に、健康で活動出来るようになっているのが人体である。としたら偶々健康が害ねられ、生命を脅(オビヤ)かすものとして病気なるものが発生した以上これを排除すべき作用が起るのは当然であって、何等不思議はない。考えるまでもなく他の条件が如何に具備しても不健康である限り、人間使命の遂行は出来ないからである。この意味に於て科学でも宗教でも何でもいい、病さえ解決するものなら、それが真の科学でもあり、宗教でもある。としたら現在迄の宗教も科学も遺憾乍らその能力がないから、真の科学でも真の宗教でもない事は分り切った話である。としたら正直にいって現在までの文明は仮のものであって、本当のものでない事は余りにも明らかである。

 

医学封建   (栄光 二百二十七号  昭和二十八年九月二十三日)

この文は医学革命の書中の一項目である

医学封建といったら全然耳新しい言葉なので一寸見当はつくまいが、これを読んだら成程と思わない人はあるまい。それというのも今日知らるる如く、実に病気の種類は固より病人の数も多い事である。そうして病気の場合十中八、九は持病又は重難症であって、根治する者の殆んどないのは、医師もよく知っているであろう。そうして常に患者に対してはより速かによりよく治そうとし、最新の療法を以て出来る限りの努力を払うに拘らず、思うように治らない。最初診察の際何週間、何カ月なら治ると予定し、患者にもそれを聞かせるが恐らく見込通りに治った例しは殆んどあるまい。それというのもこの薬なら、この方法なら学理上では治るようになっているので、その通り実行するが中々治らないのは、患者も医師も常に経験している筈である。

その様な訳で一時的には確かに学理通りに治ったように見えるが、それが長くは続かない。時日の長短こそあれ必ず再発するかさもなくば他の病気に転化する。これも医師なら数知れず経験しているので分っているであろう。従ってこの事実に対しては医師も常に疑惑を抱き、不思議に思っているのは想像に難からない。それこそ全く医師が信じている程に医学は進歩していないからであって、進歩していると思うのは、錯覚以外の何物でもないのである。その為絶えず学理と実際との矛盾の板挾みになっており、それを知らない世の中からは尊敬され、確固たる社会的地位を占めているのであるが、胸中の煩悶苦悩は並大抵ではあるまい。併しいつかは医学の進歩によって、解決の日も来ると思う一種の自慰観念によって、淡い希望を繋いでいるに過ぎないと私は思っている。従ってこの説を読み、今迄の疑惑のヴェールが剥ぎ除られるとしたら、茲に白日の如き真理の光に誤謬が浮かび出され、愕然として目覚むるのは勿論である。処がこの迷盲こそ文明の進歩に対する一大障礙となっている為、これ程科学が進歩しても人類の幸福は増進しないに拘らず気がつかないのである。これが為この私の説に対しても全然検討もせず、宗教家の説なるが故に非科学的であり、日進月歩の今日進歩した科学の理論を裏切るものと決め、採り上げようとはしないのである。つまり科学迷信の黒眼鏡をかけているから、正確には見えない筈である。

ではその黒眼鏡とは何かというと、医学者の根本的考え方が最初から人間の生命を、他の物と同一レベルにおいており、病気も科学によって解決出来るものと信じている事である。処が私は神示によって知った事は、成程人間以外の他の悉くはそれに違いないが、独り人間のみは根本的に異っていて、これだけは科学の分野ではないからである。例えば人間の趣味嗜好、喜怒哀楽、恋愛等は固より、智性、芸術、神秘性、人類愛等高度の思想など、他の動物には全然ない事で、これだけにみても他の動物との異いさが分るであろう。というように科学は人間の特殊性を無視し、動物並に扱っている事が大いなる欠陥である。然もそれが医学の根本理念となっている以上、科学の枠の中に立篭り、他の世界が見えなかったのである。これを別の面から見ても、仮に人間のレベルが地平線とすれば、それ以下が物象であり、以上が人間であって、これが宇宙の法則である。この理によって地平線以下の悉くは人間の自由になるが、以上はその反対である。故に人間が造った科学を以て人間生命を自由にする事の不可能なのは当然であって、何よりも無病である事も長命も意の如くならないに見て明らかである。とすれば人間が人間の病気を治そうとするのは下剋上で逆であり、神位の侵犯である。この理によって人間の生命のみは世界中の学者が如何に努力しても、徒労以外の何物でもないのである。それに気附かず、見当違いの横道をひた走りに走っているのが現在の医学であるから、その無智なる実に哀れむべきである。私は思う、今日の医学者こそ科学の亡者であり、邪教迷信者と同様の心理である。又彼の封建時代武士道を以て最高道徳とし、主君の為なら殺人行為も敢えて差支えないばかりか、団体的大量殺人者程賞讃され、栄誉を得たのであるから、今日から見れば野蛮というより外はない。つまり公然罪悪が奨励されたのである。この事を医学に当嵌めれば尚よく分る。

以上によって科学を以て最高の治病方法としていた事は、狭い封建の殻から脱け切れない盲目であった。処が実は未知の素晴しい世界があり、其処に真の医術があって完全に病を治し得る事を私は知ったので、この一大福音を普く世界万民に知らせるべくその前提としてこの説を全世界の医学者に向って発表するのである。  

宗教と科学を超越しての会合 (栄光 百二十七号  昭和二十八年九月二十三日)

栄光二一八号に「超奇蹟」として御発表せられた、この素晴しい奇蹟について、“広く世界に知らせたい”との明主様の御言葉もあり、岡田道一博士の骨折りにて、六名の医学博士を招き、意見の交換がかわされたのであります。この日(八月十五日)午後三時、大草管長よりの挨拶があって後、先ず医師側より発病当時の状況の聴取があり、ついで教団側との間に一問一答がかわされ、次第に急所へと触れていったのであります。

明主様には午後三時四十分御出ましになられ、各医師より診断の結果の発表があり、終って明主様より御言葉を賜わったのであります。

以下その時の明主様の御言葉と、各医師の診断の結果とを速記によってお知らせ致します。

尚、当日は産業経済新聞記者二名報知新聞記者一名が臨席致しておりました。

                                        

         御言葉

一言お話ししたいと思いますが、宗教家であり乍らお医者さんをお招きしてこういう不思議なことがあったということをお見せするのは、これは医学とか宗教というような意味を超越して、こういう事実があるということを世界中に知らせたい位なものです。そうしてこれに対して、学者ならざるも、そういったことに関心を持っている人達に一つの研究の材料として提供したいと思うのです。そこでこの問題の重点は、全部なくなっていたものが新生したか、或いは重要な機能が一時引込んでいたものが又出て来たのか、というところにあります。

ところが私の立場から申しますと、これは確かに新生したものです。そこでなくなったものが新生するということは理屈に合わないということになりますが、そこで奇蹟ということになります。というのは、あり得べからざることがあったということが奇蹟です。ところがあり得べからざることという言葉は、あり得ることを未だ発見できないためにあり得べからざることと断定したがるのです。ですからしてこれはあり得べきことと立派に説明できるまでに科学が進歩してないと思います。いずれ科学がもっと進歩すれば、これが当り前だ、こうあるべきだ、という処まで行くと思います。私の考えでゆくと、これは当り前のことで、全然なくなった物が元通り出るということは何ら不思議はありません。併しただそういったところで到底信じられる訳はありません。そこで私は今「医学革命の書」という本を書いてますが、その中にそういう点を根本的に詳しく書いてありますが、いきなりそのことを話しても絶対に分りかねることは分ってますから、ただ今はその説明は致しません。何となればそれ程の神秘をあばくのですから、神秘をあばくとすると相当な予備知識が必要です。ですから現代人が現代の科学の頭脳をもってそれを理解するということは到底不可能です。予備知識というと変ですが、大体分り得る程度に順序を追って説明しなければなりません。併しそれは人によって程度がありますが、すっかり分り得る人は滅多にありませんが、“ははあそういうものかな”と大体のことは分ると思います。大それた話ですが、科学がもっと発達した暁にはそこに行くに決ってます。

原子爆弾を落す前にその説明をしても分る人はないでしょうが、丁度それと同じです。私のいうのは、理論物理学のもっと先を説いているつもりです。今湯川博士は物性論の説明をしてますが、あれは中間子の発見から物性論になったのですが、物性論からその次に行く所がありますが、それを私はすっかり書きました。今の科学を押し進めた奥の奥を説けば、今の睾丸や陰茎が取れて元通りに新生するということはそう不思議はありません。私のいうことは馬鹿々々しい大言壮語と思われるようなことですからあまり話したくありませんが、これによって今度本を読んで頂けば、私の話がここの事だなとヒントを得るに便利だと思いますからお話しした訳です。医学革命といっても私が革命するのではなくて革命されなければならない道程に進んで行く訳です。それが実際の文化の進歩であり、そうなるべきが当然です。

 

超奇蹟

『栄光』218号、昭和28(1953)722日発行

『世界救世教奇蹟集』昭和28(1953)910日発行

 この御蔭話の奇蹟は奇蹟以上の奇蹟であって、恐らくこれ程の超奇蹟は人類史上空前であり、医学関係者は固(もと)より、普通人が読んでもただ唖然(あぜん)として言葉も出ないであろう。これこそ世界的大問題として取上げてもいいと思うのである。私はこれを読みつつ驚きと共に涙が溢れて来てどうする事もならなかった。もしこれが宗教でなく医学上に起ったとしたら、新聞はデカデカとかき、社会的大きな話題とし、問題になるであろう。ところが悲しいかな、これほど偉大なる奇蹟も本教信者以外に知られないとしたら何としても残念である。

 とはいうもののいずれ本教が世界的大宗教となった暁、この奇蹟が今更のように人類全般に知れ渡るのは間違いあるまい。従ってこの一事だけにみても、本教は絶対力を行使される最高神が主宰されている事は一点の疑う余地はないであろう。

 この報告にもある通り、医学では八時間以上尿が出ないと危険だという事になっているそうだが、六日間一滴も出ないのに生命が保ち得たという事は、医学史上未曾有(みぞう)の事として記録に止めて置いていいと思う。何となればこれほどの超奇蹟は科学と宗教の差別を超越して、顧みられないからである。しかも尿が停止されたため、毬(まり)のごとく膨満したにかかわらず、意識不明にはなったが、尿毒症が起らないのも不思議である。否起っても神の力で受付けなかったのかも知れないが、とにかく医学者であっても到底信ずる事は出来ないであろう。

 この事実に対し、何人といえども批判の言葉も感想も浮ぶまい。ただ驚きを超越して唾を呑み、目を閉じ、無念無想の時を費(ついや)すのみであろう。というのは彼の原子爆弾が現われた時、ほとんど考えられない程の奇蹟にただ唖然としたばかりであった時以上であろう。もちろん原爆の方は科学的説明はつくが、この奇蹟に至っては科学でも宗教でも、恐らく説明は不可能であろう。しかしたとえ説明が出来ても分り得まいから私は書かないが、神の業というものは、人智の世界を超越しているからである。

 ただこれだけは言える。それは全然無くなった睾丸と陰茎が元通り復活した事実である。今これを説明してみるが、局部の無くなったのは体だけの事であって、霊の方は完全に治っている以上、霊主体従の法則により、体は霊に追随するので、つまり霊の形のままに体的に充填(じゅうてん)した訳である。それは患部の霊は全体の霊に直結しているからである。この理によってたとえ腐蝕でなく、切れ物で切断しても、そのままにしておけば必ず還元するのが生物の原則である。しかしそれとてもある一部であってこの奇蹟のような素晴しい事はあり得ないのはもちろんである。今一つはこの病気の原因であるが、尿が出ないのは尿道口の周囲に毒素固結し、圧迫のためであったのを、浄霊によってその固結が溶解し、排除されたから尿が通るようになったと共に、その排毒の量が非常に多いのと毒が悪性のため睾丸や陰茎までも破壊消失したのである。

 

竹内四郎氏外との御対談(二)  医学の根本的革命   

(栄光 百九十九号  昭和二十八年三月十一日)

小坂氏:この「アメリカを救う」の表紙は大変な表紙ですね。

阿部執事:店頭に置いてあっても、すぐ目につきますからね。

小坂氏:これでは必ず目を惹きます。

明主様:これはあっちの大統領はじめ有識者に全部配るつもりです。

小坂氏:明主様、最近日本には不思議な病気が流行って来ましたが、たとえば風邪でも鼻血が出るようですし、ペニシリンで以前は効いたのが、この頃は効かなくなった、というようで医学では割切れない病気が非常に流行って来て、弱っている様でございますね。

明主様:それについては私は始終言っているのですが、このままではもっと変った病気が出るでしょうね。風邪引で鼻血が出るという訳も、医学ではわからないと言っていますが、これはこちらから言うと、何でもないのです。今の人間は注射や飲み薬をのんで始終頭を使うから、その薬が頭に上ってゆくのです。そこで薬という物は悉く毒物ですから、頭の中が薬で一杯になるのです。それで熱が出たりすると、熱によってこれが溶けますから、その溶けたものが鼻血になって出るのです。医学はこの理を知らないから鼻血を止めようとするが、もし止まったとしてもそれは只延期したに過ぎないので、結局重くなって行きます。そこでそういう医学の根本的な誤を正す為に、私は今「医学革命の書」というのを書いてます。西洋医学を全然なくしてしまわなければならないのです。

小坂氏:結局西洋医学が氾濫したせいなのですね。

明主様:そうです。西洋医学が病気をつくっていると言ってもいいのです。その点結核というのは随分上手につくってますね。

小坂氏:マイシンなどが流行って来て、結核はもう大丈夫などと言っておりましたがね。

明主様:それも結局発病の時期を延ばしただけなのです。だから医学が発達して来て、死ぬ人間が一時延びたというだけなのです。しかし一時的ですから、その先にいったら大変です。又、私は「アメリカを救う」という本を書きましたが、日本人相手に説くよりも、アメリカをわからせた方が効果的と思ったからです。というのは、日本人はアメリカの物というと何でも有難がりますからね。つまり一切の不幸の原因は病気だから、人間から病気を無くすればよい、ということを書いたのです。戦争をする人間にしても、精神的病人なのです。ですから霊肉共に健康になれば、争いや自分の欲のために、人の命を取るということが恐しくなって出来なくなります。普通の人間の感情としたら可哀想でとてもそういう気持は起りません。そういう精神というのは人間でなく獣なのです。ですからそういう思想を起さないという事は、つまり霊肉共に健康にすればいいのです。だから結局世の中を救うというのは、人類から病気を無くするというだけであとは解決するのです。

阿部執事:そういう意味から、報知新聞では現在の紙数を二頁増して家庭欄というものを作って、一番に人間の健康の点を取り上げて、特に“新宗教と健康”という面を強調したいということでございます。

明主様:それは結構ですね。兎に角病気を無くすということは、病気を起さないようにすることですが、新しく病気が起らないようにするというそれだけでいいのです。処でそれを扱っているのが現代医学なのですが、結果から言って若し医学が本当に正しいものなら、年々病人は減っていって、二十年か三十年で病気は無くなってしまっていなければならないはずです。処が事実はそうでないということは、現代医学が本当の医学でないということを証明しているようなものです。

小西氏:スポーツに関する論文を拝見しましたが、その中で黒人が強くなって白人が弱くなったということを仰言っておられますが偉いことを言っておられると思いました。これは運動部長と議論したことがありますが、アメリカあたりでもみんな黒人だから、今に世界のスポーツの記録はみんな黒人に取られてしまうことになりはしないかと。特に拳闘がそうですし、まあマラソンはザトペックが出ましたが、その外は殆ど黒人です。ですからそういうスポーツ論文を載せるといいと思いますね。報知新聞はスポーツは専門紙ですから人がよく見ると思います。

明主様:結構ですね。それで今のお話に宗教を加えるといいでしょう。

小西氏:私はこう思うのです。何も救世教はこうだということでなくても、熱海にはこういう立派なものがある、こういう文化的な事をしている、ということをいえば、これは新しい現代人の宗教だということが大体わかってくると思います。

 

医学革命の書  序文  (昭和二十八年)

  凡そ人間としての最大欲求は、何といっても健康と長寿であらう。他の凡ゆる条件が具備しても之が得られないとしたら、何等意味をなさないのは今更言う迄もない。従って人間生の執着程強いものはなく、此執着から離れられないのが人間の特性である。といってもそれを免れる事の不可能なるが為、今日迄は諦めてゐたに過ぎないのであって、若し此解決可能な方法が発見されたとしたら、之こそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。処が喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。

  即ち凡ての病気は医され、天寿を全うし得るといふ実に驚くべき新医術が、私によって創造された事であって、此医術が普く世界に知れ渡るに於ては、既成医学は当然革命されなければならないと共に、人類の理想たる病なき世界は茲に実現するのである。そうして先ず現在に到る迄の医学の歴史からかいてみるが、抑々今日の医学なるものは、知らるる如く西暦紀元前、彼の有名な医聖ヒポクラテスによって創められ、その後欧羅巴に於ては医療以外、信仰、星占、霊療法等様々な治病法が現はれ、東洋に於ては古代から神儒仏の信仰による医しの業をはじめ、易占、禁厭等の外、支那漢時代に到って漢方医術が生まれ、支那全土は固より、特に旺んに採入れられたのが我日本である。西洋医学渡来前までは、今日の西洋医学の如く漢方が一般に普及された事は衆知の通りである。

  処が十八世紀後半に到って、俄然擡頭したのが科学である。之が素晴しい勢を以て欧羅巴全土は固より、世界各地に拡がり、遂に今日の如き科学万能時代が現出したのである。それというのも凡ゆるものが科学によって解決され、それ迄不可能とされてゐた凡ゆるものが可能となる等々、遂に絢爛たる近代文明が確立されたのである。従って此恩恵に浴した人類は、科学を以て無上のものと信じ、科学ならでは何事も解決出来ないとする一種の信仰的観念にまでなったのである。特に医学を以て科学中の最も重要な部門として扱はれた結果、人間生命の鍵をも握って了った事は、恰度宗教信者が神に対する尊信帰依と同様で、他を顧りみる事さへ異端視せられるといふやうになり、世は滔々として科学信仰時代となったのは知る通りである。

  之によって医学は客観的には驚くべき進歩発達を遂げ、人類の福祉は一歩々々増進されるかに見えるが、一度冷静な眼を以てその内容を検討する時、之は又意外にも進歩処か、反って逆コースの道を盲目的に進んでゐる有様であって、その迷蒙なるいうべき言葉はないのである。何よりも事実がよく示してゐる。それは病気の種類は年々増へ、罹病率も減る処か、益々増へる一方である。その結果人間は常時病の不安に怯え、寿齢にしても一般人は六、七十歳が精々で、それ以上は不可能とされてゐる。上代の文献にある如き、百歳以上などは昔の夢でしかない事になって了った。勿論百歳以下で死ぬのは悉く病の為であるから、言はば不自然死であるに反し、自然死なら百歳以上生きられるのが当然である。といふやうに人間の健康は極めて低下したにも拘はらず、それに気付かず、遂に病と寿命のみは宿命的のものとして諦めて了ったのである。而もそれに拍車をかけたのが彼の宗教であって、それは斯う説いてゐる。即ち死は不可抗力のものであるから、その諦めが真の悟りとして諭へたのである。彼の釈尊が唱えた生病老死の四苦の中に病を入れた事によってみても分るであらう。

  そのやうな訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けて了う程に信頼しきったのである。処が之こそ驚くべき迷蒙である事を、私は神示によって知り得たのである。というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、遂に死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と併せて、凡ゆる病を治す力をも与へられたのであるから、之によって普く人類を救へとの神の大命であって、今日迄不可能と諦めてゐた夢が、現実となって此地上に現はれたのである。現在私の弟子が日々何十万に上る病者を治しつつある事実によってみても、何等疑う処はあるまい。万一疑念のある人は、遠慮なく来って検討されん事である。

  以上の如く此驚異的新医術の出現こそ、今日迄の如何なる発明発見と雖も比肩する事は不可能であらう。何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になったとしたら、彼のキリストの予言された天国の福音でなくて何であらう。之が世界に知れ渡るに於ては、一大センセーションを捲き起し、世界は百八十度の転換となるのは火を睹るよりも明かである。最近の大発見として世界に衝撃を与へた彼の原子科学にしても、之に比べたら問題にはなるまい。私は叫ぶ、最早人類最大の悩みである病は茲に完全に解決されたのである。故に此著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、之を信ぜず躊躇逡巡、何だ彼んだといって見過す人は、折角天の与へた幸福のチャンスを自ら逃して了ひ、何れは臍を噛む時の来るのは、断言して憚らないのである。

 

          序論  (医革  昭和二十八年)

  人類は今日まで実に恐るべき過誤を犯して来た。恐らく之程大きな誤算はあるま。それは何かといふと医学である。何しろ人間にとっての最も貴重なる生命を、保するものとしての重要な存在であるからである。然るに之が前記の如しとすれば、以上の大問題はあるまい。従って現在文化の素晴しい進歩によって、人間に与えらてゐる処の、礼讃し感謝しても尽し切れない程の福祉も、此医学によってその功績を抹殺しても、尚余りある位である。処が之程の誤りを今日迄気付かなかったといふ事は、実に不可解というべきである。処が神の大愛はいつまでもそれを許される筈はない。茲に医学の蒙を啓くべく、断乎としてその手段を執られ始めた。即ち医学の革命である。

  昔から革命と名の付くものは幾度かあったが、それは一国家、一民族、若くは一時代、一思想といったやうに限られてゐたが、今私が行はんとする此医学革命に至っては、全人類の生命を永遠に救うという、その福祉の大きい事は、破天荒といっていいか、画期的といっていいか、言葉では現はす事は不可能であろう。要するに神は全人類苦悩の根本である医学の過誤に目醒めさせるべく、私に対しそれに必要な智慧と力を与へられたのであって、此事こそ真理の具現であり、救ひの基本的条件である。処が人類は何千年間に亘って真理を知らなかった。否神は或事情によって知らせなかったのである。併し愈々天の時到って茲に真理を知らせ、文明転換といふ史上空前の偉業を開幕されたのである。之こそキリストの曰った“世の終り”であり、“最後の審判”であり、世界的大清算である。

  此時に際して、神の大慈悲は今や此渦中に巻込まれ、溺れんとする最大多数の生命を救はんとするのである。勿論此大清算こそ、既成文明の欠陥を明かにし、真の文明のあり方を教へ、神の大目的たる理想世界を実現せられるのである。之もキリストの曰った“天国”、釈尊の曰った“彌勒の世”、本教のモットーである“病貧争絶無の世界”であり、その根本こそ何といっても人類から病を無くす事である。

  以上の如く私は、古往今来夢想だもしなかった大胆極まる宣言をするのであって、之は神言である以上、一点の誤りはないのである。此意味に於て本著を精読するや、茲に豁然として目覚むるであらう。

 

 

テーマ2 救世(メシヤ)教とは何ぞや

「覚りの旅」平成309月度 勉強会を終えて 平成30年9月より

図は省略しましたので必要によりブログで確認願います。

【御教え】「救世(メシヤ)教とは何ぞや」栄光253号 昭和29324 拝読

三救責任者 はい、ありがとうございました。

「覚りの旅」を復活するのに、『主神様とメシヤ様』の順番にやり始めましたよね、勉強会のテーマとして。それが、今回、「救世(メシヤ)教とは何ぞや」だったわけです。ご存知かと思いますけども、私、メシヤ教を退会いたしまして・・。

ブログ「心に高天原を!(現在の 救いの三本柱(三救)Three Pillars of Salvation2018826日にも書いてありますが、組織に囚われないメシヤ様信仰を目指しております。御教えおよびメシヤ講座での学びを、実生活に生かせるようにとの思いをブログに綴って行きたいと思います。「覚りの旅」を復活し、勉強会を積み重ねてまいります。ご愛読いただければ幸いです。このブログの意味合いをここに書きました。

退会してもメシヤ様の信仰、御教えとメシヤ講座ですね、そういう事を中心にして勉強会をやっていきます。それを「覚りの旅」としてやっていきたいと思います。

 

経緯(たてよこ)結んで始まる

経緯(たてよこ)結んで始まる

・十一年目

・御神書に拠る信仰

・メシヤ様の御精神を現代に伝える

・神科学によって地上天国を建設

・人間界に分かるように論立て

メシヤ様信仰、この先生につながって十一年目ということで、統一。十一ということが言いたかったのです。

御神書に拠る信仰ですが、私には二人の先生がいました。京都の中村先生と楳木先生です。京都で学んだ『御神書による信仰』というのは御教え中心にやっていきましょうということです。当時の救世教の一元化を進められた時に中村先生が離脱して、『御神書による信仰』を打ち出した背景には世界救世(きゅうせい)教が、御教えの95%を封鎖してしまったと。5%くらいの「天国の礎」と「景仰」くらいしか公開しなくくなって、御教えを読んではいけないみたいな感じになってきたので、これではいけないということで、できるだけの御教えを入手して離脱されたそうです。

離脱の背景に、御教えを守る為という事があったことを知っておかなければいけないと思います。

それで、いろんな先生方の中には、メシヤ様、向こうは明主様ですけども、「明主様がこういうお話下さったんですよ。」というように、御教えに書いてないことまで、喋ってしまう人がいると。自分で思い込んでる人が多くて、そういうのが怖いと。「きちんと御教えに求めて何処に書いてあるのですか?と聞くようにして下さい。」と、御教導賜りました。御教えは神の言葉であるということと、メシヤ様は、神人合一されておられましたので、メシヤ様がお話しくださったことは、寸分間違いない。というお話を聞いてきたわけです。御教えに求めることの重要性ということですね。

その後、そういったことを、形は違うけどもやっておられる楳木先生と出会ったのです。楳木先生の方は「メシヤ様の御精神を現代に伝える」ということで、御教えは昭和に書かれたものですから、現在の人にはちょっと分かりにくいかと思いますので、そういったことを今の世の中の現象、ニュースとかね、先程の大震災の話でも、一緒に合体させたように、どういう風に御教えに返して皆さんに伝えていくかという事をやっておられたのがメシヤ講座であると。そういうお二人は、僕にとっては大きな先達であり師匠なので、お二人の姿勢を求めて、やっていきたいなという感じで思っています。それで、神科学によって地上天国を建設する。先程の先生の話の中で、人間界に判るように論立てという事をやってこられたのがメシヤ講座であったと思っています。

 

救世教(メシヤ教)とは何ぞや

・聖地参拝にて

・根本・・・神様の御存在を見せる奇蹟よりない救世(メシヤ)教が救わなければどうしようもない。

跛行的文化は是正され

世の中の状勢・宗教界  真文明実現

 跛行的 足並みが合わない ちぐはぐな 整わない まとまらない 足並みがそろわない 足並みが揃わない 一致しない 跛行的な ちぐはぐの 噛み合わない 不揃いの まとまりを欠く まとまりを欠いた ぐちゃぐちゃの 調和していない 不揃いな

三救責任者

『救世教(メシヤ教)とは何ぞや』というテーマですね。

メシヤ教を退会して、これは聖地に報告に行かなくてはと思い、報告に行ってきました。行って救世会館に行った時に救世会館にあった冊子「光明」の冒頭にある御教えが『救世教(メシヤ教)とは何ぞや』だったのです。

向こうは今、もめています。ですから、今の時期に『救世教(メシヤ教)とは何ぞや』に基づいてやっていかなくてはいけないんじゃないかと、この御教えを取り上げたのではないかと推測しました。一方、私達は、今この時期に、順番にやっていてこの御教えが出てくるというのは、この事をしっかり学んでおけと受け止めさせて頂きました。順番にやっていいのだと思いました。

そうすると、何が書かれているかということが大事になってきます。根本は何かといったら、神様の御存在を見せることだと書かれているんですね。それにはどうしたらいいかと言うと、奇跡よりない。メシヤ教が救わなければどうしようもないんですよと。浄霊の出来る人ね。これの意味合いはメシヤ様時代もそうですけども、そのメシヤ様の信仰を受け継ぐ者と捉えればいいかと思います。

ここに、跛行(はこう)的文化は是正され真文明が実現される。跛行的という言葉が出てきたので、跛行とはどういう意味があるのかというと、ちぐはぐ、まとまらない、足並みがそろわない、一致しない、かみあわない、不ぞろい、ぐちゃぐちゃの、調和しない、何か似てませんか。世の中の情勢、宗教界の情勢、跛行的じゃないですか、今。そういったものが是正されて真文明が実現していくんですよ、ということが書かれてます。僕はそういう風に読みました。

 

ハートを魂とすると、行動に示してこそ意義が生まれるんですよ、と言う事が書いてありました。それに合った想念という事が大事で、それは皆さんとメシヤ様が直に繋がるんだという想念を、持っていきましょうということですね。

 

お言葉に裏はない

色々な人によって御教えの読み方、読む人によって、メシヤ様が書かれた本でも表裏、裏表があるんじゃないかっていう先生方がいたそうです。裏表があるように思う人は邪神が憑っていると。夜のものについては、お経とか、他の夜のものについては、裏表があっても仕方がなかったんです。月が照らしたところだけ見えるでしょと。月の時は周りが真っ暗じゃないですか?太陽によって月が照らされて、月が光ってるところだけ明るいけども。

昼の世界は太陽の光が直接だから、全部見えるでしょと。だから、裏表ないんですよと。御教えそのまま信ぜよということですよと。今まで、根本が悪だったのであからさまに言えないことがありました。だから、キリスト教とか仏教というのは、そういう秘密を持っていても仕方なかった。今までね。これからは表に出てくるのか分からないけども。宗教としては仕方がなかったという話ですね。で、終戦前はハッキリ言えなかった。だから、メシヤ様の書かれたものでも裏表じゃないんですよ。昼のなりかけでしたので、『明日の医術』という本がありますけども、医学の事をズバズバ書くわけにはいかなかったので、ちょっとぼかしたんですよと。御教えを比べていくと分かると思います。

 

『結核信仰療法』

『結核信仰療法』は、はっきり書いた。メシヤ様が仰っています。で、メシヤ教というのは昼の世界を作るんだと。メシヤ様の言う通りやれば問題ないんですと、裏があると思うのが間違いですと、素直になって下さいという事ですね。

  

奇蹟で有神思想を呼覚(よびさま)

メシヤ講座・特選集(№119・平成2212月分)

「先月現魂と幽魂の話をしましたが、現界に存在する魂は行動を起こさなければ意義が生じないのです。このことは、メシヤ様が御述べになっている『これからは想念の世界だ』ということとは意味が異なります。その『想念』は、形ではなく『メシヤ様に直に太く繋がる』という意味の『想念』であり、現実世界の心言行の根幹的なものです。つまり、神界からの御指示があって、それを実行するかどうか、ということで全ての結果が違ってくるというものです。信仰上で大切なことの一つは『誠』の有る無しです。」

救世教の聖書

もう一つは、内容というのが救世(メシヤ)教の聖書であり、『メシヤ様の指示のまま弟子に選ばせ編纂』したんですよと。『天国の福音書』というのは、前の「天国の礎」みたいな感じです。だから、今であればメシヤ様がおられないので、メシヤ様の想いを慮って、今の時代に必要なことを編纂していくというのが、こういうことに当たるのかなと思います。先生はそういう意味で、『天国の福音書 続編』を出してきたのですね。これからも、続々出されるおつもりでした。

『聖書であり将来世界の法典となるであろう』と、メシヤ様の御教えを、現代に生かすように弟子たちが御教えを編纂していくことを、待っておられるのだと思います。

現在は全集がありますが、一般の方がすぐ手に取って読めるわけではありませんし、全集というのは年代順に御教えを網羅したものです。

ここで、『入門と奥座敷 天国の福音書(続編)』を編纂されるにあたっての先生の想いをメシヤ講座で確認させて頂きましょう。

メシヤ講座・三重84号 平成26年10月度

迷える人の善導を!

(先生)

形を整えてどの教団に所属していようとも〝本来の信仰の形態はこういうことですよ″と、〝浄霊の形態はこういうことですよ″と、認識していただいてメシヤ教に入らなくてもすべての教団でそういうことが実践できるような態勢を整えていかないと、上から組織的に抑えられておりますので、待ってはおられないのです。それぞれの教団の中で実践していただければ良いのです。

(質問者)『浄霊力拝受お願い書』を付けていただけると良いと思います。

(先生)折り込んでミシン目を付けて切って提出できるようにするつもりです。一枚で足りない人はコピーして書き込んで送ってもらえるような形にしていこうと思います。

(質問者)どの教団にいても『メシヤ様と直に繋がった浄霊』が出来るということですね。

(先生)そういうことですね。

最近はいろんな情報を得ていても総合的に整理できていなくて迷っておられる方が増えてきているようです。そういう人たちを善導していくためにも〝浄霊の在り方を整えて行きたい″と思います。

 

三救責任者 (覚りの旅  平成309月資料)

『入門と奥座敷 天国の福音書(続編)』についての楳木代表の想いを例として挙げさせて頂きましたが、本来の信仰のあり方をどこの教団に所属していようとも、いなくとも、『メシヤ様と直に太く』繋がって頂くために、道しるべとなる『天国の福音書(続編)』の刊行を望まれておられたのではないでしょうか。

まずは、私達が出来ることは何かを自ら考え、資料つくりをコツコツと進めていきたいと思っております。