『夜昼転換』


『天恩地惠 覚りの旅 6月号』より

615日は『地上天国祭』です。『夜昼転換』についてしっかり学ばせて頂いた上で、祭典に臨ませて頂かなければと、今朝(2020.4.25)目覚めて思い立ち、資料を作り始めました。

2014年(平成26年)10月 メシヤ講座・浜松

それから次は今、『祈りの栞に寄せて』という本がありますけれど、これにももう少し御教えを加えて、どのような教団に所属していても、メシヤ様を教祖と仰ぐだけではなく、何々宗という、様々な宗教に身をおく人にも「本来宗教とはこういうものだ」、「信仰とはこういうものだ」というものを、もう少し肉付けをして、いわゆる『天国の福音書』続篇の信仰観、宗教観として出していこうと思いますので、そういう準備に入っていこうと思います。

歴史観の場合は、『夜昼転換』を拾い出していくと1000ページを超える量になっていきますので、この分はもう少し時期をずらして、整理しつつ、人類の歴史をどのように考えるのかということを提示していくような『天国の福音書』続篇を出していこうと思っていますので、それは少し時間をかけて整理するという形をとっていきたいと思います。


先生は『天国の福音書』続編における歴史観として『夜昼転換』を捉えておられました。その
2年前に浜松で『天国の福音書』発刊の進め方についての打ち合わせがございました。覚えておられますか?

この時の資料に「この取り組みを進めていくことこそ『世界救世(メシヤ)教』の復興事業といえる。復興とは組織の復興ではなくメシヤ様を世の中にお出し申し上げることである。御教え中心の生活に全世界が変容してゆくことである。」

と書かれています。

『世界救世(メシヤ)教』の復興事業を掲げて目指していく事は、メシヤ様を世の中にお出し申し上げる取り組みであったことを忘れてはならないと思います。

この時には歴史観『夜昼転換』の記述はございませんので、資料にある「地上を創造された御存在の御意図を理解すること」を具体的に展開していく次のステップとして歴史観『夜昼転換』を『天国の福音書』続篇に纏めていかれる構想だったのではないかと拝察いたします。

平成24年6月15日

『天国の福音書』発刊の進め方について

                       メシヤ教代表 楳木和麿

『文明の創造』の「後記・『天国の福音書』続篇の作成へ」で≪今後『天国篇』は、『天国の福音書』続篇として編纂する≫と記載しました。これについては、『文明の創造』発刊以後の刊行は『文明の創造・天国篇』という名称が良いとも考えられましたが、『天国の福音書・序文』に『私の指示のまま弟子に選ばせ、編纂したもの』とありますので、≪編纂する≫という意味合いから、やはり『天国の福音書』続篇が相応しいという結論に達しました。

編纂については、どこまでも御論文を主体として、意味を理解する上で必要と思われる御講話を「後記」で取り上げ説明を加える方式を用いるのが良いと思われます。しかも、編纂対象は「世界救世(メシヤ)教」開教時の昭和25年2月4日以降御記述された御論文とします。

 そこでまず、天国天人としての有資格者は如何にあるべきかという点に重きを置いて検討すれば、地上を創造された御存在の御意図を理解することが必要不可欠となる要因となります。それは宇宙に対する認識、太陽系の運航に対する認識、地球の生体への認識等々、文化的概念の根底になるからです。そして、その概念の構築があってこそ、本来の人間としての感謝が育まれます。そのことから、メシヤ様が主神様の御事を御記述になっている御論文を網羅することから始めなければなりません。

次に、メシヤ様の御存在に対する認識が深まることにより、その恩恵に与ることが許されます。つまり御守護に溢れた生活を送ることが出来ますので、メシヤ様に関わる御記述を網羅します。

また、『文明の創造』に込められた、メシヤ様の「世界救世(メシヤ)教」開教の御神意である『地上天国建設』を進めてゆくには、『夜の時代』の癖を払拭せねばなりません。その具体的ご指摘が『宗教改革』と『医学革命』であります。メシヤ様の『可能な限り全人類を救済する』という御情熱を受け継いでいくことを念頭において、全体を構成してゆきたいと考えています。

 

1.    たたき台(案)

第一巻 神観の確立

序章として現在すでにある『天国の福音書』に書かれている内容との違いについて代表が説明書きを書き下ろす。

研讃資料『主神様とメシヤ様』掲載の『主神様』についてS25年2月4日以降の御教えを、抜粋ではなく全文掲載する。

第二巻 救世主

同資料内での『メシヤ様』についてS25年2月4日以降の御教えを、抜粋ではなく全文掲載する。

ただし、※1 救世主八大資格は昭和25年2月4日以前の御記述であるが、掲載する。

第三巻 救世主の御力

 浄霊篇

今までの浄霊の急所だけを記載したものでなく、現代の科学の進歩と浄霊を関連付けた意識を持って浄霊を取り次げるような組み立てとする。

 3分冊程度を考えている。

第四巻 宗教観の確立

 宗教改革篇

第五巻 生活篇

『夜の時代』の精神の癖をとる。日々心がける想念とは。

・論理面

・生活の実際面(精神面、慰霊のあり方、大黒様について・・お金に関わること全般)

・自然農法

・芸術

この取り組みを進めていくことこそ『世界救世(メシヤ)教』の復興事業といえる。復興とは組織の復興ではなくメシヤ様を世の中にお出し申し上げることである。御教え中心の生活に全世界が変容してゆくことである。

 

2.検討事項

①構成を検討する。

②発刊の順序を検討する。

信者向けには御神格の認識が第一であるが、一般向けには生活篇が望まれることでもある。

③担当について

校正は三重支部で担当するが、すでにこの分類の中で草案を作成している支部は原稿完成を担当する。

※1『観音講座』昭和1085日発行

救世主八大資格

一、世界万民の病を治すべき万人の医療者を作る。

二、貧の根絶に地下に埋蔵せる黄金を無限に発掘して人類に頒(わか)ち与う。

三、森羅万象を意のごとくなす絶対力を有し、その予言は必ず実現すべき事。

四、その経綸は悉(ことごと)く前人の跡を踏まず、総て新機軸によって進展す。

五、政治経済宗教芸術等、人世百般の事象に精通し、いかなる問題に会うも快刀乱麻を断つがごとく立ち所に解決す。

六、太陽のごとく身体より霊光を放つ。

七、最高の神格を有するが故に万神を従わしめ魔神を服せしむ。

八、天賦の力徳は一切衆生を無為にして化せしむ。


『天国の福音書』続篇作成という、メシヤ様を世の中にお出し申し上げる取り組みと、『メシヤ降誕本祝典』の斎行というのは同時進行であったわけです。そして、メシヤ様にお出まし頂いたからには、世の中にお出し申し上げる。メシヤ様の御教えを世の中に伝えていく取り組みが最も望まれているわけです。

 

地上天国祭を前に、『夜昼転換』については、『新・伝道の手引』から学ばせて頂きたいと思います。

『新・伝道の手引』4041P

夜昼転換は明主様の御教えの中で特に重要なことの一つである。

1.       主神は宇宙の初めから終わりまで支配されている。――主神の計画とその遂行を「経綸」という。

2.       経綸には夜と昼があり、悪が強く不幸の多かった時代を「夜の時代」(あるいは「夜の世界」)という。

3.       しかし最奥の霊界は700年くらい前から昼に入り始め、昭和六年六月十五日から現界も昼に入り始めた。

4.       明主様はそのことを昭和元年の神懸りの時、神から啓示された。

5.       夜昼転換して文明の誤りが正され、地上天国への道が開ける。ということが骨子である。

 

『新・伝道の手引』560P

そもそも夜昼転換は、夜と昼の交替という天文現象に基づく比喩的表現で、「夜は月が、昼は日が支配し、夜は暗く冷たく昼は明るく暖かいように、地上の世界も夜の時代は不幸、災難、病貧争の苦しみにさいなまれることが多く、昼の時代は健富和の幸せが支配する」<礎宗上・113頁>というのが基本概念である。

 

かわりめの よのことごとをまめひとに しらすわれはもかみのまにまに

変り目の 世の悉を信徒に 知らす吾はも神のまにまに

「栄光」 199 S28. 3.11

 

   夜昼転換の基本概念

ⅰ基本概念

A 霊界の転換と現界への移写

 地上天国を造るに当たって最大の障害は病気である。これまで論じたように、病気の原因は薬剤と肥料と罪である。薬剤と肥料は、人間の意志で無くすことができる。しかし罪の問題は今までの宗教では解決しなかった。本教はこの問題も解決して、病無き世界を造ることができるが、それを説明する前提として、ある*重大なことを知らせなければならない。

 

重大なこと*1 昼の世界が来て、日の大神―本教主宰神-が世に出られるようになった。

本教主宰神は人間を改心させる力を持ち人間の獣性を消滅させる、改心した人の罪を赦す権能を持たれている。――故に罪の問題も解決する。

 

霊界に於ける昼夜の転換 『文明の創造』昭和27
 右の重大事というのは、霊界における昼夜の大転換である。すなわち夜と昼との交替であるというとおかしな話で、誰しも夜と昼は一日の中にあるではないかというであろう。なるほどそれには違いないが、私のいうのは*2大宇宙のそれであって、この事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当もほぼつくのである。
 そうしてさきに述べたごとく、この世界は物象界、空気界、霊気界の三原素によって構成されており、一日の昼夜とはこの物象界と空気界、つまり人間の五感に触れ、機械で測定出来るものであるに対し、霊気界のそれは全然無と同様で、捉える事が出来ないものであるから、今私のこの文を見るとしても、直ちに信じ得る事は困難であろう。私といえどももし神を知らないとしたら、一般人と同様であろう。ただ私はこの重大なる使命をもつ以上、神と密接不離な関係にあるから*5確実に知り得るのである。
 *6それによると、霊界においても現界に一日の中に昼夜があるごとく、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。従ってその転換ごとに、人類世界にも反映するので、それが霊界の方では絶対正確であるにもかかわらず、現界へ移写される場合、幾分の遅差は免れないのである。その事を頭に置いて、長い歴史を見る時、大、中、小種々の歴史的変化をみるのは、その表われである。そこで今私が言わんとするところは、世界の大転換に関する主なる点であって何よりもまず大転換の時期であるが、それは一九三一年六月十五日から始まっており、一九六一年六月十五日までの、三十年間で*7一段落がつく事になっているしかし人間の頭脳で考える時、三十年と言えば長期間であるが、大宇宙における神の経綸としたら、*8一瞬の出来事でしかないのである。そうして右の三十年といっても、現界においては急激な変化はなく、徐々として進みつつあると共に、右の三十年を挟んでその前後の時を合わせると、六十余年の歳月を費やす事となる。それは準備期と転換後の整理とに時を要するからである。
 右のごときその転換の意味は今日までは夜の世界であったから、いわば*9月の支配であったのである。

 

大宇宙のそ*2 大宇宙における昼夜の転換

このことを知るとしたら*3 大宇宙に昼夜の転換のあることと、その転換の真相を知るとしたら

三元素*4 根源となる三つの要素=三段階の世界

確実に知り得る*5 昭和元年の神からの啓示によって

それによると*6 明主様が神からの啓示によって知られたことによると。

一九六一年六月十五日までの、三十年間で一段落がつく事になっている。*7 黎明期が終わって昼の世界の圏内に入る

一瞬の出来事でしかない*8

月の支配*9 月神の支配

 

現界での人間の一生は長くて百年。故に現界の一日は二十四時間が周期になっている。しかし霊界では、魂によっては霊界で次の使命が下るのに千年待つこともある。<礎宗下・265頁>まして永遠なる神にとっては千万年も一瞬である。<新伝253頁>霊界は主神の経綸が中心で、したがってまったく小さい存在にすぎない人間霊の現界での生活を反映した「二十四時間」という周期はない。人間の立場でみると「霊界は意志、想念の世界」<礎宗下・244頁>「時間空間を超えた世界」<教332頁>ということに尽きる。

以上のことを前提として考えると、この御教えは理解しやすくなる。

 

B 五六七の世  『文明の創造』「仏滅と五六七の世」昭和27

 今まで夜の世界というのは、日が天に昇っていなかった時の事である。もちろん霊界の事象ではあるが、これを小さく地球にたとえてみればよく分る。夜は月が上天にあって照らしていたが、段々地球を一周して、西の涯から下って地球の蔭に隠れる。すると太陽が東から昇って、中天に輝くとすれば、これが昼間の世界である。そうなれば天は火であり、中界は*水素の世界であり、地は依然として地であるから、これが五六七の順序である。右を一言にして言えば、昼の世界とは、今まで見えなかった日が、中天に輝く姿で、それが五六七の世である。

 

水素* 水の霊気で、科学元素の「水素」ではない。

 

ⅱ 昼が来て日の神が力を振るわれるー本教信徒の幸福

<教・2958頁 昭和281225日>

キリストでも月の神様の最高のものだから、月だけの力しかなかったわけです。私の弟子は、月の力よりも太陽の光は、わずかでも、やっぱりそれだけの働きが違うわけです。ですから奇蹟が現われるということは、そういうわけです。今までないことがあるということは、今までは月の力であった からで、今度は日の力になるということに大きな違いさがあるわけです。そう考えると、救世教の奇蹟が多いことも、浄霊で病気が治るということも分かるわけ です。別に難しいことはないわけです。ただ、今まで太陽の方の神様が出なかった、出られなかったというところが*1根本なのです。それで、今度はその太陽が現われたのです。*2昼間の世界というのは、そういうわけです。

 宇宙というものは、そういうことになっているのです。すべて夜昼の区別があるように、だいたい一年、十年、百年、千年、万年というように、定期的に決 まっているのです。今度昼間の世界になったのは三千年目になるのです。実に宇宙というものは無限の神秘であって、とうてい言葉では言われないくらいなものです。それで悠久のものですけれども、悠久の中にも大中小、大中小となって変化することになっているのです。今度は三千年目で昼間になったのですが、三千 年で一回転するのです。それで三千年というと永久と言ってもよいです。三千年ではつまらないと言っても、自分の命よりはずっと長いのです。三千年の間に は、いくども生き代わり死に代わりしているのです。そのくらいの変化ですから、今度の変化というのは大変化であるし、祖先以来ないものです。ですから*3これに生まれ合わせ、この仕事に携わった人はどんなに仕合せか、祖先以来ないのですからたいへんなものです。そういうような大変化だからして、分からせようと 思っても、なかなか分かりにくいのです。しかし分かりにくいけれども、聞いてみれば、なるほどそういうことも有り得るわけだということも分かるわけです。 こういう話は、哲学でもなければ宗教でもない、新しいものですが、しいて言えば宗教の哲学みたいなものです。それで、これを知ることが覚りを開くというこ となのですが、しかし覚りを開くというが、今までの覚りはそこまでは分かっているのですが……それを朧(おぼろ)げながら分かったのは*4キリスト、釈迦という人たちです。釈迦が“仏滅の世が来る”ということを言ったのは、ある程度分かったから言えるのです。それからキリストの“天国は近づけり”ということも、ある程度まで分かったわけです。けれども、*5私が分かるだけは分からなかったわけです。*6もし分かれば、その時にもっとすばらしい奇蹟=大きな力を現わさなければならないです。

救世教というものは、今までの観念でゆくと非常に難しいようですが、分かってみればかえって今までよりもずっとよく分かるのです。それは*7根本が分かるからして、*8非常に難しいようでいて非常にやさしいのです。ちょうど病気を治すようなもので、医者の方で首をひねってどうにもならない者 が、こっちの方でこうやって治ってしまうのですから、理屈は同じです。ただあんまり違い過ぎるので、その点に骨が折れるのです。

 

根本*1 すべての宗教の根元は主神で主神はその時代の文化・民族に則した宗教を顕し、それぞれの宗教の主宰神に経綸を分担させた。「この度再び<垂・30号2頁>日の神が現れ、昼の世界をつくることになった<教・3131頁>」

昼間の世界というのは、そういうわけ*2 夜昼転換の霊的意義参照<新伝585頁参照 立春の御教え>

これに生まれ合わせ、この仕事に携わった人はどんなに仕合せか、祖先以来ないのですからたいへんなものです。*3 信者の使命

キリスト、釈迦という人達*4 主神は永遠の過去、未来のすべてを知っている(全知)キリスト、釈迦のごとく人類の救いを分担する人は、神の全知にあずかって何千年も先のことも多少分かった。しかし、何千年も神の永遠から見れば一瞬のことである。

もし分かれば、その時にもっとすばらしい奇蹟=大きな力を現わさなければならない*6 覚りの深さに比例して力が出る

根本が分かるから*7 主神の経綸が理解できる。主神の経綸は、人間世界のすべてを支配する原理である。

非常に難しいよういて非常にやさしい*8 例えば薬の問題。経綸が昼に変り、故に薬の害が激しくなってくる。このことは「主神の経綸が変わった」ことが分かれば容易に理解できる。―――一厘で手のひらが返ることとなる。<垂・536頁>すなわち、御教えによってすべての価値観が変わる。

 

  夜昼転換の具体的意味

ⅰ 火素の増量、浄霊による癒し  <宗・114 昭和2225日「夜昼転換」>

霊界と現界との関係については前項に説いたごとく、現界のあらゆる事象は霊界の移写であるとして、ここに霊界においては、最近に至って一大転換の起こりつつある事で、それを知る事によってのみすべては判明するのである。

 本来天地間あらゆる森羅万象は、さきに説いたごとく、霊界と現界との両面の活動によって生成し化育し、破壊し創造しつつ、限りなき発展を遂げつつあるのであるが、これを大観すれば無限大なる宇宙であると共に、無限微の集合体である所の物質界でもある。それが極まりなき転変によって、停止する所なき文化の進歩発展がある。そうして心を潜めこれを静かにかんがうる時、宇宙意志すなわち神の目的とその意図を感知しない訳にはゆかないであろう。そうして一切に陰陽明暗あり、夜昼の区別がある。また春夏秋冬の変化や万有の盛衰を見る時、人生にもよく当てはまるのである。また総てにわたって大中小の差別あり、これを時に当てはめる時、すなわち一日に昼夜の別あるごとく、実は*一年にも十年にも百年、千年、万年にも昼夜の別があるのである。しかしながらこれは霊界での事象で、現界においては一日の昼夜のみ知り得るに過ぎないのである。

 この理によって、今や霊界においては何千年目か何万年目かに当然来たるべき、昼夜の切り替え時が来たのである。これは重要事であって、この事を知らない限り本医術の原理は分かり得ないのである。と共にこれを知る事によって、本医術はもとより世界の将来をも見通す事が可能となり、ここに安心立命を得らるるのである。しからば、霊界におけるこの何千年目かの昼夜の切り換えが現界にいかに反映しつつあるかを説示してみよう。

 右の意味によって、霊界における世界は今日まで夜であった。夜の世界は現界と同様暗くして、定期的に月光を見るのみである。もちろん水素が多く、月が光を隠せば星光のみとなりそれが曇れば真の暗黒となる。これが移写せる現界の事象にみても明らかである。すなわち今日までの世界、国々の治乱興亡の跡や、戦争と平和の交互に続く様相等は、ちょうど月が盈(み)ちては虧(か)けるごとくである。しかるに天運循環して今まさに昼に転換せんとし、ちょうどその黎明期に相応するのである。

 そうして、霊界における夜昼転換の結果として、人類が未だ経験せざる驚くべく、おそるべく、喜ぶべき一大変化が起こる事である。しかもその端緒はすでに表れ始めている。まずそれを説明してみよう。

 私がいう昼の世界とは、現界のそれと同じく、まず東天に日輪の光芒が現われるのである。みよ、地球の極東日本――すなわち日の本における一大変革である。この国は今や夜の文化すなわち既成文化崩壊が開始されたのである。見よ重要文化都市の崩壊、産業経済の致命的状態をおもなるものとし、人的には特権や指導階級の全般的没落等々は全くそれがためである。そうして次に来たるもの――それは昼の文化の建設であるが、これらも既に表れかけている。みよ、日本における徹底的武装解除に次いで民主主義の台頭である。この二つの現実は、日本においては建国二千六百年以来洵(まこと)に空前にして予想すら出来得なかったところのものであるがまた世界永遠の平和確立への第一歩でもあろう。本来夜の世界とは闘争、飢餓、病苦に満ちた暗黒時代であるに反し、昼の世界とは平和、豊穣、健康等の具備せる光明時代である。現在の日本――それはよくその転機の様相を表している。

 しかしながら、東天に昇り始めた太陽はやがて天心に到るであろう。それは何を意味するか、言うまでもなく、全世界における夜の文化の総崩壊であると共に、昼の文化が呱々(ここ)の声をあげる事である。それはおよそ予想し得られよう。何となれば日本が既に小さくその模型をしめしているからである。しかも、世界の決定的運命は目前に迫りつつある。恐らく何人といえどもこの框(かまち)から免れる事は出来得ない。ただ苦難をして最少限度に止め得る方法のみが残されている。しかしその方法はここに一つある。すなわち本医術の原理を知って、昼の文化建設の事業に加わる事である。

 聖書の一節にいわく「あまねく天国の福音を述べ伝えらるベし、しかる後末期到る」と、これは何を指示しているのであろうか、私は信ずる。それはこの私の著述が右の使命をまっとうするであろう事を!

 私は本医術の原理を説くに当たって世界の運命にまで説き進めて来たが、これは重要事であるからである。それは本医術の原理発見も、医学の誤謬発見も、その根本は夜昼転換という一点にかかっているからである。

 既に説いたごとく、病気の原因は人間霊体の曇りにあり、その曇りを解消する、それが病気治癒の唯一の条件でありとしたら、本医術発見以前の世界にあっては、なぜ発見出来得なかったかという疑問であるが、その理由はこうである。さきに説いたごとく病気治癒の方法に二つある。一は毒素を浄化以前に還元する、すなわち固め療法であり、二は右と反対に毒素を溶解し排除する方法である。既存医学は前者であり、本医術は後者である事も、読者はすでに充分認識されたであろう。

 そうして本医術の原理が、人体より放射する一種の不可視的神秘光線でありとしたら、この神秘光線の本質は何であるかというと、それは火素を主とせる一種の人体特有の霊気である。故に施術の場合、火素の多量を要する訳であるが、昼の世界にむかうに従って、霊界における火素は漸次増量する。何となれば、火素放射の根源は太陽であるからである。そうして火素は治病に効果ある以外、今一つの重要事がある。それは霊界における火素の増量は、人体の浄化作用をより促進せしむるという事である。すなわち、霊界の変化は直接霊体に影響する。火素の増量は霊体の曇りに対し、支援的役割ともいうべき浄化力強化となる事である。従って病気は発生しやすくなると共に既存医療の固め療法の効果が薄弱となりついに不可能となる。たとえば夜の世界においては、一旦固めた毒素は再発までに数年を要したものが、漸次短縮され、一年となり、半年となり、三月となり、一ケ月となる、というようになり、ついには固める事は不可能とさえなるのである。これについて最もよき例は彼の種痘である。これは日本についての実例であるが、数十年前は一回の種痘によって一生免疫されるといわれたものが、漸次期間が短縮され十年となり五年となり、最近に至ってその効果は非常に薄弱になった事である。その他種々の病気にしても年々増加の傾向を高めつつある事も、見逃すべからざる事実である。

 以上によってみても、漸次夜から昼に転移しつつある事を知るであろう。全く夜の期間における病気治療の方法としては、溶解よりも固めるほうが有利であった。それは毒素溶解に要するだけの火素が不足であったからである。従って次善的方法として固める方法をとるの止むを得なかったのである。それがついに人類社会に対し、短命、病気、飢餓、戦争等の苦悩の原因となった事は、実におそるべき誤謬であった。

 

ⅱ 火素の増量 <昭和二十九年四月七日 栄・255号「私は宗教科学者だ>

 今までの科学は、物象の世界のみを対象とするレベルの低いものであるが、私の説くのは霊の科学で、そのレベルがいかに高いかは、浄霊の効果が立証している。浄霊がこの世界に現れたのは、霊界が三千年振りに夜から昼への大転換をしたことによるものである。さて、その大転換はいつであろうか。

 

それは一九三一年六月十五日であって、 この時を期として世界は昼になったのである。といってもある時期までは霊界の変化であるが、漸次現界に移写し、いずれは現実的に分るのである。しかし私は これ以上深く解説したいが、それでは宗教的になるからここでは省くが、とにかく右は絶対であることを信ずればいいのである。

 そうして霊界が昼になるということは、火素が増量することであって、徐々ではあるが物の世界にも移写しつつある。それは水主火従であったこれまでの世界 が、逆に火主水従となることである。しかし物の科学で分らないが、霊覚者なら充分分るのである。これによって今まで未解決であったあらゆる問題も、明確に 解決されるのである。以上によって、私は現在の低科学を飛躍させ、高科学に引き上げ、真の文明を創造するのである。

 

[中村先生の解説]この御教えは、世界観を根本的に変更しなければならないことを教えている。――科学的、唯物的世界観から神中心の世界観に変わることとなる。

 

ⅲ 激しい病気の発生

キリストの「世の終わり近づけり、汝ら悔い改めよ」の警告の真の意味は、「夜の世界が終わり昼の世界が来る」ということであった。それは私の言う夜昼転換のことで、三次元の世界(霊界)の転換は一八八一年、二次元の世界の転換は一九三〇年、そして現界の転換は目睫に迫っている。では今、霊界はどういう状態なのであろうか。

 

いうまでもなく霊界においては夜の期間中は水素が主で火素が従であったものが昼の世界に入るやその反対に火素が主で水素が従となるのである、すなわち暗が明に変わるのである、それだけなら別段心配する事はないが、実はこれによって空前の大変化が起るのである、というのはいまだかつて経験にない程の破壊と創造が行われる、すなわち霊界においては濁が清となり、そのまま現界に移写されるから現界はいかに大いなる変異を起すか想像にあまりある、もちろん霊界に火素が殖える結果として浄化力発生と共に時の経過に正比例して漸次強化されるのである、その表われとして善悪正邪は明らかとなり全人類に浄化が行われる、元々人間の病気とは火素による浄化作用であるから体内に汚濁を多量に保有している者ほど強烈なる浄化が行われるのは当然である、しかし今日までの病気なるものは浄化が至極緩慢に来たので生命の危険にまでは及ぼさなかったが、最後の世の病気はすこぶる急激なる大浄化であるから極めて迅速な経過をとる、例えば頭痛、咳嗽、下痢等二つか三つくらいの症状なれば生命が脅かされるまでには至らないが、これが七つも八つも一度に発生するとすれば到底たえられるものではない、この場合医師に診せるも全然病原が分らないから急速の死は免れないのである。

 何と恐るべきではないか、かような大浄化が人類を襲う結果一大恐怖時代が出現し滅ぶ者数知れずという事も想像され得るのである、この事に対してもキリストは最後の審判の言葉をもって一大警告を発せられている、ただ今日までこの審判の真相と時期が判然と分らなかったので人類は真の自覚を得られなかったのである、しかるにいよいよ時の迫った今、神は私をしてここに一大警告を与えるべく、具体的に書かしめ給うたのである。

 以上の意味において、大審判が今や全人類の頭上に蔽い被らんとするこの秋(とき)一人でも多くの人間を救い給うのが神の大愛である以上大審判の執行者であり人間の生命を握られ給うのであるから神の御手に縋って罪を許されるより外にこの難関を切り抜ける方法は絶対ないのである、すなわち人類が負える罪の重荷を神の御手によって取除かれ清められる以外救われる道はないからである。

 私はこの最後の救いの執行者として、神の委任のままに責任を遂行すべくここに一大警鐘を鳴らすのである以上、耳を塞ぎ聞くを欲せざる人は自ら滅びの運命を選ぶ人と言うより外に言葉はない、いよいよの時になって悔改むるも最早取返しのつかない事を警告して筆をおくのである。<昭和241231日 栄・42号「夜の終わり近づけり汝等悔改めよ」>