令和2年5月

覚りの旅 令和2年5月度 勉強会を終えて

 

資料ー1
1-200505


三救責任者挨拶

 

皆様、『主之大御神様御神体御出現記念祭』おめでとうございます。

主之大御神様御神体御出現記念祭 『覚りの旅』を兼ねる  

ということで、始めさせていただきます。

 

皆様、『主之大御神様御神体御出現記念祭』おめでとうございます。

それぞれの御神体御奉斎拠点において祭典を執り行われる方や、参拝拠点がなく、遥拝をされる方もあろうかと思います。

そういう意味では、皆様方お一人お一人が、祭典の意義を求める絶好の機会なのだとこの状況を前向きに受け止めて頂ければありがたいと思います。

 

三救の主宰神は『主之大御神』様です。

主之大御神様について、『これを表現し奉る言辞もなく、文字もなく、ただ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根源であると申すよりほかはないのである。』と御教え賜り、私達は「主之大御神様は、限りなく、高く貴く偉大なご存在で、ただただ崇め奉る以外術(すべ)をもたない」という姿勢で参拝させていただいております。

 

先生は、地球上に初めて主之大御神様の御神体が、お現われになられたことを寿(ことほ)ぎ、毎年五月五日を『御神体御奉斎記念大祭』として、玖珠の地で積み重ねておられたのだと拝察いたします。

その想いを受け継がせて頂き、昨年より三救におきましては、『主之大御神様御神体御出現記念祭』として厳粛に祭典を執り行わせて頂いております。


 

次、(天恩地惠20205月 1ページ)に、 2021年は と書いたんですけども、21周年はということです。

2020年というのは今年ですね。御神体御出現から21年ということです。

訂正をお願いします。

 

御教え 『御教え集』18号、昭和28215日発行 

「二十」と いうのは「天地を結ぶ」ということです。つまり「王」という字みたいですが、二十は霊体を結ぶということになります。ですから私は結婚の日取りを決める場合に二十何日と、二十を一番よく使います。これは霊体、陰陽、男女、それを結ぶというのですから、たいてい私は二十一日を選びます。これは二人を結んでそれから始まるというわけです。

 

の御教えにありますように、天と地を結んで始まる、霊体・陰陽を結んで始まる。あるいは東洋西洋を結んで始まる年であります。

そのように考えれば希望が湧いてくるのではないでしょうか。

 

このような混乱している時期(このようなというのは、コロナのことを捉えていますけども・・)、このような混乱している時期には、やめる勇気・変える智慧・出来ることをコツコツ継続する努力を求められるのだと思います。

 

やめる勇気というのは、一か所に集合することを今回止めておりますし、

変えるというのは、このような「オンライン参拝」とか「CD」とか「天恩地惠」を使っての参拝に変えてみました。

出来ることをコツコツというのは、『覚りの旅』を、出来ることをコツコツということで。

 

皆様の勇気・智慧・努力の協力を仰ぎつつ、『覚りの旅』を継続してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

2ページ目(天恩地惠20205月)へ行きますと

 

祭典の意義を求めますと、始まりである昨年の挨拶文が重要になって来ますので、振り返ってみたいと思います。

 

ここ(2ページ・挨拶文)も2020年と書いてありますけども、2019年の5月5日ですね。

昨年の挨拶文ということで、

 

三救責任者挨拶                     

皆様『主之大御神様御神体御出現二十周年記念大祭』おめでとうございます。

先ほど司会から意義の説明がありましたように、本日は地球上に初めて主之大御神様の御神体が現れて二十年の佳き日になります。

本日は令和の時代を迎えての初めての大祭となりました。

四月一日の新元号の発表は、一日祭の勉強会の最中で参拝者の方々と拝見させていただきました。

「令和」と発表され説明をお聞きし、万葉集が出典であり、梅の花の宴会(歌会)の序文である事、楳木先生のお名前の和麿の「和」のお文字が入っていることに吃驚いたしまして、さっそく万葉集を調べてみました。

九州の大宰府に師匠を慕って集い、宴会、歌会を催すのです。

そして思い思いに語り合う、みんな非常に良い気持ちになります。満ち足りるのです。

昔の人も梅の花を見て楽しみ語り合った。今も昔も変わらないではないか。

膝を突き合わせて語り合おうではないか。そういう情景を詠んだ序文なのです。

ハッとさせられませんか。お前たちもいろいろあるだろうが師の家に集まって語り合えと。今のメシヤ教の状況を憂えて先生が元号にまで働きかけたのかと思ったのです。

令和の令は零(ゼロ)であり霊(レイ)です。霊主体従の礼節を重んじる世の中にゼロスタートの気持ちで和(やわ)していく時代のスタートであると思います。

メシヤ様の御教え、楳木先生の残されたメシヤ講座は後世に伝えていく使命が私達にはあるのだと思います。だからこそ先生は皆様と縁を持たれた。因縁があったのだと思います。

先生は「メシヤ様に直に太く直結しよう」というスローガンを早くに打ち出されました。そして平成28年のメシヤ講座では「組織ではないのだと。今は地球を光の玉は覆いつくしているのですから地球上のどこにいてもメシヤ様を認識しさえすれば直に太く繋がることができて、誰でも素晴らしい力強い、浄霊力を発揮できることになるのだ」とご教導くださいました。

メシヤ様は世界救世(メシヤ)教をおつくりになられ、「世界」を冠しました。

世界布教というのは、救世教三派他メシヤ様関連教団のことだけを言っているのではありません。仏教もキリスト教もイスラム教も神道もすべての宗教も包含する超宗教なのです。

そしてその時代には宗教もなくなると御教えくださいました。

宗教も不要となる世界をつくるための機関としてのメシヤ教なのだと。御教え下さったわけです。そしてメシヤ様そのものが機関であるとおっしゃいました。

つまりメシヤ様を認識し、メシヤ様のことを述べ伝えお力を頂いて浄霊をしていけば良いわけです。

それが地上天国建設につながっていくのです。

日々「神格を頂く道」「天国的生活」を心掛けて生活させて頂ければよいのです。

組織という概念を無くして(れいにして)メシヤ様に直に太く繋がってまいりましょう

 

このように挨拶(メッセージ)させて頂きました。

 

私自身は師の家に集まってとの想いを持ってメシヤ教本部に参拝させていただいたのですが、先生のおつくりになられたメシヤ教と全く異なる組織に変わってしまったのだと思わされました。
初めて主神様の御神体を奉斎させていただいたこの最大の恩恵の意義はなかったのです。

 

先生は『御神体御奉斎記念式典』として五月五日は祭典を執り行っておられました。その想いを受け継いだ祭典と致したく、『主之大御神様御神体御出現記念祭』として三救で、あるいは主之大御神様を主宰神とする拠点やご家庭で執り行って頂きたいと思うわけです。

 

私は平成三十年の八月に、メシヤ教を離れ、『覚りの旅』を復活しました。

組織ではないのだと、メシヤ様のご精神を伝える、先生の想いを受け継いでメシヤ講座を伝えていくことが大事なのだと、そのような想いが沸き上がり、令和を迎える直前に、次のような投稿をさせて頂きました。

 

()あまがした ()やわして巡る日月こそ (三重)みえたる (九州)くすの 光かな

20190430

 

これを詠んだのは、和は和麿であり、先生のご意思を継いでいく。ということ。

それは、モノではない。組織ではない。建物ではない。メシヤ様のご精神を伝えていく。

先生の想いはメシヤ講座で教えられています。その思いを受け止めて行動していく。

何ができるかはそれぞれに因縁の深さがありますから異なってくると思います。

世界救世(メシヤ)教復興の本来の意味を求めて行動していく。

 

ここの、 本来の意味 ということですけども、平成24615日に浜松で地上天国祭の後に打ち合わせがありました。これは、『天国の福音書・続編』を続けて発刊していくという事の打ち合わせでしたけども、ここにはですね、御教えを編纂し、体系化していく、そして伝えていく、御教えに帰一していくんだと。

御教えを編纂、体系化して、後世に伝えていかなければならない。御教えに帰一していく取り組みこそが世界救世(メシヤ)教復興の本来の意味なのだと、そういう事を責任者の方々を集めてお話になっておられました。

 

※世界というのは、メシヤ様関連教団だけのことを言っているのではないと思います。

 

  ということで、全ての宗教を含んでいるんですよ、超宗教なんですよ、ということがここにも出てまいります。

 

メシヤ様の想い、先生の想いに常にピントを合わせ、学んで覚ったことを皆に話していく。そうすることで、想い、思想が伝わっていくのだと思います。

組織ではないのですから、メシヤ様を信奉する想いでの行動であるならば、どこに所属していようとも遠慮はいらないと思います。

『やわす』には、深い意味があります。

『やわす』は「深い核心レベルでの融合」、またそれによる「中和・緩和・調和」の意を表す場合が多い。また『やわす』は「陽の挙動に対する陰の反応」を表す言葉でもある。陰と陽は互いに引き合って合体する宿命にあるが、陽のストレートなアプローチ「攻め」に対して、陰はいったん「退き」の反応をとる。その後も陰は「付かず離れず」の態度で衝突を避け、ゆっくりと距離を縮めていき最終的に合体融合する。

 

という意味です。和していく日月を積み重ねようではありませんか。

 

そして令和を迎え、57日に次のように投稿しております。

 

梓(あずさ) ということで

 

令和の時代が始まりました。

 
 皇室にはお印というのがあって、梓(あずさ)は徳仁天皇陛下のお印です。

この梓の字を考えてみますと木は国の霊返しだと御教えにあります。

立の下の十は経(たて)緯(よこ)を結んで立つ国が日本なのだという意味になるかとも思います。

そして、徳仁陛下のお名前はつくりは十と四と心、そして行人偏ですね。

四つの心を結んで行する。

四魂を結んで(調和して)行するのが徳だということが言えるかと思います。

 

これは字から意味を私が考えて勝手に書いたんですけども。

 

それから、ここに出てくる四魂というのはですね、

 

四魂については御教えに『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』

とありまして、

 

荒魂(あらみたま)ーーー勇気  強盗はダメ        勇

奇魂(くしみたま)ーーー智慧  叡智〇 奸智× 才智×   智

幸魂(さきみたま)ーーー慈悲  人を幸せにする気持ち   愛

和魂(にぎみたま)ーーー人と親しむ 怒らないこと     親

 

   荒魂荒魂(あらみたま)、奇魂(くしみたま)、幸魂(さきみたま)、和魂(にぎみたま)と言いまして、勇、智、愛、親 という意味があります。

 

徳というのはこの四魂を結んで(調和して)行う。

伊都能売の働きを令和の時代は行っていくのだと。

その働きを日本という国は霊の国なのですから他の国の規範となって霊主体従の活動を私達御教えを学んだものが行っていくならば、必ずや地上天国は建設されるのだと思います。

 

   ということで。ちょっととばしまして、

   5ページ目に行きまして、京都のN先生の御教え研鑽会で学んでいたわけですけども、昨日、議事録を調べていましたら、平成1132日、3日の議事録が出てきまして、そこでは御尊影に対し奉り、「ミロク大御神守り給え幸倍賜え」「主之大御神守り給え幸倍賜え」、そういう御神名を唱えていました。

それは、平成11年の33日ですから、先生が玖珠の地に御神体御奉斎というのが平成11年の55日ですね。

それから21年となりますので、今日で。

何らしか因縁があるのかなと思った次第です。

 

5ページの下線をひいてあるところですね、

 

メシヤ講座・特選集no.172(平成275月分)

私達がまた、更にメシヤ様を求めてメシヤ様と自分との繋がりが太くなって御光が注がれてくると、そこから更にまた霊線に繋がる方々にメシヤ様の本来の御光が行き渡りまして、そして、その方々がまた繋がる。この積み重ねでない限り御神業というのは拡大されていかない訳であります。

 

と書いてまして、資料の2ぺージ。

 

(資料―2)

2-200505

 

メシヤ様に求める姿勢ということで、メシヤ様と自分達が太くつながれば、そしてその太くつながった私達が、私達の霊線につながる人に対してですね、また太くつながってくればメシヤ様からの光が太く流れていく事によって、その私達につながる霊線の人が今度はメシヤ様に太くつながっていくと、それでまた、その人が霊線でつながる人に太くつながることができればですね、またメシヤ様とその人が太くつながっていく、そういう積み重ねなんだと。これは今日の御教え(テーマ2)で出てくる「一人が百人」にもつながっていくのかと思います。

 

それで、6ページのところはですね、『浄霊』だけじゃないんだと。これは、今までも何度か出てきてますけども、

 

『浄霊』だけで広まっている場合には、メシヤ様の教えの実践が疎かになる嫌いがあり・・

 

ということで、『浄霊』だけじゃない。『浄霊力』。相手から求めてくるというのがですね。これは先生がフランスの人とメールをしている場合の話を例に捉えてありますけども、相手の求めるものはほとんどが『浄霊力』だと。相手が求めるものは『浄霊力』であるけども、実際には、それと同時にですね、心言行を正す、要は魂をくもらせない取り組みが重要なんですよ、ということが言われてます。

だから、『浄霊』と『御教え』の実践、そうして心言行、魂をくもらせない取りを組みをと。

だから、体を汚さない、魂をくもらせない、これは『霊体一致の法則』。体がくもれば霊もくもる。

体を、血液を汚せば霊もくもって魂もくもっていくということですね。『霊体一致の法則』。

だから、手術や薬や添加物で体が汚れていくと、血液が汚れていくんだと。

血液が汚れると、霊の方も汚れていく。そういう事ですね。

だけど、こういう『浄霊力』と『御教え』実践ということが、世界平和への取り組みなんだよということがここに書かれています。

 

6ページの真ん中辺りに

 

霊線に繋がる方々にメシヤ様の御光を行き渡らせる。その積み重ねによってこそ御神業が拡大されていく。『浄霊』だけで広まっている場合には、メシヤ様の教えの実践が疎かになる嫌いがあるから、御教えに裏付けされた日々の心言行と食生活が大切であることを学ばせて頂けたと思います。

 

   ということで、『覚りの旅』に。

本日は五月度の『覚りの旅』も兼ねておりますので。

 

テーマ1

令和二年五月度『覚りの旅』御教え
メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神エホバです。」  

御垂示録九( ) 昭和二十七年五月一日

 

これも、資料―2の下部に、2-5『覚りの旅』 テーマ1 として、

メシヤというのは人間の名前です。

神様は、主の神エホバです。

 

と。ここのテーマを読んでいくと、結構長い文章ではありますけども、一番のポイントというのは6ページの下の方に太字で書きましたけども 神人合一 ということだと思います。

ここで言う 神人合一 というのは、メシヤ様は神様でもあるという事です。メシヤ様が 神人合一 ということですね。短い文章の中に意味が深くてですね、メシヤというのは人間の名前ですから、メシヤ様は人間として御生まれになられた。今日の意義のところにも書きましたけども、メシヤ様は人間、神人の人ですね。神様は、主の神エホバです。ということですから、神様というのは主神様ですね。だから、主神様とメシヤ様が合一ということが、ここで言う 神人合一 という言葉の意味になるかと思います。だから、「メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神エホバです。」 という文章の流れの中でですね、 神人合一 の話が出てくる。ということは、まさしく神人の人はメシヤ様のことであり、神は主神様ですよと。

ということの 神人合一 と受け止めて頂ければ良いかなと思います。

 

それと、この文章の中で聖徳太子のことが出てきていまして、聖徳太子というのは救世(メシヤ)観音であると。救世(きゅうせい)観音と書いて救世(メシヤ)観音と読ませたのはメシヤ様ですけども。観音という名前なので、本当の力は出ないんだと。聖徳太子というのはどういう働きをする人かというと、仏教を広めた人であって、仏教を広め、仏教を作ったので、仏を元の神様にする仕事をなされるんだと。それからですね、メシヤ教の為に働かせる仕事をなさるのが聖徳太子である、ということがここに出てきてます。

 

それで、8ページですね。8ページに 十八 という数字。

 

「今日は平川町にお出ましになられました五月一日より丸十八年と思いますが――」

  九年だからね( )そうなりますかね( )十八年にね( )いよいよ敵(かたき)をとることにな( )

 

この「敵をとることになる」というお言葉が気になりましたので、調べました。

応神堂の名前をつけて昭和951日に始めてから18年という事なんですね。

8ページ下の方にですね、

 

大本教を脱会して大日本観音会を発会する頃の話であり、『浄霊法』を創始され、18年を経て愈々「敵をとる。」というのは、医学革命に打って出るのだという事ではないでしょうか。

 

   と、これは私が思ったことです。

 

この十八という観音様の数の年月は、数字をあげて質問されたように非常に意味があるのですね。

御教えに次のようにあります。

 

観音力とは何ぞや  『光』2号、昭和24320日発行

観世音菩薩の五六七(みろく)は応身弥勒の事で、応身弥勒である事は仏説の通りであるが、今後この応身弥勒の千変万化の御働きこそ、吾ら刮目(かつもく)して見るべきものがあろう。

そうして五六七の数も三六九も合計十八である、十は結びであり、八は開ける数である、観世音菩薩の御本体は一寸八分の黄金と昔から定まっており、御堂は十八間四面と言う事なども、意義深きを思わしむるものがある。

 

先生のお創りになられたメシヤ教においても重要な数でした。

 

ということで、この 十八 をメシヤ教に当てはめるとですね、

 

H11.5.5 (18年)  H29  主神様の御神体出現18年にて楳木先生他界

        (19年)  H30  弟子が『メシヤ降誕本祝典斎行』

        (20年)  R1   メシヤ教分散

        (21年)  R2

   平成1155日から18年後というのが平成29年、主神様の御神体御出現から18年で楳木先生が他界されております。

御神体御出現から19年が平成30年ですけども、私達が『メシヤ降誕本祝典の斎行』をしたと。

で、御神体御出現20年の令和元年にメシヤ教分散。

そういう風に当てはめることが出来るかと思います。

   ということで、繰り返しになりますけども、

 

今年は、主神様の御神体出現21年になります。

霊体結んで始まる年なのです。西暦で考えれば2020年ですから二つを結ぶ働きが二重にあるわけですね。

 

   次、二つ省略しまして、テーマ2の「一人が百人」ということで、10ページに行きます。

 

テーマ2
「一人が百人」栄光百九十二号 昭和二十八年一月二十一日・・・78  

 

(資料―3)
3-200505


『入門と奥座敷』というのは、浄霊の基本形を図解を以て理解しやすいような本にしていったということがあります。10ページ真ん中辺りに、

 

そうしたもの(本)を活用していただいて一人でも多くの方々にメシヤ様と直(じか)に繋(つな)がっていただいてその繋がりを太めていただく中で御守護いただく、そういう人を増やして行っていただきたい、というふうに思います。 

 メシヤ講座・特選集no.167(平成2612月分)

 

   ということで、『入門と奥座敷』のことについてメシヤ講座・特選集で述べられております。

   次のところ、下線のところですけども、

 

メシヤ様より『浄霊』の行使を許されているからこそ、『空前の力』を持つ宗教なのだと思います。この『浄霊』は私達人間が現界で取り組む御用であり、『人間の現身を、機関としなければならない』のは次の御教えでおわかりいただけると思います。

    ということで、10ページの下の方ですけども、

 

【御教え】

どうしても人間の現身を、機関としなければならないのである。

 

木造とか仏像とかには質問しても答えてくれませんよね。痛いところを出しても治してはくれません。

そういうことで、生きた人間でなければならない。人間の現身を機関とするということが重要なことだということです。『浄霊』というのは空前の力を持つということで、『浄霊』があるからこそ、空前の力を持つ宗教であるわけですけども、これを行使するのは人間であると。現界で生きた人間でなければ『浄霊』というのは出来ないんですよと。ここが一番ポイントかなと思います。

 

   それから、12ページのところにいくと『奇蹟』ということが出てきます。

   『奇蹟』というのはですね、資料の4ページでいきますと、

 

(資料―4)

4-200505

 

奇蹟 というのは、人間の利益になることなんだと。人間を幸福にし、得をするような。

そういうことであって、あと、魔術、よく不思議ちゃん・・不思議なことをして見せるとか。

不思議なことをしてそれで救われればいいんですけども、救われるものなのかよく考えよと。

霊のあることが分っても、自分の病気が治らなければしょうがないじゃないか、ということで、

奇蹟と魔術を混同してはいけませんよということを述べられております。

宗教を看板にするならば、救われなければなりませんよと、しかし、浄霊の奇蹟ばかり追い求めると昼の時代へ進む細かいお世話が出来ません。

なぜでしょう?

三千年来の夜の時代の くせ が残っているからですよ。

奇蹟ばかり求めて御教えに真理を求めないから、ダメなんですよ。 ということで、

御教え 浄霊 やはり、先ほどから言ってる二本柱、二本立てでいかなければなりませんね、

ということですね。

 

13ページをまとめたのが、資料の5ページです。

 

(資料―5)

5-200505

 

霊のくもりというのは重みとなって霊籍を下げます。  

これは霊層界の御教えで浜松でもやらしていただいたと思いますけども、霊界にあるのは幽魂で、現界は現魂です。

幽魂の方はですね、要は霊籍というのは薬・添加物・農薬とか体に入ると重くなって下がっていくんだと。これは何故ですかというと、先程も出てきましたけども、血液が汚れて霊にくもりが発生するから重くなる。だから下がっていくんだと。

で、心言行を正すと霊のくもりがとれて、今度は上がっていくんだと。

先程出てきました、霊体一致の法則というのは体が汚れると魂にくもりが発生するので、霊籍が下がっていきますよと。

今度は逆に霊主体従という働きで言いますと、心言行を正せば自分の霊籍も上がっていくんですよと、だから幸せになっていくんですよ、というのが霊主体従になります。

 

で、資料の6へ行くと

 

(資料―6)

6-200505

 

一人の しっかり した信者を作るだけの力があるとすれば、百人を作ることは難しくない。

確(しっか)りという字、あまり使わないかも知れませんけども、確かな、確実の確でしっかり。

辞書をひくとですね、

かたく強いさま 

確かでゆるがないさま

気持ちを引き締めて確実にするさま

身心が健全であるさま、また、意識がはっきりしているさま

これ、良く分かるかと思います。

確(しっか)りした信者というのは、身心、霊体が健全であるということですね。で、意識がはっきりしている。霊掛りになってないという事も言えるかと思います。意識をしっかり持ってるという。

で、確かでゆるがない。

一人でも多くの人に学びを伝えましょう。浄霊を取り次ぎましょう。

ということが、 一人が百人を! ということにつながっていきますね。

 

それでですね、15ページに『恐怖時代』という御教えを掲載させていただきました。

 

(資料―7)

7-200505

 

恐怖を煽ってもいけないのでこの御教えを取り上げるべきか悩みましたが、昼の時代の浄化作用というのは、全身的極度の浄化作用だという事を、心に留めておいていただきたいと思います。

 

ということで、何が書いてあるかと言いますと、昼の時代の浄化作用ということで、霊界で火素が、昼の時代になって大増量してきたと。火素が強くなってきたと。

そうすると、人間の霊体に対し徹底的浄化力が発現されると。

これは何かというと、固結毒素が溶解するんですね。溶けてくると。

今まで健康体のように見えた人でも、実は体の中に入った毒素が固結してるんだと。

固まっているから、健康に見えていただけ。これは御教えでは偽健康って言いますね。偽の健康。

偽健康だったんだと。この固結が溶けてくるわけです。溶けてくると病気の発生になってくると。これは徹底的浄化力の発現ですので、この病気の発生というのは夜の時には局部的だったんですけども、昼の世界になると全部的。全身ということです。全身的極度の浄化作用。これが起こると堪えられないんだよと。患ってから短期間で、恐らく数日を出でずして亡くなることがありますよと。

これは正に今のことを言っているように思いませんか?ということで、この御教えをひかせていただきました。

   全身的極度の浄化作用。この御教えでいけばですね、何が分かるかと言うと、固結毒素、体に手術なり、メスを入れてたりですね、薬を沢山のんでると、そういう状況だと固結毒が多いわけですね。薬を入れているので固まっているわけですね。これが多く入っている人に、今度またウイルスとかのことでですね、浄化が発生するとですね、堪えられないということが起こり得るということで、起こっているのが今かなと。だから、その人によって、毒素がどれだけ入っているかによって、症状が違ってくるかと思います。

じゃぁ、何をしていけばいいかというと、心言行の行いを正してくもりをとっていくことと、浄霊で毒素を浄化して早く外に出していくということしかないですよね。

 

で、資料の8ページにまとめまして、

 

(資料―8)

8-200505

 

今日の話をまとめさせて頂きますと、

今日は 祭典の意義を求めてということで、

       メシヤ様を認識して浄霊を取り次ごう ということと、

       御教えに帰一しよう と。

 メシヤ様に求める姿勢としてですね、

       太くつながる。メシヤ様に太くつながる。自分の霊線につながる人をメシヤ様に太くつなげる。

       これは、浄霊力と御教え実践。御教え実践というのは、心言行の行い。

心、言うこと、行い を正していくことですよ、ということがあります。

 

それと次に『覚りの旅』の内容として

一つ目に、神人合一 ということを学びました。

これは、神人の神というのは主神様ですよと。

人というのは人間にお生まれになられたメシヤ様のことですよと。

だから、メシヤ様は神人合一、主神様とイコールですよということが、このお言葉で分かるかと思います。

  

二つ目に、浄霊 とは 人間が 現界で取り組む御用なんですよと。

現身 を 機関 として、ということで、

現身 というのは生きた人間、を機関として。

機関 というのはメシヤ様のお話の中で、メシヤ様は私を機関としてということを言われてお ります。機関というのはメシヤ様そのものであるわけで、メシヤ様そのものというのは、メシヤ様の残されたお言葉であり、御教えであるので、それを実践して伝えていくことなんだと。

   

三つ目に、『覚りの旅』の番外編ですね、昼の時代は全身的極度の浄化作用が起こるんですよということで、魂を清らかに、血を清らかに、心言行を正し、浄霊実践をしていきましょうと。

と、まとめさせていただきました。

 

   話をしたいことは意外とスムーズに。ちょっと早口ですみません。

システム(オンライン会議)のことはまた考えますけども、何か質問がありましたら・・。

 

 

よろしければ終わらせていただきます。

 

司会

以上をもちまして 『主之大御神様御神体御出現記念祭』を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。