4月の『覚りの旅』で『これからは想念の世界』ということについて話題に上がりました。
そこで、「想念の世界」に関する御教えとメシヤ講座を調べましたので掲載いたします。
いつかこのようなテーマで勉強会とか座談会とか出来ると良いですね。


憑依霊の種々相  『霊界叢談』昭和24年8月25日
 右の老人が出ると入れ替ってまた何かが憑依したらしくすこぶる慎ましやかな態度である。聞いたところ「妾(わたし)は近くの煙草屋の娘で○○という。今から二月ばかり前に死んだものですが、竹ちゃんが好きだったので(この男の名は竹ちゃんという)今晩来たのです。」というので、「何か用がありますか?」と訊くと、「喉が涸(かわ)いて堪らないから水を一杯頂戴したい」というので私は、「まだ新仏であるあなたは毎日水を上げてもらうんでしょう」というと「ハイ、上げてはもらいますが呑めないのです」というので私は不思議に思い、再び訊ねたところ、彼女いわく「水を上げる人が私に呑ませたい気持などはなく、ただ仕方なしお役で上げるのでそういう想念で上げたものは呑めないのです。」との事で、「なる程霊界は想念の世界」という事が判った。故に仏壇へ飲食を上げる場合、女中などにやらしたり、自分であってもお義理的に上げるのでは、何にもならない事が判った。彼女の霊に水を呑ませると、うまそうに都合三杯のんだのである。

観音講座  第五講座 昭和10年8月25日
私の肉体は狐や狸の霊が見ると強い光で何だか解らん。これは東京の震災前の事であるが、私が天国で衣冠束帯で階梯(きざはし)を昇って御簾(おみす)の中へ入って行くのを見たと鎮魂された霊が話した。ちょうど天神様の様な冠で青い衣服に裾から赤い衣服が見えたという。それは鎮魂する時その神様が来られて鎮魂なされて天国へお帰りになられたので、そのお帰りの状態を見せていたゞいたのであります。神様がお登りになったところが、その神様のお室となるのであります。神様と人間との想念によりて天国になるのである。悪の想念なれば地獄となるのである。霊界は想念の世界であるから、相応の理により想念通りになるのである。この会場でもいろいろの霊が来ています。それは自分達の祖先や友達の霊が来ているのであります。何とかして聞きたいものだという想念によりその人の生霊が来て居ります。その霊が聞いているからその人も幾らかは何かの時に解ることがあるのは霊が聞いているからである。


霊界の不思議 『地上天国』9号、昭和24年10月25日
 霊界なるものは、実に霊妙不思議な存在であって、現世人の常識判断では到底理解し難いものである。それについて人間の想念が霊界にいかに反映するかをかいてみよう。
 霊界は全く想念の世界である以上、無から有を生じ、有が無になり変異極まりないものである。その例としてここに絵画彫刻等によって神仏の本尊が作られるとする。ところがその作者の人格によって、懸り給う神霊仏霊に自ら高下を生ずる。すなわち作者の人格がしからしめるので、最も高い場合はそれに相応する高級神霊が降臨される。ゆえに形は同一であっても、作者の人格が低い場合はそれに相応した代理神霊、または分神霊が懸られるのである。
 今一つは、すべて礼拝の的である御神体に対し、礼拝者が誠をもって心から念願する場合、その神霊の威力、すなわち光明は偉力を発揮するに反し、礼拝者の想念が形式だけで、心からの尊信の念がない場合、神霊の偉力はそれだけ減殺されるのである。また礼拝者が多数あればある程、神威弥々(いよいよ)赫々(かくかく)たる光明を増すのである。

輪廻転生 『明日の医術 第三編』昭和18年10月23日
霊界とはいかなるものかという事であるが、これを一言にしていえば、意志想念の世界であるといえよう。故に、肉体なる物的障碍がないから、現世よりもある点は素晴しい自由がある。それはたとえていえば、その霊の意志によっていかなる所へも短時間で行けるのである。彼の神道において鎮霊の際「天翔(あまかけ)り国翔り坐(ま)して、之の宮居に鎮まり座(ま)しませ」という事によっても明かなるごとく、千里といえども、数分間にして到達されるのである。そうしてこの霊の行動の遅速は、霊の階級によって非常に差異があるものである。高級霊即ち神格を得た霊程速かであって、最高級の神霊は一秒の何十分の一よりも速かで、一瞬にして、いかなる遠距離へも達し給うのである。故に、低級な霊程遅く、最低級の霊に到っては、千里を走るのに数十分を要するのである。それは低級霊ほど汚濁がはなはだしいから重いという訳である。
 次に、霊は想念によって伸縮自在である。故に、一尺位の幅の仏壇の中に数十人否数百人の祖霊が居並ぶ事も出来得るのである。その場合、順序、段階、服装等は頗る厳格であって、ことごとく相応の秩序が保たれているのである。勿論、仏教にては戒名、神道にては御鏡又は神籬(ひもろぎ)に憑依するのである。


妙智の鍵 昭和24年5月10日
――霊界は意思想念の世界とうけたまわっておりますが、意思の疏通はどういう方法で計るのでございましょうか。

 霊界に言葉もないことはないがごく少ない。多くの場合は目で通ずる。霊界では非常に敏感で、肉体はかえって邪魔になるくらいで、さらに高級霊となると目も使わず、気持ちだけで通ずる。現界では間違ったことをしたり、想ったりして、霊が曇っているので、感受性が鈍っている。唯物的な教育で、智慧は出てもこういう働きは落ちているが、本来なら霊線を通じ、遠くの人の考えていることがわかるくらいになるべきであろう。


天狗界 『明日の医術 第三編』昭和18年10月23日
 天狗界は大体、各地の山嶽地帯の霊界であって、天狗なるものは、それぞれの山の守護としての役を司っているのである。又名山などで、高級な神霊を鎮祭する所では、その神霊の下にあって、山に関する種々の業を司っている。天狗界にも上中下の各階級があるのは勿論であり、総主宰神は鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。
 天狗には、人天及び鳥天の二種がある、人天とは人霊であって、現世において学者、文士、弁護士、教育家、神官、僧侶、昔は武士等の天狗的職業の者が、死後天狗界に入るのである。そうして鳥天とは、鳥の霊であって、鳥は死後ことごとく天狗界に入るのである。鳥天の中鷲や鷹の類は、現界と同様の威力を発揮して居る。以前私は小田原の道了権現の本尊が、ある婦人に憑依したのを審神(さにわ)した事があったがそれは何千年前の巨大なる鷲であって、これは確実と思える根拠があったのである。又烏天狗は烏の霊であって、これは天狗界では神的行事を司り、特に神聖なる階級とされている。戦争等の場合、産土神(うぶすながみ)の出陣の時、烏の霊が扈従(こじゅう)し、非常な働きをするそうである。又、木葉天狗というのは小鳥の霊であって、これは伝令等の使者の役をしている。
 昔から、天狗を鼻高と称え、絵画や面など非常に鼻を高くしているが、これは事実である。又赤い顔になっているが、天狗には酒豪が多いので、それを表徴したものであろう。
 ここで、霊界における面貌についてかいてみよう。霊界はさきに説いたごとく想念の世界であるから、人間の面貌は想念通りに現出するのである。故に、天狗のごときは高慢にして人に屈する事を嫌う人士の想念がそのままの形となって表われたものである。従って、醜悪なる想念の持主は醜悪なる面貌となり、善美な心の持主は、善美な容貌となるので、実に霊界における事象は、すべて欺瞞は許されないのである。そうして死後想念が面貌へ表われるには数ケ月ないし一年位までとされている。


メシヤ講座no.183岡山(平成28年4月)
『天地創造記』を拝読した我々の姿勢は・・・
先生
ですから、少なくともですね、メシヤ様のお弟子になった以上は、この論文を拝読すると、そうした宇宙の中で地球が出来た過程というものが、頭の中に想像できるくらいの人間になっていただきたいと思います。
これが・・・想念の世界とは、実はこういうことである訳なのです。今、○○○○教団が言っている想念はですね、全部先祖のせいにするとか、ゆだねるという、そういう形の想念の持ち方です。こんな世界では、メシヤ様の世界は違うということです。この『天地創造記』を拝読した我々が、それを学問的に実証していくと、宇宙の事をどのように考えていったらいいかということの足掛かりとして、メシヤ様がこのように書かれておられるというふうに受け止めていただいて、自分達の思考をですね、そのように拡げていただきたいというふうに思います。
そうしなければですね、これから地球を地上天国にしていくという大事業を担う人間にはなれません。それは何故かというと、科学的には研究や技術が今もの凄く進んでいる訳ですので、その科学者たちをリードしていく人間にならなければ、地上天国建設というのは出来ない訳です。そうした思考の広がりというのを持っておいていただきたいというふうに思います。
それが、この二つ目の『太初』として考えていくのだということです。そして、この地球を見てもですね、恐竜の役割をこれだけ明確に書かれた教祖という人はいらっしゃいません。恐竜というのは、地球の海と陸地が分かれてきたけれども陸地がまだ十分固まってないので、あの恐竜に踏み固めさせたという『土木事業』だったのだ、と・・・このように、明確なことを教えていただける教祖というのは、おそらくいないのではないかなぁ~、と思います。そういう教祖様を私達はですね、いただいて、こうして信仰させていただいているということであります。
そして、その恐竜がですね、大方役割を担い終えた時に、メキシコのユカタン半島に隕石をぶつけてですね・・・あれは直接硫酸を巻き上げた訳ではなくてですね、硫酸の元になるものが土壌の中に入っていて、それを巻き上げることによって硫酸になってですね、それで酸性雨を降らせたということになっております。恐らく地球が真っ暗になるように土埃が覆うのと同時に、酸性雨が降ってですね、そうしてプランクトンが死滅していって恐竜が絶滅した訳ですので・・・そのような大掛かりなことが出来る御存在というのは、もうこれは主神様しかいらっしゃらない訳で、その主神様に対する認識がこういうことから段々と我々の想念の中に実感として持てるようになるというのが、この論文である訳であります。
そうして準備が出来た最後に、人間を『神の代行者』として出現させたということですので、これが『世界救世(メシヤ)教教義』のですね、具体論になるというふうに受け止めていただきたいと思います。


霊界の不思議 『地上天国』9号、昭和24年10月25日
    『霊界は全く想念の世界である以上、無から有を生じ、有が無になり変異極まりないものである。』
 明日の医術 三  昭和十八年十月二十三日
 次は、悪魔に就てかいてみよう。悪魔の心裡は一言にしていへば、神の御意志とすべてが相反するといふ事である。即ち人に災厄を与へ苦しめ、絶望せしめ、不幸のドン底に陥れ、遂には滅亡さしてしまふといふ、実に人間として想像し得られない残虐性を有ってゐるものである。故に、一点の慈悲、一掬(いっきく)の涙さへないので、それが悪魔の本性であるからやむを得ないのである。右の如く人間を苦しめる事が、悪魔にとっては、実に愉快で、無上の喜びであるらしいのである。
  右の如く、絶対愛の神の御意志と、絶対悪の悪魔の意志とは両々相対して、常に葛藤を続けつつあるのが、今日迄の人類社会のあるがままの姿である。故に、之を大にしては国際的となり、社会的となり、小にしては個人的にもなるのである。此意味に於て、個人の小さなる意志想念の世界に於ても、常に神と悪魔と対立し、闘争してゐる事は、何人も日常体験してゐる処であらう。そうして個人に於ては神の意志は良心であり、悪魔の意志は邪念であるから、良心が勝てば永遠の栄へとなり、邪念が勝てば身の破滅となる事はいふまでもない。何となれば、神の御意志は栄へを好み給ひ、悪魔の意志は破滅を喜ぶからである。
  右の如く、私は神と悪魔に就て、私の想像をかいたのである。
次に、人間の心中に於ける、神と悪魔即ち善と悪とに就て、徹底的に説いてみよう。


赤子の老相と霊界での創造 (S23.10.19)
 赤子が年寄の相をしている事が御座いますが、老人が死んだ場合は霊界でも老人のままで御座いましょうか。

 現界へ出ると、元の年寄(相)になる。(霊界は想念の世界で)霊は非常に変化するんで、現界で想像つかぬ。霊界で神格を得たものは想念(像)通りの創造が出来る。(着物など)下の者は今迄使ったものとか、あるものしか出来(着れ)ぬ。

霊界の意志疎通と言葉 (S24. 3.11)

 霊界は想念の世界と伺っておりますが、霊界ではどういう方法で意志の疎通を計るので御座いましょうか。(言葉は無いので御座いましょうか)また、それぞれの霊界によって異うので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

 霊界では言葉が全然ない事はないが極く少ない。多くの場合目で話す。目も口程に物を言いというが、若い男女の意志の交換に用いられ、非常に敏感になる。も一つ進むと気持で判る。高級の霊程よけい出来る。今は相談や話がくどくどしく時間が掛かるが、霊的感受性が鈍感になっているからである。間違った考えや間違った事をして霊が曇っているので、映らぬのである。智慧は出ているが、古代の人間よりは非常に勘は鈍っている。神という観念がないから、解釈の仕方など、素直に正しくゆかない。
 遠くの人がどう思っているか、その人を思うと心に写る。その人を考えると写る事がよくある。すると、時期が来ると、先方から言ってくる。霊線が繋がるのである。丁度無線電波がつながるようなもので、短波、長波等が霊線に繋がるのである。