本日は五月度の『覚りの旅』も兼ねておりますので、テーマを学ばせて頂きましょう。

いつものように要約いたしましたので確認していきます。

 

令和二年五月度『覚りの旅』御教え
「メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神エホバです。」    

御垂示録九  昭和二十七年五月一日

  隆寺が日本仏教の中心で本元ほんもとは聖徳太子。

 殿という名前は 自然についた 

 ・聖徳太子は神憑りになった。メシヤ様は 神憑りよりもっと直接になっている 

・神憑りというのは 間接。(直接ではない)―聖徳太子は直接ではない。

・メシヤ様は 神様に伺うとか 神様がお知らせになるとか ではない。

・直接神様の意向が そのままメシヤ様の意向になる。

神人合一です

 救世メシヤ観音を中心としてあがめる ということではない。

・観音という名前だと まだ化身けしんだから本当の力は出ない。

・神様が経綸するのだから。

(経綸の働きは神様であり観音様の名前ではその力は出ない)

・聖徳太子が救世メシヤ観音になっている。

・聖徳太子は自分が仏を作られたので、今度は仏をもとの神様にしたり メシヤ教のために働かせたりする。

     メシヤというのは人間の名前です

神様は 主の神・・・エホバです

 

・聖徳太子は観音様で、メシヤ様だった メシヤ様が来られるのを待っておられた。

・夢殿の扉が開いて、観音様の霊がメシヤ様に られた。

・奈良という土地は仏教の発祥地で、奈良時代の 宗教は たいてい観音様が中心。

・阿弥陀 釈迦――いろいろありますが、薬師如来はやっぱり観音様ですからね 

・ 聖徳太子は千手観音の小さい型。

・メシヤ様は、S27当時、千手観音の働きで、何でも無限にいろいろなことをなされた。

・夢殿というのは聖徳太子の住居みたいになっている 

・その時の聖徳太子の夢がいよいよ実現することになったんだろう。

・救世(ぐぜ)観音を「メシヤ」と読んだのはメシヤ様。

・奈良の言霊 

「ナ」―地、「ラ」―拡がる 「ゴーラ」と同じ 「ナラ」というのは 地が拡がるということ

・お釈迦さんは土のミロク、 地 ― 七 ― 七のミロクになる 

・地上天国―箱根が五 熱海が六 京都が七 そういったミロクの意味になる。

 ・七で完成するんだから 大体ミロクの小さな経綸は あそこができればできるわけです。

・ 七は完成の意味で、 聖書も 七が基本

七日で日曜になって 休めということ、つまり成るということ。

・「ナ」という言霊は地ということ、天地創造の際も 日月が先でそれから地がなった

・講和は、米国は緯で日本は経だから これを結んだ非常にめでたい日

・これから世界的伊都能売の働きになってくる。

・バッチの真ん中の赤は日本で まわりの黄色はアメリカ

・その結びの仕事の中心がメシヤ教で 時期によってだんだんそういうようになって行く 

・ 「夢殿というのは あの時分に夢殿と言っていたのでございましょうか 霊感を得たというのではないかと思いますが――」

 自然にそういう名前がついたんでしょうね 

 「自問自答をしておられたそうでございますが」

 そうそう神憑りになったんですね 私のは 神憑りよりもっと直接になっているんです 神憑りというのは いくらか間接になっている だから私は 神様に 伺うとか 神様がお知らせになるとか そういう手数や何やなく 直接神様の意向が そのまま私の意向になるんです 神人合一ですね 

・ 「そういたしますと 明主様を中心とする信仰は 救世観音を中心として崇めるということで解釈してよろしいのでございましょうか」

 

 いや しかし観音という名前だと まだ化身だから本当の力は出ないんです 神様が経綸するんだからね 今度の救世観音というのは 聖徳太子が救世観音になっているんです 今度はいよいよ時期が来て活動を始める 活動を始めるには やはり自分が仏を作られたので 今度は仏を元の神様にしたり こちらの―― メシヤ教のために働かせたり そういうことをやります メシヤというのは人間の名前です 神様は、主の神――エホバですね 

 

 「今日は平川町にお出ましになられました五月一日より丸十八年と思いますが――」

  九年だからね そうなりますかね 十八年にね いよいよ敵(かたき)をとることになる 

 

冒頭に出てくるこの敵をとるというお言葉が気になりましたので考察致しました。

 

S9.5.1  (18年)   S27  愈々敵をとる。

昭和9年5月1日

メシヤ様は、「浄霊法」を創始され、東京都麹町平河町に応神堂を開設。

御教え 「麹町時代」 (昭和24年12月30日発行)

「前項のごとく、私は昭和三年から昭和九年まで六年間、霊的研究とあいまって、神霊療法による病気治療の確信を得るまでに至ったので、これを引揚げて世に問うべく決意した。

そこで、その頃の東京市のなるべく中心を選ぼうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があったので、そこを借りて、信仰的指圧療法という建前で治療所を開業した。

そこを応神堂の名をつけ、五月一日から始めたのである。

最初は一日数人くらいの患者でしかなかったが、漸次殖えるに従って段々手狭になって来たので、麹町半蔵門に私が経営した大本教の分所を利用する事となった。

ちょうどその頃私は大本教を脱退し、右の分所は私の自由になったからで、そこを治療所とし、毎日通って治療に従事していたのである。

ところが、奇蹟物語にかいた霊写真の奇蹟が表われたのが十月十一日であった事と、病気が治った信者の卵のような人が相当出来たので、一つの新しい宗教団体を作るべく計画し、ようやく準備も出来たので、その年の十一月二十三日仮発会式を応神堂で執行し、翌十年正月元旦半蔵門の出張所で、正式の発会式を行ったのである。

名称は大日本観音会といった。」

 

大本教を脱会して大日本観音会を発会する頃の話であり、『浄霊法』を創始され、18年を経て愈々「敵をとる。」というのは、医学革命に打って出るのだという事ではないでしょうか。

この十八という観音様の数の年月は、数字をあげて質問されたように非常に意味があるのですね。

御教えに次のようにあります。

観音力とは何ぞや

『光』2号、昭和24年3月20日発行

観世音菩薩の五六七(みろく)は応身弥勒の事で、応身弥勒である事は仏説の通りであるが、今後この応身弥勒の千変万化の御働きこそ、吾ら刮目(かつもく)して見るべきものがあろう。

 そうして五六七の数も三六九も合計十八である、十は結びであり、八は開ける数である、観世音菩薩の御本体は一寸八分の黄金と昔から定まっており、御堂は十八間四面と言う事なども、意義深きを思わしむるものがある。

 

先生のお創りになられたメシヤ教においても重要な数でした。

H11.5.5 (18年)  H29  主神様の御神体出現18年にて楳木先生他界

        (19年)  H30  弟子が『メシヤ降誕本祝典斎行』

        (20年)  R1   メシヤ教分散

  (21年)  R2   

今年は、主神様の御神体出現21年になります。

霊体結んで始まる年なのです。西暦で考えれば2020年ですから二つを結ぶ働きが二重にあるわけですね。

御教え

『御教え集』18号、昭和28年2月15日発行

「二十」と いうのは「天地を結ぶ」ということです。つまり「王」という字みたいですが、二十は霊体を結ぶということになります。ですから私は結婚の日取りを決める場合に二十何日と、二十を一番よく使います。これは霊体、陰陽、男女、それを結ぶというのですから、たいてい私は二十一日を選びます。これは二人を結んでそれから始まるというわけです。

 

御教え 昭和二十三年七月八日(木)

 

――数には神秘が隠されていると伺っておりますが例えば一、二……十、十一、十八、二十三、百、千などの数字にはいかなる意味があるのでしょうか。

 

 一は始めることであり二は分かれることです。十は結ぶすなわち完成です。十一は結んだのが始まる、統一です。十八は結んで開く、観音様が十八なのは縦横結んで開くことです。二十三は応身の働きです。なぜなら応身の応は二十〔王〕と書くでしょう、三は身です。百は十の十倍で「モモ」でいい意味です。また百は一尋ですが、これはまた後で話そう。千は「チ」……霊です。名前でも千代なんてのはよくない。千代は霊になり女としては孤独性になるのです。百や千については後でまた話しましょう。

 

それでは、テーマ2を学ばせて頂きます。


「一人が百人」栄光百九十二号 昭和二十八年一月二十一日・・・78

 

平成29年10月にこのテーマで資料を作成しておりますので、それを掲載させて頂きます。

 

『本教信者が、一生懸命浄霊や言霊によって一人の信者を作り、ヤレヤレと思うその時は、只手を引いて門内へ入れただけのことで、中々安心は出来ない。どうしても御座敷へ案内して、家の内部の肝腎なところを見せなければ、本当の信者になったとは言えないのである。』

 

冒頭の内容を拝読しますと、メシヤ教に繋がった方が一番最初に手にする『入門と奥座敷』の本のタイトルともなった御論文かと言えると思います。そこで平成27年当時の先生の願われたことを思い起こしていただきたいと思います。

 

先生

メシヤ教は平成27年から更に新しい体制づくりをしてまいります。そのために浄霊の基本等・・・、初めて浄霊に触れた人、メシヤ様という御存在を今まで一度も認識したことのなかった人達のために本をこれから作成していきます。その中身はまずメシヤ様という、神界から人間の体を持って降臨して来てくださって、そして、人間としての御苦労を総嘗めのように体験されてその中から『人類を救済する智慧』というものを私達に与えて下さいました。そのメシヤ様に直(じか)に繋(つな)がっていく。

メシヤ様が神界からわざわざ人類を救うために降臨して来てくださって、そうした力を授けてくださるという、その御神慮に一層感謝しながら、その救済するというメシヤ様に想念で繋(つな)がって行くというのが一番根本でありますので、この根本を中心にして、そして、メシヤ様の御教えに基づいて浄霊の基本形を図解を以て理解しやすいような本をこれから作成していきます。

そうしたものを活用していただいて一人でも多くの方々にメシヤ様と直(じか)に繋(つな)がっていただいてその繋がりを太めていただく中で御守護いただく、そういう人を増やして行っていただきたい、というふうに思います。  メシヤ講座・特選集no.167(平成26年12月分)

 

また、最後の行に『このような空前の力を有つ宗教としたら、一人が百人に増えるのも敢て不思議はないであろう。』とあります。私たちは、メシヤ様より『浄霊』の行使を許されているからこそ、『空前の力』を持つ宗教なのだと思います。この『浄霊』は私達人間が現界で取り組む御用であり、『人間の現身を、機関としなければならない』のは次の御教えでおわかりいただけると思います。

 

【御教え】

今日までの観音信仰は、仏師、僧侶、絵師等の手に謹作されたるものであって、その仏体を介して、救われたのであるから、いわば、仮であって、間接的救いであった。即ち、一部の観音力を顕わされたまでである、故に真の観音力を揮(ふる)うには、どうしても人間の現身を、機関としなければならないのである。釈迦も基督(キリスト)も、阿弥陀も、一度は、肉身を以て救世の業をされたように。

  木像へ向って質問をしても答えてはくれない。痛い所を出しても御手を出して治してはくれない。ここに、生きた人間でなくてはならない必然がある。

  今日の、混沌(こんとん)たる世界、帰趨(きすう)に迷える人類を救う、空前の力が出たとて不思議がってはいけない。文化の発達は、世界を打って、一丸とされ、世界が統一されようとする姿が、余りにもはっきりして来た、人類は、歴史と経験に捉われ過ぎて余りに大きなものと余りに新しいものは、急に請入れ難い弱点を昔から持っているものである。

『病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?』昭和10年9月15日

 

今月の御教えは『一人が百人』ということでありますが、『奇蹟』ということが重要なテーマになっていると感じました。御教えにあるように『奇蹟が多い』『スケールが大きく』なければ、『一人が百人』に増えて行くものではありません。

先月のあるメシヤ講座の会場で、「奇蹟をいただいていくにはどうしたら良いか」という質問がありました。

どこの教団でも奇蹟がメシヤ様の御在世当時と比較して出なくなっていると感じているようです。

 

【御教え】

  真の救ひとは、永遠に、魂を救ふ事である。又、一生を通じての抜苦与楽である。それが出来なければ、宗教としての価値はないのである。病気を治さないで、慰安をして与る事よりも、病気を治して、健康体にしてやるのが、真の救ひである。貧乏を我慢しつつ、安心立命せよと言ふよりも、金に困らないやうにしてやるのが、真の救ひである。此世は厭離穢土であり、火宅であり苦の娑婆であるから諦めよ、我慢せよ、悟れよ、と言ふよりも、斯ふいふ苦悩の娑婆をして、天国楽土たらしむべく、積極的に活動するのが、真の救である。其の救ひの効果的現はれに由って其宗教の価値が定まるのである。然し、それ等の事は、私が言ふ迄もなく世の宗教家達は、みんな、知り抜いてゐる筈である。然し、いくら知りぬいて、努力はしてもどうにもならないから、是非なく、苦のまま諦めろと言ひ苦のまま安心立命せよと説くのは、余儀ない事である、一種の遁道である。そんな諦めの鼓吹ではいくら笛を吹いても、大衆は踊らない、イクラ太鼓を叩いても集まらない、是に於て、社会から、宗教は、無用の存在として非難を享ける、それが苦しいのだ、苦しいから何かを行らなければならない。其防弾チョッキとしての、宗団の社会事業経営なのである。寧ろ同情すべきではあるが、どうか一日も早く、宗教本来の使命に覚醒して、真の救ひに精進して貰いたいのである。最後に言ふ、人間の智慧でやる。宗教の最後は、社会事業となって了ふ。神の力と、神の智慧で行く宗教は、奇蹟から奇蹟で、本当に世を救ってゆく。

大光明世界の建設  真の救ひ  ( 昭和十年九月十五日)

 

『神の力と、神の智慧で行く宗教は、奇蹟から奇蹟で、本当に世を救ってゆく。』このように奇蹟が続出するのが本来の宗教だと思います。

 

一人でも多くの人々を救い、救われた方々を救いの側に立っていただく。そして、皆で来る3月3日のメシヤ降誕本祝典において歓喜の中、メシヤ様をお迎えさせていただけますように、とにかく自分達の霊籍を高めていこうではありませんか。

 

【御教え】

ずいぶん若くなってるよ私の方は--メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね。ところが、年寄りになって生まれるのは変ですが、いちばんおもしろいのは、皮膚が赤ん坊のように柔かくなる。それからこのとおり、髪の毛が生まれたと同じような--床屋がこれを見て、子どもの頭髪だと言うんです。だんだん白いのがなくなって、黒いのばかりです。いまに黒髪になりますよ。だから、神様はおおいに若返れと、そして、仕事をしなきゃならんというわけなんです。

それで、今度のことについては、もう奇蹟っていうどころじゃない、奇蹟以上の奇蹟がたくさんあったんですけども、さしつかえない点だけはだんだん発表します。

それで、このメシヤというのは、世界中で最高の位(くらい)なんです。西洋では王の王ということになってますが。キングオブキングスと言ってその位をもってるんです。だから、私が出てはじめて人類は救われるのです。  

たいへんな事件なんです。それで、いろいろ話がしたいけれども、何しろまだ生まれたての赤ん坊なんですから、あんまり面倒くさいと嫌で、簡単に、要点だけを話をしたつもりです。また、この十五日にもっと詳しい話ができると思いますので、きょうはこのへんにして--。         御言葉   (昭和二十九年六月五日)

 

『奇蹟』『メシヤ降誕』『メシヤというのは、世界中で最高の位(くらい)』とのお言葉を肚に落としてメシヤ降誕本祝典に臨ませていただきましょう。

 

さらに『奇跡』について広げていきますと、

 

【御教え】

 結局、奇跡というものは、人間の利益になる事ですね。それが、幸福になるとか、得をするとか――それが奇跡なんです。あと――不思議な事をして見せるの は魔術なんですね。それを、良く混同するんです。ちょっと不思議な事をして見せると、すぐ有難がって頭を下げるんですが、そういう時に良く考えて――こう いう事を人に見せて、どれだけ人が救われるかという事を考えるんです。そうすると、一つの見世物的になります。それではいけない。宗教を看板にするなら、 それに救われなければならない。よく、○○会でやりますが、こういうのもそれですね。救わなければならないんです。霊があるという事が分かっても、自分の病気が治らなければしようがないですね。その区別もよく知っておかなければならないですね。また、その区別を、よく説明してやらなければならないですね。 話はそれだけにしておきましょう。

『御教え集』6号、昭和27年2月25日

 

『奇跡』を求めて魔術と混同してしまわないように注意していかねばなりません。

それでは、メシヤ講座で奇跡についてどのように学ばせていただいたのでしょうか振り返ってみますと、

 

先生

メシヤ様の御存在さえお伝えすれば、一挙に奇蹟をあらわせるようになります。ですから、これからの布教体制というのは、今まではメシヤ様に直に繋がれば多大な恩恵をいただけるとお話ししていました。それは「浄霊力が強くなります。」という説明ばかりでしたが、これからは宗教宗派、民族すべてを超えて、メシヤ様の御存在を伝えて、メシヤ様の御存在を認識さえすれば、即、浄霊をはじめとして、正しい祈りがものすごいスピードで実現するようになるので、これからの布教をいうことを考えれば、そのことを皆さんに伝えていくことが布教ということになりますので、そのように受け止めていただきたいと思います。

メシヤ講座no.185浜松(平成28年7月)

 

まだ三千年来の『夜の時代』の《真如のくせ》がずっと先祖から残っていて、いくらメシヤ様が真理を説いてくださっていても、浄霊の奇蹟ばかりを追い求めて、本来『昼の時代』へ進むためにはどうしたら良いかというような、細かいお世話というのはこの《くせ》でできなかったということであります。           メシヤ講座no.188浜松(平成28年10月)

 

奇蹟ということを調べておりましたら、上記の続きで、『霊の曇りは重みとなって霊籍を下げる』ということが出てまいりました。繰り返し学ばせていただいております『霊層界』の御教えであります。『奇蹟』を頂いていく上でも重要な学びでありますので、復習しておきたいと思います。

 

先生

古い方は入信教修のときに、幸不幸は霊界の魂が高いところに位置すれば幸せですが、それが下の方に行くと悲喜こもごもで、つらい思いをすることがあるという話を聞いたことを思い出していただきたいと思います。その魂、霊界にある魂を「幽魂」と言います。我々の身体にある魂を「現魂」と。〝そして 「幽魂」はどうしたら上がっていけるのか〟というと、霊の曇りがなくなっていけば上がっていけます。それは何故かというと霊の曇りは重みとなって霊籍が下がっていくので、それで「現魂」、我々の魂に反映してくるのです。

だから、浄まらなければいけないので、『霊主体従の法則』で浄まるためには《心言行》を正していくということです。そうすることによって魂の曇りがとれてあがっていくということです。しかし『霊体一致の法則』でいうと、まず薬を服んでいくと下降していくということです。血液が汚れるので。血液が汚れると霊に曇りが発生するのでその重みで下がっていく、と。その次に添加物や化学肥料、農薬が入るとそれも血液が汚れるので、霊に曇りが発生し、また下降していきます。(中略)

それを受けると、我々の生活も改革をしていかないといけないので、少なくとも買ってくるものが添加物だらけのものだったら、「今日は添加物だらけだから、自然農法のお米だけで夕食にしましょう。」というように思い切った改革をしていかない限り、我々の身体は汚れ続けているということです。

身体が汚れ続けているということは『霊体一致の法則』で魂に曇りが発生して、どんどん下降してしまうということになりますので、そういうことで、私達は生活の改革に一層取り組んでいかなくてはいけないということを、神様からは迫られているというふうに受け止めていって、覚りを啓くためには、「そういうことも大事ですよ。」ということをこの文章から理解いただければ大変ありがたいと思います。

メシヤ講座no.188浜松(平成28年10月)

 

『霊主体従の法則』『霊体一致の法則』というのは御教えを学ばせていただくと、何をキーワードにしても関連してくるのだなと思わせていただきました。したがって『霊層界』の御教えも同様でだからこそ、最初に学ばせていただたのですね。何度でも繰り返し拝読していただければと思います。

 

御教えが『霊層界』に繋がったところで話を『一人が百人』に戻しますと、

 

『一人のしっかりした信者を作るだけの力があるとすれば百人を作ることは難しくない』と、鼠算式に一人のしっかりした人を作れば一人が百人、百人が一万人、一万人が一億人、4回それで日本を全部カバーできるんですね。その次になりますと、百億人にもなります。我々は一人のしっかりした信者でありたいと思います。

 

【御教え】

『だからして“どうも思うようにゆかない、困ることが多い”ということは、結局自分の霊界の地位が低いからです。たとえてみれば“自分は信仰に入ってありがたい、よく分かるが、どうも親父の奴は分からない”また“娘も伜(せがれ)もこれに反対してしようがない、どうしたらよいだろう”というように考えている人は随分あります。それは自分の霊層界の地位が低いからです。もし自分が高ければ、自分の家族の者は霊線が繋がってますから、自分の霊が向上すれば、その繋がっている枝でも幹でも、自分の地位の方に引っ張り上げられるわけです。私がいつも言う“分からなかったらウッチャラかしておけ、急って早く信仰に入れようという考えはいけない”ということはそういうことです。ですからそういうことはぜんぜん考えないで神様にお任せして、自分だけが一人でも多くの人を助けて、神様のお役に立つというようにすれば、自分の霊が上がって行きますから、 そうすると他の者も自然につり上げられるから、黙っていても分かるというわけです。結局において、根本の根本というものは自分の魂の居所にあるのです。ただし魂だけが上に行っても、自分の霊やあるいは肉体が伴わないということは、そこにまだ汚れがあるからで、それの浄化が起こるわけです。しかしそういう場合には浄化が早くすむわけです。そういうことが分かると、別に迷うことや苦しむことはないわけです。しかしそこまで覚れるということが、なかなか大変なの です。この覚りは本当の真理です。今までいろいろな宗教などで説いたことよりずっと上ですから、その点などがよく分かると、いろいろな、宗教、思想、哲学 というものまで分かります。』

御教え集30号、昭和29年2月15日

 

皆さん家族の者が分からないとか、反対する者がいるとか、そういうことで悩んでおられる方は多いと思います。そうした場合は『自分が高まって』いかなくてはならないのですが、『自分の身を置いているその中で縁ある人々を救うという御用をさせて頂く』『救われた人間が救う側に』回れるように取り組ませていただきましょう。

 

【御教え】

「罪の元は薬という教えもあり、神様を押し込めたことが罪の根本だという教えもございます。この二つの教えの関係はどういうことでしょうか。またその「押し込めた罪」というのは人類全部にそういう罪があるのでしょうか。」『勿論神様を押し込めたことが罪の根本です。薬毒というものは浄霊をすれば取れるものです。みんな神を押し込めた罪がある。教団も幹部ほどその罪は重い。私を世に出してその罪が消える。』『要するに私というものが分かればよい。しかし私は化けているからな。』

「ということは、メシヤ様の御神格を分からせて頂くことでしょうか」

『そうではない、一人でも多く信者をつくることだ』

新伝導の手引きより

 

メシヤ様と御尊称申し上げることができず、『明主様』に戻してしまったということは、神様を押し込めてしまったということですね。押し込めてしまったメシヤ様を今度、お迎えさせて頂く祝典を執り行わさせていただくわけです。

 

この『化けているからな』というのは、観音様、国常立尊様、伊都能売神様、天照皇大御神様、日月地大御神様、そしてメシヤ様、お働きに応じて御神格、御神名が異なるのですね。

 

『自分が完全人間になろうとする努力する人が多く集まるのが地上天国であります。  『入門と奥座敷』 』と御教えいただいておりますので、そこを実践していけば、最後の審判、今の世界の情勢を見ていると正に突入していると思います。そういう状況ですし、これから自分たちの役割としては、たとえば浄化の厳しい人がですね、医者で駄目だと言われた人がどんどん頼って来るようになると思います。そういうふうに御教えにあるわけですから、そういうときの受け皿がそれぞれがしっかりとした信者として対応していけるようになっていかなければいけないということで、そのために今一生懸命に学ばせていただいて、厳しい御浄化をいただいている。それぞれがそうしないと対応できませんので、一人が百人作って増やしていかないことには、ウォーッとくるわけですから、その前段階であるということで、その前にまずは信者さん方から浄化をいただいて魂を浄化させていただいているのだなと思います。

 

そして、この時のメシヤ様の御答えが『そうではない、一人でも多く信者をつくることだ』ということですので、さっきの『一人が百人』ということに繋がっていきますね。私たちは、メシヤ様の御神格を学び、分からせて頂いて、一人でも多くの人にそのことをお伝えさせて頂いて、『一人が百人』を目指して歩ませていただきたいと思います。

 

このように復習させて頂きますと、その時々でしかっりと学ばせて頂いていると思わせて頂けます。学ばせて頂いているのですから、学んだことを一人でも多くの人に伝えていけるのか、一人でも多くの人に『浄霊』をお取次ぎできるのか。だと思います。それが奇蹟に繋がり、『一人が百人を』となっていくのだと改めて思わせて頂きました。

 

次に『恐怖時代』という御教えを掲載させて頂きます。

恐怖を煽ってもいけないのでこの御教えを取り上げるべきか悩みましたが、昼の時代の浄化作用というのは、全身的極度の浄化作用だという事を、心に留めておいていただきたいと思います。

 

恐怖時代

未発表、昭和23年4月28日

 前項に述べたごとく、世界が夜から昼に転換する結果として、人類に対しいかなる変化が起こるかという事である。それは現界の昼夜と等しく「暗黒は全く消滅し、明々白々たる世界となるのである」――という事は、霊界における火素の大増量である。それは人間霊体に対し徹底的浄化力の発現となり、霊体に堆積固結せる毒素が固結の力を失い、剰(あま)す所なく溶解作用が行われる事になるので、すなわち肉体的には病気発生となる事は言うまでもない。しかも夜の世界の期間は浄化作用は局部的であるが、昼の世界におけるそれは全部的であるから、大多数の人間は全身的極度の浄化作用発生し、到底堪え得られずして罹病後短期間、恐らく数日を出でずして死亡するであろう。この場合医学的浄化停止方法を行う時は、反って逆効果となり死を早める結果となる。人々は恐れおののき、戦争や飢餓以上の恐怖時代出現は最早免れ得ない決定的運命であって、その前夜としての現在の時である。この結果として、全人類は何分の一あるいは何十分の一、またはそれ以上に減少するかもしれないであろう。キリストの予言せる「世の終り」または「最後の審判」とはこの事であると私は信ずるのである。しからばその時はいつか、私の研究によれば一九四七年以降数年内にこの一大悲劇は現出するであろう。しかもその萌芽は既に表われかけている。一九四六年五月二十八日発行の東京朝日新聞に左のごとき記事が掲載されている。

      *

出産を追越す死亡

  十年後に五千万

   人口過剰昨春から逆転

 

 いまやどこを向いてもつっけんどんな空腹時代を迎えて――われわれは狭くなった国土に余りにも人間が多いという結論をすぐ考える。では一体どのくらいの人口が狭くなった日本には適切か、農業立国、工業立国など論者によっては一千万くらいの差はあるが、大体五、六千万といわれている。引揚や復員が終れば今年一ぱいには八千万になるというから、さしあたり二、三千万人の超過となるわけだ。ところで最近内閣統計局で調べている毎月の人口動態調査や全国一斉の人口調査による趨勢では、過剰人口の問題も別に対策を樹てるまでもなく、このままで長くて二十年、早くすれば十年もたてば、結局五千万人の理想的日本に落着いてしまうという予想がついた。

 この傾向は実は戦争も敗色の強くなったサイパン失陥の頃からである。戦時中の統計は一切秘密にされていたので、今日はじめて判った事実だが、推定数によると昭和十九年秋からの出生率は、戦前の三分の二(年百五十万人)に減り、死亡率は反対に激増して三分の一増(年百五十万人)と同数になり、過去二十年間も続いた人口増加率を一ぺんに逆転させている。続く昭和二十年は本土に空爆しきり、広島、長崎などの厖大な戦災死、体位低下等の死因は驚異的数字を刻み、二十年三月には戦災死者を除外しても死亡数が出生数を追い越してしまった。つまりこの頃からは、死亡率が昔の約二倍になり、恐らく二百万を越え、出生は二分の一の百万ギリギリになったと思われる。百万の人口滅を示した下降曲線は、本年に入って更に社会不安、食糧飢饉の世相を反映して、一月毎に低落しつつこの分では二十一年度は恐らく二百五十万の死亡者を数えるだろうといわれ、これに対し出生は昨年の百万を更に下廻る七、八十万(往時の三分の一)という数字が予想される状況である。

「百七十万」が本年推定の人口減の横顔だとなると、少し割引して百五十万としても十年で千五百万人……十五年で二千三百万人減……つまり二十年経たなくても『五千万人の日本』という魔術に似た人口減が実現しそうだということになる。この頃現われている「百五十万人減」の数字が何年も続くと見るのはおかしいと考える向もあるが、敗戦後の社会不安、食糧不安はほとんど半恒久的なものと考えられ、また失業者群五百万だとか、家屋の建設の困難などの悪条件下では、結婚難の問題もつづくであろうから新生児への期待はいよいよ薄く、加えて現在死亡者の年齢が男女共壮年層に圧倒的だという事実、この上に推定された「二十年後の五千万人の日本」という仮説は厚生省関係の人口間題研究所でもすでに概算済みなのである。

 

「産制」も無用

 

  川島内閣統計局長談

 正確な数字を出せないのは人口動態の報告に未到着の分があるからで、何万という数字まで出ないのが残念である。二十年三月を一線にして完全に人口は激減していった。ここで問題となるのは、戦時中の戦災死五十万以上はこの率には加えていないことである。だから厳密な意味でこの数は研究されてよいと思う。

 十九年春から二十年秋までの資料があれば更にはっきりするのだが、統計局がこの三月焼けて不幸にも正式発表の数字は示せない。「量より質」と産児制限の研究も新議会でとり上げられるようだが、これも私の方からは「ちょっと待て」といいたい。私たちは正確な数字を出したいので目下資料蒐集に懸命である。

      *

 右記事によって推定すれば同年四月二十六日の人口調査の結果、日本の人口は七千三百余万となっている。その上海外における復員帰還者約三百万とみて合計七千六百万となる。それが十年後五千万となるとしたら、十年間に二千六百万人の減少となる訳である。右記事中に五千万くらいが食糧事情の上からみて適当とあるが、一ケ年二、三百万死滅少しつつ来たものが、五千万でピッタリ喰止まる筈はない、むしろ反対に減少の勢を増すのみか、あるいはその時までに推定数よりも一層の減少を来すかも知れない。何となれば本年の減少推定百五十万であるとしたら、来年は二百万、その翌年は三百万というように、加速度的となるべきは数の増減の原則であるからである。この意味において日本民族は、遅くも二、三十年以内に滅亡するとみるのはあながち無理な予想ではあるまい。かくのごとき戦慄すべき問題に対し、本来ならば国を挙げての大問題化すべき筈であるに拘わらず、そうでないのは、現在飢餓問題を初め、幾多の重要問題が山積し、他を顧るの余裕の無い程それ程切迫しつつある現状であると共に、死亡率増加の原因が、食糧や住宅難、社会不安等のためでありとし、この解決によってそれを喰止め得るとなす考えも大いに手伝っているであろう。しかるに私の説のごとく、夜昼転換が真の原因である以上、いずれは国を挙げての大問題となる事は必然である。

 しかしながら、この重大問題は今日極東における一国のみの問題でしかないが、やがては全世界全人類の滅亡の大悲劇の開幕となる事は必至の運命である。しからばこれを免るる方法ありやというに、再三言うがごとく本医術の原理を知って、その対策を講ずる事である。それ以外道はない事を警告するのである。

 嗚呼、救世的私の使命や、まことに大なりというべきである。

 

(注)

この文章は『明日の医術』用の削除原稿に戦後加筆訂正されたものです。

 

『全人類は何分の一あるいは何十分の一、またはそれ以上に減少するかもしれないであろう。キリストの予言せる「世の終り」または「最後の審判」とはこの事であると私は信ずるのである。』とありますので、今の状況はまだ序章であると言えます。

まだ「最後の審判」ではないわけです。神様はその一端を人類に見せ警告を発しておられるのです。

今は、院内感染、医療崩壊を畏れ「軽症ならば自宅で隔離」と言われることが各国であるようです。これを機に『医学革命』論議が巻き起こるかもしれないと思いました。

 

最後に

『覚りの旅』4~6月テーマを表にしてみました。

2020年04月07日

を確認しておきたいと思います。

 

上段 - 祭典

中段 - 『覚りの旅』テーマ1

下段 - 『覚りの旅』テーマ2

 

と並べて書いてみますと、本の順番のテーマで学んでいるわけですが、世の中の状勢と学びが呼応してきますので驚くばかりです。

 

まず、祭典は

3

4

5

6

メシヤ降誕

本祝典記念祭

 

主之大御神様御神体御出現記念祭

地上天国祭

覚りの旅』の学びは、

4月 テーマ1 「明主様(メシヤ様)御言葉」

メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。

生まれ変わるというんじゃないですね。

新しく生まれるわけですね。

メシヤというのは世界中で最高の位

メシヤ様が出て初めて人類は救われる

宗教以上のもの、名称を付けることは出来ない。

弥勒下生・キリストの再臨・救世主(メシヤ)降臨

 メシヤ様のこと メシヤ様の仕事の事 とわかるハズ

既成宗教は医学以下 時代は終わったと自覚せよ

 

4月テーマ2 『真の大乗宗教』

巨人が出なければならない。

メシヤ様  (御教えの実践)

九分九厘一厘 → 如意宝珠・ポチ・メシヤ様の仕事

 邪神

主神様からメシヤ様を通して出られた御教えをいかに実践して普遍化していくか 

→ これが一厘の働き   実践するのは自分(私達)

 

・神様もその人の働きを重んじられる

小さな欠点はとらない。一人でも多くの人を救うか救わないか。

・人類愛を中心とせよ

・人の善悪は気にするな

・人間なら布教する資格は誰にでもある。

・堅苦しい、戒律的はいけない。応変自在が良い。

・決めることは決め、決めてはいけないものは決めない。

・はっきり言ってもいけない。言わなくてもいけない。

・コツを見出すのが最高の信仰 それが『覚り』

・自分を審神すべき事

・人を邪神と決めぬこと

・神様は役に立つものは御助けになる
・夜の時代の癖を取り除く術(すべ)を学ぶ

浄霊 御教え実践 参拝 奉仕

具体的なところへ下してお世話に当たることをしていく



主神様からメシヤ様を通して出られた御教えをいかに実践して普遍化していくか

5月 テーマ1『メシヤというのは人間の名前です。神様は主の神エホバですね。

 

・メシヤ様は地球を救うためにお体をお持ちになられ人間としてお生まれになられた。

・そして善悪司る主神様の教えを我々人間に授けてくださいました。

・救世主というお仕事の型をお示し下さった。

※人間次第


5月テーマ2『一人が百人』

私達の出来る事

メシヤ様の御教えとメシヤ講座を伝え、浄霊を実践し、『一人でも多く信者をつくること』

と学びました。

 

物的(コロナ)に考えてみたい

免疫力がない、ワクチンない、薬ない感染率が上がると医療崩壊になる。

1を下回れば徐々に収束していく。→そのために自粛しよう(3蜜の回避)

まとめ買い→物がなくなる  

物滅、医療崩壊は人間の行動が引き起こす


6月テーマ1『中島氏帰幽に関するお言葉』
仏滅 →      神の世界 への型
破壊 →      創造
物滅(医療崩壊) 地上天国建設


6月テーマ2『法律と人間の野蛮性』

今、徳による治世か刑罰による治世の選択を迫られているのではないか。

刑罰無くとも自粛要請に自制を以て応じ、利他愛をもって終息を待ち、世界中から祝福されるオリンピックを開催したいものだと思う。それが誇るべき日本のおもてなし。

利他愛を持って行動しよう。われよし× 人も良し・我も良し・みんな良し



ミロク様とお呼びしようが、

キリスト様とお呼びしようが

全てメシヤ様の事であり、

メシヤ様の仕事の事。

主神様からメシヤ様を通して出られた御教えをいかに実践して普遍化していくか。

実践するのは人間なのです。そう自分なのです。

 

 

以上を持ちまして、

『主之大御神様御神体御出現記念祭』を終わらせて頂きます。

ありがとうございました。