4月度『覚りの旅』のテーマの 「真の大乗宗教」 栄光二四二号 昭和二十九年一月六日
に関連すると思われる御教え・メシヤ講座をピックアップしていきます。

神智之光より
 自力と他力信仰、本願寺派と親鸞、排悪の牧師、観音行の在り方、(従来の日本)、経緯結びと日本
 自力は小乗的信仰で経であり、他力は大乗的で緯である。どっちも本当ではない。どっちが根本かといえば、それは大乗が根本である。
 自力は自分の力であるから、宗教と縁が遠くなる。
 本願寺派は六字の称名を唱うればいかなるものも救われるという。これは悪い事をしなければ救われるという意でなく、悪い事をしても念仏を唱うれば救われるという事になる。しかし泥棒をしても念仏を唱うれば悪い事が段々出来なくなるというのであろう。
 親鸞は「善人尚もて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」という。これは自暴自棄の者も救われるという訳である。
 先に私は、キリスト教会の宣教師が善くない者があるから除名すると言った、これは変だと思った。善い人間ならそれでいいが、汚れた人間や悪い人間を排斥すれば宗教の意義はなくなる。悪い人間を善くするのが宗教の使命であろうに、これは変だと思った。
 日本は封建的で経しか働かなかった。小乗でも大乗でもない、伊都能売の働きとなる。光明如来様がそれで、男でも女でもなく、男で女である。経でも緯でもある。即観音行である。偏るといけない。
 相手により説き方を違えねばならぬ。であるから、大乗はある程度悟りが開けてからでなくてはいけない。小乗善では反って悪になる。大乗はすべてを抱擁しなくてはいけない。故に両方の働きをしなくてはならぬ。
 日本は東西文明の融合地点であり、それが日本の使命であるといったが、今迄両文明は別々になっていた。これが結ぶ。これから本当の理想世界が出来る。別々になると、どっちも悪になる。結ぶと本当に善になる。その真中が真。真の言霊はスになる。これが大変なものである。