4月度『覚りの旅』のテーマの 「真の大乗宗教」 栄光二四二号 昭和二十九年一月六日
に関連すると思われる御教えとメシヤ講座をピックアップしていきます。

神智之光 より
 貧の原因(根本)
 私は昭和二十二年五月入信し、二十四年三月より勤めを止めて御手伝いさして頂いておりますが、貧より抜けられません。いかなる訳でしょうか。世間では名前によって悪くなる事があると言う人があり、迷っております。事実で御座いましょうか。事実とすればどう致したら宜しいでしょうか。

 貧乏になる人は多くは小乗的信仰のためである。大乗的にやる
 貧乏は経で、火の働きである。物質は水であり、金である。緯へ拡がる働きである。

神智之光 より
無理な入信、両親の猛反対、大乗小乗、(霊的因縁、順序と入信)

 本人は熱心に受教入信を希望致しますが、両親が猛反対で何としても許しません。この場合信仰は神と本人との関係で他人の介入すべからざるもの、たとえ家を追い出されても入信さすべきか、それとも少しでも両親が分る迄待つべきか、待つ事は両親をして益々神に対する罪を重ねさす事ともなり、またそれ迄に自分が死んでは大変だと歎いている娘がございます。大乗的の見地からその希望通り無理にでも入信させ、そして本人さえ立派になれば、両親が分ってくれるとも思いますが、こうした場合、教師としての指導の仕方につき――

 無理に入信さすのは小乗的である。大乗的にいえば放置しておく。信仰には決して無理があってはいけない。それは神に任す気がないので、本当に信仰しているのではない。神に任す気持が一番大事である。入信するにも霊的因縁や順序があり、これを狂わして入信さしても駄目である。無理に入れるのは小乗大きい肚でいるのは大乗である。

神智之光 より
分らせようとする事、(教師心掛け)、神と人間力、霊体調和、小乗信仰戒意、振不振と御神意

 私は教導所の責任者として御用をしておりますが、私の村は八百余戸、入信者現在百余名、光明如来拝受者十五名、大光明如来四体を奉斎させて戴いており、五、六人の方が熱心に協力しております。しかし私も時々困難に突当り、一生懸命御用したくも思うに委せぬ苦しみをしております。主人も現在教導師の御資格を戴き、大工仕事の裡にも懸命の努力をしております。夫は養子ではありませんが、私と母と同居しており、母も余りに熱心のため、非常識な位にまでなり、時々御浄化を頂きます。この母の行為についてとかく周囲の人より妨害され、日夜頭を悩まし、自分の未熟な行為のため寝つかれぬ事も御座います。いかにしたら周囲の人々を分らせ、出来るだけの御用が出来ましょうか。御伺い申し上げます。

 分らせるという事が間違っている。分らせるというのは人間の力を過信する事になる。神様が分らして下さるのである。この人の信仰が狂うのは小乗的であるからで、(熱心のために非常識というのは嘘である)飽く迄、常識的でなくてはいけない
 人間は何の力もない。人間の心で決めてはいけない。どこまでも神の道具で、神様がやらして下さる気持にならなくてはいけない。(浄霊でも心静かにしてやらないと神様の霊気が通らない。力を入れ一生懸命にどうかして救おうとすると人間的だからいけない)
 大乗的になるべきである。
 (無理に分らすのはいけない。神様にお任せし、自分はやらしてもらってるという気持である)発展するか否かは神様の思召しである。人間の力が強くなると反って成績が挙がらぬ。(浄霊も静かな気持でやらなくてはいけない。一生懸命やると治らぬ。力を入れずにした方がよい)宣伝も一生懸命扱うという気持はいけない。(時期が来ぬうちはいくらやってもいけない)といって、お任せしっきりでもいけない。その区別を調子よくやる。
 神様は霊、人間は体であるから、霊と体と調和すべきである。
 小乗的信仰は最もいけない。咎めや憎しみは極くいけない。(S24. 8.27)


神智之光 より
親子一世・夫婦二世・主従三世、(現在の夫婦の霊層)、努力の逆効果、無理と焦りの非

 親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の因縁について――

 これは昔封建時代、家来を殿様なり大将のため生命を捨てて働かす目的の下に非常に縁の深いような道徳を造った。夫婦は二世というのは本当である。親子一世も本当で、厳密にいえば親子も二世である。
 夫婦にしても、五人も六人も妻のある人もあるが、原則として最初のが本当である。因縁により、夫婦であったものは夫婦になる
 世が乱れ、邪神が活動するために、本当の夫婦でない事も種々ある。男女間の事は非常に神秘である。これは大乗で説かぬと分らぬ
 霊層界であまり遠いと夫婦になれぬ。夫婦同じ霊層界という事は、ミロクの世までは絶無とはいえぬが極く少ない。今は大抵高さの相違がある。分らぬ妻を、信仰の橋渡しするのは人間でいいが、信仰に入れるのは神様に任すべきで、努力すると反って逆効果になる。無理や焦りはいけない。(S23夏)

『御垂示録』7号、昭和27年3月10日
「仏教では親子は一世、夫婦は二世と申しますが――」
『でたらめです。仏教じゃなくて、武士道で言ったんです。親子は一世、夫婦は二世、主従は三世――忠義をさせるために、ああいった都合の良い道徳を作ったんです。主従は三世で一番深いから親子は一世だから――忠義をしろというんですが、あべこべですよ。主従が一番浅いですよ。生まれて来て、予期もしないところと主従になるんですからね。常識で考えても解りますよ。親子は何だが、夫婦はとても強いですからね。主従とは違いますよ。武家時代の道徳は、そのときの権力者の都合の良いものに作ったんです。だから、本当の道徳じゃない。人間としての道徳じゃない。階級としての道徳ですね。間違ったものはいかんと、今廃止になって民主的になったのは――間違ったものが壊れたのは――それで良かったんですね。』