4月度『覚りの旅』のテーマの 「真の大乗宗教」 栄光二四二号 昭和二十九年一月六日
に関連すると思われるメシヤ講座をピックアップしていきます。

メシヤ講座・特選集no.157(平成26年2月分)より

 お世話側としては、『大乗宗教』の中の『即ち宗教も哲学も、科学も政治も、教育も経済も、芸術も、その悉くが含まれている。そればかりではない、戦争も平和も、善も悪も包含されているのは勿論である。』という『大乗宗教』の御論文の中身を私達は宗教の中に身を置く人間として大きな捉え方ができるように、今年一層想念を広げて行っていただきたいと思います。

その上で『宗教に自由はあるのか』の御教えの『一種の宗教地獄に落ちるのである』の部分を肝に銘じておきたいと思います。とりわけ本日は御神業の中心を担ってくださっておられる方々にお集まりいただいておりますので、『真の自由とは他人の自由を尊重する事であるから、そこに自らなる限度がある、所謂一定枠内の自由で、此自由こそ真の自由である、何となれば他人に些かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海濶的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。』という内容、このことを取り分けお世話をさせていただく方々は、肝に銘じて進んで行っていただきたい、と思います。

私もメシヤ教として小さいところから立ち上げ時、様々な方々から問題解決のあり方等を相談されてきました。中には皆さん方ご承知のように借金の癖が中々取れない人がおりました。ある時その父親から「竹刀で百叩きをして借金癖をとってくれないか」と言われたことがあります。その時私は「それは『夜の時代』の呪術方法なので、私はそういうことはしません」とお答えしたことがあります。

三千年来の罪穢れがズーッと蓄積してきた上に、今の私達の生活に様々な事象が起きておりますので、これを一発で解決するということはない訳であります。三千年間積み重ねたことですので、しかも三千年前穏やかな秩序が保たれていた時代に、自分達は本来の人間性を兼ね備えておりましたけれども、三千年間『夜の時代』が続いたために、自分は正しいと思っていても、実は私達には『夜の時代』の癖がビッシリと染み付いています。これを取り除いていくのが実は『浄霊』であり『御教え拝読と実践』であり『参拝』『奉仕』である訳です。

こうして立春祭に参拝させていただくのも行事があるから参拝するのですが、この参拝の根幹は“三千年来の自分の中に染み付いてしまった『夜の時代』の癖を取り除いてゆく”ということが一つの大きな願いとしてあります。私達が御教えに目覚めて真理を知る中で御神業に臨ませていただいていましても、一方では三千年間の罪穢れ、あるいはその癖が残っているということがあるからです。

それで昨日奏上した『神言』の一番最後に『此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と言ふ神持ち加加呑みてむ此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神根国底国に気吹放ちてむ此く気吹放ちてば根国底国に坐す早佐須良比売と言ふ神持ち佐須良ひ失ひてむ此く佐須良ひ失ひてば現身の身にも心にも罪と言ふ罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を聞こし食せと畏み畏みも白す』と締められております。

この締められた事を受けて実は『善言讃詞』の中で『無量無邊の大慈悲に天魔羅刹も服ひて諸悪邪法は改り 夜叉龍神も解脱為し 諸善佛神咸く其志を遂ぐるなり』ということが進められていく訳であります。この節分祭をメシヤ様御自身は執り行わなくて良いということであるのですけれども、三千年前に正しい神様を押し込めた人間側はお詫びをし続けなければ神威というのは弥増してはいけない訳です。

ですから、祝詞というものの繋がりとメシヤ様が『善言讃詞』をこのようにお創りになられた背景というものをもっともっと今年は求めてゆきながら、三千年来の罪穢れを払拭しつつ『地上天国建設』を進めていくという取り組みを一層進めさせていただきたいと思います。