浄化というとらえ方がまだまだ 世の中とメシヤ様関連の信者さん方の受け止め方は乖離しています。
しかしながら世の中の状勢を無視していいわけではなく、問題を起こす側になってはいけません。
諸般の情勢を考慮し、ご自宅で祭典を行われる方もあろうかと思います。式次第を掲載いたしますので、ぜひ参考になさってください。

 メシヤ降誕本祝典記念祭 式次第
〇祭典五分前になりましたので、ご着席ください。そして、携帯電話などはマナーモードにされるか電源をお切りになって祭典に臨む姿勢づくりにお努めください。

〇祭典三分前になりました。
平成三十年三月三日メシヤ様が現界にお出ましになられてより、私たちはメシヤ様の御手足としてメシヤ様と共に地上天国建設の大業に邁進させて頂いております。
『メシヤ降誕本祝典記念祭』は、三月三日という日にメシヤ様がお出ましくださったことを喜び、感謝申し上げ、新たな気持ちで日月地完全な救いの力を地上の隅々まで広げていくことをお誓いさせていただく日であります。
主神様へ全宇宙の御経綸に対する感謝を捧げ奉り、
メシヤ様から地上天国建設の御力を賜ることを、念じ奉ります。

(祭典)
ただいまから三救の 
『メシヤ降誕本祝典記念祭』を執り行わせていただきます。

天津祝詞・善言讃詞 奏上
御浄霊
御教え拝読 (世界救世(メシヤ)教教義)

三救責任者挨拶(天恩地惠二月号に掲載)
本日は、メシヤ降誕本祝典記念大祭です。
平成三十年三月三日メシヤ様が現界にお出ましになられてより、私たちはメシヤ様の御手足としてメシヤ様と共に地上天国建設の大業に邁進させて頂いております。
メシヤ降誕本祝典記念大祭は、三月三日という日にメシヤ様がお出ましくださったことを喜び、感謝申し上げ、新たな気持ちで日月地完全な救いの力を地上の隅々まで広げていくことをお誓いさせていただく日であります。


【御教え】世界の大転換『明日の医術 第三編』昭和十八年十月二十三日

『すべてに陰陽あるごとく一年にも寒暑の別あり、一日の中にも昼夜の別あり、十年にも昼夜の別あり、百年に千年に万年にもそれがあるのである。』と御教えいただいておりますように平成三十年が三千年来の夜昼転換であるとすれば、平成三十一年の夜昼転換の起点を三月三日とし、経綸の主体である大ミロク様の御働きでメシヤ様がお出ましくださったことを、私たち人間が受け止めさせていただき、その御力を

聖地→三救→日本→世界 へと広げていかねばなりません。

現界のいかに多くの地に人に反映していけるのかが問われているのです。

そういう意味で、日本の真ん中、中京と言われるこの三重の地で三月三日に主神様の御前で祝詞を奏上させていただけることに感謝を持って祭典に臨ませていただきたいと思います。

昨年はこのように挨拶させて頂きました。大ミロク様の御神名が登場致します。『経綸の主体である大ミロク様の御働き』と受け止めさせて頂いているのです。御教えで確認させて頂きます。

【御教え】『メシヤという神は国常立尊という審判の神様で、これは永久的のものでない。ある時を限られたお働きで、長い。

一厘の種はメシヤとは違う。神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも判らぬとおおせられる。経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心である。キリストや釈迦もぜんぜん判らぬ。必要だけのことしか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思う人は判ったのである」と。

世界の種々なことは、根本の神から出ているので、人間が気をもんだり、とやかく言うのも馬鹿馬鹿しい。最高の神の経綸は、善悪両方を造って操っておられるのが神である。今度はずいぶん苦しんだが、怒ってもしかたない。神様が使って、立派な仕事ができてゆく。ただ悪魔は一時的で勝たぬ。いままでは神が勝つのが遅かった。今度は早くなって五六七の世になる。(御講話 昭和二十五年八月一日)』

 
【御教え】文明の創造 序文 栄光百七十号、昭和二十七年八月二十日に、

『私は目下文明の創造なる大著述をかきつつあるが、その予告として序文をこの欄に載せる事にした。』

『これを信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来における地上天国の住民として残るのである。そうして主神の経綸の深くして、そのスケールのいかに大なるものであるか、また現在までの文明がいかに野蛮極まるレベルの低いものであるかを、この著によって充分知らせ確固たる信念を得させるのである。』とあります。

お手元の『文明の創造』序文をご確認ください。

『そうして来るべき地上天国たるや其構想の素晴らしさ、スケールの雄大さは到底筆舌に尽せないのである。其時に到って現在迄の文明が如何に野蛮極まる低劣なものであったかがハッキリ判ると共に、人類は歓喜に咽(むせ)ぶであらう事を断言するのである。』と書かれていますね。全世界に頒布されるご予定でしたから、何度も推敲され、未信者の人々にもわかるように配慮されたのだと拝察いたします。『最後の審判』を前に普く人類に伝えようとしてご執筆された著書です。それ故、信者向けの栄光紙には『主神の経綸』とはっきりとお書きになられたのではないでしょうか。私達は、メシヤ様の御意図を慮らねばならないと存じます。

もう一つ御教えを確認させて頂きますと、

『これは「文明の創造」の中にある一節ですが、それを読ませます。』

 (御論文「文明の創造 九分九厘と一厘」 ※掲載されていない)

『今までは悪が勝っていたのが、今度は負けて、善の方が勝つのです。ミロクの世というのはそういうことです。しかしぜんぜんなくなることはないので、ただ悪の方が善に負ければ良いのです。善の方が勝てば幸福な世界ができる。そこで私が書いているのは主神の経綸ですから、善と悪と両方書くのです。これも必要だったのだ、これもオレがこしらえたのだとおっしゃるわけです。これも必要があったので、ある時期までは勝たせていたが、もう必 要がないので善の方が勝ちやすくなる、というのが最後の時期で、これからです。』

メシヤ様がお書きになられたのは、主神様の経綸です。最後の審判の前に主神様の経綸として文明の創造をお書きになられたのです。

「主神様へ全宇宙の御経綸に対する感謝を捧げ奉り、メシヤ様から地上天国建設の御力を賜ることを念じ奉る祈りを捧げさせていただきます。」と月次祭で司会が読ませていただいている理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。

【御教え】全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現 併而(あわせて)仏説の開扉

東方の光三号、昭和十年二月二十三日

『次に釈尊は説いていわく、末法仏滅の世となれば、その時弥勒出現してここにミロクの世が成就するという。これは法滅尽経及び弥勒出現成就経等に詳しく出ておるから瞭(あきら)かであるが、ついにその時期が到来したのであって、その弥勒の本体こそこれ又観世音菩薩であられるのである。それで弥勒と称(とな)えても三弥勒在られ、昔から報身(ほうしん)、法身(ほっしん)、応身(おうしん)弥勒と申上げているのである。報身は釈迦であり、法身は阿弥陀であり、応身は観音である。また日月地に配すれば日が観音であり月が阿弥陀であり、地が釈迦である。又地理的に配すれば日本が観音であり、東洋が釈迦であり西洋が阿弥陀なのである。又これを三尊の弥陀とも称え基督(キリスト)教で三位一体と称えるのもこの事である。(三尊の弥陀についてはいずれ詳しく解説する積りである)しかしてこの三位一体の力を独り具有され、大千世界の最後的救済を為さるのが、観世音菩薩即大弥勒神の御活動で被在(あら)せらるるのである。』


時は、昭和十年一月、大日本観音会が宗教団体として発足された年なのです。この年に、今までの仏の教えの誤りを正し、これが真実だと本当の教えだと、『仏説の開扉』として御教え下さっておられるということを、拝察すべきであると思います。観音様が弥勒下生の本体の神様なのであると、善言讃詞に『敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ』と、お示し下さった、観音様から救世主(メシヤ)様への御神格の向上を大日本観音会発足当初に既に、御教え賜っていたのです。しかし、昭和十年に開扉された仏説は『應身彌勒と化し』までで、應身彌勒の応身の彌勒は観音様であり、ミロク下生の経綸のお働きを大弥勒神と御教え下さったのです。その後、昭和二十五年に救世主(メシヤ)とならせられたのです。

 メシヤ様の御神格の向上を認識させていただくための祭典が『メシヤ降誕本祝典』であるのだろうと拝察いたします。平成三十年三月三日に初めて本祝典を執り行いました。その後、毎年『メシヤ降誕本祝典記念祭』として祭典を執り行わせて頂くことで、メシヤ様の御神格を認識される方が拡がっていきます。

【御教え】関西巡教御講話(昭和二十九年四月十二日)の

『今まで何億という人類が拝んできたキリスト、釈迦を私が助けたというのですから、‶そんな人間が現われることはない、頭がどうかしている〟と言うかもしれません。あなた方はふだんから知っているでしょうが、それを‶これだ〟という所までゆけば、魂がすっかり固まったのですから、そうするとそれによってその人の力が強くなるのです。それこそ私の代理として立派に力をふるい、仕事ができるわけです。だから今言ったことをよく心に入れて大いにやってください。』

魂がすっかり固まり、人を救う強い御力を賜り、メシヤ様の代理として立派に力を揮い、仕事をさせていただくための、重要な祭典なのです。

以上をもちまして『メシヤ降誕本祝典記念祭』を終わらせていただきます。
ありがとうございました。