メシヤ講座番外編より
先生
重病患者が薬を止めて浄霊のみで治して生きたいというのであれば、家族の了解もしっかり得た上で臨機応変に対応して行くのが望ましいでしょう。
しかし何度も念を押しますが、医者にかかるにしても浄霊一本で治すにしてもあくまでも本人の意思と言うのが徹底されていないといけません
誘導するような形になってはいけないので、ここは特に気をつけてください。
メシヤ様のやり方はどんな場合でも臨機応変だったのです。
本来の在り方は提示するが、選択は『本人のご随意に』というご姿勢がありました。
指導者の言われたとおりにやるというのはどちらに転んでも問題を発生させます。
以前お話ししたくも膜下出血の方への対応ですが、「何があっても一切責任は問わないで」という確約を取りました。冷たい言い方をしたかもしれませんが、その方は本当に神様を求める気持ちが強かったのです。
だから私も一生懸命に取り組みました。
だからその方は奇蹟を頂き、難病を克服したのです。


【御教え】『御垂示録』21号  昭和28年6月15日
『「私のほうではお医者にかかるな薬をのむなとは決して言いません。それはあなたのご随意です。しかし道理はこうです。それから私は神様からこういうように教えられている、薬は毒だと教えられている。それをあなたのほうで採用するしないはあなたのご随意だ」というように言うのです。』

伝道の手引き より
家族が浄霊に反対する場合
 『ですからそういうようにしてすべてをやっていれば、決して問題は起こらないのです。病気の場合にも家の人が反対したりする場合には、「それは結構だ、全くそのとおりだ」と言って、感心していれば、その反対した人は、あの先生はなかなか分かると思います。「私のほうではお医者にかかるな薬をのむなとは決して言いません。それはあなたのご随意です。しかし道理はこうです。それから私は神様からこういうように教えられている、薬は毒だと教えられている。それをあなたのほうで採用するしないはあなたのご随意だ」というように言うのです。それでそれに感心して医者にかからないで薬をのまないとそれで結構です。しかしそれに感心しないで、医者にかかり薬をのむというのは自業自得です。それを何とか説得させようと一生懸命にやるというこれが、まだごく青いのです。要するに人間、心の底に誠があればよいのです。あとはできるだけ横着でよいのです。心の中心にさえ誠があって、助けてやろうという気持ちがあったら、あとはそれこそ臨機応変でよいです。それが千変万化です。
   ですから、よくやりますが、こういう方針、こういうやり方というように立てたらもう駄目です。つまり円転滑脱というか、それです。』


メシヤ講座・特選集(№62・平成18年3月分)
メシヤ様は絶対的な真理をお説きになられながらも、『それを採用するかしないかは相手のご随意である』という姿勢を貫かれ、無理強いをされませんでした。これは絶対的な自信に裏付けられたお姿であり、そこにこそ、メシヤ教における信仰生活の規範を拝することができます。


メシヤ講座・特選集no.145(平成25年2月分)
 メシヤ様が「水晶殿」御遷座の際にお話になりました、『御神業の本筋』ということであります。メシヤ様は我々に真理を説いてくださいました。説いてその内容を自分の生活に中に取り入れて、『やるかやらないかはご随意に・・・』という御姿勢をメシヤ様は明確にしておられますので、我々がそれを自分の中にしっかり受け止めて生活をして行くか、あるいはして行かないかは、我々の全くの自由な訳です。自由であるからこそ、支部の中で、信者さん方の中で、それを採用してやろうがやるまいがこれも自由な訳です。
支部を預かる責任者としてはイライラすることもあります。「この前言ったのにわからんなあ・・・」というようなことが日々起きてきます。これこそは、メシヤ様が『御随意に』と仰っておられた結果としてある訳ですので、救われる道を歩んでいくか、救われる道から遠ざかっていくか、ということは一人一人の自由なんだということであります。