邪教に迷った教師の御神体の御取扱いにつき 御垂示(S26年12月6日)
「本教の教師をしており、大光明如来様と光明如来様をいただいており、新しい宗教に迷い、大光明如来様を表装からはずし、今度もらってきた御神体を掛け、その表具屋は本教信者で、そこの家に大光明、光明如来様はいらないからと言って置いて行き、表具屋で預っておりますがどういう風にいたしましたらよろしいでしょうか」
『取っておきなさい。』
「表具屋にでございますか」
『そうです。どうせ今に、その人はじたばたするから、そのときに返してやれば良い。』
「他の人で、いただきたいと言うのに――」
『それはいけません。今に謝ってきたら、先の通りにやってやったら良い。どうせ――見ててごらんなさい。たいへんなことになる。下手なことをすると、命をなくすることになる。命をなくしないうちに気がつくと幸せだがね。新宗教に悪く言われるんですよ。いろいろね。それで迷っちゃう。しかし、珍しい話ですね。邪神にやられたんですね。しかし、そういうのは、あながち非難することはできないです。というのは、他の宗教をやって見て、ひどい目に合って、それから目が覚めて熱心になるということもありますからね。中途で止めるということもあながちそれっきりになることはないから、メシヤ教以上のものはないから、いずれは目が覚めるに決まっているから、そういうのはうっちゃらかして時期を待つんです。邪神は――どうも、いろんなことをやってますよ。邪神といっても、邪神は誰に憑るかというと、信者に憑るんですね。邪神としては、一番効果があるんですね。未信者に憑っても大して効果はない。メシヤ教が一番怖いんだからね。邪神のほうで、腕のある奴はメシヤ教の信者にくっついていろいろやろうとする。すごいものですよ。』