御奉斎の目的が間違って居たので御神体を破かれた例 御垂示(S26年10月8日)
「親戚に親子の仲の悪いところがあり、このお救いを話し、御神体奉斎し、その後御参拝に来ませんで、子供が御神体を破いたことがありました。三年ほど前でございます」
『親父は信仰に入っているんですか。』
「さようでございます」
『どういうわけで信仰に入ったんですか。』
「家庭が仲良くなかったので、それをなくするために勧めましたが、子供がいたずらした後、お迎えするようにお話しましたら、いただきたいと言うのですが、そのとき家が納まらなかったので、私のほうで奉斎しております。向うからくるのを待つべきでしょうか」
『無論です。最初から無理してお祀りしたんですからね。いま言ったように神様を仲直りの道具に使った。本人が信仰に入って、御神書を読んで立派な信仰だ。ぜひお祀りさせて下さい。というのなら良いが、本当に分からないうちに押しつけるようにして祀らせたのでは、神様に対して御無礼になる。ありがたい、ぜひ自分もそういう神様を拝みたいという切なる気持ちでお祀りしてこそ、はじめて神様は――人間と同じですよ――気持ちが良いです。人間だって、あの人にぜひ来ていただきたい、助けていただきたいという気持の所に行ったほうが良いでしょう。それを、その気持ちがないのに、押売り的に行っても、先が心から歓迎しないからね、心からでないと、光が強く出ない。お祀りして、人間が本当に敬まって崇(あが)めると、光が強くなる。だから、一家揃って、一番浄い所にお祀りすると、光が違う。それを、人間以下に――人間が上に住んでいたりしては、光が出ないんです。そういうわけなんです。』