「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

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宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は母が好きだったらしく、メモ帳に全文書き写してありました。

2014年
平成26年12月23日

この体験発表したころは元気になって、好きな演歌歌手のコンサートにも出かけるほどでした。

平成27年3月3日は初めての『メシヤ降誕本祝典記念大祭』でした。
私は前日の午後、妻に母を任せて箱根へ向かいました。
中強羅に素泊まりで予約した旅館に到着し駐車場から玄関へ向かいました。
私の少し前をご婦人が歩いています。
どうやらその御婦人も同じ旅館に泊まるようで旅館の玄関へスーッと入っていきました。
私も続くように玄関へ向かいます。次の瞬間、目から火花が・・・「バーン」と玄関横のガラスの仕切りに思いっきりぶつかりました。眼鏡の蔓が90度は曲がってしまうほどでした。
確かにご婦人が通られたので私も何の疑問もなく通れると思ったのです。
フロントにそのご婦人の姿はありませんでした。
翌日祭典が滞りなく終了し、後片付けも終えて三重に帰りました。
母は食事もできておりましたので、次の日は出社しました。
容態が変わったとの妻からの電話を受け早退して帰宅しましたが、
「何で帰ってきたんや。仕事あるんやろ。」と大丈夫なのです。
その日は入浴介護サービスを初めて使いました。
入浴中も実に気持ちよさそうです。
入浴後、体を吹いてもらい、衣服を着せてもらい終えたところで永遠の眠りにつきました。

私の御神業にも、仕事にも支障のないように精一杯気遣ってくれたのだと思います。
そして最後に一緒に参拝したかったのではないでしょうか?
霊となって一緒に箱根までついてきたのです。というより私を先導したのですね。
それを私に知らせたいがための旅館玄関での出来事だったのだと思います。