節分祭・立春祭を厳粛に執り行われたことと存じます。
2月10日は教祖祭です。教祖祭については次のメシヤ講座がわかりやすいのではないかと思います。

メシヤ講座・特選集八十五(平成二十年二月分)

 教祖祭に捧げる感謝の内容・1
 メシヤ様御降臨祭の折に、ご在世中のメシヤ様は神の座としていらっしゃると同時に“人間としてやるべきことは自分でやる”ことを貫き通され、その御姿がこの上なく魅力的なところだとお話いたしました。

 人間の身として生涯努力されていたメシヤ様の御姿を一つひとつ耳にするごとに、“素晴らしい御方だ”という思いが沸々と沸くと共に、この部分が判っていないと、崇高なご存在の方を信仰している自分だからこそ“生涯努力を積み重ねなければならない”という思いに到らず、実践も出来ない旨の話もいたしました。

 十二月二十三日にメシヤ様が御肉体を持って神界からご降臨くださり、神として私達に救いの力と方法を授けてくださいましたが、実は“人間として肉体を持って降りられた”ということが重要であり、身をもって見本を示されたのです。人間の肉体を持って来られたからには、“人間としてやるべきことは全てキチンとやる”という姿勢をご昇天のその時まで貫かれました。

 メシヤ様の余人と異なるところは、どのような境遇であろうとも、一旦ご自分がその使命を自覚したら、それをやり遂げてゆく、しかもどんなに大きくなっても(当時は信徒数30万人)、ご自身の身の周りのことはご自身で始末をされながら生活を送られました。そうしたご生涯を送られたのです。

 私達に指し示された内容は豊富です。

 神の座にありながらも御肉体を持って神界から降臨してくださり、私達に救いの力と方法を授けてくださいました。人としてご苦労を重ねられ、教祖として立たれるご準備をされました。そして、教祖となられた後も、冒頭述べたことを初めご苦労の連続でした。

 その苦難のご生涯を閉じられた日が「教祖祭」です。人としてのご苦労に感謝申し上げ、メシヤ様のご悲願達成に全力を注ぐ誓いを捧げたいものです。

教祖祭に捧げる感謝の内容・2

 また、メシヤ様はご昇天後の御光についての質問に対して、『霊界から出しますから同じ事です。反ってよく出ます。体があると邪魔になりますから』とお答えになっております。

 そのお言葉から、私達に更に強く御光を出してくださるようになった日でもあります。浄霊を取り次がせていただく身としては『この日を期して御光が強くなる』という意義付けを以て、更に高い次元から信仰的に感謝させていただく日でもあります。

 また、人としての有り様を身を以って示され、そして、地上天国建設の全ての準備を済まされて神界に戻られた日でもあります。準備を済まされたということは、後人に全てを託されたということです。私達は託されたご悲願を達成させていただきたい、と願っております。

 そのためには、より強い御光と御力、叡智を賜りたいことを望みますが、そのためにはメシヤ様のご神格を明確に認識し、太く繋がる想念を確立しなくてはなりません。それが、普段に『メシヤ様』とお呼び申し上げることです。

 メシヤ様は『困ったときは私の名前を呼びなさい』と、仰っております。スッとお呼び申し上げれば良い訳です。そうすれば絶大なる御力を賜ります。

 先程も触れましたが、口ではただただ奉るけれども、中身のない論争が続けられております。メシヤ様は結果第一主義です。どのようにさせていただければ、絶大なる御力をいただけるのか、それさえ考えれば判ることなのです。

ご尊影を御神体としない理由

 そして、このことは重大な意味を有しています。それは、『体があると邪魔になりますから』というお言葉から、ご尊影を御神体にはしないということに繋がるのです。

 『景仰』には、『わしはまだ人間だなあ』という項があります。引用いたしますと、【私が部屋へはいって行くと、岡田さんはドテラを着て、ふところ手して、部屋の中を歩いていられるのです。と突然、立ち止まって、『ふところ手を出したら、どういうことが起こるか』と岡田さんが言います。で、私は、「そんなことはわかりませんが、手を出せば人間の形になります」と言いました。すると岡田さんは、『わしはまだ人間だなあ』と言いました(会社重役 松方鉄雄氏)】

 「『景仰』を如何様に拝読するか」のコーナーでは編集のあり方に苦言を呈してきましたが、このように貴重な資料もあります。この文面から、メシヤ様は人間の形にこだわっておられます。このことから、ご尊影は人間の形であるために御神体としてはそのご存在を限定してしまうのです。

 こうした論調を展開すると、メシヤ様の絶対性を否定すると騒ぎ立てる輩が出そうですが、神界にご復帰されたご存在に向かうあり方を求めているのです。そうして、こうした求道の証として日々鮮やかな奇蹟をいただいているのです。