新型肺炎SARS が蔓延したころのメシヤ講座を確認してみましょう。
「宗教活動は‘あらゆるものの判釈(はんじゃく)を示していく取り組み」とご教導賜っています。
日常生活において常に御教えに求めて意義付けするように心がけたいものです。
そのための指針となるのがメシヤ講座であると思います。
御教えであれ、メシヤ講座であれ、判釈(はんじゃく)を示していく取り組みをしなければ宝を持っているだけです。役に立てましょう。
しかし難しいのが「御教えで人を裁いてはいけない。」ということかと思います。
善悪を司っておられる神様に、本日の節分祭でお詫びをさせていただき、お許しを請い願い奉ります。

メシヤ講座・特選集no.29(平成15年6月分)より

神様に真向かう自分はどうあるべきか

 顕現神の神格と御神体
地上天国祭おめでとうございます。意義深い御祭りを皆様と共に執り行わせていただき、心から感謝申し上げます。
本日は初めに、先月行なわれました『御神体御奉斎・4周年記念式典』においてお話した内容と重複しますが、御神体についてお話いたします。
私が独自に宗教活動を始める数年前から、御神体についての御内流があるようになりました。それは一文字でしたが、明確な字形ではありませんでした。そのため私はメシヤの教えを紐解き、御神体について思索いたしました。
『御神格が上がると、御神体は抽象化していく』という教えがあります。宗教を創唱する折りに働きかける神様を‘顕現神’と尊称いたします。そして顕現神に真向かうために設(しつら)える神籬(ひもろぎ)を御神体と尊称いたします。
その御神体は、まず誰にでも解りやすい‘像’から始まり、文字となり、神名が解らない抽象的な表現となる、ということです。ですから、偶像崇拝を嫌うという宗団は、理が通っているところがあります。また、‘天岩戸隠れ’に関わる‘天津金木’は、深い神秘が隠されていますが、万教帰一時に明らかにされます。
その頃、参拝するたびに文字が浮かび上がりましたが、私は新たに教団を立教することなど念頭にありませんでしたので、不可思議でたまりませんでした。人に漏らす訳にもいきませんでしたので、御内流と教えを照らし合わせて沈思黙考を続けるといった状態でした。
ところが、皆さんご承知のような事が起こりまして、立教せざるを得ない状況になりました。そして平成11年の2月、立春の時にその文字が明確になったのです。起こってくる事態と文字の明確化が一致しました。私は恐(かしこ)みました。
何故私が?と考えても仕方のないことではありますが、色弱が治癒した中学2年生の時から本格的に教えを求め始め、当時の教団に疑問を持ち、それは平成11年まで続きまして、文字が明確になった瞬間に疑問が氷解したのです。その中身は『信仰読本』に記述してありますので、再読してみてください。
特に、改めてご認識いただきたいところは、古神道及び大本神諭の流れを汲む霊言に登場する『時代の転換期に鍵となる文字』が御神体であるという一点です。非常に意義深いわけです。
その御神体に真向かう者は、何を祈り、何を規範として生活していくのか、ということを今年の後半に縷々説明していく所存です。すでにその一端を「学生の皆さんへ」というお話の中で開始していますが、少しずつステップ・アップしていくつもりです。いるということです。世界を震撼させた新型肺炎SARSの問題にしても、私達に課題提起をしているところがあります。これについては、「動物由来感染症」の問題が取り沙汰されています。
あまり知らされてはいませんが、人獣共通感染症は世界で200種以上、日本でも60種以上あると言われています。細菌やウイルス、寄生虫ともなると恐ろしい数になるようです。ですから、ペットを不用意になめたり、口移しでエサを与えたりすると危険な事態を招く場合があるので、注意が必要です。SARSは、それ以上のことをしてしまったところで起こっている問題です。そして、エイズ・ウイルスはもっとひどいことが在ったために、人間世界へ入ってしまいました。
人間の尊厳性を失い、他の動物と同化していく現象のようで、恐怖さえ感じます。人間の勘違いが端を発した問題です。勘違いと言えば、文学の世界でもあります。「桃太郎」という物語は真意を理解できずに後世で改竄され、それは日本人が本質的なことを語り継がなくなった事と深く関わっています。ですから、霊を浄めていく、霊性を高める、という課題は多くの要素を含んでいる訳です。

判釈・「最後の審判」の型は、精神病と血液病の蔓延
その要素を的確に取り次いでいくのが、宗教の役割です。宗教活動は‘あらゆるものの判釈(はんじゃく)を示していく取り組み’と言われています。メシヤ教の場合、他の宗教と際立って異なるところは病気に対する判釈を持っているということです。
中でも薬禍・薬害の警鐘を鳴らし、広く世論を喚起したことは特筆すべきことです。そして、メシヤの教えによれば「最後の審判」の型は精神病と血液病の蔓延で現れる、とされています。
近年起こる犯罪を検証すれば、精神異常の度合いがかなり進んでいることが窺えます。血液病は、エイズに象徴されます。警告通りに推移していることに驚愕します。宗教の果たす役割は、非常に重大になっております。

意義付けを得なければ、生甲斐は生まれない
判釈は教えとして出てまいりますが、神の御意図、救済活動のあり方を明らかにして、今日ただ今の人生に対して意義付けをします。意義付けができなければ、真の意味での生甲斐は生まれません。喜びある人生にはなりません。
また、意義付けを求めることを積み重ねなければ、人生の不思議さや人生の美しさ、人生の素晴らしさを味わうことはできません。
メシヤ講座・特選集の4月分から体験記の紹介を始めましたが、そうした点を学んでいただきたいためです。特に解説は加えておきませんでした。それは、まずは自由な感想を持っていただきたい、と考えたからです。判釈である教えと照らし合わせて考えてみてください。解説的なことは、次回から順次お話して行きます。
今日の日を‘神様に真向かう自分はどうあるべきか’を考える機会としていただき、浄霊力を強化する意識を持つ日としていただきたい、と願っております。また、いつも精神が汚染され、魂を曇らされている、ということを警戒しつつ、霊性の向上を目指して生活を送っていただくことを願っております。
メシヤの教えに貫かれている精神を現代に求めて、生甲斐ある人生を歩みたいものです。(要旨)