国常立尊様に関する御教えを節分祭・立春祭の前に拝読しておきたいと思います。

立春の御教え


【御教え】 悪と守護霊 『文明の創造』昭和27年
 そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在まで暗躍を続けつつあるが、正神界の方でもこれに対立し戦っているのである。その神としてはキリスト、釈迦、マホメット、国常立尊の系統の神である。
 以上のごとく主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、その結果ついに邪神の方が九分九厘まで勝ったのが現在であって、ここに主神はいよいよ一厘の力を顕現され、彼らの大計画を一挙に転覆させ給う、これが九分九厘と一厘の闘いであって、今やその一歩手前にまで来たのである。従ってこの真相を把握されたとしたら、何人といえども飜然と目覚めない訳にはゆかないであろう。

【御教え】 広吉の霊  『霊界叢談』昭和24年8月25日
M「先生御覧になりましたか」私は、
「何をですか、別に何にも見えませんでした」と言うと、夫人、
「初め先生が祝詞をお奏げになると後の方からゴーッと物凄い音がしたかと思うと、いきなり私の脇へお座りになった方がある。見ると非常に大きく座っておられて頭が鴨居まで届き、お顔ははっきりしませんでしたが、黒髪を後へ垂らし、鉢巻をなされており御召物は木の葉を細く編んだもので、それが五色の色にキラキラ光りとても美しく見えたのです。間もなく私に御憑りになったかと思うと、何にも分らなくなりました」
との事で私はこれは本当の神様に違いないと思い、その後査べた所、国常立尊という神様である事が判った。その事があってから二、三日後、M夫人はまた訪ねて来た。

【御教え】 地上天国57号、昭和29年2月25日
私も以前は神との交霊的方法によって御蔭を得た時代もあったが、これは重大な事柄に限ったのである。その場合色々面白い事があった。例えば心配事がある時など伺いを立てると、神様は何事も言われず、ただ呵々(かか)大笑されるのみで、私はハハア心配するなとの事と解したのである。ところが日の経つに従い果してその通りであったので、今度は私の方も呵々大笑したので、こんな事も度々あった。そうして私が大本教信者であった頃は、国常立尊(くにとこたちのみこと)という神様が時折お憑りになったが、その神様は崇高な威厳と厳しい霊感のあった事は今でも覚えている。しかし一番憑られたのは何といっても観音様で、絶え間なしというくらいであった。もちろんその時の気持は、何ともいえない和(なごや)かさで、大慈大悲の御心が溢れていたのである。

【御教え】御講話 昭和25年8月1日
 二五年二月五日救世教を創立、三月で散花結実した。
 今度は世界的に大きく来た。形がはっきり出た。神様はいろいろな型でみせられる。神秘である。
 花の王は梅で、花の兄である。「三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結ぶ」とお筆先にある。大本は重要な役目をもって出た。
 国常立尊はメシヤであられ、閻魔大王であられる。「神は此世の閻魔と現はれるぞよ」ともある。
 教祖は稚姫君尊である。梅の花は五弁、五月八日暁の大捕物で、私の仕事の一番重要なる所五カ所を襲った。


【御教え】御講話(S26年9月11日)
今度神様は本格的に開かれ始めたんですね。いつも言う通り、東と北が霊ですからね。それで、そこから南と西に向かって行けば必ず成功すると、いつも言ってますが、そう言う意味です。そこで私は東から西に来たんです。これもいつか書いてある。日本の東は東京で、東京の東が浅草で、浅草の東が橋場と言う所です。そこで私は生まれて、それから段々西に来たんです。そして、西に来るに従って私の仕事が大きくなったんですね。社会的にも知られるようになった。そこで、メシヤ教が本当に開くにも、東北の端からが本当なんです。それで、神様が腕を振るわれると言いますか、それが国常立尊と言う神様で、これは丑寅(うしとら)の金神で、その神様がこれから腕を振るわれる。そうすると、やっぱり、丑寅の一番端からと言う事になる。それから段々西の方へ西の方へと行く。講演行脚もするし――そういう順序で開いていく。それが本当の開き方です。今までは基礎的のものですね。

【御教え】御講話 昭和26年9月21日
 これでまだいろいろおもしろいことがあるが、ちょっと書けないことがそうとうあるのですから、そういうのは話をするかしようと思っているが、ここに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供で五人としてあるがもう一人ある。もう一人というのは伊弉諾尊と言う神様は国常立尊(くにとこたちのみこと)になるんですね。息子に国武彦尊(くにたけひこのみこと)と言うのがありそれが一番長男になる。当時大将軍と言い勇猛でかなり勝手なことをやっていたその罪によって、言わば地獄に行かれたようなことになる。一番末が初稚姫尊(はつわかひめのみこと)と言い、これが天理教祖の中山みきとなる。そういうようにいくども生まれ変わっている。大将軍の妹になる。そこで霊界で地獄と言ってもふつうの人間と違います。修行するんです。修行した結果、大いに世の中のためになろうと言うので天理教祖の中山みきに憑った。それで中山みきに最初憑ったのは夫の大将軍が憑ったんです。そういう因縁なんです。そこで最初のうちは力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気が治った。それで最初は病気治しで世の中に出たんです。それからもう一つ日本民族の霊的考察の中にありますが、そこにもっていってそれを出雲系……素盞嗚尊(すさのをのみこと)が利用した。利用して、そうして、盤古神皇(ばんこしんわう)に取って代わろうとしたわけです。それが徳川家康の系統なんです。
それは霊的考察にざっと書いてありますが、そういう意味です。


それで日 本は龍の形なのです。それで東京湾が女の陰部になり、富士山は臍(へそ)になって、伊豆半島が男の道具になるのです。そういうふうになるので、どうしても 東京から生まれるのが本当なのです。つまり東京が子宮になるわけです。ですから今読んだ、橋場という所で私が生まれたのはそういうわけです。そうして日本 の地勢を研究してみると、なかなかおもしろいのです。ちょうど九州を呑んでいる形なのです。それで瀬戸内海は口になるわけです。それで鼻が出雲になる。出 雲は素盞嗚尊が朝鮮から渡ってきて、あそこで日本を統治したのです。そこで人間でも鼻は素盞嗚尊になるのです。それで目は、左が天照大御神、右が月読尊 (つくよみのみこと)、日月になります。それで鼻というのは、始めるとか、とんがった先のこと、岬などを“ハナ”と言いますが、そういうようなもので、こ れが舟の舳にもなるのです。それで私は箱根の神山荘に最初行った時に、洋間が舟の形になって、応接間が舟の舳になるのです。それであれが鼻になるのです。 神様はうまくこしらえてあるなと思ったのです。ですからここ(咲見町仮本部)もそうなってます。こうなって舟の形です。そこ(ヴェランダ)が鼻になるので す。そこで大本教の綾部という所は目になるわけです。ですからあれは非常に重大な所で、今にあそこに経綸が始まりますが、神秘ですからまだ言うわけにはい きません。そういうわけで九州を呑もうとしている形です。それで九州というのは大事な所でして、あれが一つの地球の型のようになっているのです。日本では 九州、支那では満州ですが、これは非常に神秘があるのです。これはだんだん分かってきますが、そうして太平洋は腹になっているわけです。日本海の方は背中 なのです。それから越後あたりが腰になる。それであれは「コシの国」と言うのです。それでどういうわけで龍の形になったかというと、これは大本教のお筆先 にありますが“国常立尊(くにとこたちのみこと)が龍神になって働いた時が、日本と同じ龍の形”ということがありますが、これはそれには違いありません。 そうして尾が北海道から樺太の方に繋がっているのです。

【御教え】御講話(S27年11月7日)
これは国常立尊という神様が大地を造る時に龍神に なって造られたその形なのです。それが日本の形になっている。で、瀬戸内海は口を開いている所です。それで山陰山陽が上の方になって、四国が顎になるわけ です。それで九州を呑み込んでいる形なのです。九州というのは世界の型なのです。北海道から千島の方が尾になって、日本海が背中になって大平洋が腹になっ ている。これからそういう神秘がいろいろありますから分かってきます。ちょうど出雲が鼻になるのです。それで素盞嗚尊が朝鮮から出雲に渡来して、あそこで 日本を統治されたということは、あそこが鼻になるのです。それで鼻が素盞嗚尊になるのです。ですからいろいろなことにそういうことが現われてきます。始め ということを「ハナ」とよく言います。それから越後の方は「コシの国」で腰というわけです。そこで越後の新発田は肛門になるのです。それであそこは後ろで すが、前の方は東京になる。そうすると女ばかりですが、やはり男と女と両方になる。将来は伊都能売になる。それで伊豆半島が男の道具になる。そんなわけで いろんな神秘はなかなかおもしろいのです。で、日本はつまり霊的の根本になるわけです。ですから富士山なんかは日本の臍ばかりでなく世界の臍になるので す。富士山がちょうど地軸の大黒柱みたいな中心なのです。ですからあれはただ形の良いというばかりでなく、そういったような重大な意味があるのです。です から世界中の今までの文化は西でできた文化ですが、それが日本に来た。それはめちゃくちゃにできたものですが、それを日本ですっかり整理して本当の良いも のにして、それをまた西の方に、さっき「濁水が押し寄せて来たのをきれいにして押し返す」ということがありましたが、そういう意味です。そうしていろんな 悪の目的に作ったものを、今度はすっかり清いものにして世界中に押し戻すわけです。それがメシヤ教の仕事なのです。とてつもない大きなものです。


【御教え】御講話(S28年3月7日)
大阪に算盤占いというのがありましたが、そこに行って占うと、“出口直さん、あなたに懸っている神様は本当の神様ではなく、悪魔だから気をつけなければならない”と言うので、教祖さんはびっくりしたのです。たいへんな神様だと思っていたが、悪魔だということなので、帰ってから神 様に伺ったのです。そうすると、その神様は国常立尊ですが、“直や、一週間たったらもう一度占ってもらえ”と言うので、一週間たってから行ってみるといないので、聞いてみると“死んだ”というのです。それは、たいへんに立派な神様を悪魔と言うのですから、これは許せないのです。今言う“救世教は泥坊みたいなことをして金を取っている”と言ったそれ以上のものでしょう。それでこの国常立尊という神様は実に厳格で、悪いことは絶対に許さないという神様ですが、 そういうようなことがありました。まだいろいろなことがありますが、時間がないからこれだけにしておきます。

【御教え】立春祭御講話(S29年2月4日)
節分というものは“福は内、鬼は外”で、鬼の災いを避けるという、昔からの行事があるのです。そのためにほうぼうの神社仏閣で豆まきをやるのです。ところでこ れは、前にも話したことがありますが、あべこべなのです。鬼というのは偉い神様なのです。艮の金神国常立尊という神様です。今日の御讃歌にも「常立の神」 というのがありましたが、国常立尊のことを略して常立の神と詠んだのです。それからもう一つ「艮の神」ということも入れてありました。そういうようで、つまり事の起り始めは、これは神代となってますが、神代ではないのです。そう古いことでもないのです。もっとも三千年ということになってますから、三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。ところが非常に厳格な神様で、間違ったことは許さないとい うために――大本教のお筆先などを見ると分かりますが――つまりあまり厳しいので八百万の神様がとてもやりきれないというので、こういうやかましい神様は 押し込めなければ楽はできないというわけで、押し込められたわけです。押し込めた方の神様は天若彦(あめにわかひこ)神というのです。これはよく天邪鬼 (あまのじゃく)と言いますが、天若彦というそれを後世天邪鬼と言って、つまり素直でない、なんでも横車を押すという性格の神様です。それで国常立尊という神様を、艮(東北)に押し込めたのです。そこでそれを鬼門と言って忌み嫌ったのです。もっとも忌み嫌うわけです。人間の方が間違ったことをすれば、そういうやかましい神様を嫌うわけですから、どうしてもそうなるわけです。そうして鬼門除けと言って、いろんなことをやったのです。そういうわけで、三千年押し込められたとしてあります。


【御教え】霊界の審判 天国の福音 昭和22年2月5日
まず八衢行きの霊から説明するが、死後八衢へ行くや三途(さんず)の川を渡るのである。その際奪衣婆(だつえば)なる役人が着衣を調べる。白装束 ならよいが、普通の着衣は白衣と替えさせる。その際橋を渡るという説と、橋がなく水面を渡るという説がある。ただし後者は川に水がなく龍体が無数に川中に うねっていて、それが水のごとく見えるというのである。そうして橋を渡り終るや白衣は種々の色に染まる。すなわち罪穢の最も多いものは黒色で、次が青色、 紅色、黄色という順序で、罪穢の最も少ないものは白色という事になっている。これらの色によって、罪穢の多少が表示さるる訳である。それから仏説にある閻魔の庁すなわち審判廷に行きそこで審判を受けるが、そこは娑婆と異なり厳正公平でいささかの依怙(えこ)もなく誤審もない。その際閻魔大王の御顔は見る人 によって異なるそうで、悪人が見ると御眼は爛々として口は耳元まで裂け、舌端火を吐き、一見慄然とするそうである。しかるに善人が拝する時、お顔は優しく 柔和にして威厳備わり、親しみと尊敬の念がおのずから湧くという事である。もちろん一人一人浄玻璃(じょうはり)の鏡に照らし、その罪を判定する。また閻 魔の帳面の記録によって、大体の下調べを行なうのである。現世における裁判官は霊界では冥官(みょうかん)であり、その監督は神道における祓戸(はらい ど)の神が行なうといわれている。閻魔大王は神道における国常立尊(くにとこたちのみこと)という神様という事になっている。審判によって判決を与えら れ、それぞれの天国または地獄へ行くのである故に六道の辻とは、その名のごとく、極楽行きも地獄行きも上中下の三段二道で、その辻になっているからであ る。そうして、地獄行きと決まった霊は一時八衢において修行をさせ霊の向上を計るが、それによって改過遷善(かいかせんぜん)の者は地獄行きとならず、極 楽行きにふりかえられるのである。その際の教導者は、現界におけると同様、各宗教の教誨師(きょうかいし)が死後そういう役を命ぜられるのである。八衢においての修行年限は大体三十年となっており、それまでに改心出来ないものは全くの地獄へ墜つるのである。また霊体の罪穢に対し、その遺族が誠心誠意ねんごろなる法要を営むとか人を助け慈悲を施し善徳を積む事によって、それだけ霊の浄化は促進さるるのである。この理によって親に孝を竭(つ)くし、夫に貞節を 捧げる等は、現世よりもむしろ死後におけるほうがより大きな意味となるので、慰霊祭などは霊は非常に喜ぶのである。

【御教え】六韜三略の巻 栄光119号、昭和26年8月29日
ところがこれには深い意味があったのだ、それは元々鬼一法眼には深い思慮があった事とて、虎蔵の行動を知りながら見て見ぬ振りして、ワザと盗み出さしたのであった、というのは法眼の腹の中は、どこまでも源家再興にあったからである、という訳でこの法眼の深い心持を、団十郎の腹芸的所作(しょさ)でやったのだから、何ともいえない深みのある至芸で今なお私の頭に残っている、劇の内容はそれだけであるが、これを宗教的にみると、仲々神秘が潜んでいるので、それを今かいてみるが、私がいつもいう通り、義経は観音様の化身であったのである、以前私のかいた中に、艮の金神、国常立尊という神様が神代の時御隠退せられ、霊界においては閻魔大王となり、現界においては観世音菩薩と化現され、慈悲を垂れ給い、一切衆生を救われたのである、そういう訳で牛若丸の虎蔵とはすなわち艮で金神様の御名を秘されたものである、そうして鬼一法眼は伊邪那岐尊の御役をされたのである、鬼は岐であり、一は神の意味であるからである、これについて以前私は義経に生まれ変ったのだと話した事があるが右の意味にも表われているであろう、従って今日といえども伊邪那岐尊様から随分色々な事に御援けを蒙っているのでこれについての面白い話もあるが、いずれ機を見てかく事とする。

【御教え】御光話(S23年2月28日)
伊都能売大神は天照大神のころかそれ以前の神様です。素盞嗚尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。で素盞嗚尊の代わりになったのは乙姫だ。観音とは、乙姫――音姫を観ていることを意味する。そしていずれは日本に帰り、素盞嗚尊の実権を取り返そうとする時期を待っておられた。千手観音がそれです。いままでは乙姫が財宝を握っていた。神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。乙姫は物質に執着して龍になり、丹後の竜宮海という海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみにあい、ついには国常立尊にお詫びするようになる。国常立尊とは以前世界の実権を持っておられたが、節分の夜鬼門のほうに押し込められ艮金神となられた神様です。国常立尊が伊都能売大神になる。国常立尊は霊界で閻魔大王になり、裁きの役をやるが、それが苛(きび)しくてかわいそうだということから半分は閻魔大王に半分は観音になる。神は厳格だが仏というのは慈悲だから、伊都能売大神は、仏界で観音様になったんだ。すなわち善悪無差別の慈悲である。本地垂迹説もいままでのは間違いで、日本へ再び帰って来られて衆生を救うことの意味である。神様は霊的に分裂する。精神分裂ではないがね。フロイトのは霊憑りを説明したもので「ジキル博士とハイド」などはそれで説明される。
 伊都能売大神は龍神になり霊は富士山頂に(兄花咲耶姫の守護神久須志神社)、体は琵琶湖で時期を待っておられる。龍神というのは力が強いんです。で、大神も悪魔の邪魔に対抗するため龍神となられたんです。伊都能売大神のお働きは、イヅ――火、ミズ――水です。ミイヅというでしょう、これは逆なんです。火と水で光になる。夜の間は本当の火がない。月の光ですね。太陽は月の六十倍の光を持つというが、いままで観音様をお祀りしても少ししか御利益がなかったのはそのためです。イヅ、ミズが五、三、それでも足らずさらに土の力が加わってそれが日月地の御力になる。いままではニロク――二力だった。夜の間は三界(天界、中界、地界)はほとんど水だった。六、六、六だったが、今度は五六七になり、天の六が地に降り土の力が加わる。金剛不壊(ふえ)の力だ。絶対力になる。いかなることでも自由になる。神道でいうマニの玉とは完全な玉のことですネ。これから先は神秘になるからまた時期に応じて説く。
 私がこれを始めたのが昭和三年で、それから六年して昭和九年まで治療し、さらに六年の昭和十五年まで上野毛でやり、さらに六年、二十一年までが基礎工事なのです。私の修行は終わった。去年からミロクの時代になった。霊界から日月地大神の御力が私の身体を通して人に働くんです。これから三年は現界の基礎工事、それが終わってから世界的になるんです。光に「丶」の御守りは天から地に降ったことです。祝詞にあるでしょう、光明如来(火と水)が応身日月地に現ずると。これは相手に合うように働く、大きく言えば世の中に合うようにする。いばっていては駄目です。その社会に合うようにやらねば駄目です。そうでないと爾光尊みたいに気狂い扱いされる。日月地にも三段あり、現界に対してはやはり光明如来で、日月地、光明如来、観音の三段になる。徹底して説明せねばならぬがいまはまだ時期ではない。

【御教え】御光話(S23年3月28日)
――光明如来と日月地大神の相違について御教え願いたいのですが。

 結局同じもんですがね。つまり最高の地位になられた場合「日月地」です。「日月地」は大神で神の位です。これで五六七となってお働きが完全になる。光明如来のほうは火と水です。観音様は火水土ですが、土が少しなんです。なぜ土が少ないかと言うと、これは私が出てから加わったからです。観音様は慈悲のお働きで善悪無差別、一切衆生すべてを救うお働きであって、あいつは悪いとか、こいつはどうとかいうのは観音様ではない。観音様の御本体は国常立尊で、北海道の芦別山におしこめられてから霊界で閻魔大王となり審判のお働きをされる。従ってすこぶる苛(きび)しいんです。ところがそれだけでは人間がやりきれぬから慈悲の神として現われたのが観音様であり、神や如来の地位では高すぎて衆生済度ができないから菩薩の位に下がられたんです。それが一段上ったのが光明如来です。いままでは観音様を拝んでも御利益はあったが弱かったんです。壷坂の沢市の話のように御利益はあったんです。そこへ土が加わると力が強くなる。土とは人体です。それが光明如来になると火と水――光が強くなる。今度離して御浄めするようになったのは、光明如来のお働きで、くっつけてしていたのは観音様のお働きです。そして土の力が完全に強くなられたのが「日月地」です。
 私は昭和三年から六年間菩薩、九年から十五年まで如来、十六年から二十一年まで「日月地」の働きをしていたのです。これは霊界であって現界は去年から「日月地」になった。一昨年までは私も治療したが、去年からできなくなった。それは位が高くなって大衆と離れたためなんです。
 この道に入った人が、よくわからずに霊界へ行っても救われる。野々山さん、この前あんたが話してましたね。霊界のほうがさかんなのです。しかしすぐ救われる人と、そうでない人とある。霊界の団体の霊でもこの話を聞いてすぐ承知するのとしないのとある。浄めを受けながら死んだ人は早いですね。



【御教え】御光話(S23年5月8日)
――天照皇大神、伊都能売大神、国常立尊の御関係について……

 天照皇大神と伊都能売大神は関係あるが、国常立尊のほうは古いことです。だから関係はないですね。岩戸隠れはつまり素盞嗚尊と争いになってね、天照皇大神がお逃げになったんです。それが岩戸隠れで、信州水上山のことであってそこで一生を終わられたらしいですね。それから戸隠にも行かれたらしく、ここから「岩戸」という言葉が出たんでしょう。後、天照皇大神を慕ってほうぼうへお祀りした。いま判っているのは丹波の元伊勢、丹波の綾部、丹後のマナイ神社その他、宇治山田などです。


――夜の世界とは……

 天照皇大神の岩戸隠れ以後の時代を言うんです。伝説によれば国常立尊は非常に厳格な神様で、そのためその支配にやり切れず八百万の神々が一致して御引退を願った。結局世論に抗しかねて御引退になったということになってますがね。この点は大本教祖の「出口なお」に国常立尊がお憑りになっていろいろ物語られた、それを基にして私はお話するんです。艮に引退せられ北海道の芦別山に押し込められた。これは本当でしょう。これが節分の日で、一般の者はそれから豆を煎ってこれをぶつけるようになったんです。神々はこの煎豆に花が咲いたら出てきてもいいということを言って節分の行事をしたんです。そのとき国常立尊は綾部にもおられたんです。そのためか綾部地方は、鬼は内、福は外と逆に言うんです。ですからこれは事実と思えるんですね。国常立尊は霊界で閻魔大王になられた。これは非常に苛(きび)しい善悪審判の役目ですね。しかし厳格一方のやり方ではかわいそうなので、尊は現界で観音様になられた。これは私の解釈です。だから観音様は善悪無差別で慈悲をもって救われるんです。絶対の慈悲ですね。そういうわけと思って大差ない。天照皇大神と観音様とはぜんぜん違う。天照皇大神は太陽を表現しているんです。天に日月星辰があって地にこれが写っているんです。正月の「鏡餅」というのは天が地に写ることを意味してるんです。だからまた日月星辰が人間に写り、昔から偉い人を星というんです。天に木火土金水の星があるから人間にも五人の偉い人がきっとある。天照皇大神は太陽神で、仏界では大日如来です。仏とは全部神様が化けたもんですから。ここにいろいろと神秘があります。国常立尊は神の中の頭梁で引退と同時に家来の神々も引退した。そのあとは邪神が支配することになり、天若彦命がその総大将です。天のじゃくとはこれで、天の邪鬼のことですね。人類が邪神に苦しめられるから、いっぽうでその害を防ぐため、国常立尊や正神界の神々――正神の中には邪神のほうについた神もある――が、出られる時になったんです。仏に化けられたのはみんな偉い神々です。が後には仏の中にも邪神についたり負けてしまったのもたくさんありますがね。艮の金神の妻神豊雲野尊(とよくもぬのみこと)は「未申(ひつじさる)の金神」です。古い時代には世界的にいろいろな御経綸があったんです。日本、朝鮮――昔は陸続きだった――支那などそうとう交通がさかんだった。国常立尊は生まれ変わっていろいろ仕事をされたと言われるがこれは事実らしいです。陸続きだったことは日本にも象の骨が出たことで判る。象があっちからやって来たに違いない。そして正神が仏になった時、一部の神は仏にならずに龍神になり、日本の近海で時を待つことになった。これが八大龍王で釈迦に封ぜられたのです。九州の海峡、明石、越後と佐渡の間、東京湾の海底で時を待っていた。その他、十和田湖にもいました。十和田湖の龍神が天に昇った時は地震、暴風雨が起り、水が渦巻き、やがて金龍が昇天して行った。これを二、三十人の人が見たそうで、私はその一人から聞いたんです。八大龍王はみんな人間になって働いているんです。勿論本人には判ってませんがね。まだおもしろい話もありますがそのうちだんだんに話しましょう。

【御教え】御光話(S23年6月18日)
――日月地大神のお働きは国常立尊と観世音菩薩との御一体のお働きでしょうか。

 国常立尊も観音様も日月地の御世出現を助けておられるのです。が、これをはっきりと説くことは時機が早い。


【御教え】光話(S23年9月28日)

――幽界は大国主命、現界は国常立尊が主宰されている由ですが、神界はどなたが主宰されておいででしょうか。

 国常立尊は主宰はされてない。尊が大浄化されているのですが、その先はまだ言えません。幽界は大国主命です。神界の主宰神はこれから定まるのです。


――主神とはこれをくるめたものでしょうか。

 ええそう、天御中主大神です。これは変わらない。が、個性を持つ神の主宰はまだできてないのです。だから宗教でもいままで世界を支配したのはない。

【御教え】御光話録17号、昭和25年2月28日
――幽世大神は神幽現の三界の中、幽界の主宰神であらせられるのでしょうか。また、幽界とは中有界と地獄界とを指すのでしょうか。

 この幽という字は両方に使えるんで、幽冥界ともいうし、幽庁っていえば閻魔の庁で地獄だしね。私はほかにいい字がないんで、幽玄界っていうふうにいいほうに使ってますがね。つまり、幽玄微妙っていうようなことで、霊界の感じを実によく表わしている字なんですね。だから、幽界は地獄界のほうに多く使われますが、地獄界ばかりでもないんですね。
 それから、幽世大神って方は幽界を直接支配されるんで、従って現界のほうは間接的ですね。そして閻魔大王が幽世大神様だったんです。閥魔大王の御本体は国常立尊なんですがね。ところが、国常立尊は現界のほうの仕事をされるようになったので、……これは最近のことですがね、……そのあとに大国主命が後釜になっておられるんです。で、大国主命って神様はごくおとなしい神様で、まあ神様の二級どころですが、国常立尊は一級の神様で、すばらしい御力を持っておられるんです。それで、いまでもまったく交替されたわけじゃなくて、やはり国常立尊が一部を司っておられるんです。五六七の御世になれば大国主命でたくさんですがね、いまはまだ兇党界の邪霊が働いてますからね、これには国常立尊でなくちゃいけないんです。兇党界の親玉でも国常立尊にはかなわないんで、国常立尊を非常に怖れるんですよ。