メシヤの御手に帰一され  再掲

メシヤ講座より

●「善言讃詞」は前の所属教団でもメシヤ様が最後に御手をお入れになったところまで戻すという作業をしたのですが、どういう訳か『仁愛の御手に帰一され』というところだけが抜けてしまっていたのです。それでは三派の統一とか万教帰一という言霊(ことたま)が響いてゆかないので、これを入れて、そして一部読み方の違うところがあるので、これも改正して「祈りの栞」の作成をさせていただきました。
 また、「祈りの栞」を作成したので、メシヤ教の基本理念をまとめた「祈りの栞に寄せて」という本を上梓するという作業を進めて、それがその年の6月15日に仕上がりました。

参加者
私のかつて所属していた団体では、善言讃詞も少し違ってます。これは、会長が変えたのか、あるいは、御昇天までに変わったのかどうか不明ですが、「光明如来と現じ、○○○明主とならせ 応身弥勒と化し」となって、「仁愛の御手に帰一され」がありません。
代表先生
「仁愛の御手に帰一され」は御昇天後に外したみたいですね。そうしないと、メシヤ様の仁と愛をもって帰一され、だから、○○○は入れられた筈なんですけどね。それを外しているので、帰一できないのが現実じゃないのかなと思いますね。

メシヤ様が『應神彌勒と化し』の後に『救世主(メシヤ)とならせ』という文言を加筆されまして、最終的な善言讚詞をおつくりになられましたけども、最後の『仁愛』と書いて『仁愛(みろく)の御手に帰一され』というのはそのままでした。メシヤ様がご在世中、ご西下された時には、各地方の神々もメシヤ様にご面会に訪れましたが、その時に大光明如来様も頻繁にお出ましになっておられます。それで、こうした場合、『大光明如来』と書いて『みろくおおみかみ』さまというように唱えていましたので、そこへ帰一するということは、これはなかなか難しいことであろうと考えていたところです。
つまり、『メシヤの御手に帰一され』というようにならなければ、別れた教団が一つになることはおろか、世界の宗教が一つになる、いわゆる『万教帰一』するということはあり得ないとズーッと考えていました。それを皆様方に発表して、お唱えを変えていただく時期を、いつにしたら良いのかということを支部責任者の方々とも相談しつつ、ズーッと悩んでいた訳であります。
教団が三派に別れているのが一つになって、そして新たな気持ちで世界救世(メシヤ)教を復興しつつ、メシヤ様が進めようとされた『本来の御神業』を進める時期に、発表して行くのが相応しいだろうと考えておりましたが、英文サイトを開設する時に様々な海外の方々とのやり取りがありまして、そして『アメリカを救う』という御論文は約60年前に出された内容なのですが、それが、現代に至っては『アメリカを救う』そのアメリカの中身が大幅に変わって行ってしまっております。そのようなことを見せつけられるような情報がかなり入ってきました。それで時期が迫ったことを感得させていただいたのです。

24-12
◎『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』と奏上し、本来の御神業を推進する
(質問者)
『メシヤの御手に帰一され』に変わったことについてわからなかったので、もう少し詳しく説明していただけますか。
(先生)
○〇教団の時に、御神体が変わりました。その時に〝祈りの栞″の『善言讃詞』を元に戻すというようにしたのですが、『仁愛(みろく)の御手に帰一され』だけ抜けてしまったのです。
なぜこんなに肝腎なことが・・○○委員会が三派を統一すると言って我々は色々と取り決めをやってきたのですけども、「『帰一され』を無くして統一ができるわけがないではないか」といくら言っても役員会はそのまま押し通してしまいました。
その後、〝なぜ『仁愛(みろく)の御手に帰一され』が入らなかったのかなあ″と私はズーッと考えておりました。
そして、メシヤ教でやる時には〝『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を入れないといけない″ということで入れました。
あの時には、〝『仁愛(みろく)の御手に帰一され』だけでは駄目だ。やはり『メシヤの御手に帰一され』でなければいけない″という御神意がそこにはあったのだろうな。ということに私は気付いたのです。
(質問者)
ズーッと以前から思って見えたということですか。
(先生)
そうです。濵口さんには早くから言っていたのです。濵口さんはそれを聞いて「すぐ変えた方が良いのではないか」という意見だったのですけども、しかし〝ゆくゆく教団が一つになった時にみんなに考えさせて総意でした方が良いだろう″という気持ちが私にはありましたので、時期を待っていたのです。
ですが、ここまできたら役員達に将来的にも期待ができませんので、信者さん方は理解はできるのですけどもね。
今回、英文サイトを開いて外国の人達、まず英語圏の人達に『浄霊力伝授』をして行く時にいつまでたっても『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を唱えていても世界的にはなっていけませんので、愈々この12月23日で切り替えようという気持ちが固まってきまして、英文サイトを仮開設したのは12月18日でそれから本開設までの期間に時間のある時には御神前に座って、「メシヤ様が御作りになられた『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』に変更しますけどもどうでしょうか」ということをメシヤ様に問い続けました。そうすると益々強く思わされましたので〝時期を早めよう″と決定しました。
メシヤ様御自身は『應神弥勒と化し』の後に『メシヤとならせ』と入れられたのですから、『みろく』に固執しているわけではないわけです。
『メシヤの御手に帰一され』は弟子たちが決めるべきことだということではなかったのではないでしょうか。
(質問者)
世界救世(きゅうせい)教となった時に『メシヤの御手に帰一され』としなかったのですね。
(先生)
しませんでした。メシヤ様が『仁愛(みろく)の御手に帰一され』としておりましたので。しかし、その後の教団は『仁愛(みろく)の御手に帰一され』を取ってしまったのです。
メシヤ様は〝献饌″もゆくゆくは改めようとなされました。
そのために最後にメシヤ様が御出座された立春祭にはお供え物は何もないわけですから。御玉串料の全国からの奉告を積み上げたものと、お花だけですから。
それにも関わらず、メシヤ様が御昇天されると同時に、二代様が○○教に祭典の在り方など相談されたのです。
それで○○教式で葬儀をやってしまったのです。それが原点になって今の○○教団の祭典形式に引き継がれて未だに残っているのです。
私はもう一度〝『本来メシヤ様が進めようとなされた御神業』を進めよう″ということで、今活動していますが、その中で一番大事なことはこの『メシヤの御手に帰一され』がないことには日々そのような霊界づくりはできませんので、それで早めて昨年の12月23日から唱え初めたのです。

『仁愛(みろく)の御手に帰一され』という箇所を『仁愛 (メシヤ)の御手に帰一され』と改めることに踏み切らせていただいたのが、昨年の御降臨祭の時でありました。
そのようにしてほぼ整ってまいりましたので、これからはいよいよ『御神業の本筋』にメシヤ様が『入る』と仰ったことを実際に進めさせていただこうという気持ちで、もう一ヶ月は過ぎましたけども歩ませていただいております。

『メシヤ様に直に繋がる』ことを根幹に置いて
昨年のこの節分祭、立春祭の時には、マイナス14度でしたけども、今日は14~5度まで上がるようですので、おおよそ30度の差が去年と今年ではあります。これは我々の情熱の現われであろうと受け止めておりますけども、受け止めただけでは何も起こって行きませんので、もう少し緻密に今回書かせていただいた問題解決ということを基に、“お一人お一人が周辺の方々の問題を解決して行く”という道に踏み込んで行っていただきたいと思います。
踏み込んで行く時に根幹におくべきことは、『メシヤ様に直に繋がる』というお世話であります。そして、直に繋がったら、その霊線をいかに太めていくか、ということであります。『直に繋がる』ということがまず第一歩で、次にその『メシヤ様との霊線を太めていく』ということが第二であります。この太めて行く時に先ほどお話しした『るナ三訓』というのが非常に大事になってきます。
それに加えて、『布教三訓』も各支部の方々は掲げて取り組んでいただいておりますけども、この中で『メシヤ様との共同作業』という姿勢が最も大事であります。この『メシヤ様との共同作業』と言った時に、具体的にはどういうことかと言いますと、“御浄化をいただかれているところに訪ねて行く”あるいは“未信者の方々がお会いしたい”ということで、お迎えする、という時に、メシヤ様のお付きとして我々は動かないといけない訳ですね。
そして、メシヤ様が、相手の方々がいろいろ話をすることを“どのようにお聞きになられて、どのようにお答えをされるのか”ということが我々の課題でありますので、メシヤ様のお供で訪ねて行ったり、お迎えした時は、“メシヤ様がどのように受け答えをされるのだろうか”ということを課題にして、我々が受け答えをしないといけないということです。
それから次に、“メシヤ様にいかにお繋ぎするか”ということが大事ですので、“メシヤ様のお供で行く”ということは“メシヤ様にどのようにお繋ぎしていくのか”ということを課題にして相手の話を聞くと共に語りかけていくということが大事でありますので、そういう心がけをこれからの御神業では更に持っていただきたいと思います。       25-2

夜叉というのは、本来夜叉龍神なのですけれども、夜叉龍神が全てを『夜の時代』にして行こうとして取り組んでいるので、この善言讃詞の中にある『夜叉龍神も解脱為し』というのは、この事を御神前で毎回毎回唱えて、その眷属、あるいはその影響を受けている者達が『解脱』を認識する霊界を作って行かないといけないのですけれども、〇〇教の場合は、夜叉と龍神を分けて信者さん方に理解させた為に、夜叉龍神の本質を全く認識できない信者さんばかりを作っていってしまったという・・・、これがメシヤ様御昇天後のですね、指導者達の最も怠った内容であります。
私がこうやって批判しているのは、その人達を攻撃しているのではなくて、その事に気付かなければ地上天国を建設する事が出来ない為に、今こうしてですね、耳障りが悪いとは思いますけれども、メシヤ様御昇天後その様に教団を引っ張って行ってしまった為に、信者さん方にご苦労を更に掛けてしまったという事に繋がったという事を、強調したい為にこういう話をしている訳なのです。
この善言讃詞を、この御神体の御前で奏上する時には、この『夜叉龍神も解脱為し』という事を力強くですね、心を込めて発声して頂きたいと思います。そうするとですね、その部下達も“もう解脱しているのだ”という事が分かれば、その影響を受けない想念が生まれてきますので、根気よく知らしめる事によって、この世の中の夜叉龍神の影響が消えて行くという事・・・。この消えて行ってこそ、私達の地上天国建設が進んで行く訳なので、まだ影響を受けていると地上天国建設がずーっと実現しないままに進んで行くことになってしまいます。
〇〇さんが今度御神体御奉斎式を迎えたら、更にですね『善言讃詞』を奏上する時には、その部分を、一層心を込めて奏上して頂きたいと思います。それと同時にですね、今月は質問を受けた内容は、途中になりますけれども、お話しておきます。私が発声する時ですね『一天四海觀音の□仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』という、この間を(□の部分)一呼吸おきます。“一呼吸を置く理由は何か”という質問を今月は受けたので、各支部でお話しているのですけれども、「一天四海觀音の」という間にですね「敬しく惟るに世尊觀世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ應身彌勒と化し」が、ここに省略されているというふうに思って奏上して下さい。「一天四海觀音の」から「光明如来と現じ應身彌勒と化し」そして「メシヤ様」迄御出世された「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」という、そういう想念でですね、ここの所は発声して頂けると、より一層霊界が浄められてですね、天国建設のそういう霊界の形が整っていきますので、そういうふうに受け止めて頂きたいと思います。また御神体御奉斎式の時に確認をして上げて頂きたいと思います。(三重支部HP参照)27-11

この善言讃詞をもう一度見つめてゆきますと、「世尊観世音菩薩此土に天降(あも)らせ給ひ光明如来と現じ。応身弥勒と化し。メシヤとならせ。大千三千世界の三毒を滅し。五濁(ごじょく)を浄め。」とあります。

 ですから観音様として先ず表に出られて、そして最後はメシヤ様という位にまで上がって、それから「三毒、五濁(ごじょく)」を浄める、という経綸上の話が前半出てきます。それに伴って天国の形が出てきますね、「実(げ) にも天国浄土なり。」という件(くだり)です。

 だから天国浄土とはこういう形なんだということが、次に詠みこまれています。そして、天国浄土になると「歓(えら)ぎ賑はふ声々は。津々浦々に満ち弥(わた)り。国と国との境無く。人種(ひとぐさ)等の憎しみや。争闘事(いさかいごと)も夢と消へ一天四海観音の。仁愛(みろく) の御手に帰一され。仁慈の御胸に抱(いだ゙)かれん」という状態になってゆくことが詠み込まれている訳です。

 そして、最後にですね、この「仁慈の御胸」というのは、「仁」とは「仁斎」ですから、メシヤ様の大愛に包まれるとということです。「吾等が日々の施業にも」とありますので、皆さん御神業にも身を捧げておりますが社会人として仕事を持ってます。そうした「日々の施業にも。妙智を賜ひ真覚を。得さしめ家は富栄え」ということですから、我々が働く場に叡智をどんどんいただいて、そして、仕事に対する自分の能力がさらに発揮されて、その職場で益々活き活きと自分の特性が発揮されて、結果的にその仕事が発展してゆきます。それによって自分の給料も上がるので、家は富み栄えてゆくということですね。

 「寿(よわい) は永く」は、先月『(本来の人間の寿命は)120歳』ということを示されています。ですから○○さんも後50年は頑張らないといけない。後50年は・・・。しかも「無医薬に」ですから、薬は一切いらないということです。切なる願い、御祈願が善言讃詞には詠み込まれているのです。

 そういう中でいよいよ○○さん位の年になると、善徳行を積み重ねれるようになるんだ、と先月学びましたね。まだ我々位の50代からはやっと徳を積むスタートくらい。70代位になって初めて徳が積めるんだ、と。先月学んだ項にメシヤ様が書かれています。そういう境地に愈々立たれたんだと。これからが活躍の場なんだ、ということですね。23-8
『善言讃詞』は祈りそのものであるという姿勢から

 8月分で「『善言讃詞』は祈りそのものである」という内容を掲載いたしました。その姿勢がないから、かつての教団では『善言讃詞』改竄(かいざん)という蛮行を重ねたものと思われますが、仮りにその姿勢を取り戻すならば、各教団に希望が生まれます。

 希望を抱いて「『世界救世(メシヤ)教』復興運動」の立場から進言するならば、和合を導く言霊として『爭闘事も夢と消へ一天四海観音の』の後に『仁愛の御手に帰一され』を復活させていただくべきです。『仁愛』が『大光明』に改竄(かいざん)されているところや『一天四海おしなべて』と改竄(かいざん)されているところもありますので、併せて特記しておきます。

 勿論(もちろん)和合の根本は、冒頭記述したことと同様メシヤ様の御神格への明確なる認識です。そして、メシヤ様の御神意を現代に求める真摯な姿勢です。“御神格の確定をした”と豪語するならば、まずもって御昇天後の過ちを正さねばなりません。

 更には、京都・平安郷に仏教美術館を建設するために奉仕を呼び掛ける当事者が、『多寶佛塔聳り建ち』『七堂伽藍は霞みつつ黄金の甍燦燦と』を改竄(かいざん)したままの御詞で奏上している、ということもいただけません。

 一方、『無醫薬に』を奏上するからには、そうあるような指導方針を有さねばなりません。仮に“目指している段階でのことなのだ”と言いながら、薬併用の浄霊を進める戯言を重ねるならば言語道断です。それでは余りにも所属の信者さんがお気の毒です。気の毒な理由は、御神前で奏上しつつ“薬併用”を続けるならば、嘘吐きの人間を形成していることになるからです。それでは本末転倒も甚だしいことなのです。

 この『無醫薬』で如何に健康に恵まれるかという事例として、9月度に開催した各地「メシヤ講座」で紹介した96歳のご婦人について、山口会場の〇〇さんが報告書をまとめてくださいました。メシヤ教の信者ではない方に関する内容ですので、より信憑性を感じていただけるのではないでしょうか。23-9