12月23日の『メシヤ様御降臨祭』を迎えさせて頂くにあたり、確認しておいて頂きたいメシヤ講座を掲載させて頂きます。


2014年12月 メシヤ講座 浜松 より

 12月23日について

先生
それからあと1週間もありませんが、23日はメシヤ様御降臨祭を執り行わせていただきます。
この12月23日というのは、今まで何度もご説明させていただいていますように、太古の昔は正月でありました。元日でありました。12月23日には。
これは…。静岡県にはストーンサークルはあるのかね?ストーンサークルは聞いたことない?

参加者
聞いたことありません。

先生
大分県では国東半島の山の上にあります。それであのあたりに仏教の遺跡がずっとあるのではないのかなと思われます。それだけ聖なる場所であったと。
ここよりももうちょっと高台にあるのかもしれないけれどね。
ストーンサークルというのは各地にあります。
ストーンサークルというものは何かというと、放射状に石を並べて、長い石と細長い石を放射状に並べて中央に1本石を立てています。これは何故立てているのかというと、太陽の光が中央の石に当たってどの角度に影がでてくるのか、その影の長さと方向を見ながら、それで暦としていたわけです。
夏になると太陽が上の方にいきますから影が短くなり、冬になると長くなってきます。
それから太陽が日の出と同時にどこを指しているのか、どこから始まるのかということで暦を判断していたわけです。
そういうところから言うと12月22日が大晦日で12月23日が元日になるということは、これは当たり前のことであるかと思われます。
日本の中には様々な暦があります。
今、我々が使っているのは西暦と天皇陛下の即位に関わる元号というものがあります。それから紀元節をスタートとする暦と仏教の方で使っている仏歴と、縄文時代から使っている稽歴というものがあります。
そういうものを含めて暦というものを判断したとき西暦でいう12月23日が新年であるというふうに言えるということは明らかであります。
ですから私達が12月23日を迎えるということは、メシヤ様の御降臨祭であると同時に平成27年がスタートする年であるというふうに考えて、日を送って、箱根の方に参拝できる方も、できない方も、23日の迎え方というのはこれから大切にしていただければ有難いと思います。

そういう意味で、謂れの中の一つとしてイエス・キリストの誕生日は12月25日だと誰でも知っているけれどあれは真実ではないというふうに言われています。本当、厩で産まれたわけなので、記録が残っているわけがないのです。で、弟子たちは12月23日にしようとしたそうですが、12月25日になってしまったというふうに言う人もいます。それでイブが24日になっているのです。
本当はイブを22日にしたかったというような話も残っているくらい、12月23日は非常に重要な日であるかと思います。
また古典を見ていくと、一陽来復という言葉が良く言われるように、12月23日は非常に大事な日であるということです。
 

12月23日を迎える姿勢

先生
それだけに私達は23日を迎える、その迎え方を整理しておきたいと思います。
ですから私の説明はこれで終わり、あとは皆さん方から今年1年こんな年だった、だから来年はこのようにしたいというようなことを…。
誰にも前もって言っていないので、支部の責任者として出席してもらっている△△さんにも前もって言っていないけれど、今、当てるわけなので、今年はこういう年だったので、来年はこういう年にさせていただきたいということをメシヤ様に奉告を、ご参拝をしたいということを、あと1週間もないから大体整理しているでしょう。

メシヤ講座no.189浜松(平成28年11月)より

12月度の取り組み

先生
来月は三重支部長代理が月次祭を執り行ってくれますが、今、神界で一番願っていることは今年の締めくくりとして『12月23日に力をいただきにきてもらいたい。』という願いがあります。力をいただきにきてほしいという話になったとき、さきほど肚に落ちていないという話になりましたが、「御力をください。」となったときにどこに御力をいただくのかということが明確になっていないと、不明瞭なまま12月23日に力をいただきに行っても力のいただきどころが不明瞭になってしまいますので、どうか来月の月次祭は三重支部長代理と一緒にお一人お一人の、光の、力のいただく場所というものを明確にする、そういう月次祭にしていただきたいと思います。
それから、来年の2月3日と4日は、私達は今御教えによって『夜の時代』の癖をとろうと一生懸命取り組んでいますが、『夜の時代』を作ったのは素戔嗚尊の上陸が原因ですが、しかしそれを受け入れたのは当時の日本人ですので、そのことをお詫びできる状態にならないといけないので、2月3日はしっかりと主神様にお詫びを申し上げて、翌日の立春祭でまた力をいただいていきたいと思います。
そして、3月3日はメシヤ様という御神格を理解した人、認識した人が大集結していただけるようにお願いしたい、ということでありますので、そのことをお伝えしてメシヤ講座を終わらせていただきます。ありがとうございました。


2014年3月 メシヤ講座 浜松 より

先生
12月23日にお話しさせていただいたように、メシヤ様は神様の座に在られる御方なのですが、人類を救済するために、人の・・・現身(うつそみ)の姿を持って地上に降りてこられて、人類がおおよそ経験するであろう苦労を御自らなめられて、そして、我々に人を救う力と人を救う方法を授けてくださいました。
 ですから、この御尊影を拝する時に、昔から「左目は天界を御見つめになられて、右目は地上界を御見つめになられていた」というふうに、教会長の方々はおっしゃっておりましたけれども、御顔はそういう感じで拝させていただいて、そして、手などを見た時に少し疥癬(かいせん)の痕等がありますので、その際は使命がある者ほど苦労を負うのだ、ということです。
 ですから、時には「私、何でこれだけ苦労するのだろうか」とか「我が家では私ばかりこんな目に遭う」とかいうようなことを、思いがちのときがありますが、しかし、そういう人は“使命があるからこそ苦労があるんだ”というふうに、この御尊影を拝するごとに持っていただいて、自分も苦労しているのだと思えば、それだけ使命があるんだというふうに受け止めて、このメシヤ様の御前に額づいていただければ、御尊影に真向かう上で非常にいい心構えではないかなと思います。最初にそうしたことをお願いをさせていただいて、いつものようにメシヤ講座に入りたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
 
2013年1月 メシヤ講座 浜松 より

『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』

先生
それから、御降臨祭の時にもお話ししましたように「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」という風に文言を改めましたので、この仁愛と書いて「仁愛(みろく)の御手に帰一され」という表現は、この”みろく”は大本教からきている部分があります。大本教の教典の中とか、それからお歌の中にもこの御文字をもって”みろく”と読まされているところが多く出てきます。
それから次の「仁慈(じんじ)」、この仁慈ということも仁慈の神とかいう表現を使って、仁慈というのも非常に大切な文言であります。それから「仁愛(みろく)」の前に「一天四海観音の」という風に言って観音の後にまた「仁愛(メシヤ)」という神様が続くのはどうかというような、そういう質問も来る途中多くあったんですけども、これは最初に、「敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 応身弥勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ」という、これを凝縮したものだというふうに考えていただきたいと思います。そこをもう一度「一天四海観音の」、それから続けて「応身弥勒と化し」というようなことまで入れていくと、二重に表現を使ってしまうことになって祝詞としての格調が非常に下がるので「観音の 救世主(メシヤ)の御手に帰一され」というこの言葉の中に「応身弥勒と化し」という言葉などが全部詰まっているというふうにお考えになって、これから善言讃詞を奏上する時にはそういうお気持ちで奏上しいただければ大変ありがたいと思います。