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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年9月15日 (日) 11:34より
上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。サンスクリットのカラヴィンカ(kalaviṅka)の音訳。『阿弥陀経』では、共命鳥とともに極楽浄土に住むとされる。 

迦陵頻伽は仏教における想像上の生物ですが、伊勢神宮で「迦陵頻の舞」が舞われているのですから神道にも関りがあるのですね。

善言讃詞に迦陵頻伽は出てきます。
『應に此紫微實相世界にて 迦陵頻伽は空に舞ひ
瑞雲天に靉けば 萬華馥郁地に薫じ 多寳佛塔聳り建ち
七堂伽藍は霞みつつ 黄金の甍燦々と
陽に照り映ず光景は 實にも天國浄土なり』

「天国」はキリスト教やユダヤ教イスラム教などで使われる言葉で、
「浄土」は仏教の言葉ですね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年7月31日 (水) 16:34 
輪廻転生を超越した高位の存在として仏陀が、仏陀の世界として浄土が存在する。日本の仏教では、そもそも「天国」とは言わず、この対立構造において「キリスト教的な天国」に相当するのは『浄土』(浄土宗では阿弥陀仏の浄土である『極楽』)である。 

善言讃詞は初めから西洋の「天国」も東洋の「浄土」も詠み込まれていたのですね。


【御教え】御講話(S29年1月17日)

それからもう一つは、熱海の地上天国はみんな見たでしょうが、まだホンの半分にも行ってません。それでいてあれだけを見てみんなびっくりしてますが、こ れができあがったら、まだまだ今想像もつかないほどの立派なものができます。今美術館のまわりの道をつけたり、土をいろいろいじってますが、美術館のまわ りなどは、それは想像もつかないほどすばらしいことになるつもりです。話ではちょっと分からないくらいなものです。“なるほど、天国とはこんなものか”と いうようになります。会館や展望台の方は、すばらしいながらも、まだそれほどではないのですが、美術館のまわりのできあがりは、“なるほど天国というもの はこういうものか”と天国の気分が随分すばらしいものです。それを眺めれば、それこそ、天国の鳥と言われる迦陵頻伽(かりょうびんが)が飛んで来るかと思 うような感じが出るつもりです。それは来年いっぱいにできましょう。この評判は、日本は無論ですが、世界的に外国にも随分大きな話題になると思います。そ れで初めて、“救世教というものはふつうの宗教ではない、これは大変なものだ”ということになるし、またそうなると、医学の方も“農業でさえこうなのだか ら、やっぱり医学の方も救世教の言うのが本当ではないか”というように、そこに信じ方が出るわけです。信じられる非常に大きな刺激になると思います。つま り神様の方は、ようやく檜舞台に一歩一歩上るという形になってくるわけです。


【御教え】地上天国13号、昭和25年2月20日
【問】迦陵頻伽(かりょうびんが)とはどのような鳥でしょう。
【答】霊界の極楽の画などによくある、金色の尾の長いきれいな鳥で、いい声で啼(な)くとされている。極楽の鶯という説もあるが、私の考えでは特殊の鳥であろう。

【御教え】霊界叢談、昭和24年8月25日
次に、極楽浄土は仏語であって仏界の中に形成されているが、極楽における最高は神界における第二天国に相応し、仏説による都率天がそれである。そこに紫微宮があり、七堂伽藍があり、多宝塔が整え立ち、百花爛漫として咲き乱れ、馥郁(ふくいく)たる香気漂い、迦陵頻伽(かりょうびんが)は空に舞い、その中に大きな池があって二六時中蓮の葉がうかんでおり、緑毛の亀は遊嬉(ゆうき)し、その大きさは人間が二人乗れる位で、それに乗った霊の意欲のまま、自動的にどこへでも行けるのであって、何ともいえぬたのしさだという事である。また大伽藍があってその中に多数の仏教信者がおり、もちろん皆剃髪で常に詩歌管絃、舞踊、絵画、彫刻、書道、碁、将棋、等現界におけると同様の娯楽に耽っており、時折説教があってこれが何よりのたのしみという事である。その説教者は各宗の開祖、例えば法然、親鸞、蓮如、伝教、空海、道元、達磨、日蓮等である。そうして右高僧等は時々紫微宮に上り、釈尊に面会され深遠なる教法を受け種々の指示を与えらるるのである。紫微宮のある所は光明眩(まばゆ)く、極楽浄土に救われた霊といえども仰ぎ見るに堪えないそうである。