結ノ和の研鑽資料no.21(2019年8月) に「教・論・律」についてメシヤ講座でご教導賜っております。
それで、さらに「教・論・律」ということについて確認しておりましたところ、以前に掲載させていただいた、次のメシヤ講座がヒットしました。
「メシヤ様=主神様だろうか?」という疑問をお持ちになられた方もおられると思います。
「メシヤ様=主神様」だが「メシヤ様< 主神様」この考え方がわかりやすいのではないでしょうか。

メシヤ講座・特選集no.86(平成20年3月分)

『人間を機関として一大経綸を行わしめる』と述べられ、しかも『選ばれた』という表現をご使用になっております。ここは重く受け止めねばならないところです。

 そうでなければ、「メシヤ様=主神様」だが「メシヤ様< 主神様」であるということを理解できません。度々述べてきたように、メシヤ様が何のために御肉体を以ってご降臨されたかが重要なのです。

 そして、更に『故に神は天国の設計を時々刻々私に対って啓示され給うので、私は其(その)命のまにまに経綸を行いつつあるのである。』とも述べられております。ここは、より大きな意味を有します。

 経綸とは、この文章に明言されているのです。それが「世界救世(メシヤ)教」を開教して後の『経綸』という表現を用いた時の中身であり、実はこのことを理解しておきませんと勝手な都合の良い使用法をされてしまいます。組織に都合の良いことを信者へ押し付ける際に「経綸だから」という表現を用いるのです。これでは本末転倒になってしまいます。何故なら、メシヤ様は天国的信仰を目指されたのですから。

 また、メシヤ様は、全てのご準備をなされてご昇天になっております。「経綸」の中身は縷々述べられているので、根幹になる御神意に基づいて時代の推移を見つめてゆく、それが以前ご説明した「教・論・律」の在り方の基本姿勢になっています。

 私達信者にとっては、メシヤ様のご在世中の生き様をそのまま我が物とするように目指し、努力を重ねることが信仰生活なのです。そこで、それらの上でしっかりと認識しておかねばならないことが次に記述されております。