何もしないことを、『神様にお任せする』という人もいますが、『人間としてできること、すべきことをやってその先は神様にお任せすべきです。』と御教え頂いていますので、やはり『人事を尽して天命を待つ』ということを心掛けたいですね。



【御教え】御光話録2号、昭和24年1月8日

――利己的な人が悪宣伝、悪行為をなした場合、それを見逃してやってはその人に対し無慈悲でもあり、また一面社会的には悪の風習を助長することにもなると存じますが、これはいかがいたすべきでしょうか。

 悪宣伝と言っても、神様が人を使って悪宣伝をさせているのかもしれないのです。今度の税金問題でも、私は邪神の働きかと思って調べたところそうではなくて神様がやっておられることが判りました。だからあれによりかえっていい影響があっちこっちで起きてきてるんです。……だから信仰が深まるにつれてむしろ反対になってくるべきです。また悪を助長すると言っても、それを人間が抑えたりすることはできないんです。それよりも自分の悪、自分の間違いを訂正することです。他人の悪を訂正することなんかできない。人をどうしたいと希望することはいいが、行為によってどうする、ということはできないのです。……物事にはやるべきこととやってはいけないこととがあるのですが、ふつうはやれと言うとやりすぎるし、やってはいけないと言うとぜんぜんやらない。食物の味でもそうです。甘みが少ないというと甘くしすぎてしまい、甘すぎるというと今度はからくしすぎてしまう。ちょうどよくするのは難しいのです。だからその物事の程度を考えてすることが大切なのです。それが智慧です。神様にお任せするといってもやはり程度がある。「人事を尽して天命を待つ」との諺(ことわざ)があるがこれがいいことです。人間としてできること、すべきことをやってその先は神様にお任せすべきです。だからそれは時所位に応じて変わってくるべきものです。やはり実篤(さねあつ)の言葉に「神の如く強く神の如く弱し」とありますがいい言葉ですね。神様だって強い場合もあり弱い場合もある。観音様でも馬頭観世音は口から火焔を吹き目はランランと輝いてます。が、これは畜生道を救うお働きを表わしているのです。いろいろなことをうまく使うところに智慧があるんです。一番効果のある方法がいいのであって、これをみつけるのが智慧です。