メシヤ様は時処位に応じて御教え下さっておられるのだと思います。
答えは一通りではないのですね。

三救は理念を、 〇浄霊 〇自然農法 〇芸術 による救いの場であり、その救いの方法を、共に学び話し合う。TPOS(時間、場所、場合、生活)の論点を御教えをもとに明確にし、一人でも多くの人の『救い』に繋げていく場であります。 と掲げていますので、『時処位』ということは意識してまいりたいと思います。


森羅万象一切が、時処位を得て、「本然」に立直った時が、五六七の世、大光明世界なのであります。


『時処位』を得る。自分の置かれた立場を知り、神様から与えられた、因縁使命を覚って信仰していくことが、「本然」に立直った時であり、五六七の世、大光明世界へと繋がる道であるのだと思います。

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 伝道の手引き Ⅱ-1-2
    御神体について

      五、 月 次 祭

    1 月次祭の意義     〔御垂示(S26年9月8日)『御垂示録』2号〕
    「月並祭に参拝する場合は、光をたくさんいただき、魂を浄めていただくでしょうか」
    『神様がそうなんです。それと同じなんです。人間が多勢上がりますね。そうすると、神様の光が強くなる。それでお蔭をいただく。神様の光は蜘蛛の巣がかかったりしていると出ないんです。』

    2 御祭りは早くしても遅くしてはいけない事 〔御光話(S23年 5月18日)『御光話録』〕
    ――毎月十八日のお観音様の日にお祀りできない場合は――
    『十七日にしたらよい。神仏のお祀りや法事なぞは早くするのはよいが遅れるのはいけない。』

    3 月次祭は勝手に日取りを変えてはいけない事〔御光話(S24年 8月23日)『御光話録』14号〕
    ――私は本年一月に教修をいただきましたが、三月に光明如来様をいただき、三月三十日に分会長先生に来ていただいて例祭をいたし、また四月二十六日にも分会長先生に来ていただいて例祭をいたしましたが、その際、突然御三方の上においた割れ目のないコップが割れて、中の水がこぼれてしまいました。ところが同じ御三方の上の御屏風観音様はどうしたことか少しも濡れませんでした。コップの割れたこと、御屏風の濡れなかったことになにか意味があるように存じますがいかがでしょうか。
    『例祭って言うけど、日は決めてないんですか。』
    ――決めてございます。
    『幾日に決めてあるんですか。』
    ――三月三十日に決めていたしました。
    『いや、毎月幾日に決めてあるんですか。』
    ――はあ、それが……
    『いや、例祭って言うんだから、毎月何日っていうことは決めてあるんでしょ。』
    ――はあ、ございます。
    『だから幾日に決めてあるんですか。』
    ――二十八日でございます。
    『二十八日……ところがこれは違うじゃない、三十日なんて。決めた日より早いのはいいけど、遅れるのは非常に悪いんです。これは知っとかなければいけない事です。すべて神仏の事は早くなるのならいいが、遅れるのはとてもいけない。この遅れたのはどういうわけです。』
    ――それは、分会長先生のご都合があったものですから……
    『分会長の都合で神様の事を遅らすんなら、分会長のほうが神様より上になってしまう、はなはだ御無礼千万ですよ。それから次のは四月二十六日で、これは早過ぎてる。本当は早過ぎるのもよくないんだけど、遅れるのよりかずっといいんです。この、早くしたのはどういうわけですか、また分会長の都合ですか。』
    ――いえ、それは書き間違いと存じます。四月は二十八日にいたしました。
    『これは書き間違いですか。……なにしろ、例祭をすると決めた日を絶対に守るっていう気持ちがあれば、御守護があってちゃんと都合よく行くんです。ところが、心にゆるみがあるといろんな差し支えが起ったりするんです。熱海へ来るんでもそうですよ。この次は何日に熱海に絶対にお詣りに行くと決めたら、なんの故障もなく来れるものなんです。それを、都合がよかったらとか、そのときの都合でどうとか思ってると、きっと故障が起るんです。邪神がいつも邪魔しようと狙ってるんですからね。心にゆるみができると邪神に隙を与えることになるんです。雨が降っても、槍が降ってもどんなことがあっても行くっていう心構えだったら決して邪神は邪魔できない。固く決心すれば間違いの起ることはないんです。
     それから「御三方の上の屏風観音様」とあるけども、これはどういうわけで御三方なんかに入れてあるんです。』
    ――はい、仏壇がないものですから、御三方にのせてお祀りいたしております。
    『それは間違ってる。あれは仏壇に入れるものなんです。他の所に祀って拝むなんて間違ってますよ。ちゃんと仏壇の中へお祀りするように決めてあるんだからその通りにやんなさい。その通りにしないんなら祀らないほうがいい。神様が決めたことを人間のほうでどうするっていうのは、人間のほうが神様より上になりますよ。コップが割れたのは、こんな間違ったことをしてるのに対する神様の戒めですよ。』

    4 二十三日が月次祭の所は御生誕祭の折どうすべきか〔御垂示(S27年12月1日)『御垂示録』16号〕
    「十二月二十三日は御誕生祭でございますが、二十三日に月並祭をいたしております所が多いようで、今月に限り変えさせていただきまして」
    『良いです。日はいつでも良いです。』
    「御誕生祭にはお参りさせていただきますほうがよろしゅうございますから」
    『決まったことはしなければいけません。それで誕生祭というのは意味が違いますから―』

    5 (海外で)曜日で月次集を決める場合〔御垂示(S27年5月1日)『御垂示録』9号〕
    「ハワイの信者よりの質問でございますが、月並祭をさせていただきますのに、向うは月の日より曜日で決めるそうでございますが、お許しをいただけますもので――」
    『良いですよ。』
    「土曜日でもよろしゅうございましょうか」
    『結構ですよ。土曜日が一番良いでしょう。』
    「金曜日はそういうことには使いませんようでございますが」
    『キリストの受難日だからね。十三日の金曜日だからね。』
    「週が四つありますが、第一土曜日というように決めなくても――」
    『決めなくても良いが、第一の方が良いです。何でも早い方が良いです。早い方が基本になりますからね。それで私は、この集りを一日にした。それから数からいうと、割り切れる数――偶数ですね。これが陽になる。だから奇数偶数の事柄によって合せるということも良いんですね。』


     六、祭祀の方式

    一、 御神体奉斎並びにお取次

    1 御神体御奉斎の日取について〔教えの光(地上天国22号) 昭和26年3月25日発行〕
    「御神体御奉斎日は、二、四、六、九の日は避くべきでございましょうか。謹んでお伺い申し上げます。」
    『そう決まったこともないが、なるべくよい日がいい。いい日とは一、五、八の数がいい。その意味は、一ははじめであり元であり、主の神であり、五は出ずるであり、火であり陽であり、最高の数である。八は五、三で、伊都能売(いづのめ)であり、火、水であり、発する、開く、拡がる、富士山の形、無限の数などで、また十一は、統一であり、経緯(たてよこ)結んで始まるという意味で、十五は結んで出ずる。十八は、結んで開く、五六七、三六九の合計であり、また気であり、非常によい。二十一は、二つが結んで始まる意味で、結婚日にもよい。二十五は、五、五、二十五で、日が出ずるという意味で、非常に陽な意味である。二十八は、二つが結んで開くのだから、いいに決まっている。観音様がインドで、観自在菩薩と申されたとき、二十八部衆といって、二十八人の御家来があったことや、法華経は二十八品となっている。その二十五番が観音普門品(かんのんふもんぼん)であり、観音様は日の仏様だから陽である。
     ここで、ちょっと神秘なことを書いてみるが、だいたい仏教の教えは七である。というのはお釈迦様は土のミロクであるから、土すなわち七である。七の倍が十四で、その倍が二十八であるから、三すなわち水であり月であるとしたら、月と土の教えで、印度とは印が月で度が土であるという意味である。陰土であり、昔インドは月氏国といったのだから、仏教の意味もこれで判ったであろう。』

    2 一軒の家で御神体を二体祀るは不可なる事〔『御光話録』16号、昭和25月20日発行〕
    ――床の間が二つございます家で、大光明如来様と光明如来様の御姿とそれぞれお祀りさせていただいてよろしいでしょうか。
    『これはそんな必要ありませんよ。いいほうの床の間へどちらでもいいからお祀りすればいいんです。両方お祀りするってのはやはり嘘ですよ。』

    3 一軒の家で御神体を二体祀るは不可なる事〔御垂示(S26年4月1日)『御垂示録』6号〕
    「光明如来様、大光明如来様をいただいておりますが、部屋が一つしかないのでお掛けすることができませんのでございますが――」
    『御神体は一軒の中に二ヵ所はいけない。一ヵ所でなければならない。』

    4 御神体(御姿も)はやたらに動かしてはいけない事〔『御光話録』16号、昭和25年1月20日発行〕
    ――教修会のとき、教導所がせまいため旅館などを借ります場合、一時、大光明如来様を旅館の床の間にお祀りして教修会を開いておりますが、これはよろしゅうございましょうか。
    『これはいけませんね。間違ってますよ、これは。……そうですね、もし御軸をなにするんだったら、光明如来様じゃなくて、「光明」とか「真善美」とかいうのをかけたらいいでしょう。』

    5 屋根の修理の為に(御神体の)上に上る事の可否〔御光話(S25年 4月13日)『御光話録』19号〕
    ――雪国では屋根の雪を降ろす場合とか草屋根修理の場合などにしばしば屋根に登りますが、光明如来様をお祀り申し上げてある家ではいったんおはずしいたすべきでしょうか。
    『こんなのはかまいませんよ。屋根を修理するためなんだから御無礼にはなりませんよ。雨漏りなんかでも神様はお許しになりますよ。……あのね、神様ってお方はよく判っておられますからね、だから物事によって適当にすればいいんですよ。』

    6 屋根の修理の為に御神体をお外しした人へ〔御垂示(S28年8月1日)『御垂示録』23号〕
    「御神前のフスマを閉めようとして、無理に閉めたところ、大きな物音がし、明主様の御写真が床の上に落ち、ガラスが割れ、お袴の裾に針の先で突いたほどの傷と、かすったほどの傷が二、三カ所つき、御神体の表装の下のほうに三分くらいの切傷がガラスの破片でつき、お茶が少々かかりました。表装をしなおし本日持参いたしました。お詫び申し上げます」
    『見て差し支えなければ浄めてあげます。』
    「そのことにつきましてこういうことがございました。その以前に屋根の雨樋の修理のために職人が屋根に上がるので、御神体と御写真をお外ししたそうでございます」
    『それが悪いのです。そのとき外したのがいけません。』
    「屋根に人が乗りますので」
    『乗るときは神様にお詫びすればよいのです。移動したのがいけません。』
    「もったいないと思いましたので」
    『そうではないのです。それは修繕するのだから、やむを得ないのです。神様は許されます。屋根に上がらねば修理できないので、樋が直らなければ被害をこうむりますから、神様としてもおとがめはありません。神様は理屈が立てば決しておとがめはありません。それを外したということは、神様を侮辱したわけです。神様はずいぶん気がきかないというように見られたわけです。ですから神様は気に入らないのです。』

    7 御神体が長すぎる場合 (その一)〔御光話(S25年 3月 3日)『御光話録』19号〕
    ――床の間の天井が低い場合、御神体の上のほうをお巻きしてもよろしいでしょうか。
    『いけませんね、これは。切ればいいでしょう、長ければ。下のほうが引きずってるのはいけませんよ。人間だって着物が引きずってたんじゃ気持ちが悪いでしょ。(笑声)』

      御神体が長すぎる場合 (その二)〔御垂示(S26年4月1日)『御垂示録』6号〕
    「中二階ですが、上が低いので、お軸の下をまくのと、ひきずるのとは、どちらにいたしましたらよろしいでしょうか」
    『絶対にいけない。どっちもいけない。長ければ軸を切れば良い。人間でも、足からひきずっていたらおかしい。』

    8 御神体が風でゆれる事について (その一)〔御垂示(S26年8月1日)『御垂示録』1号〕
    「御神体ですが、田舎では風の当たりの強いところがありますので、押さえますのに 風鎮がよろしうございましょうか。糸で――」
    『それが良いです。両方に釘を打って、糸を張る。あれが一番良い。風鎮は駄目です。風が強いと風鎮では駄目です。』

      御神体が風でゆれる事について (その二)〔御垂示(S29年4月1日)『御垂示録』30号〕
    「夏になりますと戸を開けますが、風が強い場合には御神体が動きますので、下を白い糸でつけてよろしいでしょうか」
    『よいです。その場合は糸を横に張ったほうが確かです。』

    9 御神体奉斎の方角 〔教えの光(地上天国21号)、昭和26年2月25日発行〕
    「光明如来様を奉斎させていただきましたが、家は床の間がなく、二世帯同居のため狭いのですが、障子の所へ板を張り、仮床を造って祭らせていただこうと思いますが、どの方角に向けてお祭りしたらよろしいでしょうか。お伺いいたします。」
    『方角は東西南北いずれでもよろしいが、位置はその部屋の一番上座に当たる所がよろしい。』


    二、御神前の間について

    1 田舎で薪をたく為、御神体の煤ける時はどうすれば〔御垂示(S26年8月1日)『御垂示録』1号〕
    「田舎で薪をたくために煤けて黒くなり困っておりますので、ひどく汚れるときだけ、なにかおかけしてもよろしうございましょうか」
    『白羽二重(はぶたえ)でも良いから、まいておいて、そういうときだけ、さもなければ両方に釘を打って、釘も本当は竹釘が良いです。そうして、羽二重の縁を縫って輪を作って、ふだんまいておき、そういうときだけかける。それが良いでしょう。』

    2 屋根裏利用の部屋について 〔御光話(S24年4月特輯号)『御光話録』6号〕
    ――屋根裏利用の部屋の場合、その屋根裏は天井が低く、床の間を作ることができませんが、いかがいたすべきでしょうか。
    『この屋根裏になにもない場合は、その下の床の間に御神体をお祀りしても差し支えありませんが、たいてい物置きくらいには使いますからね。物置きに使っている場合には下の床の間にはお祀りしないほうがいいんです。無論、屋根裏にはお祀りできないですよ。そこは物置きですからね。すべて床の間でも物を置いてはいけない。ただ花いけ、香炉などは飾りだからいいですがね、物を置くと物置きになるからいけない。だからまあ、下に御神体でない文字をかけるんですね、そしてね、その人の信仰しだいでちゃんと屋根裏のない家に住むことができるようになります。』

    3 二階が物置になっている場合(農家)その一 〔御垂示(S28年5月1日)『御垂示録』20号〕
    「地方の農家では、二階はございますが、農機具、藁、ムシロなどを置いております所が多いので、御神体様をいただくのに苦しんでおりますので、床の間だけを二階のないほうの外に廂(ひさし)のような物を出しますのでございますが、その場合でもすぐに二階は見えるわけでございます。こういうことはお許しいただけますでしょうか」
    『その場合に、廂をどのくらい出すか、その寸法によっては、ごく良くもないがしかたがないです。少なくとも三尺くらい出して床の間にするのならよいです。その間の三尺は畳を一畳敷くとかして、その先に床の間を作るのならよいです。』

      二階が物置になっている場合(土蔵)その二 〔御光話(S24年 5月 3日)『御光話録』10号〕
    ――ただいまお寺の一室を借り教導所といたしておりますが、このたびそこを出ねばなりませんので親類の家の土蔵を借りて御浄霊いたしたいと存じますが、その土蔵の二階は現在物置きで天井はありません。階下には床の間がありますが、そこに大光明如来様をお祀りしてもよろしいでしょうか。
    『絶対いけませんよ。人間のいる所より以下になりますからたいへんな御無礼ですよ。こういう所はお祀りしないほうがいいんです。だからここに御神体をおかけするんなら、物置きではどうも具合が悪いから……』
    ――農家などではそんな家が多うございますが、階下が張り出している場合はよろしいでしょうか。
    『張り出てても、二階のすぐ近くじゃいけません。そうとう離れてればいいですが……
     この人は物置きに床の間を作り、天井をつけて直せばいい。それだけの金がなければ一生懸命にお願いして、一心にやってれば金がちゃんと入りますよ。』

    4 二階に物を入れねば階下に祀ってよき事〔御垂示(S28年6月1日)『御垂示録』21号〕
    「先月御垂示いただきました二階のある農家での御神体の御奉斎につきまして、二階を絶対に使わない場合はいかがでございましょうか」
    『それなら構いません。何にもなければよいです。物を置けば神様が物以下ということになり、また人間がそこにはいっていると、人間が神様を踏むことになるから、それがいけないのです。そういった点がなければ差し支えありません。それなら屋根と同じことになりますからよいです。』

    5 (見晴しのよい二階の)蚕室を改造して御神体をお祀りして良いか〔御垂示(S26年10月8日)『御垂示録』3号〕
    「田舎の家で、二階に御神体をお祀りさせていただくために、蚕室(さんしつ)になっておりますが、見晴らしが良いので、そこを改造いたしたいと思いますが、いかかでございましょうか」
    『結構です。』
    「床の間の具合は、どういう風にいたしたらよろしいでしょうか」
    『座敷の形でしかるべくすると良い。』
    「南向きでございますが」
    『南向きは構いません。ただ、座敷で一番位置が良い所ですね。一番良いというのは、入口から一番離れたところですね。それから、後戻りしないことですね。座敷に入って、突き当たりか、横なら良いです。』

    6 天井の低い場合、床の間だけ屋根を高くしてお祀りしても良いか〔御垂示(S29年2月1日)『御垂示録』28号〕
    「昨年一月入信の信者でございますが、御神体御奉斎の希望ですが、二階が非常に低く、端のほうで三尺ぐらいしかありませんので、屋根を床の間の幅だけ三尺ぐらい上げて作りますのはいかがでしょうか」
    『それならよいです。』

    7 御神前の間に額等をかけては不可なる事〔御垂示(S26年12月1日)『御垂示録』5号〕
    「支那の大同の石の観音さんを写真にして持っておりますが――」
    『石仏にもたくさんありますがね。良い悪いがいろいろあります。それは、額にしても、何にしても良いが、神様の部屋はいけませんよ。』

    8 御神前の間に明主様の写ってない写真はかけては不可な事〔教えの光(地上天国21号)、昭和26年2月25日発行〕
    「先日御神殿を掃除する際、大黒様の槌の柄が折れました。この大黒様は、数十年前からあったものですが、剣を持っておられたのを私が、槌を作って取りつけたのです。また、これと前後して、同じ室内に掲げてある渋井総斎先生の写られた御写真(昨年五六七大祭のときのもの)の中味だけが二十度くらい傾きました。なにかのお知らせでございましょうか。」
     (中略)
    『また写真については、私の写っていない写真は、絶対掲げてはいけないことになっているから、これも祖霊の戒告である。』

     附 御額の掲げた部屋に故人の写真を掲げぬ事〔御光話(S23年 5月28日)『御光話録』〕
    『故人の写真をかけるのは仏間ならどこでもよい。私の額がかかっているところは駄目です。ただやむを得ないなら、できるだけ額から離してかけてもよい。
     古い以前の御屏風には寺の名が入っているが、あれは当局がうるさいからやったまでです。新しいのをお祀りしたければしてもよい。そして古いのは人にやったらいいでしょう。』

    三、御神床について

    1 置き床でお祀りしてもよい事 〔御光話(S25年 4月 3日)『御光話録』19号〕
    ――床の間のない家で御神体を御奉斎いたします場合、置き床でもよろしいでしょうか。
    『いいでしょう。それよりか、ほかにしようがないですからね。』

    2 床の間の壁について  〔御垂示(S28年12月1日)『御垂示録』27号〕
    「信者で床の間を作りましたが、床の間は手前の壁は塗らないのが法則だそうですが、その人はそういうのは嫌だから全部塗ってくれと言ったが塗ってくれないそうです」
    『それはどっちでもよいです。そういうことは問題ではないです。わざと塗ってありませんが、その人の気持でどっちでも差し支えないです。それほど重要な問題ではないので、壁土の問題です。塗ってない所の家でも、火事で焼けるときは焼けるし、災難にも遭います。』

    3 逆床でもそのままでよいとお許しを頂いた例〔御垂示(S26年11月8日)『御垂示録』4号〕
    「床の間が入口に近いところにあり、奥のほうは板の間になっており、屋根が低くなっております」
    『まずいな。感心しないですね。直したら良い。』
    「天井をぶち抜くので――」
    『片っ方の良い天井にはできないですか。いけないけれども、直すのはたいへんでしょう。直せれば直したが良いが、直せなければ、我慢はできます。新規に建てるならできるがね。我慢すればできます。そう悪いわけでもないんですからね。一番悪いのは、子供の部屋を二階に作り、親父のは下に作る。そうすると、子供は言うことを聞かないですね。これだけは、どうしても直さなければならない。』

    4 二階の御神前と階段の位置 〔御垂示(S26年12月1日)『御垂示録』5号〕
    「二階の階段を改造し、奥の大光明如来様をお祀りしてある部屋につけるのでございますが、床の間が戻るようになってはいけないので――」
    『戻らないほうが良いんですね。そういった――家の建て具合で、やむを得ないのはしかたがないですが、できる限りそうしないほうが良い。横なら良いです。横なら良いが、戻るのはまずいです。戻らない限り、どっちに行っても構わないがね。』

    5 床と違い棚の位置について〔御垂示(S26年10月8日)『御垂示録』3号〕
    「普通は、床の間は半分違い棚、半分床の間になっておりますが、真ん中でよろしいでしょうか」
    『そうです。それで良い。それから、半分にわける場合に、入口に近いほうが違い棚、遠いほうが床の間になる。奥のほうが床の間ですね。そうすれば良い。おのずからどこが上座か分かりますね。』
    「私の家は反対になっておりますが――」
    『そういうのはたくさんありますよ。』
    「廊下に近いところが床の間で、遠いほうが違い棚になっておりますが――」
    『廊下じゃないんです。入口です。入口と言っているんです。床の間のほうは廊下でも構わない。入口が出入りするでしょう。廊下と言うのはあまり出入りはしない。だから、入口から遠いほうですね。』
    「家の階下の、入口の上がお祀りしてある所、と言うのは関係ありませんでしょうか」
    『とにかく、二階は下と関係ないんですからね。二階だけのことで良いんです。』

    6 御神床の裏が便所でも差支えないか(その一)〔御光話(S24年 4月23日)『御光話録』7号〕
    ――床の間の裏手が便所になっている家がよくありますがいかがでしょうか。
    『差し支えないですよ。そんなことを言ってたらお祀りできやしない。こんな家はたくさんありますからね。便所の中はいけませんが、(笑声)壁があればいいですよ。(笑声)』

      御神床の裏が便所でも差支えないか(その二)〔御垂示(S28年12月1日)『御垂示録』27号〕
    「床の間の裏側に便所があるのはいかがでございましょうか」
    『構いません。そういう家が多いのですから、それを気にしていたらたいへんです。』


      七、布教所(及び集会所)

    1 布教所と自宅とそれぞれに御神体をお祀りすべきこと(その一)〔御垂示(S26年4月1日)『御垂示録』6号〕
    「御神体は二ヵ所はいけないということでございましたが、信者さんが来てお詣りする所と、私がおります奥のほうとございますが――」
    『ああ、そういう場合には二つで良いのです。片方は教会で公ですから、良いんです。』

      布教所と自宅とそれぞれに御神体をお祀りすべきこと(その二)
     ① 原 則
     〔御垂示(S28年8月1日)『御垂示録』23号〕
    「教会と住居が同じでございますが、住居の離れにおかけしてあった御神体を、同じ屋敷内という意味で教会のほうにおかけしましたが、それでよろしいものでございましょうか」
    『光明如来様を教会とは別々にするのですか。それならよいです。』
    「一つでございます」
    『それは別々でなければいけません。そうでなければ公私混同です。やっぱり教会というのは宗教活動のためにある公(おおやけ)なもので、個人のほうにあるのは、個人の家庭を御守護していただくというので、それは別です。』

     ② 臨機応変
     〔御垂示(S28年8月1日)『御垂示録』23号〕
    「一軒の家で離れがない場合には御神体は一体でよろしいでしょうか」
    『それも臨機応変です。広い家なら別々でよいが、狭い家は一つでよいです。教会と住居を区分して決められるくらいの広さがあれば別々にしたほうがよいです。それからまた急ぐ場合とか、いろいろな場合に、あるときまでは、床の間が狭いとか、御神前が狭いとかいう場合には兼帯でしてもよいです。それから、その部屋の具合が、もう分離して別々にしても充分によいという場合には今言ったとおりにするのです。』

     附    〔御垂示(S26年7月1日)『御垂示録』6号〕
    「一軒の家で御神体は、二体様お祀りしてはいけないとの御教えをいただいておりますが、農家で、母屋に兄が住み、離れに弟が住んでおりますが、両方に御神体をお祀りいたしております。弟さんのほうは座談会に行かせていただいたりしております」
    『兄さんのほうは、そこの家を守り、弟さんのほうは宗教的宣伝をすると言うのですから、別々でかまわない。かえって別々が本当です。片方は農家の家を護って――やはり祖先はいるが、倒れたりするのは嫌がりますから、家を御守護して、弟さんのほうは宣伝を主にするので、別々だから良いんです。』
    「母屋は良い部屋がなく、離れに立派なのができておりますが」
    『それで良い。霊界ではそこが中心になっている。』

    2 (集会所)へ御神体をお借しする事について〔御光話(S24年11・12月)『御光話録』16号〕
    ――教導所の出張所に私のいただいた御神体を一時お貸ししてお祀りいたすことはいかがでしょうか。
    『それはかまいませんね、おかけしたっきりでそこでお祀りするんなら。それから、人に貸してあげるのも、その人が自分でいただくまで一時仮に貸すんならいいですよ。』

    3 布教所の御神体を元の所有者に返すについて 〔御垂示(S28年10月1日)『御垂示録』25号〕
    「御神体を戴いた兄が表装がまだで御奉斎できず、弟が出張所をさせていただきましたが、事情により出張所の責任者が代りました場合には御神体はそのままでよろしいのでございましょうか」
    『兄さんのほうはどうしてますか。』
    「家の都合で御奉斎ができません」
    『それで出張所のほうにまわしたわけですか。兄さんは支部長ですか。』
    「一般信者でございます」
    『信仰は続けていますか。』
    「続けております」
    『兄さんが信仰していればよいでしょう。』
    「兄が御奉斎のお許しをいただきました場合には」
    『新しくしなければいけません。出張所のは動かすことはできません。』
    「現在の出張所のはそのままでよろしいのでございましょうか」
    『よいです。それから私の写真と御神体との扱い方は違います。どう違うかと言うと写真のほうが上だから、写真は少しも融通ということはできません。それでこの間のことはやかましく言ったのです。それはそうでしょう、御神体は私が書くのですから、書くほうが上です。』


      八、礼拝・祈り等

    1 祝詞と御願事とはいずれを先にすべきか〔妙智之光(地上天国6号)、昭和24年7月20日発行〕
    「祝詞とお願い事とはいずれを先にすべきでしょうか。」
    『祝詞のほうを先に奏げるのが本当で、お願い事は私事であるから後にすべきである。祝詞を奏げる一番の目的は霊界を浄めるにある。また祝詞を奏げると霊がたくさん来る。祝詞をきくと霊が向上するからである。また祝詞は神に対する感謝の意が中心になっている。』

    2 神様にお願事する場合心に念えば口に出さなくても同じか〔御光話(S24年 1月18日)『御光話録』3号〕
    ――神様にお願い事をする場合、心に思えば口に出さなくても同じと考えさせていただいてよろしいでしょうか。
    『これは違いますよ。例えば私があんたにごちそうしようと思ったって、あんたはうまくもなんともないでしょう。(笑声)やはり形に表わすことが大切です。だから言葉にも表わすべきです。まあ、思うだけでも思わぬよりはいいでしょうがね……』

    3 大勢で礼拝する時の祈りの仕方について〔御光話(S24年 6月 3日)『御光話録』12号〕
    ――いままでは平伏のときにお願い事をさせていただいておりましたが、ただいまはその時間がございませんが、これは……
    『大勢のときはお願いなんかしないほうがいいですよ、時間がかかってしようがないから。ふだん必要なときにお願いすりゃあそれでいいですよ。
     こっちは神道じゃないんですからね、神主的意味でごていねいにやらなくていいんです。この道は神道でもあり、仏教でもあるんですからね。拍手にしたって坊さんは拍手を打たないでしょ。だからそこんとこは臨機応変にすればいいですよ。ただ敬う形は崩さないようにね。』

    4 人の大勢居る御神前でのお念じの仕方等〔御光話(S24年 1月18日)『御光話録』3号〕
    ――教導所に来てお詣りする場合、周りに人が大勢いたりしますと、声を出さぬことが多いのでございますが……
    『それは状況によって適当にすればいい。よく、クシャクシャ小声で言っている人があるでしょう。あれでいいのですよ。また、御浄霊するときは念じないほうがいい。それから危急のときは口に出して念じたほうがよろしい。が、絶体絶命の時は私に頼みなさい。そういう場合は字や絵よりも生きている私のほうが力がある。つまり、私がその仕事の実行者だから。』

    5 個人的な祈りと信徒と共に行うお祈り  〔御垂示(S26年11月5日)『御垂示録』4号〕
    「出張所をやらせていただく場合に、着きましたと同時に、お参りさせていただくべきでしょうか。信徒が一番集まるのは、一時か二時ですが、そのとき一緒にすべきでしょうか」
    『それは、そこまでに着くと、そこの家に行くんでしょう。そうしたら、すぐやったら良い。できるだけ早いほうが良いですよ。祀詞を奏げてね。』
    「信徒と一緒にするのは差し支えありませんでしょうか」
    『差し支えないじゃない。結構です。それは意味が違う。着いたときは、これからの御守護とお礼で、信徒と一緒のときは、信徒の御守護とお礼です。神様のことは几帳面でなければならない。』
    「帰りには――」
    『帰りには、無論お礼と――そこに滞在中のお礼と、信徒の今後の御守護と、それで構いません。来たときも、信徒が集まっているなら一緒で良いが、そうでなく、行ったとき自分だけだったら、切り離すのが本当です。』

    6 御詣りの最中眠くなるのは 〔御光話(S24年7月特輯号)『御光話録』9号〕
    ――私は入信以来すでに五回の御面会をいただいておりますが、お祈りのとき、御讃歌のときなどに必ず眠くなります。例祭のときは特に眠気を催しますが、これはなぜでしょうか。
    『これには二つの意味がありますが、一つはね、神様が嫌で眠くなるんです。副守護神が御讃歌などを聞くのがつらいんです。それからもう一つはね、そういうものを聞きたい霊がたくさんある場合、本人を眠らしたほうがその霊はよく聞けるんです。だからこのほうは悪くないですね。私も以前そんなことがありましたよ。』

    7 御願事の数   〔御光話(S24年 4月23日)『御光話録』7号〕
    ――神様にお願いいたしたいことがたくさんございますが、毎日いくつものお願い事をしても失礼には当たらないでしょうか。
    『いくらでもかまいませんよ。いくらお願いしたって失礼にはなりません。第一、失礼だと思うことが失礼ですよ。神様は百でも千でもちゃんとお聞き分けになるんです。数は問題じゃありませんよ。もし数が多くて差し支えるんだったら浅草の観音様なんて骨が折れてかないませんよ。毎日何千て信者がお詣りするんですからね。』

    8 地上天国の御歌を御神前で奉唱してもよい事 〔御垂示(S28年6月1日)『御垂示録』21号〕
    「『地上天国』にいただきました御歌を御神前で奉唱することはいかがでございましょうか」
    『結構です。やっぱり御讃歌と同じです。』
    「御讃歌と同じように朝晩にお奏げすることもよろしゅうございますか」
    『よいです。その場合に選択してよいです。こういうことは非常に皆のためによいということを選んで任意にやって構いません。』
    「研究会などをいたします際に、その前後に御讃歌を奉唱し『信仰雑話』を拝読させていただくということはいかがでございましょうか」
    『よいです。それからまた御讃歌の意味を「こういうように思う、こういう教えだと思う」ということを話してもよいです。それがよい働きをすればそれでよいのです。場合によっては、そのときの問題で疑問があるというときに、「御讃歌にこう出ている、これが多分その意味だろう」ということを言うのは非常に結構です。』

    9 祈念の例
     イ 職業の選択  〔御光話(S24年4月特輯号)『御光話録』6号〕
    ――私は木工業と農業とを兼ねてやっておりますが、木工業に成功する見込みがありますでしょうか。(爆笑)
    『これはね、信仰に入ってよくお願いすればね、どちらかいいほうに決めてくださいますよ。いったい迷っているときには、焦らずにお任せしていると、ある時期が来れば、どうしてもそうしなくてはならないようなことになってきますからね、そういうふうにすればいいんです。』

     ロ 職業の選択〔教えの光(地上天国41号)、昭和27年10月25日発行〕
    「私は昭和二十六年六月入信、大光明如来様、御屏風観音様、大黒様を奉斎させていただき、昭和二十三年十二月より現住所にて砕石採取業を開設、本県各土木事務所を需要先として納入いたし、作業人員一日平均二十人くらい使役して生産搬出に努めておりますが、昨二十六年三月ごろ砕石工場の山の地滑りの天災をこうむり、砕石工場機械設備いっさい大破損を生じ、幸い人畜には被害なく、その後ようやく復旧いたし、今日まで生産を継続しておりまして、尊き御神業の御奉仕の万分の一端なりと努めさしていただき、当甘木支部、金子先生のもとにて御浄霊御指導いただいておりますが、私の経営の事業面が意のごとく進捗せず、貨物自動車事故および設備の電動機クラッシャー、エアーコンプレッサーなど交わる交わる故障など多く、なおまた税務署関係などは、こんな田舎に工場などの設備ない関係か、利潤の見込みを多額に要求され、まったく工場閉鎖の一歩前の現状でございますが、これもやはり私に課せられた罪穢の御浄化とでも申すものでございましょうか。もしや不相応で他に事業転換の時期のお知らせではございませんでしょうか。特別の御慈悲をもちまして明主様の御垂示御救い方賜りたく、謹んでお願いいたすしだいでございます。
     次に私は昭和三年より昭和十五年まで、満十二年間県土木部勤務退職後福岡市に工務所を開設なし、一般土木工事測量設計業をなし、その後二カ年間春日原占領軍司令官CRダグラス中佐のもと、ニックネーム「スピード」設計顧問として採用され、同中佐在日間仕えさしてもらい、引退の上現在の事業に着手今日に及んでおります。
     以上参考まで申し述べさしていただきます。」
    『現在の砕石業は、あなたには適していないから、転業したほうがいい。そうして大光明如来様によくお願いするとあなたの心に次の業が浮かぶから、その通りやればうまくゆく。』

     ハ 井戸水が出ぬ場合 〔御光話(S24年4月特輯号)『御光話録』6号〕
    ――私の村は井戸の少ない所で、現在では水の出なくなった井戸がたくさんございます。この井戸の所有者は稲荷の信者ですが、このたびその娘が入信いたしました。御浄霊により井戸水は出るようになりましょうか。また水が出ますように、光明如来様にお願いしてもよろしいでしょうか。
    『ええ、なんにしろ、みんなが仕合せになることならなんでもお願いしていいですよ。このお願いの仕方といっても、思うことを言ってお願いすればいいんで、なにも特別にやり方があるわけではありませんよ。……これは水が出るようになります。信者が多くなれば水が出るようになるわけです。水を使うのは人間だから、いい人間が多くなればお恵みをくださるんです。どうしても悪い人間の多いときは思うようには行きません。』

    10 一週に一度しか帰宅出来ぬ人の御神前について  〔御垂示(S26年9月8日)『御垂示録』2号〕
    「大光明如来様をお祀りしている家ですが、弟が亡くなり、お婆さん一人なので看護に行っているうちに、そこの商売をするようになり、一週間に一回しか家に帰りませんので、大光明如来様に恐れ多いので、どうしたらというのでございますが――」
    『現在ですがね。問題は――行ったり来たりですか。』
    「一週間に一回帰って来ます」
    『留守番は。』
    「だれもおりません」
    『しかたがないです。だってできないんだからね。神様はそんなことはない。つまりそういう場合に――できる場合はやらないと、人間のほうが疎(おろそ)かになるが、できないのはしかたがない。ですから、こういうわけで毎日はできないから、お許しを願いたいということを言って――そうすれば良いです。』

    11 旅行先で相当期間家を留守にする場合の心得  〔御光話(S24年 5月13日)『御光話録』10号〕
    ――光明如来様と御屏風観音様を家にお祀りしてあって旅行などで長く家を空ける場合、家族が信仰しておりませんと礼拝はおろか掃除もいたしませんが、こんなときには御軸をお巻きして、しまっておいたほうがよろしいでしょうか。また仏壇の位牌を旅行先に持って行って拝んでもよろしいでしょうか。
    『そんなことをしなくてもいいですよ、掛けたままでいいんです。留守の者に信仰がなくてやらないんだから、これはやむを得ませんよ。この人が旅行先で祝詞なり御讃歌なりあげればそれでいいですよ。また位牌を持って行くなんてのもいけません。そのままにしておいて家のほうへ向かって遠くから……これが遥拝ですね、遥拝をすればいいんです。向こうは霊ですから、どんなに遠くともやって来ますよ。』

     補 拍手の打ち方について〔御光話(S24年 6月 3日)『御光話録』12号〕
    『それから拍手を打ってもいいけど、もっと静かに打ちなさい、あるかないかくらいにね。あの強く叩くのは騒々しくていけない。信仰の深い人は静かに拍手を打つし、信仰の薄い人は強くやるっていう……妙なもんですが、こういう傾向がありますね。大勢で拍手を打つと大きな音になりますからね。やはり、近所が桐密な所なんかでは近所の人の耳障りになりますからね、軽くそっと打つようにしなくちゃいけない。そうするんなら打っていいですよ。』