【御教え】『本教と文化革命』

御教え中にある本教というのは、メシヤ様御在世中の世界救世(メシヤ)教のことです。
現在の特定の宗教法人や宗教団体を指しているわけではないという意識を持って拝読させていただかないと、混乱してしまいます。
冒頭から、『本教は既成宗教的観念で見て分るような、単なる宗教ではない』さらに、『本教のごとき性格のものは全然なかった』と仰っておられるように、今までの宗教という観念を取り払わないと本教という言葉さえ理解できなくなってしまいます。

『本教は宗教以外、基本的文化に関するあらゆる誤点を発見し、真の文化のあり方を知らせんとする』
『その方法をも明示する』『いわば大規模な文化革命である。』

宗教だけでなく、大規模な文化革命がメシヤ様の構想にあっての『本教』なのですから、とてつもなく大きな視野に立たないと、メシヤ様の仰る『本教』とは言えないということになります。

そうしますと、一宗教、一教団の組織ではなく、メシヤ様の御在世当時の視野に立って、大規模な文化革命を目指す、メシヤ様の御心に沿わせていただく、という想いを持った人たちの行動こそが、文化革命運動であると思うのです。

『本教の構想が、全世界に知れ渡る』と
『全人類特に有識階級の人々はいかに大いなる嘱目(しょくもく)を払うか』
過去において、
『釈迦及びキリストの宗教革命』が世の中の注目を集めた。
この偉大な聖者でさえ、
『精神面が主で、物質面にはほとんど触れていなかったといってよかろう。』
そして
『範囲においても東洋とか、西洋とかに、大体限られていた』
これはまだまだ
『条件も具備していなかったから止むを得ない』
『今日の文化に至っては断然進歩している』
『私によって今や行われんとする一大革命も、決して夢でない事が肯かれるはずである。』
その課程として、
『破壊と創造である』
ここでいう破壊とは
『他動的のものではなく、神の審判による自己清算であると共に、一方新文化の建設であろう。』
『今やその時期が刻々と迫りつつある』
『言い換えれば善なるものは残され、悪なるものは潰滅するのである。』
『としたら大体神の御目的も想像出来るであろう。』

神様の目的とは、やはり『地上天国』の建設であると言えるのではないでしょうか。

時期として、
『架空としか思われない程の大事業が、果して吾々の生ある内に実現されるであろうか』

吾々の生ある内ですから、この吾々をどうとらえるのかによって意味合いも変わってまいります。
メシヤ様に御縁を頂いた者を吾々と受け止めれば現在も進行形であるわけです。
そして、『永遠の生命』ということを学ばせていただきましたように、神幽現三界の共同作業で実現していくのですから、神界人も、霊界人も、そして現世に生ある者も地上天国建設という大事業を目標としていることに変わりはないと言えるのではないでしょうか。


メシヤ様ご自身も最初は
ただ宗教家として出来る限り人類を救いたい、それが自分の天からの使命であると思った』

しかし、『右のような大任を負わされていた事』を『ハッキリ分った』と地上天国建設の大任を負わされておられた事を覚られると、
『それと共に驚くべき奇蹟が続出』し、
『私は一大決意をせざるを得なくなった。』
『最も大いなる奇蹟はこの大偉業が主の神によって、何万、何十万、否何百万年以前から、周到なる準備をされていた事である。』
『大磐石の信念の下に全身全霊を打込み、救世の大業に邁進しつつあるのである。』
『このような大胆極まる事を言うのは、いかに確信があるかを想像されたいのである。』

メシヤ様は確信を持って全身全霊で、救世の大業に邁進されました。
しかしながら、その現身から離れざるを得ませんでした。
今は、神界から救世の大業に邁進されておられることとお察し申し上げます。
とするならば、私たちがメシヤ様の身となって、メシヤ様の全霊を受け止めさせていただいてこそ、文字通り、全身全霊となって救世の大業に邁進し、地上天国建設が実現していくのではないかと思うのです。

そして、メシヤ様のお体は光の玉の大きさ(地球大)に耐えられなくなって・・・ということですから、メシヤ様の全身となり得るには、地球規模の人達がメシヤ様の御心を心として行動できるようになっていくことだと思わせていただきました。

『今は光の玉は地球大にまで拡がっている。』
 昭和二十八年九月二十三日のとき『日光殿いっぱいに大きくなっている』

3月3日の意義深き日に『本教と文化革命』から学ばせていただけますことを、感謝申し上げます。