本居宣長について『本居宣長は言霊学の開祖である』『二千年か三千年前には、言霊というのはあったそうだね。それがしばらく絶えちゃったので、本居宣長が復活したんです』と御教え頂いております。

三重県松阪市が宣長さんの出身地です。松阪に本居宣長記念館があります。
昔、放送大学の面接授業を記念館で受けたことがあります。
授業で館長は「親しみを持って宣長さんと呼んでます。」と言っておられました。
その時に、記念館で購入したのが大祓詞の読み方が書いてあるこの本です。


昨日はホツマツタヱから大祓祝詞を学びましたが、今日は宣長さんとこの「現代人のための祝詞」から学びたいと思います。

まず、宣長さんは「中臣祓」でなく「大祓詞」だと注記します。それは、「中臣祓」とするとそれ自体が祓えの行法と勘違いされるからだというのです。
そして、大祓のときに神に申す詞であるから大祓の祝詞でもよいといいます。
また、祝詞とは神様に申す詞であるから、努めてその言葉を麗しくしなければならないといいます。
すなわちたとえ心がこもっていても、麗しくない言葉で綴った祝詞では、祈りも神様に通じない、つまり聞いてくださらない。というのです。たとえば、相手に恋い焦がれていても、相手に渡す恋歌が感動を与える良い歌でなければ、恋心は相手によく通じない。それは神様に申し上げる祈り言においても同じだというのです。
たとえば「日本書紀」神代巻には、天照大神が天の岩屋にお隠(こも)りになったとき、天児屋命(あめのこやねのみこと)は「広く厚く称え辞を祈み啓し」たとあります。すなわち、祝詞を奏上されたのです。すると天照大神は「いまだかく言の麗美(うるわ)しきはあらず」と仰せられて、盤戸(いわと)を少しお開けになりました。それはまさしく天児屋命が「申す詞の美麗しきに感賞給(めでたま)」うたからであります。
だからこそ、正しく麗しい言葉を選んだ祝詞を作るように努めよと宣長さんは主張したのです。

そして、後世の人の心が、古代人のように純朴でなくなってきているので、まずそうした心を神様と同格の状態になるように祓い清めてから神様にお祈り申し上げよ。と教えたのです。
これは近世前中期の儒家神道家に対する「神様をなおざりにしてはいけない」との戒めの想いでもあったのです。理を考え神様を直視していないから神様に申し上げる詞を選ぶという大事な作業を忘れてしまっているというのです。

そもそも「大祓詞」は祓えの行法を行って、そのあとに祓えの行法を行ったことを改めて神様に申し上げる詞です。それを祓えの行法を省略して「大祓詞」だけ読み上げるのは、かえって神様を欺き申し上げるもので、たとえ詞が麗しくても、ただ読み上げるだけでは、罪穢れは清まらないと宣長さんは語気強く注意したのです。

※私たちには、『浄霊』『御教え拝読』がその行法にあたるといえるのではないでしょうか。
そして、掃除ということもまた祓えの行法であると思います。


さて、宣長さんは「大祓詞後釈」の後半で「大祓祝詞」に登場する四柱の神(瀬織津比咩・速開都比咩・気吹戸主・速佐須良比咩)について独自の神学を披露しています。

瀬織津比咩は、伊弉諾大神が阿波岐原で禊ぎをしたときに生まれた禍津日神であるとします。
古事記では、その時に生まれた祓えの神は
禍津日神(八十禍津日神・大禍津日神)
直毘神(神直毘神・大直毘神)
伊豆能売神
の三種五柱の神様が生まれました。瀬織津比咩の名はありません。
そこで、宣長さんは「倭姫命世紀」の「荒祭宮一座、皇大神荒魂、伊弉諾大神の所生神(なしませるかみ)、名(みな)は八十禍津日神なり、一名(またのみな)は瀬織津比咩神是れなり」を根拠に、瀬織津比咩は禍津日神であるとしました。

「そもそも禍津日神は、世の中の凶事(まがごと)を生(な)し行う神なるに、瀬織津比咩は罪穢をはらひ滅ぼす始めなれば、生(な)ると減(へ)ると表裏(うらうへ)の違ひなるが如くなれども、これぞ祓への主意(むね)にて、深き理(ことわり)ある言(こと)なりける」といい、そして、「まづ、祓を行ひて、罪穢を清め流すは、黄泉の国の穢より起これる禍津日の凶事を、また本の黄泉の国へ返しやるわざ」である。と付け加えました。
それが、瀬織津比咩が禍津日神でありながら「大祓詞」に必要な神様であると主張したのです。
速開都比咩は伊豆能売神で、「御禊によりて清らかに清まりたるよしの御名なり」
気吹戸主は直毘神
速佐須良比咩は、禊のときに生まれた神ではなく、素戔嗚尊の娘須勢理毘売尊(すせりびめのみこと)であるといいます。

宣長さんは、世の中のすべての凶事について、初めは黄泉の国から発生したのだ。そしてその凶事を黄泉の国へ返すことが祓えであるとしました。
大国主が八十神の禍事が原因で黄泉の国へいかれたのは、その禍事が発生した黄泉の国へ返した事になります。つまり祓へなのです。次にこの禍事を黄泉の国におられた須勢理毘売尊がはるか彼方へお渡しになります。そのおかげで大国主神は黄泉の国から顕国にお帰りになると世に類なき功績を立てることができたのです。ですから大国主神の功績は「祓への験(しるし)を立給ふ卸しわざなり」と宣長さんは考えたのです。


宣長さんの大祓詞の解釈をごく簡単に学ばせて頂きました。
基本的に、「大祓詞」は祓えの行法を行って、そのあとに祓えの行法を行ったことを改めて神様に申し上げる詞である。
ということから、浄霊によって心を浄め、詞を選んで麗しい言霊で神様に奉告をさせていただくのが「大祓詞」であるといえるのではないでしょうか。


【御教え】善と悪 天国の福音 昭和22年2月5日
『まず神の意志とは何ぞやというに、それは絶対愛と慈悲そのものである。しかしながら私の言う神とは正しい神であって、邪神ではないという事も変な訳であるが、神には邪はなく正そのものが本質であるからである。従ってここでいう邪神とは、本来正しい神でありながら一時的過誤に陥ったという訳である。なぜ神にして過ちを侵すかというに、正神邪神は常に闘争している。その場合八百万の神といえども最高級の神から最下級の神に到るまでの階級は百八十一とされている。従って二流以下の神は往々邪神に負ける。すなわちある期間邪神の虜になるのである。本居宣長の歌に「八百万神はあれども心せよ鳥なるもあり虫なるもあり」というのがあるが、その点をよく喝破している。』

【御教え】御光話(S23年8月8日)
『字にもいろいろ意味があるが、これはちょっと簡単には言えない。……いま言霊の判る人は私一人くらいでしょう。以前は出口王仁三郎が判っていたが、その先生に当たる人は長沢という名古屋のほうの人であり、さらにその前は本居宣長です。宣長の部屋には鈴が七十五下げてあって「鈴の屋」といったのですが、これは言霊には二十五母音五十声あり全部で七十五声になる、それから出ているのです。』

【御教え】御光話録18号、昭和25年4月23日
『――現在言霊学についていろいろ研究されておりますが、真の言霊学とは思われない点が多いように存じますがいかがでしょうか。

 これはまったくですね。ラジオでやってる仏教の講義なんか聞いてると、実にコジツケもはなはだしいものがありますよ。とてつもない手前勝手な解釈なんかもしてますね。私はこれからだんだんと本当のことを説くつもりですがね。……言霊学っていうものは非常に難しいものなんです。これはごく昔はあったそうですが、中絶してしまっていたんです。それを本居宣長が国文学を基礎としてそうとう研究した。だから本居宣長が言霊学の開祖というわけですね。これを岐阜の神官の長沢という人が 宣長から学んで、ある程度の進歩をさしたんです。そしてその長沢の弟子が出口王仁三郎なんですよ。だから出口先生もそうとう言霊が判ってたんです。で、私は出口先生からも教わりましたが、それと神様から知らされたのと両方ですよ。だから、私が一番言霊学を知ってるつもりですがね。しかし、言霊のことは判っていても発表できないんですよ。なぜかって言うと、本当の言霊が判るといろんなことが判ってしまぅからです。最近はまだいいんですが、終戦前には決して詳しく言霊のことを話さなかったんです。言霊で解釈すると天皇のことなんかもよく判るんです。神武天皇からずっと明治天皇、大正天皇、いまの天皇のこともみんなはっきりしちゃうんです。ところが、あのころにそんなことが当局に知れでもしたらたいへんですからね。昭和っていう年号のことだって実によく判るんです。いまでこそ言いますがね、「昭和」には昼の世界になるってチャンと出てるんです。なんと言ったってしかたがないですよ。まったく、実にたいしたものなんですよ、言霊ってものは。言霊が判れば、あらゆる神秘が判りますからね。まあ、ある程度言霊について書くつもりですが、他に仕事が多くて、それに追われてるんでね。』


【御教え】地上天国20号、昭和26年1月25日
(お伺)
 言霊学の起源について。

(御垂示)
 この学問は二千数百年以前からあった。天津祝詞のできたころである。その後断絶したのを、かの有名な本居宣長翁が再興して、七十五声の言霊を解剖し、一々の活力を解説したのである。その後静岡県清水市美保神社の宮司長沢雄楯(かつたて)師が宣長師の言霊学を基本として、いっそう深いものとしたのを、大本教教主出口王仁三郎師が弟子となって学ぶとともに、より高いものとしたのである。ところがそれを私は出口先生から教えられるとともに、私独自の言霊学を樹立したのである。いずれ余暇ができたら言霊のなんたるかを解くつもりである。


【御教え】御垂示 S26年6月2日
『「芸術は言葉をもって表現されることがあります。そういう意味から申しますと、日本人の言葉は優秀性に富んでおりますが、昔の純粋の大和言葉が良いのでございましょうか。それとも新造語のほうでございましょうか」

 いや、それは違う。七十五声完全に言えるのは日本人の言葉です。本居宣長が発見したんです。天井に紐を吊って鈴をつけて、七十五声を鈴で型取った。その 家を「鈴の屋」といったが、有名なものです。そこで、言霊の研究をした。だから、言霊というのは一つ一つ意味がある。それで、一つ一つの綴り 方によって、善の働きと悪の働きをする。これは別に何でもない。良いことを言えば善の働きをする。悪い――泥棒しようとか、ぶんなぐろうとかいう言霊は悪い意味になるでしょう。悪い意味になると、人間の耳に入っても良い気持ちはしないです。あの人を良い気持ちにしよう、とかは霊界に――霊界といってもいろいろある。言霊界に言葉は響く。それから考えですね。良い考え、悪い考えですね。それは想念界に影響する。これは言霊界より、もう一層深 い――密度のごく濃いわけですね。だから、気持ちを想うだけで霊界が違っちゃう。そこで、良い言霊を使う。そこで御讃歌とか祝詞とか良い言霊を使ってあ る。良い言霊と言っても、読んでスラスラと感じが良くなければならない。良い言霊でも、感じが良く、柔らかく、滑(なめ)らかに、いかなければならないで すね。そうすると、日本の仮名書きなんか、ごく上等になっている。』


【御教え】邪神というもの 昭和26年10月1日
『世の中の一般の人は神といえばただ有難いもの、人間以上の尊いものと思い込んで一途に礼拝し崇めているが、こういう人達に知らせたい事は、単に神といっても彼の本居宣長のいわれた通り狐、狸、天狗、龍神等もあり、むしろ邪神の方が多いくらいであり、その証拠には世の中には善人よりも悪人の方がずっと多いのが何よりの証拠であり、つまり神界と人間界と並行しているのが世の中の実相であるからである。』

【御教え】御垂示 S26年12月8日
『書こうと思っているが、どうも神様から許されない。というのはわけがあるんです。言霊が分かると神秘が分かるんです。土地でも名前でも、神秘が分かるんです。すると具合が悪いことがある。言霊学としては、本居宣長ですね。二千年か三千年前には、言霊というのはあったそうだね。それがしばらく絶えちゃったので、本居宣長が復活したんですね。だから、中興の祖としてある。そのあとは長島静史といって、静岡県のです。その弟子が大本教の王仁三郎先生だ。私がその弟子になる弟子だけれども、私は独特なものを自分で編出した。それを自分は実用に使っている。』