ホツマツタヱについては
メシヤ講座(№100・平成21年5月分)
そして、その後“何故この大分県の玖珠という所で「主之大御神」様の最初の御神体を御奉斎しなければいけないのだろうか”、“どうしてこのようになったのだろうか”ということを考えつつ御教えの検索、それから「○」に「・」というお文字の研究に没頭をしましたところ、以前「メシヤ講座」でお話した通りのことが明らかになったのです。

 このお文字は今から約三千年前に使われていたホツマ文字の中では「あ」という文字であります。「日本人に神様が『あ』という言霊(ことたま)を教える際に、『あ』という言葉が出る前に霊界の方でまず『クスツフムヌル』という無声の声が響いて、それが飽和状態になった時に「あ」という言葉が成り出でたとのことです。それでこのお文字というのは「クスツフムヌル」ということをしっかりと認識しなければいけない、という想いに至った訳であります。

のように、メシヤ講座で何度か取り上げられております。

そこで、今節分祭を前にして神言(大祓祝詞)を学んでおりますが、ホツマツタヱに大祓祝詞の記述の見られる箇所を調べてみました。興味のある方は一緒に確認いたしましょう。

下記の本を参考にいたしました。




不忠の天稚彦(あまわかひこ)

まず、立春の御教えに国常立尊様を押し込めた主導者は天若彦命だとあります。
「ホツマ」には喪祭りについて、天孫瓊瓊杵尊(ににきねのみこと)の喪は四十八日だった。
それに対して天稚彦(あまわかひこ)の殯(もがり・・仮の葬儀)は八昼八夜の記述しか見られません。
四十八日というのは「アワの歌」の四十八音に通じており、一音を一日として喪祭りをしていたのです。
天稚彦の喪が短いのはその死んだ理由にありました。
記紀においては、天稚彦は葦原中津国(あしはらのなかつくに)へ派遣されたことになっていますが、「ホツマ」では出雲なのです。
出雲八重垣の臣の素戔嗚尊の御子大己貴命は、国が繁栄していたため奢り宮中に比肩するような宮(古代出雲大社)を建ててしまったのでした。そこで、当時行政、司法、治安維持などの仕事をしていたと思われる、日高見仙台の多賀に坐す高皇産霊尊が穂日命につづいて天稚彦を遣わすのですが、近江葦原国をわがものにしようとして大己貴命に媚びへつらってしまいます。そこで、日高見では、密使を遣わし様子を探ります。ところが天稚彦はこの密使を高皇産霊尊からいただいた羽々矢(ははや)で殺してしまうのです。するとその密使の無念の心が、遠く日高見まで届き、事情を察した高皇産霊尊は、天稚彦に念力の返し矢を放ち呪詛してしまいます。
このように天稚彦は、不忠でしたので、鳥にたとえた鳥葬という葬儀がなされたのです。

大蛇の転生
その昔、恐ろしい二頭の大蛇が暗雲のごとくうごめいていました。ひとつは九頭の大蛇、もう一つは八岐の大蛇でした。この二頭の大蛇は椋杵命(くらきねのみこと)の娘である持子、早子へと転生してしまったのです。そして姉妹はそれぞれが天照大神(あまてるかみ)の十二后となってしまうのです。
やがて持子は天照大神との間に穂日命(ほひのみこと)を生みます。その後、中宮瀬織津姫(せおりつひめ)は嫡男忍穂耳尊をお生みになります。

持子、早子の父椋杵命は細矛足国(さちほこたるこく)の国司でした。民のサシヒメを妻として椋子姫をもうけます。
椋杵命が身罷ったときに、白人(しらびと)が椋子姫を娶ります。
椋子姫が父椋杵命の遺体を立山に納めると、義母であるサシヒメとも内通していた白人は、椋子姫とサシヒメを捨てて津に送ってしまいました。
その後サシヒメの兄である胡久美は、実の妹サシヒメと、その子椋子姫を無理矢理犯してしまうのです。
この記述は六月の晦の大祓(みなづきのつごもりのおおはらへ)に「白人、胡久美、おのが母犯せる罪、おのが子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪」と伝承が残っています。

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延喜式祝詞にもあります。

大祓詞 - 延喜式祝詞から
 
みなづきのつごもりのおおはらへ(しはすはこれにならへ)
六月晦大祓 (十二月は之に准へ)
 
うごなはりはべるみこたち おほきみたち まへつぎみたち もものつかさのひとども もろもろききたまへよと のたまふ
集はり侍る親王 諸王 諸臣 百官人等 諸聞食へよと宣ふ

すめらがみかどにつかへまつる ひれかくるとものを たすきかくるとものを ゆぎおふともをの たちはくとものを
天皇が朝廷に仕奉る 比礼挂くる伴男 手襁挂くる伴男 靫負ふ伴男 剱佩く伴男 

とものをのやそとものををはじめて つかさづかさにつかへまつるひとどもの あやまちおかしけむくさぐさのつみを
伴男の八十伴男を始めて 官官に仕奉る人等の 過犯しけむ雑雑の罪を 

ことしみなづきのつごもりのおおはらへに はらいたまひきよめたまふことを もろもろききたまへよと のたまふ
今年六月の晦の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食へよと宣ふ

たかまのはらにかむづまります すめむつかみろぎかむろみのみこともちて
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 

やほよろづのかみたちを かむつどへにつどへたまひ かむはかりにかはりたまひて あがすめみまのみことは
八百万の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫之尊は 

とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたひらけくしろしめせとことよさしまつりき
豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き

かくよさしまつりしくぬちに あらぶるかみたちをば かむとはしにとはしたまひ かむはらひにはらひて
如此依し奉し国中に 荒振神達をば 神問しに問し賜ひ 神掃に掃賜ひて 

こととひしいはね こだち くさのかきはをもことやめて
 
語問し磐根 樹立 草の垣葉をも語止て 

あまのいはくらはなち あまのやへぐもをいつのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき
天磐座放ち 天の八重雲を伊頭の千別に千別て 天降依し奉き

かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひたかみのくにをやすくにとさだめまつりて
如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て 
したついはねにみやばしらふとしきたて たかまのはらにちぎたかしりて 
下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 

すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて あまのみかげ ひのみかげとかくりまして
皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭 日之御蔭と隠坐て 

やすくにとたひらけくしろしめさむくぬちに なりいでむあまのますひとらが あやまちおかしけむくさぐさのつみごとは
安国と平けく所知食む国中に 成出む天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は

あまつつみと あぜはなち みぞうめ ひはなち しきまき くしざし いきはぎ さかはぎ くそへここだくのつみを
天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を 

あまつつみとのりわけて
天津罪と法別て

くにつつみと いきはだたち しにはだたち しろひと こくみ おのがははおかせるつみ おのがこおかせるつみ
国津罪と 生膚断 死膚断 白人 胡久美 己が母犯罪 己が子犯罪 

ははとことおかせるつみ ことははとおかせるつみ けものおかせるつみ 
母と子と犯罪 子と母と犯罪 畜犯罪 

はふむしのわざわひ たかつかみのわざわひ たかつとりのわざわひ
昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 

けものたふしまじものせるつみ ここだくのつみいでむ
畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ

かくいでば あまつみやごともちて おおなかとみ あまつかなぎをもとうちきりすえうちたちて
如此出ば 天津宮事以て 大中臣 天津金木を本打切末打断て 

ちぐらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたちすえかりきりて
千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 

やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ

かくのらば あまつかみはあまのいはとをおしひらきて あまのやへぐもをいつのちわきにちわきてきこしめさむ
如此乃良ば 天津神は天磐門を押披て 天之八重雲を伊頭の千別に千別て聞食む 

くにつかみはたかやまのすえひきやまのすえにのぼりまして 
国津神は高山乃末短山之末に登坐して 

たかやまのいほりひきやまのいほりをかきわけてきこしめさむ
高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む

かくきこしめしてば すめみまのみことのみかどをはじめて あまのしたよものくにには つみといふつみはあらじと
如此所聞食てば 皇御孫之命の朝廷を始て 天下四方国には 罪と云ふ罪は不在と 

しなとのかぜのあまのやへぐもをふきはなつことのごとく
科戸之風の天之八重雲を吹放事之如く 

あしたのみきりゆうべのみきりを あさかぜゆうかぜのふきはらふことのごとく
朝之御霧夕之御霧を 朝風夕風の吹掃事之如く 

おおつべにおるおおふねを へときはなちともときはなちて おおうなばらにおしはなつことのごとく
大津辺に居る大船を 舳解放艫解放て 大海原に押放事之如く 

おちかたのしげきがもとをやきがまのとがまもちて のこるつみはあらじと はらひたまひきよめたまふことを
彼方之繁木が本を 焼鎌の敏鎌以て打掃事之如く 遺る罪は不在と 祓賜ひ清賜事を 

たかやまのすえひきやまのすえより さくなだりにおちたきつはやかわのせにますせおりつひめといふかみ
高山之末短山之末より 佐久那太理に落多支都速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神 

おおうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば
 
大海原に持出なむ 如此持出往ば 

あらしほのしほのやほぢのしほのやほあひにますはやあきつひめといふかみ
荒塩之塩の八百道の八塩道之塩の八百会に坐す速開都比咩と云神 

もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ
持可可呑てむ 如此可可呑てば 気吹戸に坐す気吹主と云神 根国底之国に気吹放てむ

かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににますはやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ
如此気吹放てば 根国底之国に坐す速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ

かくうしなひてば きょうよりはじめてつみというふつみはあらじと
如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在と 

たかまのはらにみみふりたててきくものと うまひきたて 
高天原に耳振立聞物と 馬牽立て 

ことしみなづきのつごもりのひの ゆふひのくだちのおおはらへに
今年六月の晦日の 夕日之降の大祓に 

はらひたまひきよめたまふことを もろもろききたまへよとのたまふ
祓給ひ清給ふ事を 諸聞食へよと宣ふ

よくにのうらべども おおかわぢにもちまかりいでて はらへやれとのる
四国の卜部等 大川道に持ち退り出でて 祓へ却れと宣る

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やがて、兵主命(つわものぬしのみこと)の訴えにより事件が発覚し、白人、胡久美は死刑が確定する。しかし、天押日命(あめのおしひのみこと)を持子が椋子姫にめあわせ椋杵命の政務を継がせる。
白人、胡久美の両名はこの祝いに乗じて恩赦を受け、死罪を免れて※流罪(さすら)となり雲洲簸川に流される。
※大祓祝詞に「早さすらひめという神」とある。

破れた素戔嗚尊の縁談
素戔嗚尊は、この事件が起きた根の国、細矛千足国(さほこちたるくに)を整え終えて、真名井の朝日大神宮に詣でられました。
※大祓に「根の国・底の国」とあります。

この時に宮に参拝に来ていた早吸姫(はやすうひめ)に一目ぼれしてしまいます、
しかし、素戔嗚尊はご自分のお宮がなく婚儀がまとまりませんでした。
そのような不安定な心のまま素戔嗚尊は大蛇の転生である持子、早子姉妹のいる北の局(きのつぼね)に折々宿るようになってしまいます。そしてとうとう早子と蜜情(かげのみやび)を交わされてしまったのです。

持子、早子の陰謀
早子は天照大神(はやてるかみ)を欺き、素戔嗚尊を天位に即かせようともくろみます。
中宮瀬織津姫は察知し、二人を退けます。しかし、「瀬織津姫が妬み、われらを退けたのです」と素戔嗚尊にいうと、早合点をした素戔嗚尊は「瀬織津姫をいざ打ち殺さん」と怒り剣を持ち行こうとされます。しかし、早子は「どうせなら機を待ち天下を奪うように」と素戔嗚尊を制止します。
そこに突然通りかかった花子姫がその様子を見て姉の瀬織津姫に告げます。
瀬織津姫は早子、持子に「本来汝らの悪業が発覚すれば死罪は免れぬところを、筑紫の宮に蟄居し、竹子、たき子、田奈子を養育せよ」と憐憫の情けをおかけになります。
しかし、早子は自分の娘の三女を養育しませんでした。

やがて持子、早子は流浪(さすら)の身となり、怒りと妬みの怨念が凝り固まり、持子は九頭、早子は八岐(やまた)の大蛇と変じてしまいます。二大蛇は同じく世にわだかまっていた白人、胡久美らも自分たちの配下にしてしまったのでした。

天岩室
くわしい事情を知らない素戔嗚尊は、短慮のあまり怒りに怒って乱行をはたらき、とうとう瀬織津姫の妹花子姫を傷つけ、死に至らしめてしまいました。
天照大神は素戔嗚尊に「汝は汚き心あり、国をわがものにしようとするなど、もっての他である」とおっしゃって、諭しの歌を詠まれました。

天(あま)が下 和(やわ)して巡る 日月こそ 晴れて明るき 民の親(たち)なり

しかし、素戔嗚尊はこの御製を耳にも入れずなお怒りつづけるのです。
天照大神(あまてるかみ)はこの所業を恐れられ、岩室の戸を堅く閉ざされて引きこもってしまわれます。すると、天下は昼夜の区別もないような暗闇の世界と化してしまいました。
諸神は困り果て、高天原にて神議りされました。
その結果「常世(とこよ)の踊り」を舞い歌うことになり、声をそろえて歌い踊りました。
その後諸神の努力により、無事天照大神がお出ましになられ、天下は再び活気を取り戻したのでした。

千暗の罪
素戔嗚尊は、高天原で神々に審議されることとなりました。

360度
その当時の刑法は罪状によって上の図のようになっていました。
360度を過ぎると死罪なのですが、素戔嗚尊は、なんと※千暗(ちくら)の過ちを犯したことになってしまったのでした。これは千度のことですから当然死罪です。

※大祓に「千座の置座に置き足らわして」とあります。

素戔嗚尊は、いましも殺されんとしたとき瀬織津姫から使者が来ます。
「蒼稲魂神(うけのみたま)の神力により、花子姫を蘇生させることができた。蘇った悦びにより四百祥(よもさ)(善)を償ったので、今一度審議しなおし、祥禍(さが)(善悪)を明かしなさい」ということでした。
そして添えられた御歌に

素戔嗚尊が 仕業は血脈(しむ)の 虫なれど 祥禍無く恙(つつが) なからんやわや

中宮の情けの深さに諸神みな涙し、ふたたび審議が行われ、その結果交わりを去る刑となり、素戔嗚尊は、下民となられました。そしてサスラヲと名付けられ雲洲簸川(ひかわ)と流れていくのでした。
(孝昭天皇の代に出雲大社から勧進された氷川神社は素戔嗚尊を御祭伸としています。)

ところで、先に早子が生んだ竹子、たき子、田奈子の三女神は、母の早子と素戔嗚尊の蜜情(かげのみやび)の過ちを知ると、自ら流浪(さすら)の身となられたのです。後日罪を晴らした三女神は、天下晴れてそれぞれ縁を結ばれ、竹子姫は大己貴命(おおむなちのみこと)の妻となりのちに沖津島神となられました。たき子姫は香久山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻となり、相模江之島神となられました。そして田奈子姫は伊吹戸主命の妻となり、のち厳島神となられたのでした。

八俣の大蛇との対決
先に素戔嗚尊が求婚された早吸姫は、素戔嗚尊と密通した早子の変じた八俣の大蛇にかみ殺されもはやこの世の人ではありませんでした。そうとも知らず、血脈(しむ)に流れる荒金の血によって下民に落ちた素戔嗚尊は、出雲路を流浪(さすら)っていました。
簸川の八重谷に潜んでいたに八俣の大蛇は、足名椎命(あしなづちのみこと)の娘を七人も食い殺してしまったのです。足名椎命の娘は稲田姫だけとなり途方にくれていたところに素戔嗚尊が通りかかり、「私は天照大神の弟である。姫を私にくだされば大蛇を討ち果たそう」といい、姫姿となり待ち構えます。やがて大蛇が現れ、八舟の樽に入った酒を飲みほすと酔い眠ってしまいます。素戔嗚尊は、よい気持ちで眠る大蛇をずたずたに切り裂いてしまいます。すると大蛇の尾から一振りの剣が現れたのです。これを叢雲の中に出没する大蛇にちなみ、叢雲の剣と命名されました。


荒金の血
その後、素戔嗚尊は、めでたく稲田姫を妻にされ大屋彦命をもうけられました。
素戔嗚尊は、先に近江安川の思兼命と暮らしていた姉和歌姫(昼子姫)に別れを告げに会いに行かれた時に「もし初めに生む子が男子ならば、私の心が清らかになった証でしょう。」と姉に誓いを立てられていました。そして今、男子をもうけられたので、そのことを告げに姉和歌姫のもとへふたたび参じたのでした。すると和歌姫は「あな穢らわしや。恥を知れ。このハタレ魔による世の乱れは、みなおまえの荒金の血が惹き起こしたことであるぞ。さっさと出雲へ帰るがよい」とおっしゃるのでした。

出雲路をとぼとぼ歩く素戔嗚尊は、おのれの荒金の血の恐ろしさを知り、ハタレとは、自分の奢る心のわがままが原因であったと後悔されましたが、今となっては遅く、蓑笠と剣を討ち投げて地にひれ伏し、大眼より滝のような涙を流し号泣するのでした。

共涙(ともなんだ)
そこへ、ハタレ根の白人・胡久美らを討たんと出雲にやってこられた伊吹戸主命(大祓祝詞に「気吹戸主という神、根の国・底の国に気吹放ちてむ」とあります)
叔父素戔嗚尊とは八年ぶりの再会でした。
おのれの血脈(しむ)の愚かさを嘆き、素戔嗚尊は、歌を詠みます。

天元(あも)に降る 吾が蓑笠ゆ 血脈(しむ)の実木(みき) 三千(みち)日降(ふ)るまで 荒ぶる恐れ

宮中より下り下民となりはて、蓑笠をつけ流浪(さすら)うこの情けない私の姿は、実から木が生じるように自分の播いた種であった。ハタレ魔軍が起り、八年間もの間世を動乱させてしまった。わが身の荒々しさを今となって恐ろしく思う。

と三度歌われると、甥の伊吹戸主命はさすがに肝にこたえて、
「叔父上、いかに血脈に荒金の血がながれていようとも、天照大神とは血を分けた兄弟ではありませんか。私と共に根の国の白人・胡久美らを討ちにまいりましょう。功を立てれば大御神の心もきっと晴れることでしょう。」と素戔嗚尊と共に白人・胡久美討伐に向かいました。

許された素戔嗚尊
素戔嗚尊と共に白人・胡久美らを討ち果たした伊吹戸主命は、天照大神に馳せ参じ報告するとたいそう喜ばれました。褒美に伊吹戸主命山田県を賜り、素戔嗚尊は八重垣幡を賜りました。この八重垣幡こそ宮中に忠義をつくす臣としての印なのです。

「八雲立つ」の御神読詠
素戔嗚尊は天晴れて、天照大神を敬い申すこのめでたき日を祝い、清(すが)の地に櫛稲田宮を建てられました。細矛千足国も国号を改め出雲国となりました。太平の世が訪れたのです。
宮の完成前に稲田姫は身籠もっていました。素戔嗚尊がこの時の心境を歌に詠まれたのが、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣わ

この御詠を姉和歌姫に捧げました。和歌姫はこの歌に、素戔嗚尊の至りついた清浄な境地を察せられ、血脈の情より素戔嗚尊をお許しになりました。

歌の解釈
常に叢雲の立ち昇る八重谷に住む大蛇を、私はこの出雲の地で討ち果たすことができました。天照大神からは忠臣として八重垣幡まで賜ることができました。その悦びに私はこの出雲の清(すが)の地に宮を築き、八重垣の臣としての忠誠を誓う印として、八重垣をはり巡らします。折しも腹籠もった妻を、その宮の中に籠め、夫婦睦まじきことによって顕れる神力によって、みごと大蛇から妻を守護し朝敵から大君を守護奉ります。
また、和す教えをもって民を養育いたします。
天照大神(あまてるかみ)の「和して巡る」の歌の真意がようやく理解できました。
もう決して大蛇などには惑わされたりはいたしません

という誓いと決意の歌だったのです。


ふたたび転生する大蛇

hotuma

大蛇の物語はここで終わったわけではありませんでした。
九頭の大蛇と変じた持子の大蛇は、瀬織津姫をかみ殺さんと百五十万年の間、ヱゾの白竜の岳に潜んでいたのです。
素戔嗚尊の子、大己貴命と竹子姫との間に生まれた島津彦命は、敦賀の浜で九頭の大蛇を発見します。
大蛇を追いつめると、越(こし)の国の洞窟から逃げ信濃に出ました。
伊勢におられた戸隠しの大人(うし)は信濃に馳せ大蛇に「おまえは今、身の怨念の炎を絶たねばならぬ。わが御饌(みけ)を喰んでつぐみおれ。穢れの身を清めれば罪も消え、また人と生まれかわることもできようぞ」

一方、素戔嗚尊に斬り殺された早子大蛇は大山祇命の娘磐長姫(いわながひめ)へと生まれかわり、後に、天孫瓊瓊杵尊の后でありわが妹である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を陥れんと某計をめぐらすのです。

ホツマにおける思想の中でもとりわけ重要といえる「伊勢の道」を陽の部分とするなら、この女の怨念としての大蛇の記述は、陰の部分であるといえるでしょう。
そしてこの醜悪な大蛇が天照大神の側室となり、あるいは素戔嗚尊と情を結び、さらには天孫瓊瓊杵尊とかかわってくるという、本来なら人には語りたくない部分をあえて後の教えとするために正直にホツマツタヱは語っているのです。

伊勢の道

伊勢はイモ・ヲセの略
イモオセ、すなわち男女というものは、誰という区別なく、みな天地の法則、原理をその中に備えていると書かれています。
「キミ」の男女二神h、天を照らす日月のようなものだというのです。
また国を守る神々もまた、国を照らす日月であり、国の中で暮らす民にも日と月があるわけです。
さらには陰(メ)の中にも陽(ヲ)である炎があり、陽(ヲ)の中にも陰である水があると書かれています。すなわち、陰は陽を内包し、陽は陰を内包しているのです。

日月星
月である女は、日である男の光を受けて初めて輝くものである。
この思想は伊弉諾尊、伊弉冉尊の「天御柱巡り」に関連するものなのです。
しかし、注意するべきことは決して男優女劣を表しているのではないということです。
天体の法則である日先月後、天の循環と一体となるための法則だったのです。

そしてこの「男女の道」の教えの次にあるものは、

末を思ひて 睦まじく 枝を務むる 伊勢の道かな

睦まじく 子を産み育て また譲る という日本伝統的思想の根幹ともいえる子孫繁栄の思想です。「伊勢の道」は子孫繁栄のための道ともいえるのです。



ホツマツタヱに見られる、大祓祝詞の記述から素戔嗚尊様を中心とした壮大な大蛇(邪)との戦いの物語を知ることができました。
そして、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣わ」の歌は
〇夫婦睦まじきことによって顕れる神力によって、大蛇から妻を守護し朝敵から大君を守護奉ります。
〇和す教えをもって民を養育いたします。
〇もう決して大蛇などには惑わされたりはいたしません。
という誓いと決意の歌だったと知ることができました。

物語の根幹に流れるものは
睦まじく 子を産み育て また譲る
という夫婦和合子孫繁栄の道であったのです。

大祓祝詞の罪穢れの大祓い、お詫びの後には、このような誓いが望まれているのだと思うのです。