神言は大まかには七章で構成されています。

第一章 皇孫が地上に降臨されること
第二章 騒乱の地上平定のこと
第三章 宮殿御造営と罪の発生のこと
第四章 罪を浄むる神事のこと
第五章 神々罪を浄めたもうこと
第六章 祓戸四柱の神のお働きのこと
第七章 浄化を祈願する祈りの結び



第一章 皇孫が地上に降臨されること
の冒頭は、高皇産霊神様、神皇産霊神様 からはじまります。

男女二柱の御親神様(高皇産霊神、神皇産霊神)
この神様について、『主神から分かれて霊系の祖が高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、体系の神が神皇産霊神(かむみむすびのかみ)となられた。』『これは陰陽神であり、陽陰はすでに善悪である。そして悪に属する神を邪神、善に属する神を正神という。』と御教え頂いておりますので、主神様から分かれた最初の親神様がすでに善悪の神様であられたわけです。そしてこの
高皇産霊神様、神皇産霊神様は地上にはお生まれになっておりません。
この親神様が八百万の神々を招集されて会議を何度も開かれ相談されて最愛の直系のお孫様を地上に派遣することをお決めになられました


この高皇産霊神様、神皇産霊神様について御教えから確認させて頂きます。 
【御教え】昭和24年1月31日

――人類にはいかなるわけで悪があり苦がありましょうか。お伺い申し上げます。

 これは人類を造った神様でなくては、造られた人間では判り得べくもない。私も造られた人間であって造った方ではないからその真意は判らぬが、ただおよそその想像はできるわけで、無論なにかの必要があってそういうふうに造られたのと思う。
 元来、主神は全宇宙そのものがその御所有物であって善も悪もないが、『神典』にあるごとくその主神から分かれて霊系の祖が高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、体系の神が神皇産霊神(かむみむすびのかみ)となられた。
 これは陰陽神であり、陽陰はすでに善悪である。そして悪に属する神を邪神、善に属する神を正神という。この善悪が常に摩擦し争闘しつつ人類は生成化育し、今日のごとく輝かしい文化の発達をみたのである。この点が人間としての考え方の難しい所で「悪人を造っておいて裁くなら初めから造られなければいいではないか。審判などといって人間を悪いことをするように造っておきながら、罪を罰することは無慈悲不合理だ」という人もあるが、私としても造られた側に立っているので神意を知り得べくもないが、なんのために悪を造られたかの想像はつく。それはたしかに悪によって善が活動し文化が進歩を遂げたという事実である。しかしながら人間として悪い事をすると悪い結果が必ず来る。
 すなわち因果応報で、これは間違いのない事実であり、真理である。どんなにしても善でなくては栄えない。人を苦しめれば自分が苦しむ、人を幸福にすれば自分が幸福になる、そうすると善い事をしたほうが得だという結論になるから人間は善事を目標としなければならぬ。次に苦しみもなにかの必要があって造られたもので、現実の苦はいかにして抜除し得るかである。それは神から苦悩の元たる曇りを除いていただくほかはなく、神仏の光によって除いてもらうのである。観音教団の浄霊はそのためにできたもので、この浄霊により神の光が放射され曇りは解消し、苦悩はさっぱりと除かれるのである。
 そしてこの曇りは信仰と徳との程度により、大きくも小さくも除れるのである。
 邪念や言葉の罪などは、朝夕神仏を礼拝することによって大方は浄められるが、それのみでは本当でない。やはり人を幸福にすることが肝要で、信仰は拝むのみで本当に救われぬ。まず多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。


【御教え】地上天国4号、昭和24年5月25日
【問】分霊と化身について。

【答】分霊とはわけみたまと言い、人間にはないが神様はいくつにも霊を分けられる。しかし神社で同じ神様をほうぼうで祀る場合、神の分霊と言うが本当を言うと、家来の直系とか傍系などの神様もある。しかし天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とか高皇産霊(たかみむすび)、神皇産霊神(かむみむすびのかみ)とかはそうでないが、伊邪諾(いざなぎ)尊、伊邪冊(いざなみ)尊、天照大御神などは人体をもって一度この世に現われ給うた神であるから、爪や頭髪を分けて祭られたのである。
 化身で一番重要なことは、仏は全部神の化身であって、夜の世界の間は仏の世であるから神々は全部仏に化身された。天照皇大神が大日如来、月読尊が阿弥陀如来、稚姫君尊が釈迦如来というようにである。従って、仏滅ということは仏がみな元の神格に還り給うことである。善言讃詞に「観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明加来と現じ 応身弥勒と化し」とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロク神の化身である。従って、いずれは観音という御名もなくなる時が来る。霊界ではすでにほとんどなくなっている。

主神様から別れた直系の神様で、高天原におられお体を持って人間界にはおくだりになられていないことがわからせていただけます。
天津祝詞・大祓いの祝詞(神言)については、次のように御教え頂いております。

【御教え】御光話録15号、昭和24年12月20日
――天津祝詞はいつごろ、だれによって作られたものでしょうか。また、言霊学上どんな意味がありましょうか。

 これはね、作られたのは神武天皇以前でとても古いんですよ。これは日本が素盞嗚尊に征服されたころ作られたんです。そして天津祝詞は天津神が作られたんで、ま、大和民族の系統の神様ですね。この祝詞は非常に言霊がすぐれているからいいんです。大祓いの祝詞ってのもありますが、このほうは天津祝詞よりあとでできたんです。


神言に登場する祓戸(はらいど)四柱の神についての御教えを確認させて頂きます。

【御教え】惟神医術 明日の医術(再版)第二編 昭和18年2月5日
大自然も、天地間あらゆる物に、浄化作用なるものを行うのである。この事は、大祓(おおはらい)の祝詞中にあるごとく、祓戸(はらいど)四柱の神の担任せられ給うところであって、たとえていえば、地上に汚穢(おわい)が溜れば風に吹き払い、雨水によって洗い浄め、天日によって乾燥させるのである。また一軒の家においても、塵埃が溜ればそれを払い掃き水で洗い拭き清めるので、それらの事は人間においての病気、即ち浄化作用と同様である。従って、この場合、自然に放置すれば治癒するのは当然である。又浄化作用の期間中、発熱や痛苦等によって労務に耐えなければ休養すべきであり、食欲がなければ食わなければいいのである。それが自然である。そうして人間の浄化作用は人間自身の体が行ってくれるから、まことに都合がいいのである。
 故に、この意味において私の提唱する医術と健康法は飽くまで自然を本とし、自然に準(なら)うというので、惟神医術という所以(ゆえん)なのである。