節分祭・立春祭が迫っておりますので、『新・伝道手引』から学ばせて頂きたいと思います。

ここでの[解説]といのは『新・伝道手引』での解説です。

〇救われる人と救われない人が(次第に)決められる

・救われる人の方が少ない
【御教え】御教え集23号、昭和28年7月15日

『つまり神様の方が激しくなるわけです。大本教のお筆先に“神激しくなれば、人民穏やかになるぞよ”というのがありますが、なかなかうまく言ってありま す。そういうようなわけで、曖昧であったのがはっきりしてくるというわけです。だから分かる人は救われる人で、分からない人は滅びる人と、こういう具合に だんだん決まってくるのです。ところが分からない人の、滅びる方がずっと多いのです。ですからどんな人でも救われると思う人が、今までは大部分でしたが、 そうではないので、救われる人の方が少ないのです。ですから救ってやりたい救ってやりたいと、こっちで思っていても駄目な人は駄目なので、諦めるというこ とが肝腎です。それでミロクの世というすばらしい世の中ですから、あんまり汚い、※1わけの分からない人間は、かえって邪魔になるわけです。』

※1 ミロクの世(地上天国)は、神意のそのまま行われる世界であるから。

・救われる人は手数がかからない
【御教え】御教え集23号、昭和28年7月15日

『結局、最後の審判にはいって行きますが、それについて信者を作る場合に、今までは一人でも多く救いたいとしてましたが、これはあたりまえの話です。しか し、神様は大きな愛だから、どんな気の毒な者でも救ってくださると思ってますが、それは間違ってます。神様は、救う者と救わない者とをチャンと分けるので す。ですから救われない運命の者に骨折るだけ無駄になるわけです。救わるべき者と救われない者との判別、その考え方が大いに必要になるのです。それで救わ れそうな人は、そんなに手数はかからないのです。※2それだけの因縁がありますから、すぐに分かります。それから迷ったりいろいろゴタゴタするのは駄目なので す。そういう者にかかり合わないようにするのです。そのことを書きました。』

※2 救われるだけの因縁(祖先や自分の前世の徳)があるのだから「救われそうだ」と思えるようなよい徴(しるし)があるーーー信仰の話をよく理解する、人助けや御奉仕に熱心になり、神様に対して敬虔(けいけん)な心を持っている、等。

・分からない人は追わない方がよい
【御教え】御講話(S28年6月6日)

『それから、今までもそうでしたが、これからは信仰の話をしても分からない人は、あんまり追いかけない方がよいです。追い放した方がよいです。というのは 救世教はすばらしいものだ、神様はたいしたものだと言うが、それには違いないが、今度の最後の審判というものは、審判は善悪の裁きだが、ふつうは一人でも 多く、ほとんど世界人類が救われるように思いがちですが、救われる人はごく少ないので、あとはみんな駄目になる、滅びるのです。それをよく分かっていなけ ればならない。だから少し話して分からない人は放してしまった方がよいです。それは閻魔の帳の方ではチャンと消してあるのです。かえってその方が楽で、そ のために救われるべき方の人が遅れたりするからいけないのです。ですからそうした方が非常に楽で、救われるべき人が早く救われます。そのことを書きまし た。』

・御守護を頂いても迷う人は追わない方がよい

最後の審判とは、長い間溜まった罪穢れをこの地上から清算する浄化作用である。つまり、善人は救われ、悪人は永遠に抹殺される。しかも赦される者はごく少数であることを認識した上で信者はそれぞれ可能な範囲で一人でも多くの人を救うよう心がけるべきである。

【御教え】最後の審判とは何か  (栄二百十三号  昭和二十八年六月十七日)
(前略)
『右の如く※3救われる人よりも救われない人の方が多いとしたら、この事を信者はよく心得て置かなければならない。というのは病気を治し救おうとする場合その見別けが必要である。成程誰も彼も一人残らず救ってやりたいのは山々だが、右の如くであり時の進むに従い、救われる人と救われない人とは自ら判るようになるからで、これは※4神意である以上、如何共し難いのである。

従って浄霊を嫌ったり、話に耳を傾けなかったり、逆にとったりする人は、※5已に救われない側に運命づけられたからで、そういう人を何程分らせようとしても無駄であり、反って救わるべき人が疎かになるから注意すべきである。

又折角御蔭を頂いても大病が治り一時は感激しても、時の経つに従い忘れたり、迷ったりする人もあるが斯ういう人は已に縁が切れ、滅びの方へ廻ったのだから、手放した方がいいのである。以上によっても分る如く、これからは入信させようとする場合、素直に受入れる人はいいが、そうでない人は縁なき衆生として諦めるより仕方がないので、この意味に従い最後に近づくにつれて信者諸君は先ず善悪を判別する事である。 

※3 夜の世界の間に大部分の人が、あまりにも多くの罪を犯しているから、神様の救いにあずかることのできる人は少ない。---究極は、「神様を押し込めた罪」に至る。

※4 時が進む(すなわち神業が進展する)とともに、救われる人と救われない人を立て別けるのが神の意志である。

※5 その人は罪穢れが多すぎて救えないと神様が決定された。---浄霊を受けないから救われないのではなく、救われる資格がないから浄霊を受ける心がおこらない。頭が悪いから話が分からないのではなく、救われる資格がないから神様の話が理解できない。


〇分からない人は諦めること

・浄化作用が強くなるにつれて
【御教え】御講話(S29年1月25日)
『それから浄化作用ですが、これはみんなよく知っているでしょうが、だんだん強くなってきてます。来月立春祭を過ぎると、またかなり強くなるわけなので、 信者の人はよほどボヤボヤしていられないことになるのです。というのは、つまり片づくと言いますか、良くなる人と悪くなる人がはっきりするとともに、肉体 ではもういけないというように、つまり決められるわけです。これもあんまり良い気持ちはしないのです。やっぱり肉体で働いた方がよいです。霊界で働くのは ずっと後の遅い方がよいわけです。

これは信者未信者にかかわらず、最近随分死ぬ人があるのです。私などもハッと思うようなことがあるのです。しかしまだま だ序の口です。今年の節分過ぎあたりから序の口に入るというような時期になるわけです。それで最初は信者の人が多いですが、それからだんだん一般の人に及 ぼすようになってきます。霊眼で見る人がよく言いますが、今霊界は死人の山なのです。そうなって初めて私の唱える医学の根本が分かるわけです。そうなると 病気は救世教の浄霊より他に駄目だということが分かって、一ぺんに信者が増えるわけです。天手古舞(てんてこまい)をする時期が来るわけです。それは一度 に来るわけではないので、だんだんにそうなってきます。』


【御詠】 S29.3.3
『滅ぶ者 生き残る者立ち別れ かくて終わりの日となりぬらん』

〇悔い改めの必要性
・罪の根源について
【御教え】昭和29年3月初め『新・伝道手引』24頁
ーーー罪の元は薬であるという教えもあり、神を押し込めたことが罪の根本だという教えもございます。この二つの教えの関係はどういうことでしょうか、またその「押し込めた罪」というのは人類全部にそういう罪があるのでしょうか。

『勿論神を押し込めたことが罪の根本です。薬毒というものは浄霊をすれば取れるものです。みんな神を押し込めた罪がある。教団も幹部ほどその罪は重い。私を世に出して※6その罪が消える。要するに私というものが分かればよい。しかし私は化けているからな。』

ーーーということは明主様(メシヤ様)の御神格を分からせて頂くことでしょうか。

『※7そうではない。一人でも多く信者をつくることだ。

※6 罪が消えるとは罪が赦されることである。押し込めたことが罪の根本であるとすれば「その罪が赦される」とは「罪がすべて赦される」ことを意味する。

※7 多くの信者をつくることが「明主様(メシヤ様)を世に出す」ことであり、「明主様(メシヤ様)が分かる」結果となる。の意。

[解説]『新・伝道手引』25頁
苦しみは「罪」の浄化として起こる。したがって、罪の究極が何であるかは救いの根本問題である。昭和十年の『観音講座』は人間が(主神様の代理者である)最高神を押し込めたことに触れ、また昭和二十三年十月頃「(冒瀆の)罪の最大のものは神様を押し込めた罪、およびこれに加担した罪です」と教えられた。

しかし公開された御論文では、薬を服むから霊が曇って罪を犯す、と教えられ、御講話でもそのことにしばしば触れられた。罪の根元に関するこのニ系列の御教えは、まったく違った結論になっていた。

そして昭和二十九年二月四日(立春祭)~二月七日にかけ、「神を押し込めた」ことについて初めて詳細な御教えがあった。  立春の御教え

・裁きの前に悔い改める

【御教え】御光話(S23年10月18日)

――救いと裁きの関係につき御教示をお願い申し上げます。

『これは密接な関係があります。裁きがあり善悪があるから、救われるのと救われないのが決まるのです。ふだんだって神様は裁いておられるが、ふだんの裁きと最後の審判とは意味が違うのです。最後の審判においては人類全体が裁かれるのです。しかしだれでも裁かれないうちに悔い改めることが救われることなのです。……そこで一番困るのは、人間が人間を裁くことです。これが一番間違っている。あの人はいい人だとかなんとか言って人を裁くのは、その裁く人自身が裁かれているのです。人を裁く前にまず自分を裁くことです、反省することです。他の人をいい人だとか悪い人だとか言うことはたいへんな間違いです。また救いということにしても、人間が人間を救うことはできない。救いをなさるのは神様であり、人間はただその道具にすぎないのです。しかしその道具に使われることがありがたいのです。』

〇神に縋って罪を赦して頂く
・命を救われたことを忘れた人へ


【御教え】御教え(S27年1月17日)

(絶望的な病を助けて頂きながら御用せず、再浄化で死に瀕している人へ)
〔御垂示〕
『これは、急所は――命を救われたことを忘れたことが急所です。大体この人は命がなかったんです。これは非常な薬毒ですよ。医学の犠牲者ですね。気の毒なものですね。そうして、せっかく務めができるまでに治ったら、すぐに神様のために働かなければならない。命は神様にいただいたんですからね。だから、私有物じゃない。助かってからの命は神有物なんです。ところが自分勝手にしたから御守護が離れたんです。だから、こういうことになるのはあたりまえです。だか ら、そこを自覚しなければならない。神様からいただくということは、神様の御用をしろと言っていただくんですから、そういうのは神様以外のことはできない んです。こういうのはたくさんあるんです。ところが、それを私有物にして、せっかくいただいた命を勝手に使って――いったん神様からいただいた命を、会社かなにかに使っては、人が助かりません。そうでなく――神様は、命をやるから御神業に使えと言ってくださったんです。それを忘れた。この点は指導者も責任があります。それは言ったでしょう。しかし、言い方が足りなかった。断乎として言えば――他のことをしては命はない。神様以外のことはいけないと、断乎と して言うんです。それで言うことを聞かなければ、突っ離す。だから、浄霊も良いですが、腹の中から――間違っていた。今度治ったら人助けをさせていただ く。だから、もう一ぺん、命をいただきたいとお願いするんですね。それで、神様が聞き届けられたら、助かりますが、神様がもう駄目だ――なかなか神様は、 そういうところは厳しいですからね。もう駄目だ。お前は霊界に行って働けと言われたら、もうしかたがないですがね。』

・大浄化の折、喜ばして返報返しする

【御教え】御講話(S28年11月7日)

『つまり浄化停止がうまくなったわけです。進歩というと変ですが、浄化停止の方法が上手になったわけです。ですからたしかに寿命は一時延びますが、これも ある時期というよりか、もう二、三年もたつと霊界の浄化が非常に強くなりますから、今度は逆に恐ろしく短命になる時代が来るのです。それは恐怖時代になる わけです。それがもうだいぶ近寄っています。これが一番よく分かるのは、あなた方が浄霊して、以前よりか治りよくなったでしょう。早く治るでしょう。これ はそれだけ浄化力が強くなったわけです。それから作物に虫害などが非常に多くなったということも、霊界が変わってきたわけです。つまり浄化力が強くなると いうことは、今に薬をだんだん強めて、そうして浄化を止めて、近ごろのように寿命が延びるということは、逆療法が極端に進歩したわけです。それでこの辺で 逆療法の方は頭がつかえるわけです。そうして今度は浄化力の方の、逆療法を打ち消す霊界の方の強い力が増してきますから、ちょうど今年の不作のようで、も う少したつと今度は馬鹿に浄化停止の力が弱ってくるのです。反動的に弱ってくるのです。そうすると薬をのむとすぐに悪くなり、注射をするとすぐにまいって しまうようになり、いつかも言ったとおりお医者自身が怖くなって、“これはたいへんだ、ちょっと手を出すとみんな悪くなってしまったり、まいってしまう” ということになり、つまり恐怖時代です。それからが初めて“救世教の唱えた説が本当だ、これはどうも救世教にすがるよりほかに安心ができない”ということ になるのです。そういう時がきっと来るのです。そうなるとあなた方は非常に忙しくなり、体がいくつあっても足りないというようになります。まあ助けてやり ますが、これは大本教のお筆先に“今に艮の金神返報返しを致すぞよ”“喜ばして返報返しを致すぞよ”ということがあります。これがちょうどそれになるわけ です。ナグリつけての返報返しではないのです。それは人間の方のやり方です。神様の方のは助けてやるのです。今までさんざん悪口を言った連中を助けて喜ば してやるのですから、今のことが合っているわけです。それから日本のインテリなどは、いくら分からせるようにしてもなかなか分からないが、これはアメリカ で救世教が評判になればすぐに分かります。これもやはり“喜ばして返報返しを致すぞよ”という意味になります。』

【御詠】昭和二十七年九月二十五日

最後には 金剛力を打ち揮ふ メシヤの御業(みわざ)尊きろかも 

〇国常立尊様が現界に現れて審判が始まる
 立春の御教えに全文が出ております。

【御教え】立春祭御講話(S29年2月4日)

『事の起り始めは、これは神代となってますが、神代ではないのです。そう古いことでもないのです。もっとも三千年ということになってますから、三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。ところが非常に厳格な神様で、間違ったことは許さないとい うために――大本教のお筆先などを見ると分かりますが――つまりあまり厳しいので八百万の神様がとてもやりきれないというので、こういうやかましい神様は 押し込めなければ楽はできないというわけで、押し込められたわけです。押し込めた方の神様は天若彦(あめにわかひこ)神というのです。これはよく天邪鬼 (あまのじゃく)と言いますが、天若彦というそれを後世天邪鬼と言って、つまり素直でない、なんでも横車を押すという性格の神様です。それで国常立尊とい う神様を、艮(東北)に押し込めたのです。そこでそれを鬼門と言って忌み嫌ったのです。もっとも忌み嫌うわけです。人間の方が間違ったことをすれば、そう いうやかましい神様を嫌うわけですから、どうしてもそうなるわけです。そうして鬼門除けと言って、いろんなことをやったのです。そういうわけで、三千年押し込められたとしてあります。そうしてその神様が明治二十五年に大本教の教祖の出口なおという方に憑られて非常に怒鳴ったのです。出口なお刀自の口を借り て怒鳴ったのです。その第一声が「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。この世は神 がかまわなゆけぬ世であるぞよ。竹は外国であるぞよ」というそれが最初の獅子吼(ししく)です。それで、大きな声をして怒鳴るので、気違い扱いにされて警 察に引っ張られて、二十日か三十日間勾留されたのです。それが大本教の始まりなのです。
 その艮の金神という神様は、押し込められて肉体の方はなくなりましたが、霊は霊界に行かれて閻魔大王になるのです。それで閻魔大王というのは、善悪、罪 穢れを裁く神様、裁くお役目です。閻魔大王というと非常に恐ろしがられたのです。それが、本当は至正至直の神様ですから、そこで霊界に行っても、悪い人間 が見ると恐ろしい顔に見えるのです。これは霊がそういうことを言ってました。それから心の善い人がゆくと、非常に柔和な慕わしい優しい神様のお顔に見える のです。これはおもしろいです。というわけで、そこで大本教のお筆先に「艮の金神はこの世の閻魔と現われるぞよ」とありますが、“この世の閻魔”というこ とは、現界の審判をなされるということです。今までは霊界の、死んだ人を審判されたが、今度は現界で生きた人間を審判される。“この世に現われて”という のですから、現界に現われて審判をするというわけです。「今までは蔭の守護でありたが、今度は表の守護になるぞよ」とありますが、すべて現界的になるわけ です。では、それはいつかと言いますと、だいたい明治二十五年のは、霊界から現界に、つまり一段近寄ったわけです。霊界でも三段になっていまして、一段ず つだんだんと近寄ってくるのです。それでいよいよ最後の段をすまして、直接現界に現われるというのが今日からなのです。そうすると、今日は最後の審判の初 日というわけです。恐ろしいですが、しかしそれはこっちに邪念があったり曇りがあったりすると怖いので、そうでなくてこっちが本当に正しく立派な心を持っていればありがたいのです。』

【御詠】昭和二十八年十月二十五日
我蔵(わがかく)す メシヤの力表せば 大千世界は打ち奮ふらむ 

〇三千世界の大芝居
 立春の御教えに全文が出ております。

【御教え】立春祭御講話(S29年2月4日)
の中に、
『今度は三千世界の大芝居であるから、※8悪の役もあるし善の役もあるから』
『今まで随分教団の邪魔をしたり、いろいろ良からぬ人が入ってきました。ところがそういう人に “あいつは悪い奴だとか、あいつはいけない”とか言いながらも、結果においては、なかなか※8良い役をしてます。それは悪い人間でなければできないような良い役をしてます。』

※8 この場合メシヤ様を告発した人、迫害した検事、警察官が「悪い人間でなければできないような良い役」をしたわけである。

『これがちょうど、今言った、善の役と悪の役と両方※9拵えらえてあるということがはっきり分か るのです。』

※9 その人の因縁によって、御神業上で「この人は善の役」「この人は悪の役」をするように神様が脚本をつくっておられる。

[解説]『新・伝道手引』660頁
御神業上のことは、すべて神様が許容されて起こる。しかし起こる出来事は三千世界の大芝居で、善の役をする人もあるし悪の役をする人もいる。あの人が間違っていると人のことを言っている人が、本当は悪いことをやっている場合もある。三千世界を救うための神様の計り事は非常に深いものなので、人間には分からないのだから、何が善で何が悪だと決めてはいけない。

〇因縁によって御用に召される

【御教え】御講話(S27年10月26日)

『日本人の優秀であるということは、根本の神様から説いていくと分かるのです。それこそ破天荒の説で、おもしろいのはおもしろいです。そうすると本当に分かるが、しかし日本人のうちでも、本当に優秀なのは少ないです。ちょうど百人に一人くらいの割合です。これが日本人の中にいるのです。これが約三千年の長い間抑えつけられてきた。それが、今度メシヤ教によって現われてくるのです。』

[解説] 『新・伝道手引』661頁
人間は神様の分霊であり、それぞれの民族の始まりの神様がある。「根本の神様」は、その中でも最も初めの神様。

例 根本神

日の大神ーーー国常立尊様ーーー伊弉諾尊様ーーー伊都能売尊様
月の大神ーーー豊雲野尊様ーーー伊弉冉尊様ーーー神素戔嗚尊様

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2月月次祭は、翌日に節分祭、翌々日に立春祭がございますので、

2月度 覚りの旅 の御教え『浄霊と幸福』

と今回の資料で学ばせて頂きたいと思います。

お詫びの意味がさっぱり分からない方もおられるかと思います。
それぞれに因縁のある神様やご先祖様は異なりますので、お詫びもまたそれぞれであります。
しかし、因縁があるからこそ、メシヤ様に繋がり、御用に召されております。
自分が善の役なのか悪の役なのかそれは神様にしかわかりませんが、それもまた三千世界の大芝居の役柄なのです。
神様を押し込めたことが罪の根源であるのですから、人類全部にその罪はあります。その過ちを、しらずしらず、繰り返してはいないのでしょうか。

そういうことも学びあう場とさせていただきたいと思います。