重陽、菊について

 

3月と6月には祭典がありますが、9月には祭典がありません。

『三六九』ということを思う時、今年の九月は特に重要なのではないかと思います。

昨日、月次祭を執り行いましたが、メシヤ教を8月に離れてより初めての月次祭で、新たな出発の祭典でありました。

朝、嬉しいことがありました。安濃に引っ越して初めてのことなのですが、獅子神楽(伊勢大神楽)が回ってきたのです。玄関で獅子神楽を受けました。

http://www.ise-daikagura.or.jp/index.htm

 

メシヤ講座・三重(平成23年7月分)で神楽の話が出たことがあります。

再出発の時に、獅子神楽が回ってきたのですから、勝手ながら、御祝に来てくださったのだと受け止めさせて頂きました。

 

○神社でのお参りについて

(質問者)

神社でのお参りはどのようにすれば・・

(先生)

神社でもね、今日はこういうことでご挨拶に参りましたと。小さい声で言ってそれから祝詞を奏上する。

(質問者)

御神名がわかる時は御神名を奏上すれば良いですね。

(先生)

そうです。わからないときには「産土大神(うぶすなのおおかみ)守給へ幸倍給へ(まもりたまえさきはえたまえ)」です。そういうふうに唱えれば良いです。大体の神社は御神名が書いてあるでしょう。

(質問者)

善言讃詞はあげなくてよいですか。

(先生)

聞きたそうだなあと思ったらあげたらよいですね。(笑い)

(先生)

特別御神業上必要だなあと思ってお参りした時には、できれば天津祝詞・神言・善言讃詞 を奏上します。特別に目的を持って参拝した時にはね。

例えば夢でね、メシヤ様の代行で参拝してくるように、とか、出た時にはね。

何もない時には天津祝詞だけで良いですよ。

滅多にいくことのない神社等へ参拝した時にはお神楽を奉納すると良いですよ。

 

ちょっと話がそれましたが、重陽、菊について確認させて頂きましょう。

 

神智之光より

重陽、菊供養、(一厘銭と弥勒三会)

 「御観音様は菊供養」という事はどういう事で御座いましょうか。

 菊供養は九月九日、重陽の節句である。九九は、九分九厘、観音様は一厘になる。

 九分九厘の世の中に表われる一の身魂という事。大本では一厘の仕組といっている。一厘の身魂という。九分九厘と一厘の戦いで、九分九厘の世の中を一厘の身魂が表われて覆すとある。以前ある人から一厘銭をもらい、また明治四年の銀貨と天保銭をもらった。大本教祖は釈迦の生れたもの。聖師は法身弥勒で阿弥陀如来、素盞嗚尊である。弥勒三会というが、三人のミロクが一ぺんに会う事である。それが済んだ訳で、弥勒三会の鐘が鳴るという事がある。

 

メシヤ講座no.187三重(平成289月)

三重支部御遷座祭支部長代理挨拶

支部長代理

本日は御遷座祭に、こんなにたくさんの方にご参拝いただきまして誠にありがとうございます。さきほどの御教え『悪と守護霊』の最後の箇所に

『主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって、茲に主神は愈々一厘の力を顕現され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今や其一歩手前に迄来たのである。従って此真相を把握されたとしたら、何人と雖も飜然と目覚めない訳にはゆかないであらう。』

とありました。この九分九厘と一厘ということと、この数字がこの御論文の肝だ、と思いました。

九の数字につきましては、

九は「つくし」といって極点です。十は経緯結ぶことでこれが本当の完成です。いまは九の世でありこれから経緯すなわち東西文化を融合するのが観音教団の仕事なのです。(御光話録 昭和23118日)』

と、御教え賜っております。

奇数を陽、偶数を陰としますと、陽の極まった数字が九であります。また、本日9月9日は重陽の節句で大変目出度い日でございます。この九分九厘の日に一厘の主神様の御神体を御奉斎奉り、新たな出発の許されましたこと、まことに有難く身の震える喜びでございます。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/重陽 

Wikipedia:ウィキペディア最終更新 2018812 () 00:09

重陽

重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、99日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。

邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。

 

観音講座 第一講座 昭和10(1935)715日発行

十六の菊の御紋は、

1図

即ち十へ稜威(いつ)が出る形である。

 

 世界の経綸の真の救いと経綸は御膝元から出ねばならぬ。どうしても出ねばならんのである。

 観音会で自分が言うことは皆ハッキリしているのである。もしも今までの教がハッキリしていたらどうかと言えば、これにより悪が暴露するのである。暴露するとそれで世の中は進歩しないことになり、統一の事業は出来ない事となるのである。総てが国際的となり一度に世界に知らせる事の出来るのはラジオの出現である。ラジオの出来た事により、これで総ての準備が出来たことゝなる。

2図


何事もこれにより世界的になったのである。

 世界的救済、世界的宗教、これもいよいよ今出でざれば駄目だ。一人により世界統一せざれば真の平和は出来ぬ。今までの色々の宗教は要するに無駄である。

 帰一、一とは元の神様則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。

           (昭和十年七月十五日)

観音講座 第二講座 昭和10(1935)725日発行

3図

菊の花は平面に見れば日本となり、又経にもなる。天地にも開く。

 天へ照せば五風十雨のくるいなく、地へ照せば鉱物の在所が直ちに判る。地下に光がさせば透視することが出来る。まず金へ光が照らすから反射して山や地中から光が出るので早速金のあるところが知れるのである。それ故入用なだけ掘れば宜しいのである。貧乏をなしにする事の出来るのもこの為である。

 国家が金を掘れば人民より無理に税金を取上げなくとも良いのである。又農作物でももっと沢山取れる様になる。今日より三倍位取れる。肥料が不要となるのである。なぜ肥料が不要となるかと言えば、「光」が立派な肥料となるからである。又光に逢うと虫害がなくなるのである。農作物は豊富に収穫の出来る時が事実来るのである。

 

御垂示録15号 昭和27(1952)1115日発行
「名古屋の御面会のときに、エルサレムに四つの門があるということでございましたが、どういうことでございましょうか」

 あれは昔こしらえたのです。やっぱりキリストよりちょっと前らしいです。やっぱりユダヤです。将来救世主が現われる、そのときにそれをお迎えするという 準備です。そのために四つの門をこしらえたのです。それで三つの門だけは開けられるが、一つの門だけは開かずの門と言って開けられなかった。今でもありますが、それで一番不思議に思うことは開かずの門の上に十六の菊がついている。だからその開かずの門には日本の天皇が行かれるという説もあったので す。十六の菊の門〔紋〕といって、菊の花ではないのです。四方に神の光が行き渡るというような意味です。やっぱり八紘一宇(はっこういちう)というような ものです。八紘一宇を戦争の道具に使ったのはたいへんな違いで、あべこべだったわけです。それでイスラエルの流れと言いますが、イスラエル民族の十二の流 れというのは、十二の支族になったわけです。それでその一支族だけが東に向って行って行方不明になったということがあるのですが、一支族が東に行ったとい うことは、支那に行ったのです。そうして漢民族、漢の英雄になって、それが日本に渡って来たのです。それが瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なのです。天孫瓊瓊 杵尊です。その孫さんが神武天皇です。日本は今までそれが統治していたのです。そうしてそのイスラエルというのはユダヤの祖先だから、そこで日本というの はユダヤの系統だという説もあるのです。木村鷹太郎という人はそういう説を唱えていたのです。やっぱりそれは神様の経綸なのです。だから何千年何万年前か ら神様はいろいろな仕組をしていたのです。だからやっぱりお筆先にあります。「今に世界が唸るぞよ」というのがありますが、メシヤ教というのが本当に分 かって来たら、本当に世界は唸ります。それでキリストもイスラエルですから、キリスト教も素盞鳴尊の系統なのです。今世界の文化というのは、結局ユダヤの 文化なのです。だからユダヤというのは非常に大きな手柄をしたのです。それでユダヤというのを非常に悪いように宣伝したのは戦争前の軍部ですが、むしろ本 当から言うとユダヤに感謝して良いくらいのものです。今のこういった機械文明とかを考え出したのは、みんなユダヤ人です。それでユダヤ人を欧州戦争のとき なんか、ドイツはどう間違えたのか、みんなユダヤ人を排斥したので、その偉いのがアメリカやソ連に行ってしまったのです。それがいろんなことを考え出して やったのです。今アメリカやソ連が新しい武器を作ったり、原子爆弾を作ったりしているのは、結局その系統です。アインシュタインというのはアメリカに亡命 したのです。それでアメリカでは非常に歓待したのです。原子爆弾の理論を最初に言ったのはアインシュタインです。アインシュタインが「こういう物ができる、原子破壊という物ができる。可能だ」ということを唱えたのです。だからユダヤ人というのは唯物的に非常に良い頭です。ところがそういった良い方面もあるし、また医学のようなあんな馬鹿げたものを作ったのもユダヤ人だから、そこに一つ足りない。九分九厘の力しかないのです。それで私のほうは一厘のほうだ から、九分九厘の間違ったところを訂正する。いろんな機械やいろんな薬でやったことを、こう(御浄霊)やれば治るということは、やっぱりそういう意味で す。今まではユダヤ文化によって世界はほとんど支配されてしまったのです。ただ一つ足りなかったために、せっかく作った文化がみんな人間を苦しめる道具になってしまったのです。それで一厘というのは、苦しめた文化つまり不幸を生んだ文化を幸福を生む文化にするのです。それがメシヤ教です。もう少し経つとおもしろいのです。今までのは基礎工事なのです。これからいよいよ建築に取り掛かるのです。基礎工事で、それで模型も造っていたのです。箱根が第一の模型で、熱海、京都と第二第三の模型です。京都ができると今度は九州です。九州ができると、今度は中国です。

「中国はどの辺でございましょうか」

 北京城です。あそこが中心です。しかしあそこは木がないのです。非常に景色は良いが木だけがないのです。だから木を植えなければならない。そうなると中 国も変ります。今の中共政府などもずいぶん変るでしょう。無論ソ連の手から離れます。それも時期の問題です。毛沢東というのは非常に偉い人です。だからむしろ毛沢東は共産主義を利用しているようなものです。あれでいくと早いですから、もう少し行ってソ連の力を借りなくても良いというときになると、ソ連を離 れてしまいます。

 

「チベット辺りには何もできませんのでございましょうか」

 いや、できます。あそこにも地上天国ができます。チベットは良いところです。神様の取って置きのところです。やっぱりメシヤ教の別院というようなところです。チベットと北京に別院を、ということになります。

「チベットにユダヤの本拠があるということは、本当でございましょうか」

 それは怪しいです。小説のようなことを書いたものがずいぶんあります。

「しかしチベットと申しますと、財宝的なことで鉱山とかがありますのでございましょうか」

 金があります。金は世界で一番です。それでミロクの世になると非常に金を使います。装飾に使うのです。

「黄金の甍(いらか)燦々(さんさん)とでございますから」

 そうです。瓦まで金でというのは、金の板を張るのです。

 

 結局根本は人類から病気を除けば良いのです。病気がなくなれば、精神的に悪を好まなくなります。で、病気をなくすということは、病気の根本を知れば良い。そういうことを今度のアメリカを救うの本に、分かるように書いてあります。あれが分かれば、もうミロクの世の創造が始まるようなものです。つまり今までは病気が必要だったということです。しかしいよいよ病気の必要がなくなるのです。

 

 

『どういう話をしても結局は病気を無くす。』ということが最重要なのですね。

重陽、菊を調べても『病気を無くす』ということに集結します。